第11話 新聞
とんでもない悪夢だった。おなかがはしたなく鳴った。そういえば夕食は食べ損ねたんだ。
部屋着姿で階下におりていくと、厨房はもう動き出していてパンのやけるいいにおいがしてくる。
東方からはいってきて普及した小麦のパンだ。厨房にいってなにか摘みたいがいまは忙しくっておいだされるだろうなと思っていたら、パンをかかえるだけではたりず、一つくわえて出てきた盗人にでっくわした。
「おはようございます。奥様」
「お、おはうおう」
奥様もご同様だったか。これではしゃべれないので口のパンをあずかる。
「手慣れてますね」
「緊急避難よ。朝食の席でおなかがなるのはいけないわ」
「まったくですね」
「一緒にどう? 」
常習犯というより昔とった杵柄だろうなと思う。村でも兵役経験のあるじいさまは手癖のわるいのが多かった、
まあ、これであたしも共犯なんだが。
「よく眠れましたか」
「一回起こされたけどね。あなたこそちっと起きなかったみたい」
「嫌な夢をみました」
話すと、奥様は芽をぱちぱちさせた。
「あら、それは夢じゃないわよ。お義母さまたちがかけつけて、私とあなたに悪い影響がないか調べてくれたの」
「悪い影響? 」
「魔族は周辺の人間にも魔族化を引き起こすことがあるんだそうよ」
エリ様がなぜあんな怖い顔だったのか、ようやくわかった。最悪の場合を考えて、覚悟を決めた顔だったんだ。そのあとの胸に穴の悪夢はよくわからないけど。
「お二人は? 」
「もう帰ったみたい。孫はまだかといわれちゃった」
そ、そうですか。
「ではちょっと診察しますね。おなかに手をあてる失礼をお許しねがえますか」
奥様はびっくりした顔になったが、幸い二人でパンをぱくついていた控え室には誰もいない。
「苦しうなくてよ」
いや、そんなことはなかった。魔力による触診はあまり経験がないらしく、ものすごくくすぐったそうな顔をして、時折変な声を漏らすのでヒヤヒヤした。
「まだ懐妊はしておられませんが、あさってくらいから二、三日、若様のお情けを集中的にいただくとかなり期待できますよ」
「そうですか」
奥様は反応に困ったお顔だ。言われたことの意味を理解して、ひどくとまどってる。
「それ、私から夫にお願いしないといけないのかしら」
さすがにそれははしたないと思うのはしかたない。でも、あたしは事実をつげるだけなのだ。
「そのへんはご夫婦の問題なのであたしにはなんとも」
へっへっへ、がんばってね。
まるっきり田舎の助平親父だな、とあとで気がついて今度はあたしが一人悶絶することになるのだが、このときは凛々しい奥様を冷やかして楽しんでしまっていた。
「そうだ」
奥様は何かいいことを思い付いた顔そした。そういうときは他人にはろくでおないことと。
「今後、危ない事が会っても少しでも大丈夫なように訓練しましょう」
絶対、あたしはすごく癒そうな顔をしていたに違いない。だが、やる気に火のついた奥様がそれに気付いてくれるわけがない。
かくして、三日の一日は一回おきに射撃、剣戟、徒手の訓練をすることになってしまった。
「君もやろうね」
死なばもろともで、狼星少年もまきこんだが、彼はちっともいやそうではなかった。
少年は学校があるので、訓練は彼が帰宅してからの二時間ほどにしようということになった。奥様も屋敷の管理の仕事がある。迎えにきたときの執事見習いは執事に昇格し、いくつかの家に仕えてきたという女中頭を先生役として三人で細かな予算の決定や、屋敷のメンテナンスのために実際に検分したり、やめる使用人に餞別を用意したり、新しい使用人の採用面接をしたり、書類に印鑑つく傍らとても忙しそうにしている。
あたしも非番の日は屋敷の人間の診察をしている。特に女中たちの妊娠については早めに発見するよういわれていた。今後について奥様と執事、女中頭が本人と相手を呼んで協議しなければならないからだ。
これまでにそこまでいった女中は一人だけ。相手はうちを含めて数軒の屋敷と契約している庭師の息子で、既に同様の経緯で引責結婚済みだった。この時の話し合いは長くかかって、結局、彼女は庭師の父親の後添えという形で収まった。その後のことは知らないが、正直当事者はもちろん関係者にもなりたくない話だった。
診療しないときは魔力制御の訓練をし、魔核を整え、獲物を自慢にくるチャトラをほめた。チャトラが幽霊をつれてくることもある。自我が半壊した幽霊がしばらく律儀にかよってきたこともあった。
自分の姿を取り戻したその人は商家の息子さんで、婚約者を実家のライバルに奪われた上に、一服もられて自殺ということにされたのだという。
