第弍章 魔女の憤り、月弥の反論

「お待たせ」


 月弥の声に恐る恐る手をどけてゆっくり目を開けたユームは道着姿になった月弥を見てほっと安堵の息をつく。


「で、何?」


「何って……クシモ様を追って異世界まで行っちまったきり四半世紀もの間、音沙汰もなかったアルウェンがいきなり魔女の谷に姿を見せたと思ったら、こちらの世界で所帯を持ったと云うじゃないか。しかも子供どころか孫までいると云うし」


「そう云えばお母さん。お父さんが星神教の神様に召喚された儀式を解析して元いた世界と地球を繋ぐ魔法を完成させたって云ってたっけ」


「事も無げに云ってるけど異なる世界と世界を結ぶなんて神ならざる者には到底扱えない奇跡なんだからね? それをいくら才能があるとは云っても自前の魔力とあんな簡単な魔法陣一つで成し遂げるなんて……」


 頭を抱えてぶつぶつ云うユームに月弥はジト目になる。


「で、ユームお姉さんは僕に何の用があって来たの?」


「何の用て……我が子同然の愛弟子アルウェンが産んだ子に会ってみたいと思うのいけないかえ?」


「別にいけなくはないけど、態々熊や狼、挙げ句に悪霊、怨霊の類まで潜んでいる山を登ってまで来るくらいだから何かあるのかと思ったよ」


 家で待ってれば良いのに――月弥は首を傾げたものだ。


「勿論、顔合わせだけなら家で待っていれば良い。当然、アンタに用はあるのさ」


 ユームは月弥と同じ様に七種の球体を周囲に浮かべた。


「異なる属性の精霊を同時展開、同時制御する訓練はアタシがアルウェンに伝えたもの。それを孫弟子に当たるアンタが引き継いでくれているのは嬉しい事だよ」


 けど――ユームは小さな火球、火属性初歩の攻撃魔法『プロミネンススフィア』を月弥に当たるギリギリの軌道で放つ。

 月弥の方も当たらないと分かっているのか、微動だにしない。

 火球は川に着弾して水柱と水蒸気を上げた。


「アンタ、既に精霊魔法の基礎の基礎を身に着けたというのに未だに次のステップに行かないそうだね? アンタはアルウェンに魔法を教わる際に“やるからには魔法を極めてみせる”と宣ったそうじゃないか。あの子から魔法を教わって早三年、なのに初歩の初歩からステップアップしないというのはどういう了見だい?」


 ユームの知る若き魔法遣いは皆が皆、魔法を極めてみせると己が魔力を磨き、偉大なる精霊に認められようと努力するものであった。

 精霊魔法とは文字通り精霊の力を借りて力を行使する技術の事だ。

 火属性の魔法を遣いたければ火の精霊、水属性なら水の精霊と属性毎に異なる精霊と契約を結ばねばならない手間はあるが、それに見合う汎用性がある。

 また高度な魔法を遣いたければそれなりの地位にいる精霊と契約せねばならないが、位が高いほど簡単には契約を許して貰えず、認められるには何らかの試練を受ける必要があるのだ。

 まず師の元についた弟子は自我の薄い最下位精霊と契約を交わす。

 そして師匠の家の事を手伝いながら知識を与えられ、すべを教わり、時には師の技を盗んで自身を磨いていくのだ。

 師に認められれば下位精霊との契約を許され、その段階になって漸く『プロミネンススフィア』に代表される初歩の魔法を遣えるようになる。

 では最下位精霊との契約には意味が無いのかと問われればそうではない。

 精霊と契約すれば魔法を遣わなくても常時最低限の魔力を捧げなければならぬ事実を知り、また魔力の消耗を体に覚えさせる前段階という重要な役割があるのだ。

 とまれ、初歩の魔法をマスターしたと師匠が判断すれば中位精霊との契約が許され、よりグレードが上の魔法を遣えるようになり、ここで漸く魔法遣いと名乗る事を許されるようになるのだ。

