第10話 事件
そんな癒しの時も狐草師匠が元気な男の子を産んでおしまいとなった。
「子供はもうこれで打ち止め。夫はもっとほしがってるけど、さすがにもうきついわ」
そうですか。
どうやら、それを待ってたらしく、若奥様があたしを連れ出すようになった。
「行儀作法の実践よ! 」
嘘だろう。
「まずは、きるものね。あなた治療院のお仕着せか、寺院の作務衣かくらいしかないでしょう」
しつれいな、狐草師匠のお古で一番いい外出着をもってますよ、
「ナントやナンテイあたりの町なら大丈夫だけど、ここじゃお上りさんまるだしじゃない」
却下された。抗議もむなしく、あたしは屋敷の女中たちにとりかこまれ、ひんむかれてぐるぐるまわされて、しめあげられて、ぽんぽんされた。
「裏切り者ぉ」
女中たちの中に村から来たコニイがいたので思わず叫んだらしい。
「まあまあ、ハマユウ様、はしたのうございますよ」
すっかり帝都の女中が板についたな、こいつ。
しあがった自分を姿見で見てあぜんとした、
馬子にも衣装とはこのことだろうね。帝都の大通りでひらひら優雅にそぞろ歩いている町のお嬢様がそこにいた。
「さて、顔もきれいにしないといけませんね」
ごしごし、ざばざば、もみもみ、ぬりぬりされて田舎娘の顔がすっかりあかぬけて驚いた。
問題は中身だが、こればかりはどうしようもない。
「うわぁ、誰? 」
いつの間にかそこにいた狼星が失礼なことを言う。さあ、誰でしょうととぼけたら声でばれた。
「なあんだ。化け……」
「それ以上いったらぶちますわよ」
「ハイ」
なんか言葉遣いも変になった。
「さ、いきましょう」
連れて行かれた場所は帝都のにぎやかなところから一本奥まったところにある、一見普通のお屋敷だった。玄関をはいったとたんに着飾った女主人に、シンプルだがセンスのいいドレスの店員二人、屈強な体をこれまたどこかの執事のように固めた男性店員二人がお辞儀をしてきたのにはびっくりした。こういう貴族専門の店には先触れを出して予約をいれておくものらしい。
その店でなにがどうなったかは実はあまり覚えていない。目がくらむ重いだったし、着飾られ、化粧されていても田舎娘だ。この人たちがどう思っているのか気になって目がぐるぐるしていた。
デザインをきめて採寸されて、どうも用途で三着ほど注文したらしい。
「あの、お代金は」
「給料からぬいておきます」
それ、いつ完済できるんですか。
若奥様はにこっと笑った。
「大丈夫よ。実は義母様が着なくなったお古をあずかってきてて、今日はどう仕立て直すかの相談なのよ」
あの大柄なエリ様のドレス? ぶかぶかになるんじゃなかろうか。
「そこは詰めたりいろいろ工夫してくれるから心配しないで」
このときには知らなかったのだけど、いただいたドレスはものすごくいい生地をつかったものだった。そういえば、デザイナーの人が、今ではもう手に入らないとかなんとかいってたような気がする。後で知って、顔面蒼白ものだった。
そんなドレスをあたしにだけというわけはない。ほとんどは若奥様がもらっていて、あたしのはそのお裾分け。道理でほくほくした顔をしておられる。
「これであなたを社交場につれていくこともできる」
「そんなことをしたら若様と奥様のお名前に傷がつきます」
秘密の名前があろうと、貴族の庶子だろうと、あたしは貴族ではない。ただの田舎娘だ。
「農夫出身の軍人だって来るんだから、遠慮はいらない。行儀作法に自信がないならもう少し厳しくやってもらうように言うけど」
勘弁してください。本当をいうと、うっかり父や祖父にであわないか心配。父はずいぶん昔に顔を見た事があるけれど、祖父は名前しか知らない。挨拶して名前をきいたらそうだったとか考えたくもない。それに、通り名で許されるのかしら。本名をいえば姓をいわなくても出自を語ったも同然だ。
すみません。憂鬱なので勘弁してください。
そんな気持ちをしってか知らずか、美味しい者を食べて帰ろうと若奥様。
