第拾伍章 懐かしき客人

 扉を叩く音に月弥は顔を上げる。

 長い時間、無理な体勢でいたからか腰が痛くなっていた。


『ツキヤ、いるかい? お客人を連れてきたよ』


 良く知る声に月弥は跳ねるように椅子から立ち上がって扉を開ける。

 予想通り、蒼い甲冑を身に纏う麗しの騎士がそこにいた。

 『一頭九尾ナインテール』の一柱であり、親友でもあるティム=ポロス=ソプラノだ。


「ティム? どうしたの? 僕にお客さんって……あっ!」


 月弥は自分の失態を悟った。

 事態の収拾を図る為に沈考していてからか、或いは時折り空想のクーアに慰めを求めていたせいか、になっていた事に漸く気付いたのだ。

 月弥は咳払いをすると、一旦、扉を閉めてすぐに開けた。


「おう、ティムじゃねェか、俺に客って誰だよ? ったく、天下の『騎士王』様に案内をさせるたァ太ェヤツもいたもんだな」


 『騎士王』は“流石に無理があるよ”と思ったが、突っ込めば照れ隠しに逆ギレして面倒な事になるのが分かっているので言葉を呑み込んだ。

 それはそれで可愛いのだが、今は非常時なのでじっと我慢の子であった。


『君も知っている人だよ。さあ、ご婦人・・・、どうぞ、こちらに』


 一瞬、全てが闇に包まれ何も見えなくなる。

 いや、二つだけ見える。狂気を孕んだ双眸が月弥を見詰めていた。

 その笑みを形作る血走った目に月弥の背筋に冷たいものが走る。

 だが、それも一瞬の事で気付けば既に元の応接室に戻っていた。


「お久しぶりです、教皇さま。トロイめに御座います」


 月弥は思わず目の前の人物を凝視する。


「嘘だろ、おい」


「はははは、十年一昔と云いますからね。僕だって変わります・・・・・よ」


 巡礼装束を身に纏うトロイはフードを目深に被って顔が見えない。

 いや、それどころか、フードの中は闇に包まれて顔の輪郭さえ掴めないのだ。

 しかし、朗らかなその声は確かに十年前に罰を与えたトロイのものである。

 かつて幼い子供が攫われて虐殺される事件が起こり、慈母豊穣会と直参・三池組による執念の探索の結果、トロイが犯人であると突き止め、彼を操る前世の人格・福澤遼太郎を滅ぼしたのだ。そして残されたトロイには非業の死を遂げた子供達の霊を救い、また不幸な子供達を保護する為に巡礼となって世界中を旅して回る罰を与えたという経緯があった。


「そういや、お前、今は一人か? 確かお前を追っていった女神官がいたと思ったんだが? それにそのフードは何だよ? 善く見れば怨霊封じの札があちこち貼られているじゃねェか?」


「ああ、ご存知ありませんでしたか? 彼女は半年で巡礼の旅に音を上げて、とっくに別れていますよ。確か実家に帰ってすぐ、どこかの商家に嫁いでいったと記憶しています」


 過酷な巡礼であったのは分かるが、修道院を飛び出してまで追いかけていったのにオチがこれか。確かに戻りづらいだろうが、せめて取り持った寅丸に挨拶をするのが筋であろうに。


「ままま、年頃の女性に一日に数十キロも歩き、時には野宿をし、時には十日以上もお風呂はおろか水浴びも出来ない状況に耐えろと云うのは酷でしょう」


 当のトロイが大らかに笑っているので月弥も怒りを収めるしかない。


「このフードはご容赦下さい。この十年の間に色々とありまして、人様に見せられる顔ではなくなってしまったとご理解頂ければ幸いです」


「まあ、見せたくないツラを態々見せろたァ云わねェが、そのフードにベタベタ貼られた怨霊封じと関係があるのか?」


「その問いには“はい”と答えますが、僕としては気にはしていませんので。このお札も旅の途次に知り合った魔女が厚意で貼ってくれたものです」


 月弥は何と無しに子供の怨霊に取り憑かれたか、と察した。

 しかし、トロイ本人からは邪悪な気配は感じられない。

 これがトロイの精神力によるものなのか、知り合った魔女に貰ったというお札のお陰なのかは分からなかった。


「ところでティムよ。さっき、アンタはコイツをご婦人と呼んでいたが、コイツはれっきとした男だぜ。顔を隠していたとは云え、何でそう思ったンだよ?」


『何故も何も気配で女性と分かるだろう? 歩き方も女性のソレであったしね』


 何を云っているんだと訝しむ月弥にトロイが説明をする。


「いえ、『騎士王』様のおっしゃる通りです。子供達の霊を慰めている旅の中で知ったのですが、水子や赤ん坊の霊は想像以上に強力でした。しかし憐れな霊達を力尽くで成仏させる訳にもいきません。そこで僕は考えました。ならば僕がこの子達の母親になってやろう・・・・・・・・・・・・・・・・と」


