第拾壱章 教皇対魔女の子

 子供達はクーアの姿が変わっていくのを見た。

 鮮やかなライトグリーンの髪が風も無いのにざわめき、次第に長くなっていく。

 同時に色もダークグリーンへと変わり、全身に絡みついていくではないか。


「な、なんだかクーアちゃん、怖い……魔女みたい」


 孤児の中でも一番幼い少女が怯えるので、ムーティヒは手を握ってやる。


「大丈夫だよ。ツキヤの友達だから怖いことは無いさ」


 口では否定していたが、月弥に取ってクーアが大切な存在であるのはちゃんと伝わっている。そんな彼が悪い子な訳が無い。そもそも月弥が悪い子を自分達に紹介なんてしないだろう。

 ムーティヒの月弥への信頼は既に絶対なものとなっていた。


「流石は不世出の魔女ユームの息子だな。その歳でもう変身する事が出来るのか」


「見た目だけじゃないよ? 普段は封印している魔力を解放して全身に巡らせているんだ。全身を使って魔力を増幅させているのも勿論そうだけど、当然ながら身体強化もされている。こうなったら、さっきのようにはいかない。今の僕は人間の骨くらいなら簡単に握り潰せるし、甲冑を叩き割る剛剣だろうと鋼鉄の盾を貫く剛槍だろうと傷一つつけられないよ。しかも飛んでくる矢を掴み取れるレベルで動体視力と反射神経までも強化されているんだ」


 余裕が出てきたのか、笑みさえ浮かべるクーアに月弥はぞんざいに手を振った。


「能書きは良いから、はよせいや。その姿に成るだけで魔力が阿呆みてぇに消費するのは知ってンだぜ。もたもたしてっと、試したい魔法を遣う前に魔力切れになるぞ」


「他に云う事は無いのかい? まったく、こんな可愛げのない人を『一頭九尾ナインテール』の方々は何で可愛がるんだか」


「こまっしゃくれた餓鬼に云われたかねェやい。良いからかかって来い。早く終わらせて風呂にへえりながら洗濯してぇンだよ」


「お風呂は分かるけど、お洗濯?」


 訝しむクーアに月弥は煽るように云う。


「テメェを小便まみれにしたままけえしたらバアさんに何云われるか知れたもんじゃねェからな。気触かぶれないように後で股座またぐらにベビーパウダーもはたいてやる。オムツもしてやろうな」


「ミーケェェェェェェェェェェッ!!」


 激昂したクーアの真下から巨大な火柱が吹き上がった。

 一本どころではない。八本もの炎が竜巻のように渦を巻いてクーアを囲んでいる。

 悲鳴を上げる子供達を覆うように光の膜が現れた。

 光の精霊の力を借りて対魔法防御結界を作り出す『ライティングドーム』だ。


「お前達、そこから出るなよ。まあ、もっとも出れねぇだろうがな。その光の中にいる限り安全だ。俺が保障する」


 月弥の“保障”という言葉を受けて子供達は騒ぐのをやめた。

 信頼が盤石なのはムーティヒに限ったものではない証拠だ。


「いつか君が話してくれたスサノオだったかな? 神代の伝説に登場する怪物の名前を拝借したよ。破壊力重視の炎の柱を竜巻の魔法でコントロールする殲滅戦用大魔法『ヤマタノオロチ』。全てを焼き尽くす地獄の炎が飛燕の如きスピードを持って八方から襲いかかってくる恐怖を存分に味わってよ。今度はミーケが失禁する番さ。いいや、この際だから脱糞して命乞いするまで徹底的にやるからね」


