第参章 月弥と精霊達の在り方


「あ、そろそろ内弟子衆の朝稽古が始まっちゃう。“守り神さま”のお社の掃除も終わってないし、悪いけど手伝って」


 月弥の周囲を旋回していた球体が膨らんで破裂するや七人の少年少女に変じた。


『良いけど今日のおやつはツキヤの手作りな』


 褐色の肌を持つ勝ち気そうな赤い髪の少女が云うと他の六人も同調する。


「分かったよ。今日のおやつはカステラだったんだけど、みんながそれで良いならホットケーキでも作ろうか? メープルシロップをたっぷりかけてね」


 月弥の提案に七人の子供達は諸手を上げて喜んだ。

 そこへユームが待ったをかける。


「あ、アンタ、その精霊達の存在感、強い自我、魔力……上位どころか高位精霊じゃないのさ?! アンタ、どうやって高位精霊と契約を交わしたんだい?!」


 ユームが驚くのも無理は無い。

 上位精霊と契約出来れば一人前だと前述したが、勿論、そこが終着点ではなく、更に高位精霊、最高位精霊と続き、最終的にプネブマ教が神と崇める大精霊となる。

 多くの魔法遣いが上位精霊と契約できた時点で満足してしまうものだが、更に精進を重ねて高位精霊と契約を結ぶと最早、魔法遣いの世界では雲の上の存在となり、最高位精霊との契約を成功させた者は『賢者』と呼ばれ、精霊同様に崇拝されるようになるという。

 先程は上位精霊と契約出来た時点で満足してしまう魔法遣いが大半と述べたが、彼らの名誉の為に云わせて貰えば、仮に高位精霊と契約が出来たとしても並の魔力しか持ち合わせていない者ではそれだけで日常生活もままならない程の魔力を持っていかれてしまうものだ。況してや魔法の行使など以ての外である。

 何事にも分相応というものがあるという事だ。

 余談だが大精霊は木、火、土、金、水、光、闇の一柱ずつしか存在せず、彼らとの契約を許された者は『大賢者』と呼ばれ、通称『七大賢者会議』がプネブマ教の意思決定を司っている。

 ちなみにアルウェンも火の大精霊と契約をして『火の大賢者』の称号を得ているが、最初の顔合わせの場以外では唯の一度も『七大賢者会議』に顔を見せた事はないのだそうな。


「んー? 僕、そんなのと契約してないよ? ただ最下位の精霊さんにずっと魔力をあげてたらいつの間にかこんなに大きくなって人間みたいになっちゃったんだ。それに上位精霊ってすっごく偉そうで僕やお母さんを“雑じり者”って莫迦にするから嫌い。態々試練を受けてまで契約なんかしたくないよ。こっちからお断り」


「アンタ、まさか精霊をのかい? しかも、たったの三年で最下位から高位レベルにまで引き上げたと……いくらハイエルフ王家の血統とは云え人間との混血児がげ?!」


 ユームの首に何かが巻き付いて容赦無く絞め上げる。

 巻き付いているのは先端に分銅の付いた鎖だった。

 その鎖分銅の伸びた先にはゾッとするほど冷たい目をした月弥がいた。

 吸い込まれそうな闇色の瞳に居竦められてユームの全身から汗が噴き出す。


「ふーん、お姉さんも“雑じり者”って僕を虚仮コケにする側の人だったんだ?」


 ユームは自分の迂闊さを呪わずにはいれらない。

 先程、月弥は何と云った? 自分とアルウェンを混血児と蔑むからと上位精霊を嫌い、その上で試練を受けるチャンスを蹴ったと云っていたではないか。

 アルウェンから月弥を人間社会の中で育てたと聞かされていたのだから予想が出来ていたはずなのだ。彼が混血児として迫害を受けてきただろう事に。

 そして混血児という言葉そのものが地雷である可能性も十分に予想できたはずだ。


「ご、ごめ…ぐがっ!」


 ユームの謝罪の言葉を封じるように月弥は鎖を手繰り寄せて更に締めつける。

 非力と云っても飽くまで武術家としてであり、弱いが故に磨き続けた技術に裏付けされたその力は武に長けていない魔法遣いに取っては十二分に強力で脅威だ。

 しかも鎖は片手鎌の刃の付け根、柄頭へと繋がっていた。


「さて、どうしてくれようか? 二度とその口が利けないように喉を潰そうか? それとも舌を斬り取ってあげようか? お母さんに取っては母親代わりでも僕からしたら赤の他人なんだから、手心は期待しないでね?」