ものを食べに行くところは生まれ故郷の村にはなかったし、収穫祭りの宴会場でなければ、食材を持ち込んで調理してもらうコンラー領の宿舎くらいしか知らない。宿舎は買い付けの商人などが寝泊まりするところで、料理上手のおかみさんがたにお願いして臨時の料理人をつとめてもらうようなところだ。手が開いていれば治療師だって料理人にされるし、客によっては竜司様が料理をしたりする。貴族の奥方が連れ立っていくようなところは知らない。
場所は帝都の横を流れる大河のほとりだった。河に面した城壁の外側に張り付いた建物で、元は倉庫か何かだったようだ。眺めのよいテラスに丸テーブルとふかふかのクッションをおいた椅子が用意されていて、きらめく川面と行き交う渡船、喫水の浅い河の漁船が網を撃つ様子、たまに大きな船が通りすぎるのを眺めながらすっきりした風味のハーブティーをいただく。
まって、このハーブ知ってる。薬草の一種だ。あんまりあちらにはないから気付かなかった。薬効はたしか、服用のしかたによる効果は、この飲み方だと。
「はい、仕事のことは忘れる」
ものすごくわかりやすかったらしい。奥様に笑われた、
「もうしわけございません」
「このお茶はリラックスの効果があるそうよ。普段なら特に問題もないはず」
はい、その通りです。禁忌症状はおいくつかあるけど、本当によほどのこと。
「失礼いたします。季節の果物のタルトでございます」
給仕さんが、「おいしいもの」を持ってきた。果物を煮たものを練った生地のいれものにつめてオーブンでやいやものらしい。果物の甘味は所を問わず楽しみだった。
一口いただいたらとんでもなかった。
なんだこの甘さは。この果物か、それとも何か入っているのか。だめだ、とまらない。
「連れてきた甲斐があったわ」
奥様がにやついている。なんだ、あたしはいまどんな情けない顔をしているんだ。ああ、でも幸せだ、
「もう、なんとでもいってください。貧乏人にこの甘味は毒ですよ」
「最近はそんなに贅沢なものでもなくなってきてるのだけどね。そこのあなた、説明してもらえるかしら」
控えていた給仕がまってましたという感じで進み出てきた。
「これは黄色粟を引いてさらした粉になんだかったの穀物の芽をつかって作る甘くねばっこいシロップを使っております。カイエン王国の特産でしたが、最近製法がこちらでも普及しまして」
黄色粟は庶民の主食だ。水を含ませて蒸したり、ゆでたりして食べるが粉にするのは初めて利いた。確かにかなり歯ごたえがあってぼそぼそしているから、病人には臼で挽いたのをおかゆにして与える。
「カイエン王国では赤黍を使いますが、黄色粟でつくったほうが風味がよく、当店でもたっぷりつかっております」
いい事きいた。その黄色粟のシロップ、今度、師匠がたへのお土産にしよう。
とはいえ、甘味だけだと口の中がちょっとつらくなってくる。贅沢ななやみだ。
店のほうもわかってるとみえて、こんどは渋いお茶が運ばれてくる。神聖同盟の僧侶が瞑想の後にのむ茶らしいが、ここではただの嗜好品だ。そして甘いものによくあう。
「奥様、きょうはほんとうにありがとうございます。身に余るおもいです」
行儀作法にも仕事させないとね。
ところが、奥様は浮かない顔をしている。
「なんのさわぎ? 」
いわれて、下の波止場がただならない様子であることにやっとあたしは気付いた。奥様はさすがに武門の方だ。ところでその手の小型拳銃はどこからだしたのでしょう。
下の様子は手すりから少し乗り出すだけで見えた。
まず芽にはいったのが腹を押さえて倒れた男。みなりがよく、猟師でも船乗りでもなく、船主とか商店主あたりだろうか。黒い液体が広がって行くのはあれは血だ。
「大変」
治療師はいないか、ここにいるじゃないか。ふうっとため息をつくとあたしは店の階段を駆け下りた。あの出血では一刻をあらそう。
おそらく絶望的だ。だが、それは手当を急がない理由にはならない。
刺されたのなら、犯人がいるはずだ。あたしはそのことをすっかりわすれていた。
やばい、と気付いた時にはあたしの前に異形に変じた船乗りだったらしいそいつがいた。
