第拾参章 教皇の裁判
地上より気が遠くなるほど降った悪魔や悪霊が跋扈する怨念渦巻く地下世界、即ち魔界の中央で一つの騒ぎが起こっていた。
地母神クシモを崇める慈母豊穣会の教皇にして、『淫魔王』第一の忠臣である三池月弥の裁判が行われようとしていたからだ。
既に大魔王にして月と魔を司る神『月の大神』、その武の片腕とされる『山の魔王』アカギ、知の片腕と呼ばれる『海の魔王』フタラ、そして『淫魔王』クシモを除いて『
被告である三池月弥を挟むように左サイドには、盗賊の守護者であり人々に他者の財を奪う
誇り高き騎士達を育て上げて統括し、自身もまた武と礼節を尊ぶ『騎士王』ティム=ポロス=ソプラノ。
アンデットの軍団を束ね、冥府の王の補佐も兼任する『死者の王』ドクトル・ゲシュペンストが並ぶ。
右サイドには、ドラゴンと呼ばれる最強種の頂点に君臨し、『月の大神』が降臨するまでは実質魔界の支配者であった『鬼龍王』、名は人間には発音も聞き取りも不可能なドラゴンの言葉なので割愛させて頂く。
亜人オークの最上位種であるオークキングにして配下のオークやゴブリン、ダークエルフに代表される妖精や亜人を絶大な指導力で統括し、魔界全体の防衛を担っている『守護王』シルト=シュバイン。
かつて地上にある国の王族であったが、政争に敗れて魔界へと追放され、数百年という時間と百代を越える世代交代を経て過酷な魔界の環境に順応し、後に魔族と名乗る一族がいる。
その後、"強い物が即ち偉い”というルール以外は混沌としていた魔界に秩序と法を作り平穏をもたらした功績により『月の大神』により代々当主に『魔王』と名乗る事を許されたエミルフォーン。
この三柱の魔王が並んでいた。
『既に『死者の王』による『魔王禍』が始まっている大切な時期に『一頭九尾』全員を召集しての裁判とはミーケは何を仕出かしたのだ?』
『知らぬのか? いや、私も又聞きではあるのだが、話によると『魔王禍』を収める為に召喚された勇者十名の内、三名を殺し、二名に再起が不可能になるほどの重傷を負わせ、更に二名を発狂、一人を恐怖で引き籠もるまで追い込み、また一人の勇者を元の世界に戻してしまったとの事だ』
長い銀髪を背中に流す美丈夫、エミルフォーンが問うと、緑がかった肌を持ち筋骨隆々ではあるが端整な顔立ちの女戦士然としたシルトが答えた。
『常にこちらの世界と
裁判の為、今は人の姿に変身している『鬼龍王』も二柱の会話に加わる。
エミルフォーンは、合点がいかぬと顎を擦る。
『あのミーケがな。確かに好戦的な部分もあったがアレは人の命を進んで奪うような男ではあるまい。むしろ"自分を殺そうとする相手と友達になる事こそが最強の奥義である”と普段から口にしているし、またそうして生きてきたはずだ。少なくとも余の耳にミーケが人を殺めたという話が入ってきたのは今が初めてだ』
『左様、あやつが忌み嫌う転生勇者とて殺された者は皆無だ。それは十年前に親友を無惨に殺したトロイですら許した事からも分かるように、ミーケの根本にあるのが慈愛と友愛だからだ。そのミーケが勇者とはいえ三人も殺すのか?』
エミルフォーン同様、シルトも疑問に感じているらしい。
『真相はこれから始まる裁判で明かされるであろうがな。ソプラノ殿はどう考える? 『
『鬼龍王』が月弥越しに金の髪をきっちりと結い上げ、蒼い甲冑を身に着けている精悍な面差しの青年騎士に水を向ける。
若き『騎士王』は暫し目を閉じて黙していたが、控え目な声量で答えた。
『私はツキヤの潔白を信じるのみだ。よしんば有罪になったとしてもツキヤと私の友情に些かの影響を与えるものではない』
『騎士王』は目を開けて済んだ蒼い瞳で三池月弥を見据える。
当の月弥は金の精霊・
その姿はまさに威風堂々といった佇まいであり、今から裁きを受ける罪人とは思えない。
『控えよ。『月』と『魔』を司りし神にして大魔王であらせられる『月の大神』様のご出座である』
場の左前方に巨大な闇の渦が現れ、中から人が登場する。
否、人と呼ぶには巨大に過ぎた。
