第2話 埼京戦線異常なし


 ニューシャトルという乗り物がある。シャトルと言ってもシャトルロケットではない。爆発したイーロンマスクの新型ロケットでもない。あれは、なんと言う名前だったか覚えていないが、子供に『X Æ A-12』などと名前をつける人間の名付けたロケットの名称を知らないからといって詫びる必要はないだろう。

 とにかくニューシャトルである。この一風変わった公共交通機関(じどうあんないきじょうしきりょかくゆそうしすてむとかなんとか)は我々、伊音学園高校の生徒にとっては生命線とも呼べる代物である。そして、その生命線は、学校からの距離の遠さから、全くもって有り難がられていない。なんだったら、ほんと遠すぎ、ふざけんなと毎朝のように罵倒されている。

 遠すぎた駅。というと往年の名作映画感が漂うが、ただの遠い駅である。友人である成田から「遠いよ、いやまじで」とは聞いてはいたが、本当に遠かった。

 そのため電車通学の生徒は、駅に停めた自転車に乗り継いで学校へと通う。成田などは、親の車で大宮駅まで行き、そこからニューシャトルで最寄りに行き、そこから自転車に乗り換えるという、トライアスロン通学に挑戦させられている始末である。

 そう言うわけで、俺も転入に際して自転車を購入した。愛用のクロスバイクを利用しようかとも考えたが、どうも駅の駐輪場は防犯面で不安が拭えないので、15,000円のママチャリにしておいた。

 ガチャガチャと安っぽいギアの音が鳴る。7時50分。通学路である幹線道路の自転車レーンは学生ライダーによるツールド・サイタマが佳境にさしかかり、脚力に自信のある生徒などは自慢のスプリントを見せつける。

 しかし、所詮は時間ギリギリに到着しようとするものぐさども。朝練に参加しないインドア生徒の馬力などしれたものだ。俺は傾斜で全体の勢いが弱まった瞬間に大外から抜きにかかった。凄まじいゴールスプリントを見せつけ、余力を残し、脅威の大まくり達成である。