 子供ゆえの残酷さへの恐怖より、他人呼ばわりされた事への悲しみが強かった。

 魔女というものは気性が激しい。怒りや怨みの念も強いが家族への情も強いのだ。

 厳しく育てたが娘同然にアルウェンを愛していたが故に、彼女が産んだ子供に拒絶されたという事実の方が鎖で首を絞められている状況よりも辛い。


「うん? 何?」


 不意に絞め付けが弛んだと思えば月弥が虚空を見て何者かと話し始めた。

 イマジナリーフレンドかとも思ったが、七柱の精霊達も同じ所を睨んでいるので月弥だけが感じ取れる存在ではないらしい。

 ただ月弥の表情が悪戯が発覚した子供のようにばつが悪そうにしているのに対して精霊達が敵を見るような顔をしているのが気になるが……


「いや、本気じゃ無いよ? 初対面だし、魔女って油断も隙もならないって聞いてたから、ナメられないよう最初に締めておこうと思って」


 何だソレは?

 いや、確かにアルウェンからは、幼いようで反骨が強いから気を付けるようにとは忠告されてはいたが、締めておこうって……


「はぁい……分かったよ」


 話が済んだのかユームの首に巻き付いた鎖を外すと、鎌の刃を畳んで柄に彫られた溝に収納し鎖を柄に巻き付けた後に銀髪の少女へ手渡した。

 受け取った少女の掌に闇の渦が現れて鎖鎌を飲み込むとすぐに消えてしまう。

 闇の精霊の力を借りて亜空間に繋ぎ、物を収納する『セラー』という魔法で、これも高位精霊と契約しなければ使えない高位魔法のひとつである。

 聞けば月弥はまだ十五歳だそうだ。普通の人間ならその歳にしては言動が些か幼すぎるのではないかと苦言が飛んできそうなものだが、長命種であるエルフとドワーフの血が濃く生まれてしまった事を思えば、むしろ大人びていると云って良いだろう。

 妖精ならば鍛錬どころか、まだまだ親に甘えていても許される歳であるのだが、人間社会で育った弊害か、既に随分と自立心が養われているのが憐れだった。

 アルウェンが十五の頃なんて、泣き虫でまだおねしょをしていたと記憶している。

 ここに至ってユームは己の過ちに漸く気付いた。

 自分がすべき事は魔法への怠慢を叱るのではなく(実際にはストイックに魔法を研鑽し続けていたにしてもである)、この幼い子供が平穏に子供らしく過ごせるようにしてやる事ではないのか。

 アルウェンの場合は強くならなければ生きていけなかった為に厳しく魔法を仕込んだが、この子は別に急を要するワケではなし、のんびりと育てても構わないだろう。

 そう考えると、さっきまであれだけ憤慨していた自分が滑稽に思えて仕方がない。

 ならばまずは謝ろう。そして改めて仲良くなれば良い。

 口を開こうとするその直前、月弥の大きな声が出鼻を挫いた。


「ごめんなさい。さっきはやり過ぎました。許して下さい」


「え…ああ、うん…こちらこそ大人気ない事を云ってしまってごめんよゥ。それとさっきのはアンタを侮辱するつもりは無かったんだ」


「はい、貴女の謝罪を受け入れます。貴女も僕の事を許してくれますか?」


「あ、はい、許します…あれ?」


 やられた。

 先に謝罪されて反射的にこちらも謝罪したところに再び先手を打って許す事で主導権を握ったのだ。


「お、オソロシイ子だね」


「ハイエルフの王様でさえ頭を下げる不世出の魔女にそう云われるなんて光栄だね」


 毛ほどにも光栄なんて思っていないだろう。

 カラカラ笑う月弥にユームは乾いた笑い声をあげるしかなかった。


『マスター、そろそろ行かなければ掃除をする時間も無くなりますよ』


「あ、そうだね。じゃ、ユームお姉さん、先に家に戻ってて」


 蜂蜜のように綺麗な金髪をした月弥よりもやや背の高い少女に促されて、彼はユームに先に戻るように告げた。


「アンタの母親の養母ははおやなんだからオババで良いよゥ。孫同然のアンタにお姉さんと呼ばれたとあっちゃあ尻の穴がむずむずしてしょうがないさね」


「そう? オバさんって呼んだら“お姉さんだろ”ってキレて追いかけてきたフランメお姉さんとは大違いだね。じゃあ、おばあちゃん、僕はもう行くね」


 ユームは眩暈めまいがして、つい地上に降りてしまった。

 髪が汚れてしまうがそんな事を気にしている余裕は無い。

 フランメとは火の大精霊の事ではなかったか?


