2-2
話は再びニューシャトルに返ってくる。特に伏線回収とかではないので、何度も申し訳ない。大宮以南に住む伊音校生が帰宅する場合、このニューシャトルによって一度大宮駅に出て、そこから各々の交通手段を選択することになる場合が多い。すると帰宅ルートは似たり寄ったりになるわけだ。それによりバラバラに帰宅の途についたとしても、ふらりと寄ったカフェなどで鉢合わせる危険があるということを今後は心得なければならない。
「あれあれ?塾あるんじゃなかったのか?」
それほど広くない店内の、中央の4人席に、さっき別れたばかりの3人組がたむろしていた。机の上には水とおしぼりが置かれているだけで、メニューでなにを注文するか思案しているらしい。
「げ」
そういえば遊びに行くって言ってたな。せめて駅前は避けるべきだったか。
「あ、さっきの。だれでしたっけ?」
「あぅ」
「九条だよ。攫った人間の名前くらいは覚えておいた方が身のためだぞ」
と言いつつ、俺は俺でこいつらの名前を忘れている。袖を捲った元気そうなのと、前髪重めの陰気そうなの。どっちがどっちだ?
そもそも名乗られてなくないか?サチとチヨ。吉田先輩や赤井はそう呼んでいた気がする。
「えー。なんすか、仕返しに来たんすか?」
「こんな明るいところじゃ無理だな。夜道に気をつけろよ?」
俺はそう言い捨てて、奥まった2人用の席に座ろうとする。
「おうおう、ぼっちは寂しかろう。うちがおしゃべりしたるさかい」
赤井はおよそ考えうるなかで最悪の言葉を吐きながら、俺が座るはずだったソファー席にどすんと着席した。しね。
店員がやってきておしぼりと水を置く。おれはそのおしぼりを広げて顔に押し当てる。この行為は女性にひどく倦厭されると聞く。嫌いな人間の前では積極的に行いたい行動である。
『ご注文をお伺いいたします』
「ブレンド」
「と、カツパン」
「おい」
「以上で」
『かしこまりました』
店員が去っていく。
「またタダ飯を食おうと企んでいるんだろうが、取っ組み合いの喧嘩までは辞さないつもりだ」
「ほい」
赤井は制服の上に着たパーカーのポケットから有名ブランドの黒い財布を取り出して、それを机の上にぽんと置いた。
「好きな分だけ取ってきな」
俺は他人の財布を漁るという行為に多少の抵抗を感じながらも、それを開いて中を確認する。
「おまえ、まじか」
その中身に驚きつつも、そこから千円札を抜き取り、ポケットに購買で昼食を買った時のおつりがあったことを思い出し、小銭を掴む。
「釣りはとっておけ。家族に寿司でも買って返ってやんな」
メニュー表を見る。カツパンは980円だった。20円じゃ駄菓子も買えねえよ。
「そう言えば、この前。あのラグビー部の奴らとココス行ったろ?その時の会計を誤魔化したりしたか?」
「その財布の中身を見て、まだそう思うか?」
「いいや」
財布に万札を雑に突っ込んでいる人間が、とは考えずらい。じゃあ誰が。いや、よくよく考えれば別に俺が気にすることでもない。それよりも。
「おまえって反社?」
「売春とかよりもそっちが先に思いつくんだ?」
「パパ活って電子マネーの先払いが多いらしいぞ」
「詳しいんだな」
「文春に載った親父の記事にそう書いてあったからな」
「子が子なら、親も親だな」
「なんかお前に軽蔑されるようなことした?」
赤井は退屈そうに肩肘ついてスマホを眺めている。
『お待たせしました』
俺の注文したホットコーヒーと、お馴染みのクソデカカツパンがテーブルに置かれた。俺はその湯気のたったコーヒーを乾いた口の中に流し入れ、心を落ち着かせる。
「お前さぁ、気まずくなったりしない?」
当たり前のように自分の顔より大きいようなカツパンにかぶりつくのを見ていると、質問しておいてなんだが、こいつにはそんな繊細さは備わっていないな。
「あうあいわ」
「なんて?」
「わたしだって気まずいわ。もっと楽しい話をしろや」
「気まずいなら帰れ」
「まあそうイラつくなよ。半分食うか?」
「食事管理してるからいらん」
「おっ、やるぅ」
「お前は『いくら食べても太らない』ってやつか」
「いや?爆食いした後にゲロ吐くまで有酸素やれば太んないってだけ」
「何がお前をそうさせるんだ…」
「現代社会の闇」
「多分お前は原始時代でも同じように暮らしていると思うが」
いつもより口数が多いせいか、陶器の中のまだ熱いコーヒーがすっかり干上がってしまった。いや、冷めきったコーヒーを飲まないで済んだと考えよう。
「じゃあな」
そろそろ潮時かと席を立とうとする。
「まあ待て。あ、やーん待ってぇ」
「それで待つ方が心象悪くするだろ」
「サチ、チヨ。先いくね」