禍々しい蜈蚣を思わせる黒い甲冑を纏うその女騎士は人を丸呑みにしてしまいかねない程の巨体であったのだ。しかも下半身は人のそれではなく、蜈蚣そのものであり、長い胴体が入りきらないと云うかのように、未だ途中で背後にある闇の渦の中にあった。事実、彼女の胴体は山を七巻きしてもなお余るとされているので仕方の無いことなのだろう。
彼女こそ『月の大神』の武の片腕である『山の魔王』アカギである。
『皆様、多忙の中、遠路遥々御苦労様です。しかし、それほど重要な裁判なのです。ご理解とご容赦をお願いします』
次いで右前方にも闇の渦が出現して、今度は八人の女性が現れた。
否、彼女らは総じて膝から下が癒着して蛇のように鱗が生えており、更に途中で全ての蛇身が融合して一本の巨大な
彼女こそは『月の大神』の知の片腕である『海の魔王』フタラであった。
『これより慈母豊穣会・教皇ミーケの裁判を取り行う』
そして最後に彼らの正面に姿を見せたのは、美しい銀色の毛並みと九本の尾を持つ巨大な狼、大魔王にして魔界の守護神、『月の大神』と、その隣に控えるように腰から蝙にも似た翼を生やした妖艶な美女、
『ミーケよ。そなたの長年に渡る忠勤は誰もが認める所で有るが、その罪は罪。裁きを受ける覚悟は出来ているな?』
アカギの言葉に月弥の横に並ぶ六柱の魔王達は少なからず驚愕する。
これでは既に有罪が確定しているようではないか。
その中でエミルフォーンだけが一早く冷静に立ち戻り、これはミーケの量刑を決める裁判なのかと納得していた。
「何でも良いから早くしろ。テメェの肛門と口を縫い合わせてムカデナンタラに相応しい姿にすンぞ、ボケ」
『ヒッ?!』
この状況でも反骨の姿勢を崩さない月弥にクシモが手で顔を覆って溜め息をつく。
逆に見た目に反してヘタレな反応を見せるアカギに、フタラが"あーちゃん、ファイト”とガッツポーズと共に励ましていた。
『ふーちゃん……やっぱり今日の仕切はふーちゃんに……』
『あーちゃん?』
フタラがニッコリと微笑むと、アカギはビクリと震える。
『ヒエッ?! で、ではミーケよ。ざ、ざざざ罪状を読みあぎぇりゅ……ふーちゃ~ん! ミーケが睨んでるよォ!』
有ろう事かアカギは泣きを入れてフタラに助けを求める。
そんなアカギにフタラは頬を染めて背筋をぞくぞくと震わせていた。
『ミーケ、グッジョブです。あ、いや、罪人の身で、しかも魔王に対してその態度は頂けませんよ? 罪が重くなるだけではなく、不敬罪も加わりましょう』
『そ、そうだぞ。だから早く、その…睨むのをやめろ!』
『あーちゃんは黙ってようね?』
『ヒッ?! ふ、ふーちゃん?!』
最早、威厳もへったくれもなかった。
それと云うのもアカギは一度月弥にこっぴどく敗北した苦い経験があるからだ。
原因が月弥の主であるクシモをアカギが侮辱したからなのだが、月弥の怒りはそれはそれは凄まじいものであった。
アカギの甲羅と甲冑、そして人間のような部分の皮膚も含めてどのような攻撃を通さない無類の防御力を誇っていた。
それこそ神器を持つ勇者の一撃でも掠り傷一つつかないほどだであった。
しかし、月弥が
矢は真っ直ぐアカギの眉間目掛けて突き進み、あっさりと刺さったのである。
「この手の妖怪って人の唾液が弱点っていうのが相場なんだけど、異世界の魔王でも効くんだね」
当時、十六歳、まだ幼かった月弥の辞書には"容赦”の文字は無く、更に『
『背開きにして蒲焼きにしてやる』
怒れる月弥を止めたのは『月の大神』だった。
彼女は慌てて止める周囲を振りほどいて月弥に頭を下げたのである。
『主を愚弄されて怒る気持ちは善く分かる。けどアカギは余に必要なのだ。アカギの不始末は余の不始末、余が詫びるゆえ怒りを収めてはくれまいか』
こうして『月の大神』の真摯な謝罪により矛を収めた経緯があったのだ。
今まで主である『月の大神』も含めて傷をつけられたことがない自慢の甲羅を貫かれた事と『月の大神』に頭を下げさせてしまった事実はアカギの心にも大きな疵痕を残したのだ。
「主が舐められたと云う事は、それは即ち僕も舐められたと云う事。今回は狼さんの顔に免じて許してあげるけど、また僕の顔に泥を塗ってご覧? 次こそ生かしておかないからね?」