 色とりどりの自転車置き場の隅っこに愛車を停める。

「おはよ〜。ぎりぎりだね御月くん」

 見知った顔だ。

「おはよう。いい朝だな」

 長洲は、下は制服のスカート、上は学校指定のジャージという格好で、白紙のキャンバスを運んでいる最中のようだった。

「F50号か」

 物知り顔で呟いてみる。

「残念、惜しいね。F15とかかな?」

 全然惜しくなかった。そもそもFがなんの頭文字かすら知らん。『ファイター』の方はこの前の航空祭で空飛んでたし違うよな。

「親戚のお兄さんが結婚するから、ウェルカムボードって言うのかな?頼まれちゃってて」

「長洲って美術部なのか?」

「ううん。部には入ってないんだけど、時々教えに行ったりはしてるかも。結構、上手だよ」

「おお、確かに新進気鋭のアーティスト感ある」

「ええっ、そう?適当に言ってない?」

「ニューヨークで個展とか開いてそうな」

「うっ、それに突っ込むと角が立ちそうだからやめておくけど。じゃあまた教室で」

「じゃあ」

 長洲に手を振りかえしながら、しゃがんで自転車から鍵を抜き取り、それをポケットに滑り込ませた。

 よし、今日も一日頑張りますか。


◇◇◇


「そういえばなんで先輩はなんであいつを部に誘ったんですか?」

 その女子生徒はアイスホッケー同好会と書かれた張り紙をゴミ箱に丸めて捨てながら、ノートPCで作業する男に尋ねる。

「二年前くらい前かな。なんかの番組で、そん時まだ大宮のシニアチームにいた中学生の九条が取材を受けてるの見たんだよ」

「へぇ、あいつってそんな有名だったんすね」

「それまでもちょくちょく名前は聞いたことあったんだが、その時のインタビューが面白くてさ」

「どんなんでした?ユーチューブにあるかな」

「編集されてたけど、あいつめちゃくちゃ機嫌悪くてさ。最初はブスッとしてたんだけど、途中から急に笑顔で対応するようになって」

「へぇ」

「でも、よくよく聞いてみると、あいつずっとうっすら織田裕二のモノマネして応えてんだよ。わざとらしく眉を顰めたり、目を見開いたり。

 ただ、まんまりに似てないせいでこういう奴なんだってそのまま放送されてんの。顔も真剣そのものだったせいもあるんだろうけど。最後にあいつ『ベストを尽くしていきたい』って言って、キメ顔に拳を握って終わったんだ。

 それで変なやつがいるもんだなと思いながら見終わって。ちょうどその後に世界陸上のCMが流れてさ。そういえば世界陸上といえばと思ってそのまま見てたら陸上のトラック走り回る織田裕二が、最後に『ベストを尽くせ』って。

 腹抱えて笑ったよ。そんでこいつやるなぁって感心したのを覚えててさ」

「やばいっすね」

「そう、んで成田と世間話してる時に、今度、九条って奴が転校してくるんだって聞いて、もしかしてって思ってな」

「それ聞くとなんか今と印象が違いますね。なんかあったんすか?」

「いや、よくは知らんが、野球やめたのは事故にあったからってのは噂で聞いたよ。ツイッターで野球関係のツイートしてる奴からの又聞きなんだけど」

「あー、だからあんな陰気な感じなんすね。それよかさっさと編集したデータ、部のアカウトにアップしてくださいよ」

「分かってるって。でもお前、この前みたく昔のファンと喧嘩したりすんなよ」

「分かってますって。あれはあっちが」


『犯されるぅ』


 壁の向こうから女生徒の悲鳴が微かに響いた。

「おい、今の聞こえたか?」

「学校で聞いていいセリフじゃないですね。男手いるんでついてきてください」

「当たり前だ」


◇◇◇


 安全で安心な1日が過ぎた。アメフト部の春山にファミレス代の請求をされたが、個別に支払いをしたレシートを偶然持ち合わせていたため難を逃れた。彼が言うには、明らかにそのテーブルに配膳されていないメニューまで支払いをさせられたらしい。その食い逃げ犯を調査していたようだが、あいつの目は節穴なのだろうか。もっと疑わしい人物がいるだろうに。名前は、不吉なので口には出さないが、アイツに違いない。

 くるりとボールペンを甲の縁で一周させる。

 ペンが落ちそうになり慌ててそれを右手でキャッチする。

「こうして崩壊したナポレオン体制でありますが、戦後処理によって、ヨーロッパ諸国のナショナリズムの広がりが、ウィーン体制の成立により」

 教卓の上のスピーカーから電子音のチャイムが流れる。

「今日はここまで。次の授業終わりに1回目の小テストするぞ〜」

 生徒たちが教科書やノート、文房具をそそくさとまとめる音で教諭の声は掻き消されていく。

 講義室を出る。

 この後ホームルームがあり、放課はすぐそこだ。ただ、今日は「都合の悪い日」なので、駅前の漫画喫茶で時間でも潰して帰ろう。成田を誘おうか悩んだが、あいつはあいつでほぼ毎日予備校があるはず。今日はやめておくべきだ。あれでも医学部志望で、将来は祖父の病院を継ぐのだろうから、昔のように遊び呆けてはいられまい。

