第20話 葉牡丹
噂というのはどこからどう伝わるのかわからない。翌日出勤した帝国治療院ではあたしの後任をどうするかの話がでていた。
「で、本当なの? 」
直球は小児科長から飛んできた。嘘ついても仕方ない。返事はまだだけど、ほぼそうなるだろうということを伝える。
「もったいない。あなたにはまだまだ身につけてほしい技術も、進歩させてほしい技術もあったのに。子供たちもあれほどなついているのになんといいましょうか」
驚いた。そんなに評価されているとは思わなかった。
「ちょっとまってなさい」
彼女はぱたぱたでかけていくと、本を三冊ほど抱えてもどってきた。
「貸してあげます。返すのはぎりぎりでいいですよ。当時の避難者の治療記録と、親善派遣された治療師の報告書です。写してかまいません」
それはとても助かります。何すればいいのか、あの動く写真ではひどいということしかわからないので、実際にみた専門家の見解を診れるのは非常にありがたいです。
「そして、あちらでの診療記録を送ってください。こちらからも誰か見解を送ると思います」
ハイ。
面倒ではあるが、決して一人ではないと思うと少しだけ気が楽になった。
寺男師匠は黙って矢を十本ほど渡してきた。
「弓は自分で練習しとけ」
この矢はどこかで見た事がある。近衛鎮魂師様の使ってたあれだ。
「破魔矢? 」
「あそこはでかい悪霊が多いからな。どてっぱらにこいつ撃ち込んでばらさないと鎮魂できないだろう。使いかたと作り方も教える」
師匠、これ使えるんだ。作れるんだ。
「近衛のあいつも俺の弟子だ。追い出したがな」
はい、いろいろなんか謎がとけました。
「ほとんどが悪霊だが、そうでないのがもしいたら、ちゃんと招魂してやってくれ」
そんなところに行かせたくない、師匠もまたあたしの処遇に不満だったが、どうにもならないことなら、せめて力添えしてやろうというところが嬉しい。
というか、外堀がどんどんうまっていく感じであんまり落ち着かない。覚悟はきめてるけど、まだ気持ちは整理しきれてないんだ。
そして、最初に宮中に呼ばれる日がきた。ぐるぐるされて令嬢いっちょあがりだ。迎えの馬車がきて、出迎えとともに下りたのは立派な体格の女性騎士が守る後宮の門の一つ。名前は告げられたけど、どういう格付けのどういう門かは覚えてませんよ。侍女としてボウコウナンがついてきている。チャトラは悪いけど留守番。
こちらへ、と案内にたつ女官がほんのちらっと視線をよこす。苦手な視線だ。彼女は下級とはいえ貴族の嫡出子で今の身分ならあたしより上。いや、召還され、正式に公家の一員になったとしても平民より上なだけで彼女よりも格下のあつかいのはずだ。
待っていたのは優しそうな老婆。いや、見かけにだまされてはいけない。
「ハボタンと呼んで。この通り、お婆さんだけどよろしくね」
通り名を名乗ってきた。身分も言わない。だが、周囲の女官たちの態度でわかる。この人、かなり偉い人だ。
「ハマユウともうします。無知な田舎娘ゆえお手をわずらわせることをお許しください」
「あら、とっても素直なご挨拶ね」
にっこり上品に微笑む。でもよく見たら目が笑ってないよこの人こわいよ。
「おそれいります」
「これはちょっと大変そうねぇ。あら、侍女も連れてきてるのね。ちょうどいいわ。ユリ、その子に侍女のなんたるかを教えてあげてね。あなたならちゃんと教えることができると思うわ」
「かしこまりました」
あたしはボウコウナンにうなずいた。とても不安そうに彼女は連れて行かれた。
「さあて、今の受け答えの何がどうなのか、そこから教えてあげるね」
やっぱりだめだしだ。
そこから後のことは思い出したくない。宮中怖い。
ボウコウナンは妙にテンションが高かった。
「護身術はほめられた。他にいろいろ教えてもらったけど、面白かった」
そうですか。あたしのほうはいわば心理戦の稽古で、それでこてんぱんにされるということがどんだけクるかということを思い知らされました。招魂術で幽霊の愚痴を聞いてるほうが楽です。
どんなだったか、と聞かれてぐったりしたまま奥様に説明すると、なぜか硬直している。
「ハボタンってなのったのね」
「ええ、たぶんとても偉い人なんじゃないかと」
「そうね、でも知らないほうがいいわ」
待った、よけいきになるじゃないですか。目を、目をそらさないでください。奥様。
「そうね。あの方がどういう方かは今は知らなくていい。あなたの教育引き受けたのも暇だったからだと思う。なによりあなたに興味があるからだと思うわ」
そっとしておいてください。
「いいこと、あの方が他の人にあなたの教育を丸投げしたりしないようがんばりなさい」
「どうしてです」
「ひどいことになります。あなただけでなくボウコウナンも巻き添えです」
どうひどいことになるのか。そしてなにより。
「どうがんばればいいんです? 」
「がんばりなさい」
奥様もよくわかってないようだ。