「出来ねェ事を口にすると後で恥掻くぞ。つーか、早く来いや。御大層な炎を出すのは良いが、俺には唯の虚仮威しにしか見えねェンだがよォ?」


「またそんな減らず口を!!」


 炎の竜巻の一本が地面の岩盤をえぐりながら月弥に襲いかかる。

 飛燕と例えるだけあって中々の速さだが月弥の顔には焦りらしきものは見えない。


「一本だァ? お前、本当は一本ずつしか制御出来ないってオチじゃねぇだろうな? こんなんお前、脅しにもなりゃしねぇよ」


「そんな事を云うなら対処して見せてよ!」


 竜巻の近くにある瓦礫が吸い込まれて炎に呑み込まれていく。

 それに伴い火柱が大きくなっていくが月弥はまだ動こうとはしない。

 そこでクーアは漸く異変に気付く。

 巨大な、しかも炎を纏った竜巻が至近距離にあるのに何故微動だにしない・・・・・・・

 異変の正体は月弥の足元にあった。

 彼の両足にはいつの間にか純白の装甲が装着されており、それが地面に吸い付くように固定してその小さな体が風で飛ばされないように守護まもっていたのだ。

 無論、物理的な重量ではなく魔力の保護であるのは云うまでもない。

 

「気付くのが遅ェよ、バータレ。風を起こすは木の精霊。で、木の精霊に克つのは」


「金の精霊……しまった! しかもミーケは火属性ではダメージを受けない!」


「だから虚仮威しだって云ったろ。でだ、大人気ない事を云えばお前が契約しているのは上位精霊、俺が契約している精霊は今や最高位級精霊・・・・・・だ。つまり、こういう事も出来るンだよ」


 月弥の両腕にも純白の装甲が現れた。

 彼が虚空で何かを両手で掴む仕草をし、それを引き裂くように腕を広げて見せた。

 すると目前まで迫っていた炎の竜巻がその動きに合わせて左右に裂かれて消え失せたのである。


「金剋木ならぬ金乗木よ。お前が天才なら俺はキャリア七十年以上の熟練者だ。俺とお前とじゃ経験が違うって事さね。悪い事ァ云わねェから新魔法の研究は後回しにするか余暇にでもして、今は魔力の制御の修行に専念しな。極めれば木の魔法と相性が悪い土の魔法でもこんな事が出来っからよ」


 岩盤から大量の土砂が巨大な壁のように噴き上がり、怒濤の如く別の炎を呑み込んでしまう。土の高位攻撃魔法『タイタンウェーブ』だ。


「土の魔力が強すぎると木の魔力が克つ事が出来ず、土が木を侮るって訳だ。土侮木ってね。テストには出ンが覚えておいて損は無ェぞ」


 これにより三本の炎が押し潰されて早くも半数に減らされてしまっていた。

 更に純白の手甲が握り拳の形で両手から撃ち出されて二本の炎を打ち破る。

 金属の爪を撃つ『ネイルブリット』を月弥が独自に発展させた『ロケットパンチ』は威力も凄まじい事もあるが、インパクトと悪ノリ重視で開発した事もあって莫迦な仲間内では恐ろしく好評であったのは全くの余談である。


「で、これが金侮火で御座いってな。ざっとこんなもんよ」


 にやりと嗤う月弥にクーアは一言も無い。有ろう筈もなかった。

 新たな魔法を編み出しては押し掛けて月弥で試し、その悉くを破られていたが、これはあんまりではないか。

 満を持して開発した『ヤマタノオロチ』がこうも容易く、しかも無造作に破られて穏やかな心持ちになれる訳がない。

 クーアの全身が震える。恐怖もあるが、内心を占めているのは怒りと屈辱だ。

 かつて勇者であったアルウェン義姉ねえ様の子であり、『淫魔王』クシモ様直属の騎士でもあるミーケの存在は母様から何度も聞かされていた。

 曰く、あの子こそ魔法の申し子だ。

 曰く、あの子ほど魔法と真摯に向き合い、精霊に愛されている魔法遣いはいない。

 曰く、あの子は将来、精霊魔法の祖、クレーエ様を超えた存在になるだろう。

 曰く、あの子に認められた者は、その悉くが本物・・へと至るのだ。


「折角よォ。バアさんの魔力と親父さんの知恵をふんだんに受け継いでいるンだ。磨かなきゃダメさ。契約している精霊と向き合い絆を深めろ。常に魔力を全開にして魔力の流れをコントロール出来るようになれ。名著を読み、賢者に教えを乞い、先人の知恵を蓄えろ。そして得た物をそのまま遣うのではなく、自分なりに消化し、整理して我が力として構築していくンだ。それが出来るようになったらお前は本物・・になれる」