「そうだよ? あ、そうだ、聞いてよ。お母さんは僕にフランメお姉さんと契約して欲しいみたいなんだけど、僕にはもう螢惑けいこく…あ、僕と契約している火の精霊につけた名前ね? 螢惑がいるからフランメお姉さんは大丈夫って何度も断ってるのにしつこいんだよ? お母さんの師匠なら何とか云ってよ。フランメお姉さんはフランメお姉さんで“試練なんて無しでも良いから”ってワケが分からない事云うし」


「さらっと怖い事を云うんじゃないよ。いや、そもそも大精霊って世襲制じゃないだろう? アルウェンもそんな道理の通らない事を云う子じゃないはずなんだけど、何かワケがあるのかい?」


 すると月弥は腕を組んで複雑そうに目を細めた。


「うーん……なんか僕、三歳か四歳の頃、フランメお姉さんと結婚する約束をしたらしいんだよねぇ? 全然覚えてないんだけど」


「結婚?! 契約じゃなくて結婚って云ったのかい?! って、半妖精の三、四歳って云ったらまだまだ赤ん坊じゃないか!」


「だよねぇ? けど、フランメお姉さんは“約束は約束だ”って譲らないし、お母さんに訊いたら、“いやぁ、僕って母乳が出にくい体質でさ、どう頑張っても二回に一回は粉ミルクにせざるを得なくてね。それを見かねてフランメが乳母になってくれてさ、ちょっと頭が上がらないんだよ”だって」


「乳母て……すると何かい? アンタ、大精霊のおっぱいで育ったというのかい?」


「そうなるね。そのせいか知らないけど、僕もお姉ちゃんも火属性ダメージを受けないどころか魔力を回復するようになっちゃってるんだよね。お姉ちゃんに至っては傷を負っても火で炙ると治っちゃうみたいだよ」


 もう人間じゃないよね――苦笑いする月弥にユームは返す言葉が見つからない。


「どうもね、離乳の時期になっても当時の僕はずっとフランメお姉さんにおっぱいをせがんでたんだって。で、“これ以上、わらわの乳房をねぶりたくば我が夫となれ”って云ったら“はい”って返事しちゃったんだってさ」


「いやいや、いやいや、それで火の大精霊ともあろう者が本気になったと? 可笑しいだろう。大体、大精霊の身の丈は八ルーコ(異世界の単位で一ルーコ=約三十センチメートル、八ルーコは約二・四メートル)あるのに四ルーコにも届かない子が相手じゃ流石に犯罪だろうに」


「結婚するしないは別にしてフランメお姉さんと契約したら螢惑と解約しなくちゃいけないから僕としては当然受け入れられないよ」


 一度に契約する精霊が多いほど魔力の消耗が激しくなるので位が上の精霊と契約すれば下位の精霊と解約するのは当然の流れではある。

 また上位の精霊ほどプライドが高く、ランクの低い精霊が同時に契約している事を嫌う傾向にあるのも理由の一つに挙げられている。


「まあ、見るからに主従関係というより友達って感じだものねェ」


「うん、やっぱり精霊さんとは信頼し合うパートナーじゃないとね」


 勿論、月弥とフランメの間にも信頼と絆は結ばれてはいるが、実際に契約して魔法を遣うとなると話は別と云う事なのだろう。


「今じゃ身振りやアイコンタクトで僕が何の魔法を遣いたいのか、みんな分かってくれているもの。呪文無しで魔法を遣えるようになるのにどれだけ訓練した事か」


「アンタって子はどれだけ驚かせれば気が済むんだい。なるほどねェ、『無詠唱』の絡繰りは精霊との絆と訓練の積み重ねというワケかい。既存の『無詠唱』とは発想そのものが違うんだねェ」


「うん、一緒に遊んで学んで御飯を食べて家事をする。当たり前の事を共に過ごす事で絆が生まれるのは人間に限った話じゃないって事だね」


 だから精霊達も洗濯を心得ていたのか――ユームは漸く得心した。


「精霊と共に過ごし、精霊と共に成長する。アンタには、否、アンタ達には呪文は必要無い。そのわざを『詠唱破棄』と呼び、アンタに『沈黙の魔術士』の称号を贈る事で称えようじゃないか」


 喜んでくれるかと思ったが月弥の表情かおを見るに不満そうであった。

 の世界では称号を与えられる事は名誉であるのだが、月弥にとっては、或いはこの世界では不名誉な事なのであろうか?


「うわぁ……何、その中二病臭い称号……勘弁してよ」


「な、何故だい? こう云っては何だけど、アタシが贈る称号って結構権威があるんだよ? それとも沈黙って言葉が気に入らないのかい?」


「そうじゃなくて、なんか思春期の男子が考えそうな称号が恥ずかしいって話」


「は、恥ずかしい?!」


 兎に角、称号はいらないよ――月弥は精霊達を促して歩き出す。

 釈然としないままユームは月弥の後を追った。

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