 自分もそろそろ将来について考えたりしなければならない年齢なのだが、これがなかなか。

 この半年間は転入のためにひたすら勉強漬けだったのもあり、何をやるにも気が抜けてしまっていた。そう、気が抜けている。だからこんな馬鹿げた罠にも引っかかるのだろう。


「それであんたらは、なんていう名前の鹿ですか?」

「シカ?なんの、あ、馬鹿って言った。この男、部長のこと馬鹿って言いましたよ!」

「あんたらって言ってるんだから、私だけじゃないっての。全部を押し付けるんじゃないの」

 パイプ椅子の骨に両手を縛り付けられ、まるで拷問を受ける捕虜のようだ。

「九条御月くん。噂は、残念ながら私の耳には聞こえてこないけれど、調べたところによるとラジオ部に入部した期待の新人らしいわね」

 またラジオ部絡みかよ。

「それであんたらは?」

「ず、随分と余裕そうね」

 これでも時代錯誤なスパルタだの、理不尽な上下関係だのを生き抜いてきたつもりだ。中学時代、先輩にトイレに呼び出されては「ご指導」「ご鞭撻」をいただいてきた人間である。こんな女子供に呼び出されて喝を入れられるぐらいはわけないのだ。

 このごろ訳のわからん奴ら、人間凶器どもを相手にしたせいで忘れていたが、相手はただの高校生。

 椅子に縛られたのも、もし暴れでもしたら、この明らかに華奢な女子生徒達が怪我をするかもしれないという理由で大人しく従ったせいだった。断じて両腕に抱きつかれたからとかではない。

