第176話「覚悟」

 どこか甘酸っぱさを感じる空気は、不意に蛍の表情が消えたことで霧散する。




「何かあったのか?」




 小声で聞くと彼女は小さくうなずいた。




「普通の人とは思えぬ気配が二つ、ダンジョンに接近しているようです。それがしの勘違いの可能性もあるのですが」




 彼女が慎重なことを言うのはもっともだろう。




「だけど、手掛かりは何ひとつも持っていないからな。とりあえずつけてみて、ダメだったらその時は考えよう」




「かしこまりました」




 俺のアイデアに彼女は賛成する。


 ここまで来て何もしないという選択肢がない以上、他に有効な手はないだろう。


 


 空振りに終わる可能性が低ければ、シェラやフィーネを呼べたんだけどな。




 嘆いたところでどうしようもないので、彼女を視線で促しておかしな気配がするという方向に向かって進んでいく。




 気配を殺せるのは蛍だけで、俺はそんな芸当はできない。




 だからあとをつけていることを気づかれないような位置を確保し、蛍はその前を歩いてもらうという形を実行する。




 身振り手振りだけで理解してうなずいてくれた蛍がとても頼もしい。


 ……念のためポーションを持ってきたし、彼女にも渡しているがはたして。




 息を殺して足音を殺そうとしても、俺がやってもおそらく完ぺきとは程遠いだろう。




 敵の探知能力が優れていれば不自然な存在として、かえって警戒心を強めることになる。




 つまりあえて何もせず、尾行しているわけじゃないと装うほうがいい。


 それが俺の判断だ。




 上手くいくかどうかはわからないので、深入りしすぎないように気をつける必要がある。




 しばらく歩いていくと蛍が立ち止まったので、すこし後ろで俺はしゃがんで靴ひもを結びなおすフリをした。




 すると彼女が俺のところまでやってくる。




「エースケ殿、あれをご覧ください」




 と小声で言う。




 彼女が視線で示したほうに目をやると、二人組の男が黒い媒介で魔法円を描いているところだった。




 周囲は背の高い木々と雑草に囲まれているし、近くに人影はない。


 おそらく俺たち以外誰も彼らのことには気づいていないだろう。




「クロだろうな」




 実のところ魔法円がどういうものか、一目見て見極める眼力は俺にはない。


 だが、ゲームで似たようなシーンがあって、ガルヴァがやっていたのだ。




 後ろ姿からして敵はガルヴァだろう。




「いきますか?」




「不意打ちで拘束してしまおう」




 と俺は言って道具袋から黒い布を二つ取り出す。




「念のためだ」




「いつの間にそのようなものを?」




 蛍は驚きながらも受け取り、目だけを出して他の部分を覆い隠した。




 覆面するのは敵に俺たちの素性を知られないためというのが大事なポイントなのだ。




 原作通りならガルヴァには仲間が何人もいる。


 ここは慎重にいこう。




「念のためうかがいますが、殺しても?」




 蛍は低い声で確認してくる。




「手加減できる相手かわからないし、お前頼みなのに手加減してくれなんて言えないよ」




 と答えた。


 理想はもちろん生け捕りにして、情報を聞き出すことだ。


 


 だが、原作を無視した動きがそんなに上手くいくとは思えない。


 覆面もそっちの意味での保険を兼ねているつもりだ。




「承知しました」




 蛍のいつもと変わらないおだやかな声が、この状況では頼もしい。


 俺たちがやり取りをしている間、二人組の儀式は終わろうとしていた。



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