第弍部 魔女狩り騒動顛末記
第壱章 魔女との出会い
月と星の灯りが届かぬほど鬱蒼と木々が密集する山の中、堅い物同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
一度や二度ではない。何者かが移動を繰り返しながら絶え間なく木々を叩いているのだ。
夜毎繰り返されるこの現象を近隣の者達は“天狗の山走り”と呼んでいた。
「せいっ!!」
一瞬、頭上の枝が途切れて月灯りが音の主の姿が
それはとてもとても小さな子供であった。
両の手に木剣を持ち、立っているのも辛い急勾配を駆け上がり、密集する木々をかわしつつ木剣で叩いている。
この修行の極意は当然ながら足腰を鍛え、如何なる状況でも剣を手放さぬ強靱な握力を獲得し、迷路のように入り組んだ木々を高速で避け続ける事で空間把握能力を得る事にあった。
さて、その過酷な修行をしているのは前述したように小さな子供である。しかも、まだ少年とも呼べぬほどに幼い。
まず顔立ちは身の丈に見合う中性的な幼顔で、肌は血管が透き通るほどに白いが、対照的に唇は紅を引いたかのように赤い。しかし当然ながら化粧っ気は無い。
艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、首の後ろと先端で結わいている。
幼い肢体を白い道着で包み、黒袴は股立を取り脚絆を巻いて動きやすくしてある。
黒い安全靴を履いているが、その爪先と踵には鉛が仕込まれており、ただでさえ厳しい山駆けに更なる負荷をかけていた。
その上で彼は自らをもっと追い込んでいるのである。
彼の周囲を旋回するように浮遊する奇妙な球体がいくつも存在していた。
一つは炎の球だ。いや、怪談にあるような火の玉ではなく、ミニマム化した太陽のように安定した球体を形成している。
他にも凝固と融解を繰り返す水の球、風や小さな稲妻を纏う木製の球、砂や石、土塊が密集分離を繰り返す球体、金や銀、赤に黒と絶え間なく変色を続ける金属の球、中には光や闇の球としか呼びようのない物まであった。
それらが彼を中心に公転する星の如く付き従っている。否、それは彼の完璧な制御によってなせる業である。
やがて森が開けて彼は川原に出る。
彼は呼吸を整えると木剣を片方手放して躊躇う事無く急流へと入り、腰が沈むまで進んでいく。
その際、七つの球体は彼から離れるが、それでもなお旋回を続けていた。
彼は川面に映る満月を前に木剣を下段に構えて身を切るように冷たい川の中に切っ先を沈める。
「せいっ!!」
それはまるで夢でも見ているかのような光景であった。
なんと水面の月が真っ二つに分かれているではないか。
「せいっ!!」
間髪入れずに切っ先は弧を描いて翻り二つに断たれた月に襲いかかる。
月は都合四つと相成った。
それだけで終わるはずもなく、その後も唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、横一文字と縦横無尽に月を斬り続ける。
恐るべき事にそれを成しているのは真剣ではなく木剣である事だろう。しかも今宵は三日月であった。
気が付けば東の空は白んでおり、朝陽が顔を出す頃には川面から月は去っていた。
間を置かずに炎の球から野球ボール大の火球が撃ち出される。
それを迎え撃つように彼が木剣を振るうと、火球は斬り裂かれて消滅する。
今度は背後から
次いで木の球から一筋の稲妻が放たれるが、恐ろしい事に彼の剣は常人では反応すら許されぬスピードで迫る雷光さえも真っ二つに斬り裂いたのだ。
更に木の球は見る事が不可能である突風を撃ち出したが、それさえも彼の剣の前では二つに割かれて彼の両脇を通り過ぎていく結果に終わった。
その後も彼は自分の顔よりも大きな石を斬り、鉄塊でさえ鏡面のような断面を見せて斬り落としたのだった。
繰り返すがそれを成しているのは真剣ではない。観光地で売っているような平凡な木剣である。否、真剣であろうと出来る事では無いだろう。
これはもう剣云々の話ではない。彼の持てる技術によるものと認識すべきだ。
だがこれで終わりでは無いようだ。
彼の四方八方を取り囲む球体達が今度は一度に複数の攻撃を行った。
しかも光の球と闇の球も加わっての事である。
しかし、彼はその悉くを斬り裂き、或いは避け、時には火球に対して氷の盾を生み出して防ぎ、自身の体にはたった一つの掠り傷も負う事は無い。
もっと云えば彼の下半身は未だに川の中にあった。