かわいそうな身の上だが、婚約者が彼をだますための手管の結果として彼の子供をはらんでいたそうで、その子のことが気になってさまよっていたらしい。
そんな目にあって恨んでないというから奇特な人だ。
事件は十数年前のことで、ちょっと調べるとその後のことはすぐにわかった。
その子供は相手の男の息子として跡取りとして育てられていること。相手の男も数年前に病死したこと。その店は、彼女が死んだ夫のかわりにしきるようになって繁盛してることをつげると、ほっとした顔で成仏していった。
彼の実家もつぶれているのだが良かったのか。あとその元婚約者怖い。
そんな感じで、それぞれ忙しいのが終わると裏庭で訓練だ。
女子供ばかりである。練習は。非力で小柄な者がどうやって暴力から身を守るかになる。教官をつとめる奥様は実戦経験者で、説明の内容が重く、体格差というものはどうにもならないものだと思い知らされた。
小児科長直伝の魔力押し込んで奥歯がたがたさせる術だって、少々おおまかでいいので適正な位置をつかまないといけない。体格差で優位な上に油断と容赦のない相手には通用しない。
「魔法を使おう」
男の子は短絡的だ。彼は学校では少なくとも魔法の実技では他の生徒など足下にもよせつけないだろう。そのせいか少しいい気になっている気配がある。
「どう使うの」
少年は腕組みして偉そうに考える。美少年なので何やってもさまになるけど、これは俺様だなと思った。村のガキ大将と同じだ。誰かをいじめてないといいのだけど。
「炎でくるんでしまうとか」
「自分にも火がつくよ」
「じゃ、顔だけ焼く」
えげつないこと考えるなぁ。
「狙えるの? 失敗したら魔法使いってばれて相手が手加減なしでくるよ。いきなり刃物で突いてきたり、こん棒でぶんなぐったり、あんたみたいなちびなんか壁に投げつけられてぺちゃんこにされるよ」
「姉ちゃんうるさい」
癇癪おこしちゃった。ついでにあたしも姉ちゃんの仲間入りだ。
まあ、自分たちの非力を実感して、危険には近づかないこと、近づいたらすみやかに離れるのがよいことを確かめただけとなった。
魔法を使った護身術は、警吏に専門家を知ってるので奥様が教授の件を打診してくれるということになった。
「君は学校でならったはずだけど、魔法の行使にも法律で制限があるのよ。座学の成績は大丈夫かしら。お義父さまより若いお弟子をあずかっているのだから、領地にいたころより馬鹿になりました、とは答えられないわ」
狼星が奥様にお説教され、呼ぶつもりの人にはその辺も教えてもらうことになる。あたしもやっちゃいけないことは寺男師匠や小児科長に指導を受けているがちゃんときいておきたい。
河岸で正気をなくした魔族とかかわった件の影響はそれで終わったわけじゃなかった。
「ねえ、これ先生だよね」
帝国治療院で、定期的に通ってくる持病もちの男の子が、あたしの前で広げてみせたのはわりと大判の薄い冊子だった。表紙には「毎週刊行! 帝都のできごと」なんて書いてある。本としては未完成で閉じ方も仮とじのままだ。
「なにこれ? 」
「新見聞録だよ。しらないの? 略して新聞」
「ずっと田舎にいたからねえ」
「田舎だって、月刊帝国情報とか年刊国際情勢くらいあると思うよ」
たぶん、取り寄せているのはそこそこの貴族様だけだと思う。そういえばこの子も貴族の子だ。
これもお父さんのものを勝手にもちだしてきたのだろう。後で怒られるぞ。
「それで」
先をうながすと、彼はぱらぱらとめくって一枚の少しにじんだ絵のはいったページをあたしに見せた。河岸の石畳に倒れた男、しゃがみこんでその傷に手をさしのべるどこかのお嬢様。拳銃片手の貴婦人が心配そうに覗き込んでいるその手前には人間をやめた姿がとどめに警邏の剣で貫かれている。
全体にぼんやりして、構図も悪くないので本当に絵かと思った。
まって、じゃあこのお嬢様ってあたし? よく見ると、あの日ぐるぐるされて着ていった奥様のドレスじゃないか。
「どうして、そう思ったの? 」
少年の生意気そうな面構えが怯えておののく様を見せた。そんなに怖い顔だったかな? なるべく優しく笑ったつもりなのに。
「顔が同じでしょ」
頼むから同意して、という響きがある。え、あたしこんな顔だったかな。いや似てなくはないというか、ごめんなさい。本人でした。
「そうね、似てるわね。この絵は誰がかいたの? 」
「これはかいたものじゃないよ。見たものを記録する魔法具って聞いたことある? 」
ないわよ。なにその危ない魔法具。悪い使い道しか思い付かないのだけど。
奥様とかばっちりうつってるけど、断りなしにこういうとこに乗っけていいの?
