こんにちは。
すなさと様、──「ざまあみろ」はそれだけ悪意がこもってる──、そう言ってもらって、胸がすごくすっきりしました。
そう、私も、カクヨムタグにて、「ざまあ」って何? ああ、ざまあみろ、か。
ヒロインがざまあみろ、ってなるの?
悪役が最後おちぶれて、そのボロボロになった様を愉しむものなの?
と、何かモヤモヤしたものを感じたのです。でも、私、水戸黄門もキライじゃないし、ジャンルとして確立してるなら、新参者の私がとやかく言うものではない、と、そのモヤモヤはモヤモヤのまま、胸に沈めたのです。
ああ、すっきり!
ちなみに、私の物語では、この「ざまあ」となるであろうシーンでは、「ほどほどの因果応報」で悪役は無様に許しを乞うたり、ボロ雑巾のようにおちぶれたりすることはないので、読者さまはおおいにズッコケ、「ざまあとならんのか──い!」と肩透かしをくらうに違いない、でも、私が「因果応報以上は嫌だもんね!」と物語をぶんまわし、ぶぅんと砲丸投げのように読者さまを振り落とす仕様にしました。
書くときはためらいもあったのですが、今日、このすなさと様のコラムに会えて、すっきり致しました。
ありがとうございます……!
ちなみに、以前、私が「心が潤う愛」とコメントしたら、「心が乾く愛も良いものかと」とさらっと返して下さったセンスに脱帽です! 私からは一生出てこない言葉だ……。と半日衝撃でした。物書きの方にコメントし、返事をもらうというのは、こういう事なのかと、胸がドキドキしました。
重ねて、御礼申し上げます。
作者からの返信
こんにちは。この好き勝手書いているエッセイを読んでくださってありがとうございます。
「ざまあ」文学、初めて読んだ作品がまた悪うございました。あの後、似たようなものをいくつか拝見して、そうじゃない作品もあることを知りました。
悪役にどれだけの業を負わせるかは、いつでも作者の悩みの種ではないかと思うのですが、それでも主人公に「ざまあみろ」とは言わせたくないなというのが、私の思うところではありますね。
なので、加須さんのような仕様もありだと思います!
ちなみに、「心が乾く愛……」は、ちょうどその時に私が満たされない気持ちを爆妄していたからで、決して私のセンスなどというものでは……💦
星と素敵なレビューを投げてくださって、本当に嬉しいです!
また、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!!
御意。まったくその通りであろうかと。
「ざまあ(ないなぁ……)」というのはやはり読者に言わせたい言葉で、作中の主人公格の人物が口にすべきものじゃないと。
とはいえ、そう思ってもらえる〝悪役〟冥利に尽きるキャラ、というのは必要ですよね。
私はそういう悪役を描くのにあまり執着がなくて、(とくに序盤において)物語にわかりやすくカタルシスを与えられない口で、やっぱりそういう〝悪役〟キャラも必要なんだと思うようになりました。
── 読者の感想で〝ざまをみろ、ですね〟と言ってもらえる小悪人を上手に描けるようになりたいものです。
ところで、「ざまあみろ」と呟いた自分に自己嫌悪するキャラには好感を持ちます。
作者からの返信
もってぃさん、ご返信遅くなりました。
コメント、ありがとうございます!
そうなんです。「ざまあ」というのは、読書がひそかに思う感想であると私も思います。
悪役冥利に尽きるキャラ……難しいですよね。活劇的な物語には、確かに必要な存在ではあるのでしょうけれど。
私なりの「ざまあ」を描ければなあと思います。
すなさと様こんにちは。
「ざまあ」、ウェブ小説で結構見かけますよね……女性向け・男性向けを問わず、そしてファンタジーや恋愛要素の絡んだお話でもこの要素を持つ物はありますし。
それはそうと、実は「ざまあ」を書く事ってかなり難易度の高い事ではないかと思ったりしております。勧善懲悪が人によってはスカッとする側面もあるのかもしれませんが、主人公が手を下す・「ざまあ対象」が凋落するシーンを描く場合、ともすれば主人公サイドも悪いやつに見られかねませんし。良くてもすなさと様の仰る「同じ穴の狢」になるでしょうし。
もちろん、主人公を邪悪な外道として描写するのであれば、主人公が悪人と見做されるのも無問題かもしれません。ですがざまあ系統では主人公は善に近いと言いますか、落ち度のない被害者として描かれる事が多いので……
そもそも論として、私も長く執筆をしていますが、ただ単に「どうしようもないクズで、その末路を嘲笑されるだけ」の悪役は書けないんですよね。無論作中で悪いやつは書きますし、メイン連載では主人公に悪さをする悪ガキも登場しました。それでも書きながら「悪には悪としての美学があるし、筋は通すんだろうな」などと思ってしまうのです。
私自身、性悪説を信じていますが、それでも邪悪なだけ・善良なだけで人(人外もいますが)の心は構成されていないなって思いますし。
なお前述の悪ガキに関しては、一応相応の懲罰は下ったのですが、彼の境遇に主人公が積極的に同情したり、何やかんやあってライバル枠に収まったりしたので、所謂「ざまあ」要素は殆ど無かったりします。
長文失礼しました。「ざまあ」について、こんな考えの持ち主もいるのだと思って頂ければ幸いです。
作者からの返信
昨今は「ざまあ」と言いますが、この「悪役を見返す」という手法は昔からありますよね。時代劇なんて、ほとんどこれの繰り返しですし。
分かりやすくてスカッとするというのが、この手法がいつの時代でも人気のある理由なのかなと思います。
斑猫さんの言うとおり、物語を深く掘り下げるほど「ざまあ」の難易度は上がる気はします。それぞれ抱えている事情なんかを考えると、そもそも「善悪とはなんぞや?」という議論にも行き着きますし。
コメントありがとうございます!
皆さん、きっといろいろ考えながら執筆されているんだろうなと興味深いです。
何が正しいという決めつけより、こうやっていろいろ考えることが大切だと考えています。