そして球体達の攻撃が始まってからきっかり十五分後、球体達の猛攻は止まる。
彼は息も絶え絶えであったが、ついに無傷で凌いでみせたのだった。
「ありがとう……ございました」
彼が頭を下げると、球体達は彼を労うように周囲を旋回した後、岸に戻った。
彼は息を整えると、汗みどろとなった道着と袴、下着を脱いで川に放る。
不思議な事にそれらは流される事無くその場に留まり、洗濯機の如く螺旋の動きを繰り返した。
安全靴も脱いで岸に投げると、彼は汗を流す為にざんぶと潜って泳ぎ始める。
平泳ぎに始まり、クロール、バタフライ、背泳ぎ、古式泳法と節操がないが彼は早朝の川遊びを楽しんでいた。
その間、光の球は安全靴を優しく照らして乾かしているようだった。
いや、ソレだけでは無い。川の中で動き回った事で傷んだ靴は修復され、目には見えないが雑菌を滅して臭いの元を断っているのだ。
やがて体から火照りが消えて逆に冷えてくると彼は川から上がり、手招きをすれば、なんと川の中で回転していた道着が飛んできて彼の前で浮遊しながら停止する。
「うん、我ながら完璧♪ 汗も汚れも完全に落ちてる」
彼は綺麗になった道着を見て満足げに微笑むと、炎の球と木の球を呼び寄せ、風に炎の熱気を纏わせて浮遊する道着を覆った。
彼はあくびをすると、乾いたら起こしてね、と球体達に云うや滑らかな岩の上で横になり自らを天日干しするかのように濡れたまま寝てしまう。
球体達は“寝るな”と云わんばかりに彼の頭上を高速で旋回していたが、やがて諦めたのかその場を離れる。
彼らなりの気遣いなのだろう。闇の球の中から一枚のバスタオルが現れ、彼の顔に落ちた。
「う…ん…わかったよぉ…」
咎められていることは察したのか、体を雑に拭いた後、バスタオルを腹にかけて再び寝てしまう。
その様子に球体達は、呆れて首を横に振る仕草のように左右に揺れた。
しばらく彼は心地良さげに眠っていたが、不意に上半身を起こし森の一角に人差し指を向ける。
人差し指の爪に銀色に輝く付け爪のような物が出現して即座に銃弾の如き速さで撃ち出された。金の精霊の力を借りて金属の爪を敵に撃つ魔法『ネイルブリット』だ。
「誰? 次は当てるよ?」
「やれやれ、アンタの父親もバケモノじみた察知能力を持っていたけど蛙の子は蛙だねぇ」
森の中から現れたのは若い女であった。
年の頃は二十代半ばか、赤い瞳と身長の倍はあろうかという深い紫色の髪が印象的で、しかも幽霊のように宙に浮かんでいる。
ただ早朝の爽やかな空気にレザー製の極端なローライズパンツとビュスチエ、大きな襟の付いた黒いマントが恐ろしく似合っていなかった。
「お姉さんは誰? 僕に用? それともお父さんかお母さんを脅す人質にするつもり?」
彼は七つの球体を周囲に展開させて女を警戒する。
両親、特に母親絡みで自分を攫おうとする輩との遭遇は一度や二度では無かった。
もし、この女もその手の類というのなら相応に歓迎してやると身構える。
いきなり臨戦態勢を取る彼に慌てたのか、女は両手を前の突き出し、わたわたと振った。
「ちょいと待っておくれな。アタシは敵じゃないよゥ。アタシの名はユーム、アンタの母親アルウェンの師匠であり育ての親さね。あの子から聞いた事はないのかい?」
その名は両親から聞いた覚えがある。
魔女の谷と呼ばれる鳥も通わぬ死の谷に棲んでいて、占いが滅法良く当たると評判を取っているとかいないとか。
大層な人間嫌いで魔女の谷から出てくる事は滅多にないとも聞いていたが。
「その人間嫌いがどういう風の吹き回しでこんな異世界の片田舎に?」
周囲の球体が一回り大きくなり、炎や冷気など各々の力を活性化させる。
「お、落ち着いておくれよゥ。アタシは本物のユームだよ。人間嫌いは昔の話さね。今ではたまにだけど魔女の谷から出る事もあるよゥ。と、取りあえずはその可愛らしい唐辛子(隠語)を隠くしとくれ。風邪でも引かれた日にはアルウェンに合わせる顔がないよゥ」
云って恥ずかしくなったのか、ユームは手で目を覆って赤面してしまった。
見かけに反して案外純情なのかも知れない。
彼は漸く警戒を解く。敵なら態々目を瞑るまい、と。
それにこうも恥ずかしがられては、こちらまでもむず痒い気持ちになってくる。
況してや見られて悦ぶ趣味もないので三池月弥は下帯を手に取った。
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