 だが――月弥の三白眼がクーアを捉える。

 途端にクーアの震えは恐怖のみとなり、陰嚢が縮んだ。


「今のままじゃ、いつまで経っても物にはならねェよ。今日の事はお前が成長する為に不可欠なみそぎと思え」


 月弥の手には木刀が握られていた。

 土産物屋であがなったごく普通の物である。


「来い! 意地があるなら残った二本を同時に操って見せろ!」


 見抜かれている、とクーアは内心呻いた。

 当然だろう。もし八本全てを同時に操る事が出来るのなら『タイタンウェーブ』で纏めて三本も消滅させられてはいない。

 ミーケの云う通りだ。新魔法の完成度が低いと認めるしかないだろう。

 虚仮威しと云われても返す言葉は無い。


「今は演習だ。制御が甘くても構わん。だが『ヤマタノオロチ』を虚仮威しにしない為にも複数同時に操作出来る事をお前が証明しなければならねェ。でなけりゃお前は唯の大法螺吹きよ。殲滅戦用大魔法と銘打ったんだ。それに見合う威容を見せてみな。魔女ユームの息子としての矜持があればの話だがよ」


「ぐっ、云われなくても!」


 残る二本の炎の竜巻に魔力を送り同時に動かそうとするが、それだけで魔力がごっそりと失われて意識が混濁してくる。

 しかし、ここで気を失う訳にはいかない。

 自分の制御を失った炎の暴走を危惧しての事もあるが、何よりこれ以上ミーケを失望させたくはなかった。

 新魔法を開発しては、いの一番にミーケに見せるのは試験運用の相手に丁度良いというのもあるが本心では彼に“クーアは凄い”と認めて貰いたかったからだ。

 それというのもクーアの初恋はまさに目の前に居るミーケであるのだから。

 高い魔力を有し、迫害されてきた魔女の子は、草食動物が危険を回避する為に生まれてすぐ歩けるようになるように、生まれた瞬間から物心がつき、目が見えているのものだ。場合によっては既に歯が生え揃っている子もいるという。