召還されるまであと二回、レッスンがある。それでなんちゃって貴族令嬢にならなきゃいけないらしい。園遊会のときの奥様を見てるとわかるのだが、貴族のあの声の出し方は一種の時の声なのだ。自らを戦闘態勢に駆り立て、言葉の戦いにおもむく心の武装なのだ。
同じ年頃で、そういう気遣いのいらない相手、つまりあたしを見つけたときに奥様がなぜあんなに嬉しそうだったのかはわかった。
帝国治療院では早くも噂になっていた。この国に秘密を守る気ってあるのかしら。ただ、噂はあたしが後宮につれていかれたことだけで、誰にどんな指導を受けたかまで走られてなかった。
「別に帝に召されたわけじゃないですよ」
「大丈夫、誰もそんなありえない話は信じてないから」
科長、ひどいです。
「お姉様が後宮にあがってるんだけど、あった? 」
診察した悪ガキの一人が心細い声で質問してきたときはどう答えたものかちょっと迷った。
「お姉様のご尊顔、存じておりませんのよ。でも、誰かが具合悪くなったから呼ばれたわけではないので安心なさい」
習った口調で言ってみる。うん。これはだめだな。
「あ、そうか。そうだよね。あと、先生その口調似合わない」
ぱっと安心したような少年はいつもの平常運転に戻った。似合わないのはわかってるって。
帰る前に、あたしの後任候補という娘たちの経歴書を見せられた。軍人の娘と貴族の娘。治療実績は軍人の娘が外傷が多く、貴族の娘は内部疾患が多い、参考意見をもとめられて、小児科ということで考えて貴族の娘のほうをすすめておいた。診断の的確さとか見てみないとなんともいえないから、あくまで今時点の参考意見だ。
ただ、もうここを離れることになるという実感に、少し寂しくなった。
「姉ちゃん、俺、聞いてないよ! 」
狼星に襲撃されたのはそんなセンチメンタルな気分に浸っていた夕食後だった。科長にかしてもらった本を読みながら石盤にあれこれかいて、まとまったらノートに落とす。そんなことを治療院の先生方に感謝しながらやってたのに、気分的に台無しだ。
「魔法使いがそのように取り乱すものではなくてよ」
おお、少し板についてきた。と思ったら美少年の変顔というのを見せられておすましがだいなしになってしまった。
「何よ、その顔」
「似合わない」
悪かったわね。でもこういう武装言語使わないと翻弄されるだけで相手にされない世界に行かされるのよ。
「憎まれ口たたきにかえったのなら、もう行って。あたしは遊んでるわけじゃないのよ」
「悪かった、でも教えて、嫁入りするって本当? 」
「そうらしいね。正式な返事はまだ少し先だけど、みんなと相談して受けることで決まったよ」
「俺、装弾うけてないんだけど」
いまこそ突き放す時だ。あたしはそう思った。
「あなたには関係のないことよ」
武装言語が出てくる。なついてくれる子にひどいことをいっている自覚はあった。もっとあっけらかんに言えたらどんなによかったろう。
少年、頼むから泣きそうな顔をしないで。心が痛い。
「だいたい、あたしのどこがいいんだい? かなり年上だし、美人ってわけでもない。あんたのお母さんはどう思うかね」
「当たってくだけろといわれた」
くだける前提かい。それで自分の息子を煽るとは狐草師匠もひどいな。
「あたしがあんたをそういう意味で相手してないのはわかってたよね」
「年の差なんて、年齢がすすめばあんまり気にならなくなる」
ほうほう、どこで誰に何いわれたかわからないけど、それはたぶん本当だろう。
「じゃあ、そういう年齢になって、縁があれば考えてあげる」
「でも、結婚しちゃうんだろ」
「その後の人生なんかわかりゃしない。離婚してるかもしれないし、夫婦仲が冷えきって愛人募集してるかもしれない。そのときにあんたがいい男になっていれば考えてあげる」
この子、一途すぎるから無理だろうな、と思うが言わない言わない。
「それまで待てっていうの? 」
「待ってるだけだったら駄目だね。あんた、友達いる? 学校で一緒の子らもあんたにいろいろ思うところがあるよね。好意的か敵視かしらないけど、そういう思いをちゃんと見て自分の気持ちを確かめて、どうするか悩んで悩んで失敗も成功も自分の糧にするんだよ」
「姉ちゃん、おばあちゃんみたいだ」
うっさい。自分でもちょっと思ったわ。
「治療院と墓地で鍛えられたからね。あんたもまけんじゃないよ」
「わかった、姉ちゃんにふさわしい男になる。そして迎えに行く」
ええと、どうしよう。話きいてたのか。これ、大丈夫なのかな。
まあいいか。あたしは面倒になった。
「ところで、結局、あんたあたしのどこが好きなのよ」
「ええと」
目が泳いでるぞ少年。
「お尻かな」
「出てけ」
追い出してから、今後がやはり心配なので、彼の師匠である竜司様と母親である狐草師匠あてに手紙を書いた。奥様とお館様にはあとで直接伝える。
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