月弥の三白眼に気圧されたアカギは有ろう事か、"はい”と返事をしてしまい、落とし前として、自分の眷属である山に棲む魔物達の一割を月弥の眷属として差し出すハメになったのだという。
更に追い打ちをかけたのが、月弥に降った元眷属達が皆、厚く遇されており、"アカギ様の所にいた頃よりずっと良いよな”と喜んでいるという噂であった。
勝負に負けた上に、残った眷属が月弥の元へ行ったかつての同僚を羨ましがり、しかも自分もそちらに行きたいと転属願いを続々と出されているときてはアカギの落ち込みようは凄まじいものであった。
何よりオソロシイのは、眷属の待遇も含めて月弥の報復であった事だろう。
二度とアカギが自分に逆らう事が出来ないように精神の奥の奥、深層心理レベルにまで徹底的に
後に、"魔王殺すにゃ勇者は要らぬ。ミーケに云うと云えば良い”という戯れ歌が魔界で流行るのも頷ける話であった。
『月弥』
普段は無頼のように接してはいても、流石に今日のような場で主に窘められては月弥も一旦は落ち着く。
『月弥、何故そうも荒ぶる? 何がそなたをそこまで掻き立てるのだ?』
「云ったところでアンタらが理解出来るとは思えん。所詮、俺とアンタらは棲む次元が異なる生き物って事だって痛感した。俺はもうアンタらには何の期待もしてねェ」
『何だと? それはどういう意味だ?』
流石に聞き捨てならぬとクシモは月弥を睨む。
対して月弥の目は路傍の石を見るが如くである。
「何故、俺が勇者を排除したかって? 簡単だ。神罰の代行なんて生温いことは云わずに地上は一度『魔王禍』で滅びるべきだと判断したからだよ。否、そもそも文明の調節なんて小賢しい事をやってるから人は前に進めねェンだ。むしろ進化も退化もしねぇから歪ンだ所が歪みっぱなしになってンだろがよ」
軽蔑の目で月弥はクシモを、否、『月の大神』を見据える。
「地上を見ろ。人間のほとんどの敵意は魔王や魔界軍じゃなく、魔女に向いてるじゃねェか。しかも人様の迷惑にならねェようにひっそりと穏やかに隠遁している連中にだ。ただ魔王の眷属ってだけでな。いや、もっとタチが悪い。人間に対して友好的で大人しいからこそ、攻撃対象にされちまったンだ。魔王や魔界軍に対抗出来ないからこそ、その怒りを魔女にぶつけていやがるのさ」
そう、今や地上では魔女狩りが行われているのだ。
しかも権力者達は、いつまでも魔王を退けられない不甲斐なさを民衆に責められるのを防ぐ為という愚にもつかなぬ理由で魔女狩りを推奨している始末である。
「地上を攻めてる魔王共がこんな所でのほほんとしてるってのに、何で罪の無ェ魔女が虐げられてンだって話だよ。俺が調べた限りじゃ、分かっているだけでもう既に魔女の犠牲者は千人を超えている。それどころか、気に入らねェヤツを魔女として教会に売るヤツまでいやがるそうだ」
月弥はキセルを取り出すと刻み煙草を詰める。
それを咎める魔王は一柱とていなかった。
「天界に云われるまま、畏まって
最早、どちらが裁判にかけられているか分からない状況だ。
月弥は煙を盛大に吐き出してから続ける。
「これだけ云われてだんまりか? 誰でも良いから"生意気抜かすな”って云ってみろや。おい、そこの節足動物! テメェも主をディスられて何も無ェのかよ? いつもの虚勢はどうした? さっきは俺の罪状を述べるって抜かしてなかったか?」
『ぐうううう……』
アカギは唸ることしか出来ずにいた。
いや、そればかりか、『一頭九尾』の全員が返す言葉が見つからなかったのだ。
「情けねェ。なら俺はドロンさせて貰うぜ」
月弥は被告席から立つ。
「もし、俺の邪魔をするってンなら容赦はしねぇぞ? 止めるなら全員でかかって来い。流石の俺も『一頭九尾』に一斉にかかられたら五、六柱を道連れにするのが限度だからな」
月弥の挑発にも魔王達は動こうとしない。否、動けずにいた。
「ふん、それでも動かずか。じゃあ、あばよ」
月弥は侮蔑の表情を浮かべて魔王達に背を向けた。
その際にクシモの方を一瞬見るが、クシモは目を伏せて何故か立てた右手の親指を左手で弄んでいる。
月弥はもう何も云わず、その場を立ち去った。
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