 自分の誕生を祝う人達の中でもクーアが惹き付けられたのが白磁の肌に鮮血のように真っ赤な唇と闇色の瞳が映える小さな子供だった。

 優しげに微笑ながら語りかけてくる綺麗な子に生まれたばかりのクーアの無垢な心は鷲掴みにされていた。

 残念ながら耳はまだ聞こえなかったので何を云っているのか分からなかったが、それでも心が温かくなったのは今なお覚えている。

 むしろ、それがクーアの記憶の始まりであったと云えるだろう。

 もっとも聞こえていたら大変な事になっていただろう事はクーアは知らない。


「お前は本当は俺の胤なんだぞ。父ちゃんって呼んでみ?」


 ましてや聞き咎めたクシモに後頭部を引っ叩かれていた事を知る由もなかった。

 油断していると洒落にならない冗談を飛ばすのが月弥の悪い癖の一つだ。

 余談ではあるが三池月弥は八十五歳の現時点でも童貞である。


「おら、男を見せやがれ! 魔女の秘法を受け継いでようと男をやめたワケじゃねぇだろ?! それとも魔女に成る為にちんちん取られたンか?」


「莫迦にするな! 僕の底力を見せてやるよ!」


 想い人からの侮辱に発憤したクーアは臍下丹田に魔力を集中させる。

 すると炎がさらに巨大化し、風の勢いも増していく。


「行っけえええええっ!!」


 二本に減らされて魔力の分散が抑えられた為か、クーアは見事に複数同時のコントロールをやってのけた。

 炎の竜巻は飛燕どころか矢の勢いで月弥を挟み撃ちにする。


「やれば出来ンじゃねェか。じゃ、ご褒美タイムといくか」


 月弥は木刀を下段に構えながら一方の竜巻に向かって走る。


「せいっ!!」


 月弥の右下段からの斜め斬り上げは炎の竜巻をあっさりと両断して消滅させた。

 三池流が極意とする秘剣『月輪がちりん斬り』の御披露目である。

 川面に映る月を長い年月斬り続けて太刀筋を極限まで磨き上げる事で、ついに鉄はおろか火や水、果ては光をも截断するに至った正に秘中の秘だ。

 期待通り殻を破って二本の炎の竜巻を操って見せたクーアへの敬意の表れである。

 月弥は斬り上げた勢いのまま振り返り、刃を返して振り下ろす。

 これで最後の炎の竜巻もまた截断されて消滅した。

 前後の敵を瞬時に斃す三池流『三日月』、剣の軌跡が美しい弧を描く事から名付けられた技であり、前方の敵を斃しながらも後方の敵の気配を捉えおく高度な空間把握能力が求められる三池流の奥義の一つである。


「すげぇ……」


 二人の演習を見ていたレヒトの口からそんな言葉が洩れる。

 いや、それだけではない。どの感情に起因しているのか自分でも解らないが、レヒトの双眸からは止め処もなく涙が溢れていた。


「これで決着だ」


「えっ?」


 なんと月弥はクーアがいる位置にまで跳躍をしていた。

 弓矢でも用いねば届かないと思っていたクーアは、その人間離れした跳躍に驚いて硬直してしまう。月弥は固まるクーアの頭を太腿で挟むと後ろへと回転して地面に叩きつけた。『フランケンシュタイナー』と呼ばれるプロレス技である。

 魔女化していた為にダメージは無いが急激な回転により平衡感覚が狂わされており、起き上がる事が出来ない。

 すかさず月弥はクーアの後ろから抱きついて共に後方へと回転し、そのまま足を絡めて覆い被さるようにブリッジの体勢で押さえ込む。

 『ローリング・バック・クラッチ』所謂いわゆる『オコーナーブリッジ』である。

 一方、クーアは平衡感覚が狂ったままである事と体を海老のように折り畳まれた恰好なので動く事は適わずに固められてしまう。

 それを見た子供達は地面を叩きながらカウントを始める。


『ワン! ツー! スリー!!』


 月弥の勝利が確定し、子供達から歓声が上がる。

 月弥の趣味の一つにプロレス観戦があり、誰彼構わずに異世界人であろうとプロレスの試合の映像を観せて布教する事も月弥の悪癖である。

 余談だが、月弥はとある偉大なレスラーの真似をする事があったが、美しくないとの理由により、しかも『一頭九尾』や精霊達が泣いて懇願した為、以後、彼は顎をしゃくれさせる事を禁じられているという。


「最後の頑張りに免じて子供達の記憶から失禁の事は消してやるよ。あと親父さんに頼ンで剣の稽古でもして貰え。接近戦に持ち込まれた時の対応が出来なさすぎる。魔法遣いが接近戦をしちゃいけないって法は無ェンだ。出来る事は可能な限りやれ。それに魔法は術者の精神力にも左右される。武道に限らず体を鍛える事は精神を鍛える近道と知れ。そうさな、まずは走り込みから始めてみちゃどうだい?」


 月弥からのアドバイスにクーアは表情を無くした顔で頷いた。

 思うところが無かったのではない。生まれて初めて全力を出し切った事と、その上で完膚無きまでに敗北した事で心が千々に乱れており複雑過ぎる感情を表す事が出来なかったのである。