「りょうかいっす」
ついてくんのかよ。
◇◇◇
「ついてこないのかよ」
店を出てすぐにおれとは反対方向へ歩き出した赤井を見て、ついそうつっこんでしまった。
「あらあら、期待しちゃった?」
悔しいが無視するしかない。
「冗談だって」
「で、なんでついてくんだよ」
「せっかく会ったんだ。これを機に親交を深めていこうじゃないか」
「お前じゃなければ喜んでそうしただろうな」
2人で歩くには少し狭い歩道を並んで歩きながら、すっかり夜の雰囲気をまとった街を、春の夜風とともにゆく。これが気の知れた友人や、密かに想いを寄せる相手とであれば心地よいだろうが、正体不明の変人とではそれもどこか不穏な風に思えてしまう。
「うん、この近くに知り合いのダーツバーがあるんだが」
「そんな若い女を丸め込もうとする中年男性のような、リアルな大人の提案をできるお前はなんなんだ」
「そこそこ遅くまで空いてる単館映画館が。そこはアルコール出してて」
「お前がどういう類の人間と関わろうが知ったことじゃないが、俺を巻き込むんじゃねぇよ」
「冗談だよ、冗談。でも九条のこと知りたいのは本当」
赤井が視界の隅ですっと立ち止まった。
「九条はわたしのこと、もっと知りたくないの?」
彼女の横顔が白タクのヘッドライトに照らされて、瞳は蠱惑的な熱を帯びる。周囲の雑踏が急に静かに感じられ、俺はごくりと生唾を飲んだ。大宮東口、二人は夜の街に消えていった...。
◇◇◇
『マイナス196度の幸せを掴むのよ~♪』
気がつくと薄暗く、そのくせ喧しく、汗臭い場所にいた。品のない蛍光色のライトがステージを照らし、彼女たちは珍妙な踊りをそこそこの熱量で行なっている。そのためこの異様な熱気は舞台上からではなく、立ち尽くす俺を含めた観客側から発せられているのだろう。
俺をここへと誘った少女は、なんとも言えないセンスの、そのくせ露出は多い衣装を着て、ステージの端っこではあるが、キレのある動きで、正直に言うと1人だけ浮いていた。
大宮の地下深くでは夜な夜なこのような奇祭がが催されているのである。嘘である。普通にライブハウスでアイドルがライブをしているのである。そして俺は一時の下品な期待につけ込まれて、1000円とドラチケ代500円、しめて1500円を支払う羽目になったわけだ。そこまで高額ではないのが逆に腹立たしい。
横にはさっき別れたはずのサチとチヨ。
「うおー、りんごちゃーん」
「ほらお前も突っ立てないで腹から声出せ!」
片方はキャラが豹変してて怖いし。というかお前らさっきまであいつとコメダで駄弁ってたろ。
強要されたわけではないが、両脇にいるこいつらに絆されて観覧することとなった次第である。
『黒い春』
『長い夜』
『痛い傷』
メンバーが入れ替わりながらステージの前方に立つと、それぞれの愛称を叫ぶ声が、こもったような音響の合間を縫って聞こえる。
『君は知らないでしょう』
作詞家の人間の精神状態が危ぶまれるようなリリックが続くが、案外アップテンポで盛り上がる曲らしい。
観客は前方の熱狂的な人々、壁際によりかかる他の出演者目当てらしい派手なファッションの一団に区分されていて、その中間に俺たちはいる。まだ7時を回ったばかりの時間帯だからか、仕事帰りらしいスーツや学生服の人間も目についた。
地下アイドルの定義がなんなのか、それが蔑称にあたるのかどうかは知らないが、こうやって何人もの暑苦しいファンがいることは尊敬すべきことで、俺からすればクソ野郎でも、他の人間から見れば愛すべきクソ野郎なのかもしれない。
意外な一面といえばそうかもな。
◇◇◇
『次回はぜひ定期公演にも来てね!!酔いどれ戦線異常なし!は君を待ってるよ!!』
このグループの定番らしい挨拶を終えると、なんとも忙しくアイドルたちは撤収していく。どうやらすぐに次の出演者がセッティングを始めるようだ。
「あ、九条先輩?でしたっけ」
元気な方がスマホに目をやりながら伸びをする俺にそう尋ねる。
「なんだよ。俺は流石にもう帰るぞ」
「だろうから『今日はライブ見に来てくれてありがとう。チュッ』らしいです」
「そうか。あいつに会ったら『素晴らしいパフォーマンスだった。最高だ!』って言って中指立てといてくれ」
「りょうかいっす」
了解されてしまった。
通りに出ると帰宅ラッシュは過ぎ、人々は緩やかに流れている。「ちょうどいい時間潰しにはなったな」と独り言を口にして、いつもなら独り言なんて言わねぇのにライブで高揚してんのかなと恥ずかしがりながら帰路に着いた。
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