「それで、あんたらは?誰って?」

「うっ、そんか怖い顔しても無駄だから!サチ、あんたもなんとか言ってやりなさい」

「嫌っす。部長がそんなんだから舐められるんすよ。威厳がなさ過ぎっすね」

「部長ぉ、わたし知りませんよぉ。こんなとこ先生に見つかったらどうするんですぁ」

 すでに3人のうち、2人が戦意を喪失している。そして残った1人も、いや初めからこいつが一番腰が引けている。

「わ、わたしは。放送部部長の吉田 真代まよよ!」

 有名サッカー選手の双子の妹みたいな名前だ。

「だれが、『ブスケツと似てる』よ!」

「まだ何も言ってないんだが。それに今のは吉田麻也に場合のツッコミじゃないか?」

 うん?放送部ってこの前の。そういえばこの声も聞き覚えがある。

「この前、先輩たちに怒鳴ってた」

「そうだ、あんたたち、人がどんだけ苦労してタイムテーブル組んだが知らないで。時間になっても誰もこないってどういうつもりよ」

 うわ、墓穴を掘った。そのことに関して言えば俺にも少なからず非がある。ので、適当に誤魔化そう。

「なんか先輩たちが揉めてて」

「また、黒川のやつ」

 彼女は胸の前で拳を握り、床を踏みつける。

「あいつのせいで部の予算減らされるし、機材は持ってかれるし、今度会ったらぶっ飛ばしてやる」

 おお、それはいい。是非とも俺の分までその貧弱そうな体で渾身のストレートをお見舞いしてほしい。

 俺は立ち上がって、後ろで手を縛られたまま、肩甲骨をめいっぱいに内側に回す。椅子を持ち上げて前へと振り下ろした。ガンと鈍い音がする。

「ちよっと、危ないでしょ」

「か、関節を外したっす」

「ひぇぇ」

 ただのストレッチだ。肩周りが柔らかければ出来ないことはない。ちょうど雑に縛った縄が、腕の位置がズレたことで緩まり解ける。

「それで、さっさと本題に入ってもらえますか」

「だれかなんとかしなさいよ!」

「部長が連れて来いって言ったんっす」

「いやぁぁ。犯されるぅ、け、けだものぉ」

「おかっ!?あなたそれはダメよ!むりむり、助けて!誰か!」

「わたし処女なんですぅ。うまく出来ないですぅ」

「おい!やめろって。こんなとこ見られたら俺がやばいって!」

 なんで俺が悪いみたいになってんだよ。2人は抱き合って悲鳴をあげ、へたり込んでしまった。

「や、わ、わかったから。これでいいだろ?」

 俺は再び椅子に座り、手を後ろで組んで無害さをアピールした。

「サチ!チヨ!チャンスよ!今のうちに確保するのよ」

「いやっす」

「部長がやってくださいぃ」

「か、覚悟しなさい」

 まじでなんなんだよこいつら。


「誤用改である!」


 ドタドタと飛び込んできたのは、赤井と黒川先輩だった。俺はちょうど襲いかかってきた吉田を組み伏せて、残りの2人の頭部を鷲掴みにしている最中だった。

 まずい。

「こいつ4Pしようとしてるぞ!レ◯プで!4Pて!この凶悪性欲異常者め」

「んなわけねぇだろ!」

「てか九条じゃねぇか。なんで放送部の部室なんかに」

 黒川先輩が駆け寄ってくる。

「この声は!くらえ正義の鉄槌!」

 俺の足元に転がっていた吉田先輩は起き上がって近くへ寄ってきた黒川先輩目掛けて拳を。

「ふぐっ。ってなんでフックなんだよ」

 右のストレートと見せ掛けての左。脇腹への重い一発が決まった。黒川先輩は膝から崩れ落ちる。

「いい歳の高校生がなにをやってんだか」

 赤井が呆れたように呟く。その一言は吉田先輩の一撃なんかよりも重く、俺のボディに突き刺さったのだった。


◇◇◇


「とりあえずは完成ですかね。ビニール紐をぐるぐる巻きにした程度だと成人男性は拘束できません。できれば縄を用意した方がいいですが、工夫を凝らせばこんなものです。ここで注意しないといけないのは、首を絞めちゃわないために閂と呼ばれるようなセーフティを作ることです。

 これ、一見すると鬱血していそうですけど、その都度、各部位ごとに縛っているので意外と痛くないんです。余った分はここで飾りをつくれば、あら素敵。なんちゃって後ろ手縛りの完成です」

「ここまでする必要が本当にあるのか」

 パイプ椅子に座り、後ろで組んだ両腕はゴムチューブで緊縛されている。

「刑訴法213条、現行犯は一般人でも逮捕できんだよ」

「噂に聞く私人逮捕か。だれか弁護士を呼んでくれ」

「これでも私は過去に3件ほど性犯罪者をぶちのめしたことがある。最近、埼京線で痴漢件数が減少しているのは何を隠そうこの私の功績だ」

「少なくとも冤罪で3人の人生を壊したわけだな」

 確かに埼京線上下沿線は女子校も多く、通勤快速などは長時間に渡って片側の扉しか開かないと言った要因で、過去、1日に複数件の強制わいせつ事件が起こるなんていうこともあった。しかし、現在では駅構内、車内の監視カメラが充実したことや、防犯アプリの活用などで痴漢件数はかなり減少している。普通にJR東日本の企業努力なのだ。

「いや、1人だ。小中高と尻を撫でてきた同じジジイを3回ぶちのめした。ついでに壊したのは人生じゃなくて男性器だ」

「いや、それストーカーじゃね?」

「それに気づくのに5年かかった。今頃は豚箱の中だろうさ」

「なんか悪かったな。疑って」

「まあいいさ。男からすれば馴染みのないことだろうからな。でも、そいつから見れば一瞬のこと。ちょっと触っただけ。そんですぐに忘れちまうんだろう。でもな、覚えておいてほしい。された方はその先ずっと、周りの男性に怖がりながら生きていかなくちゃならねぇ。そういう傷をつけたってことをさ」

 心の傷か。確かに痴漢は目に見える外傷がないことで、その罪が軽く見積りがちになってしまうのかもしれない。目に見えない傷ほど癒えるのに時間が必要だというのに。

「そうだな。俺も考えが足りなかったよ。すまん」

「ああ、続きは署で聞くよ。洗いざらい吐いてくれるな?」

 俺は自分の罪を認めて、学ランを被り、赤井に抱かれながら連行されていく。空き教室の開かれた窓から吹く暖かな春の微風がカーテンを揺らしていた。


「はいOK!