 その後、努力が実を結び、師に独立を許されると、自分が得意とする属性の上位精霊への紹介状を与えられて師の元から旅立つ事となる。

 その後、上位精霊との契約を許されれば晴れて一人前の魔法遣いの仲間入りを果たせるのだが、前述したように上位精霊ともなれば気位が高く、半端な実力者が相手では契約そのものを拒むようになる。

 故に上位精霊との契約がしたければ試練を受けて、実力のみならず知恵と勇気も備えていると示す必要があり、それをクリアした者が一人前扱いされるのも当然のことであった。


 さて、ユームが月弥の何に腹を立てているのかと云えば、彼の魔法に対する姿勢に他ならない。

 母アルウェンが月弥に魔法を教えようと思い立ったのが彼が三池流の修行を始めてから三年が経った頃だ。

 月弥はアルウェンからハイエルフとドワーフの血を強く引き継いでしまったが故に体格には恵まれず、また常人と比べて成長が遅く十歳を過ぎても身長は一メートルにも満たない。

 ドワーフの器用さは継承していたが、腕力はスポーツをしている同年代の女子に腕相撲で勝つ事ができない程であった。

 幸いと云って良いものか、三池流は相手の力を制して弱者が強者を打倒する流派であったので却って非力の月弥こそ三池流の本質であると云われている。

 だがアルウェンからすれば自分譲りの、もっと云えば自分以上に魔力をその身に内包する月弥が魔法を遣わないのは勿体ない事と思ってしまうのも無理もない話だ。

 ある日の事、アルウェンは月弥の目の前で火の玉を自在に操って見せて、魔法を覚えてみないかと打診を試みた。

 残念ながら月弥からの返事は、現代日本に魔法の遣い所が無い事と自分には三池流制圧術があるのでそもそも魔法は必要無いという子供らしい遠慮の無いものだった。

 しかし、父親から、遣った事も無いのに不必要と断ずるの早計ではないか、遣う遣わないは別として引き出しが多い事は悪い事では無いのではないか、と諭された事で七呼吸の間思案した後、御指導お願いしますとこうべを垂れたのである。

 その際、月弥はアルウェンに、教わる以上は半端はしない。極めてみせると宣言したのだ。


「木、火、土、金、水、光、闇、全ての属性を操れるのは大したものだけど、どうしてそれ以上進もうとはしないんだい? 本来なら中位精霊とも契約出来ているはずだってアルウェンも嘆いていたよ。まさか極めるって言葉を反故しようってんじゃないだろうね?」


 月弥からの返事は無かったが、代わりに数十もの火球がまるで壁のようにユームへと押し寄せてきた。


「なっ?!」


 しかしユームを押し潰そうとするその直前、炎の壁は跡形もなく消え去った。


「何を怒ってるのかと思えば、随分と勝手な事を云うね。勿論、極めるって言葉に嘘は無いよ」


 でもね――月弥の周囲にソフトボール大の火球が複数現れる。


「勘違いしているようだから云っておくけど、僕にとってっていうのは沢山の魔法を覚えるって事じゃ無いんだ。『プロミネンススフィア』ひとつにしても極め尽くすって意味なんだよ」


 火球が集まって大人一人よりも巨大な火球が出来上がる。

 ソレを見たユームの背筋は火球の熱量とは反比例するように冷たくなっていく。


「ほらね? 初歩の魔法だって、ううん、基礎の基礎だからこそ極めれば一度に沢山操れるし、こうして大きな火の玉にする事も出来るんだ。ステップアップ? 冗談じゃ無いよ。僕はまだまだ『プロミネンススフィア』をんだからね」


 非力だからこそ月弥は基礎を大切にする。

 何故ならばその先にある奥義を含めた殆どの技が基礎の応用であるからだ。

 道場でも基礎を疎かにしている者が十の威力がある技を遣っても精々が五か六、甘目に採点しても八には届かないが、同じ技でも月弥が放てば十はおろか十二を軽く陵駕する。

 非力といっても丁寧に鍛え上げ、基礎をしっかり身に着けていれば難度の高い技でもブレる事は無いし、元々創意工夫をする事が好きで、自身の体格や力量に合わせて技を改良する事を強く推奨している流派ということもあり、月弥は三池流道場でめきめきと頭角を現すのだった。