「初めて全力を出した達成感と、それにも拘わらずコテンパンにされた悔しさで心がしっちゃかめっちゃかになっているってところか?」


 内心を云い当てられてクーアの体がビクリと震えた。

 月弥はそんなクーアに優しげに微笑みながら頭を撫でる。


「それで良い。負けて悔しいって気持ちがあれば何度でも這い上がれらァ。後はひたすらに鍛錬する事だな。稽古量はそのまま自信に繋がる。ああ、忘れちゃいけねェよ。友達を沢山作って沢山遊べ。子供の頃の付き合いがそのままコネに繋がる場合も少なくないし、遊びの中にこそ工夫に繋がるヒントがあるものさ。お前を孤児院の子達に紹介したのもその一環だ。ここの子はみんな良い子だし、将来一角の人物になりそうな器がちらほら見える。きっとお前に取ってプラスになるだろう」


「ミーケ…さん」


「ツキヤで良い。俺が出した条件は“俺を満足させる”事であって勝つ事じゃねェ」


「ううん、僕が満足してないから、もっと強くなるまではミーケと呼ぶよ」


「そうかい」


 それでこそクーア、ユーム女史とオアーセ公爵の子だ、と月弥はクーアの額に唇を落とした。途端にクーアの顔がを塗ったように赤くなって全身が硬直する。両親やユーム、クシモと善く月弥の額にキスをして褒めていたので、彼も人を褒める時はそうするものなのだと思い同じようにしているのだ。

 そのお陰で信徒や部下、弟子達のやる気がストップ高となり、教皇さまを喜ばせようと必死に働いている事は月弥は知らない。むしろ「おお、みんなやる気満々だな」と感心している始末だ。


「ツキヤ、お疲れ様。恰好良かったよ。クーア君も凄かった」


「ありがとうよ。つーか、子供達みんな強くなったなァ。クーアが『ヤマタノオロチ』を出した時はトラウマになるンじゃねェかと心配だったが怯えた様子も無いようで何よりだぜ」


「それだけツキヤの事を信用しているんだよ。僕達に取っては借金取りや寄付金を盾に僕達や先生達に厭らしい事をさせようとしてくるお金持ちの方がずっと怖いよ」


「然もありなん。ま、慈母豊穣会が後ろ盾になった今となっては、そんな不埒な輩は絶対に近づけねェから安心してくれ」


 やはり上も無く下も無く五分でミーケと対話しているムーティヒを羨ましく思いつつクーアは全身に巡らせていた大量の魔力を抑える。すると全身に絡まっていた髪がほどけ、色も元の鮮やかなライトグリーンへと戻っていく。

 ただ完全に元通りとなった訳ではなく、髪は長いままであるし、クセがついたのか所謂ゆるふわヘアになって前にも増して女の子っぽくなってしまっていた。


「あ、あの……」


「ん? 何だい?」


 おずおずと袖を引く少女にクーアが向き直れば、彼女だけではなく数人の子供達が集まっていた。


「ねえ、クーアちゃん。もし、良かったら私達に魔法を教えてくれない? ツキヤちゃんから身を守る方法を教えて貰ってるけど、私達はちょっと運動が苦手だから」


「えっ?」


 クーアは戸惑う。

 自分だってまだまだ修行の途中だし、況してや今日は自分の不甲斐なさを痛感したばかりだ。むしろ自分が教えるよりミーケに教わった方が良いのではないかと思う。


「教えてやれ。案外、人に教えるというのは難しいものだし、自分に取っても良い復習になる。それに子供達の自由な発想は刺激になるに違いねェ。さっきの話じゃねェが、ひょっとすると新しい魔法のヒントを得られるかも知れんぞ?」


 月弥からも推されてクーアは腹を決めた。


「分かったよ。ただし僕も教えるのは初めてだから加減が分からない。僕の説明が難し過ぎたり、教え方が怖かったら教えて欲しい。或いはミーケに云ってよ。そうすればミーケも教え方を一緒に考えてくれるかもだし」