 2人とも良かったぞ。後はノイズを削除して、別撮りのナレーションと組み合わせれば完成だ」

「ふぅ、演技の才能もあるなんて。我ながら末恐ろしい女だ。チヨ。水ちょうだい」

「おい、早くこの縛ってるのどうにかしてくれよ。おい。ちょっと赤井さん?」

「2人ともお疲れ様っす」

「あれ、サチ、髪切った?」

「気づいてくれました?リンゴちゃんに紹介してもらったとこでやってもらったっす。はぶちゃんぽくないっすか?」

「おー、いいじゃん。前は雨の日は一日中アイロンしてたしな」

「意外とボブの方がセットは難しいっすけど」

「ご歓談中で悪いんだが、誰かこれ解いてくれる?」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 それまで部屋の隅で足を組み、静観、いやこちらを睨んでいた吉田先輩が立ち上がる。

「なんだ?」

「どうしたんですか、マヨセン?」

「どうしたもこうしたもないわよ!これはラジオドラマのコンテストに出品する作品の台本なの!なのにどうして唐突に緊縛プレイが挟まれるのよ!」

「ああ、それはアドリブですよ。後半の畳みかけにしては盛り上がりが乏しいですし、説教臭さが拭えてちょうど良かったでしょ」

 赤井はその詰問にごく当たり前のように答える。

「これは!コンテストに!出品するの!」

「去年は黒川先輩のガチガチのやつが金賞とったし、今年は色物でいくことにしましょう。やっぱりインパクトが大事ですよ」

 吉田先輩は頭を抱える。

「あんたらに手伝ってもらったのが間違いだったわ。九条くん。ちょっとこっちに来なさい」

「はぁ、なんですか?」

 いい加減これほどいてくれよ。

「ほら、ここに座って。これちょっと読んでみて」

 三つ合わせた学生机の一つに座ると、横に立つ吉田先輩に一枚のA4プリントを渡される。そこには縦書きで文章が綴られていた。

「ほら」

 そう言って肩を叩かれる。仕方がないので淡々と読み上げる。あれと思う。どこかで読んだような文章だ。ものの30秒ほどで読み終える。

「あの、吉田先輩。俺はなんで急にフィッツジェラルドなんて読まされてるんですか?」

「これは有名な放送コンテストの朗読部門で使われた台本よ。ちょっと代わってみなさい」

 その台本を手渡すと、彼女は美しい立ち姿勢で深呼吸をする。そして、アナウンサーのような太く滑らかな声でその文章を読み上げた。

「どう?」

「どうって、上手だと思いますけど」

「あなたと何が違うか分かるかしら?」

「声がデカいです」

「うんうん、他には?」

「滑舌がいいです」

「他には?」

 これ納得する答えでるまで続くやつだわ。

「なんていうか、流れがある感じです。句読点だけじゃなく、文章としてのまとまりがあるというか」

「そうね。基本的なこととして、腹式呼吸や姿勢があるわね。演劇や声楽にも共通することだけど、朗読は作品に込められた…」

 話が長くなりそうだな。俺は横で太極拳をする赤井に耳打ちする。

「あの。さっきからこの人はなんで俺に放送部の活動を説明してんの?」

 そう。吉田先輩かは黒川先輩に対する暴行事件、及びに俺の強制わいせつ冤罪事件は、赤井による仲裁によって事態は一旦の収束をみせた。だが、吉田先輩は帰宅しようとする俺を引き留め、先ほどから放送部が普段どんなことをしているか、コンクール成績などを説明し始めたのだった。

 そんな俺の疑問を聞いた赤井は白鶴亮翅はっかくりょうしを中断して、あぶねぇ。振り払う手の甲が顔を掠める。

「ああ?そんなのお前を勧誘してるに決まってるだろ」

 赤井が緊縛を解きながら答える。縛る時は時間がかかるが、解くのは簡単らしい。暫くぶりに両手の自由を取り戻した俺は、すぐさま赤井から距離を取る。

「勧誘?」

 たしかに言われてみれば、新入生に部活動を紹介しているような感じだ。

「なんで?」

「なんでって、あー、例えばだぞ?