「そうね。でも言いふらしちゃだめよ」
認めるしかあるまい。だが、あたしはともかく奥様に黙っては許せない。なるべく優しく微笑んで彼にお願いする。
「やっぱりそうなんだ。かっこいい! 」
そういって彼は握手を求めてきた。確認して、事件の当事者と握手。それだけで彼は満足したようだ。
この魔法具で記録したものは写真とよばれるそうだ。まだまだ問題があって、このぼやけた感じはそのせいらしい。後で若様にきいたのだが、利用にはやはり問題があるというので許可制になっているそうだ。いまのところ、大変高価なので無許可利用もほとんどないらしい。
写真の横には記事があり、「元警邏騎士の貴婦人、魔族の膝を砕く」なんて田舎のおじさんみたいな感覚の大文字のあとに、簡潔に出来事をまとめてあった。短いながら、うまくまとめてあって読みやすい。関係者として、被害者の商人、加害者の魔族の名前、制圧した警邏の二人、そしてお手柄の貴婦人として奥様の名前がでている。魔族からとった魔核の大きさと、どこが入手したかもあった。これ、盗みにはいってくれって意味かしら。いいの?
彼の魔核はそんなに大きくはなかった。なりたてだからだろうというのは後で聞いたコンラー家の大魔族様の見解である。
彼がなぜ魔族になるほど追いつめられたかは書かれてなかった。鋭意取材中とあるだけだ。
よし、切り替えよう。
「さて、診察するよ」
まずは診察だ。気をとりなおして少年の若くすべすべした肌にふれる。生意気な悪ガキだが、愛されてのびのび育ってるよなぁといつもながらうらやましく思った。田舎の貧乏人には難しい。
だが、この子の病気は治療術で直せるものではなかった。治療術は体のもっている機能に働きかけるものなので、そもそも自然治癒のしくみのない臓器の破損には役に立たない。
だからといって手段がないわけではない。
強い魔力と高度な知識を用いて「なくなった部分を創り上げる」技術がある。ここに来て初めてしったわざだ。これを実行するためには患者の体の情報を集め、そのための術式を組まなければならない。ひどく長い呪文行使でじりじりと再建を長時間かけて行うそうだ。準備にとても時間がかかり、費用もかかる。この子はその恩恵を受けることのできる幸運な星のもとに生を受けている。
この恩恵を受けることのできる人が増えるといいな。
そう考えて治療院の偉い先生がたは施術例をすべて記録し、秘することなく公開しあってるそうだ。クソ貴族ずるいなぁと最初に思ったあたしは恥ずかしくて死にそうだった。
とりあえず、病気にめげず悪ガキやってるこいつがいい男に育ってくれるよう祈るだけだ。
と思ったが、あたしと握手できてニヨニヨしているの見るにだめかもしれない。
新聞の記事のことは、その夜に若様ご夫妻に報告した。
「あれは一度取り寄せてよんだことがある。宰相殿との接見を待つ部屋にも十冊くらいはおいてあったはずだ。明日でも見てみよう」
帝国の宰相って人が、二番目に偉いということくらい、あたしでも知っている。そんな人にあいにいくって。
「午前中におわる仕事だが、一応宮仕えしてるんだよ」
若様は苦笑した。帝都にいる貴族というのはだいたい軍人か役人をやっているのだけど、朝早くから昼前までしか働かないのだそうだ。午後は家業の時間となる。商売であったり、研究であったり、教師であったり。それを家業だけやっていると思い込んでいたのが若様にはショックだったみたい。
「一応、帝都の水回りの改善をやっている。宰相殿と話をしなきゃいけないことはいつも何かあるものさ」
うん、それで勝手に奥様の名前を出した事は許すのだろうか。
「それは仕方ない。貴族は公人だ。一挙手一投足とて隠すことはできない。問題は侮蔑になってないかだ。面倒だが、その場合は放置できない」
つまり、奥様は貴族だから事件にいあわせただけで名がでたと。
「クリニアが不逞魔族の膝を壊さなければ、被害はもう少し大きくなっただろう。お手柄だ」
「お義父様にもたせて頂いた魔銃のおかげですよ」
「ちゃんとあてたのは君だ。あいかわらず膝撃ちは得意だな」
あいかわらず、ですか奥様……。
話は明日、実際に確かめてからということになった。
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