「うん、解らない所があったらちゃんと訊けってツキヤちゃんも云ってたし、借金取りより怖い人なんて滅多にいないから大丈夫だよ」


「それと今更だけど僕は魔女の子供だよ? それでも良いの?」


「魔女って事は魔法は得意なんでしょ? 問題無いよ。それを云ったら私は孤児だし、人間とゴブリンの混血だもん」


「へ?」


「僕はオークと人間!」


「アタシは妖精とのチェンジリングって云われて孤児院に捨てられた!」


「俺の親は人間だけど悪い事して今は牢獄にいるよ!」


 クーアは納得してしまう。

 やっぱりこの子達はミーケと五分の付き合いをしているだけあって逞しいと。


「あ、あの……」


 今度は月弥に話しかける者がいた。


「あ? 何か用か?」


 月弥が睥睨する先には身を縮こまらせているレヒトがいた。

 彼はまるで信号機のように顔を赤くさせたり青くさせたりと忙しい。

 しかし口元をもにょもにょと動かすだけで中々口を開こうとしなかった。


「用があるならさっさと云え。俺は早く風呂に入りたいンだ」


 月弥からすれば見上げるほどの体躯を持つレヒトであったが、端から見ればレヒトの方が小さく見えて憐れみを覚えるほどである。


「あの……」


 促されはしたが月弥の三白眼は場数踏んだ極道ですら身を竦ませる迫力がある。

 況してや演習とはいえ、あれだけの戦闘能力を見せ付けられては尚更であろう。


「しゃきっとしろい!! 心持ちがうろうろしているから、すっと言葉が出てこねェンだよ。いいか? 古人の言葉に“七呼吸の間に思案しろ”というものがある。これは何も即断するのが良いと云っているンじゃねェ」


 月弥はレヒトの胸にとんと指を置く。


「今のお前のように心持ちがうろうろしている時は正しい判断がつかないもんだ。いいか、レヒト、レヒト君よ。心の扉を閉めていたらダメなんだよ。心を開いて善く考えろ。澱みなく爽やかに凜とした気持ちで考えれば七息の内に胸が据わって決断ができるって事だ。さあ、心を開け。光を、風を心に入れてみろ」


 レヒトは月弥を見る。

 先程と変わらず三白眼のままであったが、どうだろう。

 今は恐怖ではなく頼もしさを感じ安心を覚えるではないか。

 口を開けば罵り、手や足が飛んでくる両親のせいでいつの間にか自分の意見を云えなくなっていたが、彼なら自分の言葉に耳を傾けてくれる。そんな気持ちにさせてくれた。


「いいか? 慌てなくて良い。ゆっくりと七回呼吸をしてみろ」


 言葉こそ父親のように乱暴だが、自分の言葉を聞く体勢になっているのが分かる。


 一回。


「ここにはお前を罵る者はいない」


 二回。


「ここにはお前を殴る者もいない」


 三回。


「ここにはお前を嗤う者もいない」


 四回。


「ここにはお前から食べる物を奪う者もいない」


 五回。


「ここにいるのはみんなお前の仲間だ」


 六回。


「さあ、心の扉を開け」


 七回。


「ほ、炎の竜巻を斬った姿に惚れました!! 俺を弟子にして下さい!!」


「許す。今日からお前を三池流の門下に加えよう」


「えっ?」


 あまりにもあっさりと許されたのでレヒトは一瞬呆けてしまった。


「お前、歳は確か十二だったか?」


「は、はい」


 レヒトは子供達が驚くほど素直に返事をした。

 呆けていたからではない。元来のレヒトは素直であると月弥は既に見抜いていた。

 だが、生まれてから今まで受けいた父親からの虐待と母親のネグレクトのせいで心を閉ざしてしまった結果、自分の身を、否、心を守る為に攻撃的になってしまったのだろうと推測したのだ。

 月弥とて心理学者ではないし、況してや神ならぬ身であるので、それが正解かは分からなかったが、子供が心を開きやすいように敢えて派手な魔法や秘するべき奥義を遣ってまでクーアと戦ったのだ。

 そう、今回の演習はクーアへの教育でもあったが、レヒトの心の救済も目的としていたのである。そういう意味ではクーアが『ヤマタノオロチ』というド派手な魔法を遣ったのは僥倖であった。