『私はテニスが上手くなりたいんです』って奴が近くの大学の、活動は週一のインカレサークルに入部しようとしてたらお前ならなんて言う?」

「松岡修造テニス塾のダビングを渡す」

「うんうん。もっとまともなクラブチームにでも入れって言うよな」

「そうか?テニスの上達なんてのは建前で、健康的な異性との接点を持ちたいが本音かもしれないだろうが。

 俺はその裏まで読んでの修造チャレンジだ。そんな不埒なやつには松岡修造による精神療法が最適だ」

 うん?その話でいくと、俺がテニス、じゃなかった。放送部の活動に興味があるみたいじゃねぇか。

「おまえ、ラジオ部。わかる?」

 いや、なるほど。合点がいった。ようするに吉田先輩は、ラジオ部なんて訳の分からんところに入った俺に、親切心で『もっとまともな部活』である放送部を紹介しているというわけか。

 が、しかし。

「お前が興味があるのはラジオだから放送部はお門違いだよな」

「別にラジオも興味ねぇよ」

 そう。俺はそもそもラジオだの放送だのに興味があって入部したわけじゃない。なんだったら今すぐにでも退部したい。

 なら退部しろよって?皆さんすでにお忘れかも知らないが、赤井の手には俺があいつを押し倒した時の写真データが握られている。最低でもカメラ、SDカード及び赤井のPC、そのデータクラウドまでを真っさらにしなくては安心できない。

「ラジオなんてタクシーぐらいでしか聞かないし」

「ボンボンだな。ガキがタクシー乗んな。まぁ、最近はカーラジオつけてるタクシー少ないけど」

「それにラジオって、謎のタレントが騒いでるか、音楽流れてるか、おじさんが時事ネタに苦言を呈してるかだけじゃん。つまんなくないか?」

「九条くん、その言葉は聞き捨てならないわ」

「うわっ、なんですか吉田先輩」

 堂々と話を聞いていなかったことは気にしていないのか、少し得意げな顔で話し始める。

「確かに九条くんが抱いているイメージは正しい」

「正しいんすか?」

「ラジオ番組のジャンルとして人気なのが、音楽、バラエティ。それにニュース、報道、ワイドショー。あとはスポーツ関連も多いわね。九条くんがさっき挙げた例は、ラジオ番組の傾向をよく捉えているのわ。ただし、少し昔のね」

 先輩はスカートのポケットからスマートフォンを取り出して、人差し指でフリック入力やらスワイプをしている。なんだか年配の人のような操作方法にみえる。

「これ見てみて」

 そこに映し出されているのは、自分も馴染みのある画面だ。

「Spotifyですか?」

 先輩、銀杏BOYZとか聴くんだな。意外だ。

 最近は昔のシングルなんかも聴けて助かるよね。っとそうじゃなくて。そこには番組のロゴやパーソナリティたちの写真が並んでいる。

「まあSpotifyでもAmazonミュージックでも構わないし、なんだったらそれ専用のアプリもあるんだけど、こっちの方が馴染みあるかと思って。

 九条くんはポッドキャストってサービスを利用したことはある?」

「ないですかね。広告で聞いた覚えはあるような」

 よくよくみてみると、知識人や文化人、アーティストにアイドルといった有名人の顔ぶれが並んでいる。と思えば、まったく知らないパーソナリティもいる。

「以前までラジオ番組を分ける基準としてAMとFMというのがあったの。ちなみにAMは『Amplitude Modulation』、FMの方は『Frequency』。元は放送に用いる周波数の振幅の違いなんだけど、一般的なイメージはAMがバラエティ的な要素を持った番組、FMは音質の良さや受信しやすさを理由に音楽番組や地域のコミュニティラジオなんかが多いわ。最近はワイドFMって言ってAMの番組をFMの周波数で聴けたりするからそれほど両者に垣根は無くなっているけれど」

