20)PV10,000記念の呟き
皆さん久しぶりです。忙殺寸前のすなさとです。忙殺寸前なら書くなって感じですが、たぶん死ぬ間際までなにがしか続けているであろう人間なので、なりふり構わず書きます。
さて先日、私の作品『九尾の花嫁』のハートが1000となったのに続き、PVも10,000を越えました。長編で話数だけは無駄に多いので、ひとたび読まれ始めるとPVだけは伸びるんですね。まあ、1つ付いただけでも心躍りますので、すなさととしては嬉しい限りです。
で、知ったのですが、PVが10,000超えるとダッシュボードの各作品一覧のPV表示が「10.0K」と表示されます。システムの表示設定上の問題なのでしょうが、これだと「10,001」も「10,051」も全部「10.0K」となります。10,000超えたんだから、PVの1つや2つでガタガタするなってことでしょうか。しかし、
(# ゚Д゚)ふざけんなよ。PVプラスの楽しみ取んな。
自慢じゃないですが、PV0の日だって普通にあるんです。1つ増えてもこっちはめっちゃ嬉しいんです。
おかげでPVをチェックしてもつまらなくなった。
なんだろう。このしょんぼり感は。
さて、私のどうでもいいPV10,000記念の話はこれくらいにして、何も祝うことがないので、今日は「拙作」という言葉について思うところを書いてみようと思います。
実は、カクヨムで活動するまで「拙作」という言葉を知らなかったすなさとです。知らなかったと言うと大げさかもしれませんが、使おうという発想がなかった。他の方がご自身の作品を「拙作」と書いているのを見て、「なるほど、自分の作品は『拙作』と言わないといけなのか」と思ったんですね。
でも、なんか違和感がある。星がなくても、PVがなくても、大好きで書いた愛着だけはある作品。そんな作品を「拙作」なんて呼びたくない。
そもそも、「拙作」呼ばわりしては、星評価してくれた人に対し、
「こんなつまらない作品をおもしろいと評価した、見る目のない奴」
と作者自身が言っているようなものではないか。そう思ったりもするわけです。
そりゃ、確かに完璧ではないかもしれない。本当につまらないかもしれない。でも、せめて自分くらいは肯定したい。だって、自分で書いて、誰かに読んでもらいたくて、自ら世に送り出した作品なのですから。
とは言え、「名作」「良作」とまで言ってしまうと叩かれそうです(笑)。なので、最近の私は、自分の作品のことをただ「作品(当作品)」とだけ呼んでいます。
そう、ここにあるのはただの私の作品、私が頑張った証しであり、楽しんだ証しでもある。その事実だけが存在しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
そう思ったら、わざわざ「拙作」とまで言わなくてもいいのかなと考えたりもするわけです。
というわけで、今日も私は書いています。ただひたすらに、「私の作品」を。
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