「取り敢えずまずは風呂だ。レヒト、お前には背中を流して貰おうか」


「は、はい!」


「じゃあ、僕は三人がお風呂に入っている間に洗濯と着替えの用意をしておくよ」


 ムーティヒが請け負った。


「悪いな。ああ、クーアは男だが魔女としての教育も施されているから女装にも抵抗は無い。むしろ好んでいる節がある。最近は修道女の服に凝っているらしいから先生に云ってお古を見繕ってやれば喜ぶと思うぜ」


「それは良いんだけど先生達は星神教徒だよ? 先生達には偏見の心はないけど、魔女のクーア君は平気なの?」


「魔女で、しかも男が修道服を着るのが良いらしいや。まだ八歳なのに末恐ろしい趣味をしてやがるよ。しかも親父さんは、可愛いし似合うのだから良いではないか、とご満悦だ。こないだなんか、“お揃いだよ”とか云って自分は白いガーターベルトを着けて俺に黒を押し付けてきやがったからな。流石に“趣味を押し付けるな”って裸絞めスリーパーで寝かしつけて逃げたよ」


「それは寝かしつけたとは云わないんじゃないかな? でもクーア君は君に取って大切な存在ではあるんだよね?」


「トラが生まれた時も思ったが弟が出来たみてェでな。まあ、可愛いよ。俺に女装を勧めてくるのが玉に瑕だが、俺なりに可愛がっているつもりだよ。ただクーアの母親が俺の母親の師匠であり育ての親でな。魔女一家と組んで両親までも俺に女装をせがむようになってきやがって、最近ちと怖いンだわ。そもそも俺の髪が長いのも両親の我が侭なんだよ。俺としてはパンチパーマに「ダメだよ?」えっ?!」


「折角綺麗な髪なんだからパーマなんて当てたらダメだよ?」


「いや、これでも一組織のトップなんだから迫力を出した「ダメだよ?」お、おう」


 いつもの穏やかな微笑みのようで何故か有無を云わさぬ迫力を感じて月弥は頷くしかなかった。


「じゃあ、少し短く「ダメだよ?」お、おう」


 切るのもダメなのか。


「ならブリーチ「ダメだよ?」お、おう」


 脱色もダメか。


「髪がダメなら眉「ダメだよ?」お、おう」


 そうか剃るのもダメかい。


「試しにクーアに乗っかって女装してみるのも……」


「良いんじゃないかな?」


 それは良いんだ。


「ああ、うん、ツキヤにはいつも綺麗でいて欲しいんだ」


「綺麗て、いやまあ、男としては複雑だが周囲から持て囃されちゃあ自覚をしないのはイヤミと心得ているよ。流石に女装は沽券に関わるからしねェがな」


「それは分かっているよ。それはそうとお風呂に入っておいで。出る頃にはお茶の用意もしておくから、一緒にカステラを食べよう」


「そうだな。時間は有限だ。お言葉に甘えて汗を流させてもらうぜ。おう、お前ら、帰るぞ!」


 見れば子供達はクーアを交えて『花一匁』で遊んでいた。

 ルールは子供達は勿論、クーアにも教えていたので愉しそうに笑っている。

 それだけでもクーアを連れてきた甲斐があったというものだ。

 彼らは月弥の呼びかけに素直に応じると一人も欠ける事無く集まった。

 一応、兄役のムーティヒが点呼を取り、全員無事であると確認する。


「おーし、帰るぞ。ちゃんとムーティヒについて行けよ」


 彼らの前に門の形をした光が現れる。

 光の中にムーティヒが先頭になって入っていくと、子供達もそれぞれ入る。

 その先が自分達が生活する孤児院に繋がっている事を信じているのだ。

 レヒトも入り孤児院の子が全員入った事を確認すると、最後にクーアと月弥も光の門の中に入っていく。

 その直後、門は消え去り、後は夕陽に照らされた採石場跡に静寂が訪れていた。

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