 あ、全然聞いてなかった。よく分からんが相槌打っておかないと聞いてないのばれそうだな。

「はぁ、なるほど。じゃあこの辺に並んでいるのとかはAMの番組ってことですか?」

 俺はずらりと並んだ芸人のラジオ番組を指さして尋ねる。

「ふふふ」

「なんですか」

 先輩は腹立つ顔で意味深な笑みをこぼす。

「ここにあるすべての番組がAM、FM放送のどちらかというわけではないの。それが昨今ラジオ人気が再興している理由よ!」

「はぁ」

「そう、ここにある番組の多くはネットラジオというものなの」

「あー、そうなんすか。でもネットラジオぐらいは知ってますよ」

「うん?そうなの?」

「いや、要するに音だけのインスタライブみたいなもんでしょ」

「いんすたらいぶ?」

「あれ、知らないっすか?」

「知っているけどね」

 知らないんだな。

「ニコ生みたいなものでしょう」

「なんすかニコ生って?」

 俺と先輩の間に一陣の風が吹く。

「こ、これがZ世代なのね」

「いや、マヨセンと私たち、1つしか違わないでしょ。単に先輩が流行りについていけてないだけ。世代のせいにすんな」

 なにやらショックを受けている先輩に赤井が突っ込んで、いや追い込んでいる。

「それでネットラジオがどうしたんですか?」

 みかねて俺が助け舟を出す。なんで俺が。

「そ、そう。最近は、いえ、最近じゃないかも。とにかくこの何年かでラジオのネット配信が広く知られるようになってから、今までラジオを聴いたことがなかった若者にもその裾野が広がっているわけ。それに加えて、今はスマホさえあれば誰でもラジオを配信できるようにまでなっている。あなたが言ったような昔からの番組もあるけれど、探せばもっと専門的なテーマや分野を主軸にしている番組もあってその形態は様々ね。

 どう?これでもラジオはどれも似たり寄ったりだって言えるかしら?」

「へー、すごいっすね」

「なんだか伝わっていないような...」

 そうは言われても。

 真面目な話をするのなら、何かとの出会いというのは偶発的であればあるほどその魅力は増すように思える。

 例えばYouTubeを何の気なしに見ていた、興味本位で開いた見知らぬMVのマイナーなインディーズバンドのギターをかき鳴らすイントロにやられた時のように。

 ネットフリックスの人気ランキングにしたがって視聴した新作映画より、潰れかけのレンタルビデオショップで当てずっぽうに借りた作品が面白かった時の喜びの方がひとしおであったり。

 要は運命的な出会い方だと錯覚することが重要なのだろうが、ラジオに関して言えば、残念ながら俺はまだそのような出会いをしていない。それだけの話である。

 ただ、先輩の熱意を無下にするのも少しばかり後ろめたいので、このような表現をさせてもらおう。

「機会があれば、聴いてみたいですですね」

 横でさらになにか付け加えたそうな顔の先輩をシャットアウトし笑顔でそう応える。

「そ、そう。あ、地上波のラジオを聴くならラジコってアプリが便利よ。私のおすすめはむかいの」

「なるほど。後は自分で調べてみますね。今日は塾があるんでこの辺で失礼します」

 誰かのせいで凝り固まった肩をほぐしながら、自分のスクールバッグを手に取った。

 引き戸を開けると、西空が暮れ始めている。4月になり日が長くなったとは言え、家に着く頃には夜になっていることだろう。

「じゃあ。赤井も黒川先輩も」

 そう言って教室を出る。

「じゃあな。お、もういい時間だな。俺たちも帰んぞ」

「わたしらは吉田先輩を除いた3人でこれから遊びに行くんで。部室の鍵、閉めといてください」

「赤井さん。それをわざわざ私の前で言う必要ある?」


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