「は?」


 流石の月弥も“は?”と答えるより無いだろう。

 否、話を聞いていた『騎士王』もまた弛緩した表情を見せている。

 有ろうことかトロイは地母神クシモの像に三日三晩祈りを捧げた後、性器を切り落として奉納したと云うではないか。


「切ったって…ええ?! いや、そんなモン貰ったって地母神オヤジも困ったろうよ。というか、善く生きてたな?」


「いえ、祈りの中、地母神さまの声が確かに聞こえたのですよ。“そなたが覚悟を示すことが出来れば、生者、死者を問わず子供の餓えを満たす乳を授けよう”と」









 クシモの神託を受けたトロイは護身用のナイフで陰嚢と陰茎を纏めて切り落とし、クシモの像の足元に備えてある供物を供える器に捧げたそうな。

 出血と激痛に苛まれる中、トロイの脳裏に“しかと見届けた”という声が聞こえた。

 暫くしてトロイはベッドの上で目を覚ます。

 どうやら自分は気を失っていたらしい。


『よう耐えた。そなたの覚悟はこのクシモの心を確かに動かしたぞ』


 声のした方を見れば、絹糸のような銀髪をアップに纏めたクシモがいた。

 彼女は一糸纏わぬ姿でトロイに微笑みかけている。

 これが吸精鬼サッキュバスの王にして『多産』と『豊穣』の女神。

 トロイがこれまで見てきた女性の誰であろうと比較にならぬほどの美しさだ。

 妖艶でありながら神としての慈愛もまた同居している。


『そなたの命の杖ファロスを余に捧げた対価として約束通り、死した赤子すら満たす乳を出す乳房をくれてやった。確かめてみよ』


 ベッドから起き上がると自分もまた生まれたままの姿をしていた。

 いや、そんなことより体を見下ろすと、確かに自分の胸には釣り鐘のような形の良い乳房がつんと上を向いて鎮座している。今まで感じた事のない重量に思わず体が前傾気味になってしまう。


『重かろう? だが女はその重さに耐え、それを持って子供を育てるのだ。真に偉大な生き物だと思わぬか?』


「は、はい……その通りですね」


『まあ、もう少し大きくしてやっても良かったのだが、そなたは永遠の旅人、大き過ぎても邪魔であろうし、男からの邪な視線は煩わしかろうとそのサイズにした』


「ご配慮、感謝致します」


『ついでにサービスとして女性器を成形しておいた。残念ながら生殖機能は無いがな。その代わり、サッキュバスと同じく精液から力を得られる能力を与えておいた。有効に遣ってくれ』


「は、はぁ…」


 思わず生返事をしてしまう。

 無惨な傷があるよりは良いだろうが遣い所は無いのではなかろうか。

 自分が男に抱かれる姿が想像出来ないでいるのだ。


『遣うも遣わぬもそなた次第だ。ただモデルは余の物・・・である。名器であるのは保証するぞ』


 また返事のしにくい事を云われたものである。


『それとな』


「はい?」


『ツキヤは未だに余を抱いてはくれぬ』


 いきなり何を云い出すのだ、この人、いや、魔王かみは。


『復活してから七十年、もう独り寝の夜は寂しいを通り越して僧侶の如き禁欲生活には耐えられぬのだ』


 トロイは嫌な予感を覚えた。


『単刀直入に云う。頂きます!!』


 クシモの長身が宙を舞い、フライングボディアタックのように覆い被さってきた。


「ひっ?!」


『ぐぼっ?!』


 トロイは思わず膝を立ててしまい、それがクシモの鳩尾に突き刺さる。

 ほぼ完璧なカウンターにクシモは沈んだ。


「あー……なんか、すみません」


 ピクリとも動かないクシモに謝罪すると、俄に意識が薄れていき、気が付けば元のクシモの像に祈りを捧げていた教会に戻っていた。

 トロイが体を検めると長年連れ添っていた我が子は消え失せ、胸には程良い大きさの乳房があった。









「という事がありまして」


「聞いててタマがヒュンってなったわ」


『しかし、元は男だったのをこれほどの女性に改造するとは流石はクシモだね』


 顔を顰める月弥に対してティムは感心しているようだ。


「お陰様で僕のお乳を飲んだ霊達は心残りが無くなったのか、怨念が浄化されて成仏したようです。特に水子霊には効果が覿面で、皆満足げに笑いながら天に召されていきました」


 ただ――トロイが声を落としたので、月弥は問題が無かった訳ではないんだな、と身構えた。


「ただ、赤ん坊や幼児の霊が僕のお乳を求めて殺到しましてね。お乳をあげるのは一度に二人が限度ですからどうしても時間がかかってしまって、気付けばこの有り様でして……」


「うーわ…」


 トロイがフードを捲ると彼、いや、彼女の顔の右半分を無数のコブが覆ってしまっていた。しかも善く見ればコブの一つ一つが人の顔のように見える。


「人面瘡かい。話には聞いていたが、実際に見るとエグいな、おい」


「これでも抑えられているんですよ。お札が無ければ全身が子供達の霊に侵食されて今頃は人の顔をしたコブの集合体になっていただろうと、お札をくれた魔女は云ってましたね」


「つまりお前が俺の所に来たのは、人面瘡を何とかして欲しいってことか」


「いいえ、子供達の霊を浄化すれば人面瘡はいずれ収まると魔女が云ってましたので、そっちは大丈夫です」


「あん? じゃあ、何の用があって魔界にまで来たンだよ?」


 訝しむ月弥にトロイは再びフードで顔を隠す。

 途端に顔が闇に包まれて輪郭すら判別できなくなってしまう。


「実は困った事が起きまして」


『人面瘡以上に困った事かね?』


「ええ、そうなんです」


 トロイの体からずるりという何かを引き摺るような音がしたかと思えば、フードの闇から無数の赤ん坊の腕が生える。


「もう軽くホラーだな」


『シッ! 何かが出てくる』


 赤子の腕により闇から引き摺り出されたものが床に吐き出される。


「数日前、いきなり僕の前に現れて、“俺はお前になる”と云って襲いかかってきたんですよ。一応、殺さずに捕まえましたので、彼の処遇も含めて教皇さまの判断を仰ぎたく参上した次第です」


「おいおい、コイツはどうにも……なァ?」


 猿轡を噛まされ、縄で拘束された男を見て月弥はこめかみに手を乗せて呻いた。

 慈母豊穣会公式の巡礼衣装を着た少年の顔はトロイと瓜二つ・・・・・・・だったのである。

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