 それは魔法においても同様であり、いくら母親が諭そうとも『プロミネンススフィア』に改良の余地がある限り月弥は更に工夫を重ねるのだ。

 巨大火球から小さな火球が撃ち出されユームの足元に着弾するや天にも届かんばかりの巨大な火柱と化す。


「こ、これは『フレイムピラー』?! この魔法は上位精霊と契約しないと遣えないんだよゥ?! アンタはいつの間に上位の精霊と契約していたのかい?」


「違うよ。『フレイムピラー』って相手の足元に発現させた火柱に敵を飲み込ませて攻撃する魔法でしょ? これも『プロミネンススフィア』の応用だよ。上位魔法って莫迦みたいに魔力を消費するから遣い勝手が悪いけど、今のなら『プロミネンススフィア』三、四発分くらいの魔力で撃てるから結構便利なんだ」


 ユームは戦慄する。

 莫迦を云え。何が便利だ。自分が放つ『フレイムピラー』とは比較にならない威力を出しておいて消費魔力が『プロミネンススフィア』の数発分だと?

 アルウェンも天才肌だったが、この月弥という子供はそれ以上の鬼才だ。


「あ、変な事考えてるでしょ? これは僕が努力して手に入れた僕だけの技だよ。才能なんてつまらない言葉で片付けられたら堪らないよ」


 月弥の頭上にある巨大火球が見る見る内に萎んでいく。

 否、違う。萎んでいるのではなく、凝縮されているのだ。


「才能だけのヤツにこんなマネは出来ないよね?」


 小さな点となった火球から一筋の線が放たれユームの横にある岩に当たると、一瞬にして真っ赤に染まり、バターのように融けてしまった。


「な…な…何をしたんだい?! 魔力の流れで何かを放ったのは理解出来たけど、見えなかった……」


「限界まで圧縮した炎をレーザーみたいに撃ったんだよ。相手には赤い点か細い線にしか見えないから見切りにくいし、威力もご覧の通りだよ。もう球体スフィアとは呼べないから『クリムゾンライン』って名付けたんだけど、どうかな?」


 お母さんにもまだ見せたことない取って置きだよ――ケラケラ笑う月弥にユームは答える事が出来ない。出来ようはずも無かった。

 こんなマネがお前に出来るかと問われれば、出来ないと答えるよりない。

 火球を圧縮する事は出来る。だが、見えるか見えないかというほどまでは無理だ。

 況してやソレを撃ち出すとなるともういけない。下手をすれば暴発をする。

 魔法を自分なりにアレンジして遣う魔法遣いは星の数ほどいるが、『プロミネンススフィア』なんて初歩も初歩の魔法をここまで強力に進化させた者は果たしてどれだけいるだろうか。いや、いない。

 そして気付く。気付かされる。

 そう云えばこの子は魔法を遣う際に、と。

 呪文を唱えるという行為は要は契約している精霊にこうして欲しいという指示のようなものと云えば理解がしやすいだろう。

 例えば『プロミネンススフィア』なら“火の精霊よ。敵を穿て”という具合だ。

 呪文を詠唱しない、所謂いわゆる『無詠唱』という技術は存在する。

 だが、それでも呪文そのものは必要であり、杖に呪文を刻んだり、呪文を書いた護符などを用いる事によって詠唱というプロセスを省くのだ。

 しかし、この月弥という少年は呪文を刻んだ道具を持っている様子はない。

 中には体に呪文を彫る気合の入った魔法遣いもいるが彼の体には傷一つ無かった。

 しかも月弥はあろう事か、魔法で洗濯・乾燥・除菌までやってのけている。

 昔から魔法を日常生活に用いようとするアイデア自体はあったのだが、如何せん精霊には家事をするという概念そのものが無いので呪文での指示を的確に汲んで実行に移すことは困難だったのである。

 一体、この月弥という少年は如何なる魔法を用いて精霊に洗濯をさせたのだ。

 いや、待て。言葉がおかしい。精霊に魔法を遣って洗濯をさせるとはなんだ、と自分が相当混乱している事を自覚してユームは頭を抱えた。

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