とっさに抗壁をはれたのは竜司様の修練のたまものだった。思わぬ抵抗に刃をそらしてしまったそいつの腕に軽く触れると、小児科長仕込みの痴漢撃退術を流し込む。人間が一番悼みを感じる場所、雌蕊に強烈な刺激を与えるむごい術だ。
痛みの魔力は目的の場所までとどかなかった。男の全身を強烈な魔力が巡っていて、手加減もあって散ってしまったのだ。その強烈な流れの中心に、強い魔力の塊がある。
こいつ、魔族だ。正気を失っている。こういうことなんだ。恐ろしくって、あたしは男から距離をとろうとした。
くそ、あいつあたしを見ている。あいつも勘づいたのだろうか。
銃声がひびいた。奥様が護身拳銃を男に放ったのだ。膝に一発、そして彼の頭に一発。
あの固そうな体にそんな小型拳銃がきくだろうか、と思ったが意外なことに膝はしっかりうちぬき、男の動きは鈍くなった。頭への射撃は全力で身をよじられてかわされた。
銃弾はつきたらしい。奥様はこれまたどこからだしたのか短剣をかまえている。
男は足をひきずりながら。奥様ではなくあたしににじりよろうとする。
そんなに魔力がほしいのか。あたしの魔核をどうにかしたいのか。
何ができる? 持ち物を思い出す。ポーチに傷薬と痛み止め、止血剤がはいっている。それといれっぱなしになっている魔法の手袋。相手の魔力をゆらすやつがあった。
「逃げなさい! 」
奥様の声にわれにかえらなかればあたしは何をしていたのだろう。膝をくだかれた相手から走って逃げるのは簡単だ。なんでそれに気付かなかったのだろう。
あたしが逃げると、そいつは喉をならすようにしてうなった。威嚇なのか怒りなのか。
人ごみをかきわけて警備兵二人が姿をあらわした。怪物になった男をみてぎょっとなるのはしかたがないが、逃げずにそれを制圧しようとしたのは立派だ。至近から何発も背中に撃ち込まれてそいつは動かなくなった。
その後、帰れるようになるまではひたすらきつかった。
助けようとした男性は結局、この騒動の間にこときれていた。無念の最後である。幽霊になってでてきたときは、そうだろうなと思ったが、彼はあたしが見ていることに気付くとあきらめたように笑って、そのまま成仏してしまった。
魔族は追いつめられた人が変じることが多いという。殺された人は魔族となり怪物となった人を追いつめていたのだろうか。それとも、一方的な思い込みだったのか。
事情聴取がおわったころには、さすがに屋敷のほうでも事件のことが知られており、若様が馬車でむかえにきてくれた。
「お義父さまにいただいたこの銃、すごい威力ね」
あたしはぐったりしていたが、奥様はやたら元気だ。あの拳銃は持ち主の魔力で威力を増す魔銃で、普通のもの倍くらいの威力が出るのだそうだ。竜司様の作品らしい。
道理であの魔族の膝がああなったわけだ。それにしてもまず足を奪う奥様容赦がない。
とはいえ、やはり疲れたのだろう。屋敷についたときには奥様もすうすう寝息をたてていた。
「ああゆうことってよくあるんですか」
ふらふらしてる奥様を寝室に送り届けたあと、あたしは聞いてみた。
「帝都では年に一回くらいかな。文献では十年に一回くらいとかいてあるんだけどね」
「年一回こういう騒動になるんですか」
「うーん、毎回ではないな。獣のようになったが暴れるわけではなく、全力で逃げたという話も聞いた。結局取り逃がしたが、カイエン王国にはいったようなので連絡して終わり。厄介なのは姿形はかわらないし、一見正気だが子供をさらっては食ってたやつのようなタイプだ。ただ、結局、いるとわかってから討ち取られるまであまりかからないのあ救いかな」
「警邏ががんばっているのですね」
怯んでも逃げずに職務をまっとうしたあの二人の青年のような人が多いのだろう。
「いや、賞金がかかるんでね。かけるのは魔族の魔核がほしい商人だ。今日のあいつのも明日には競売にかかってると思うよ」
もしかして、何もしなくても魔核もちと知られれば密かに殺されてしまう危険があるのか。エリ様に教えてもらった通りだ。
「若様、まさかと思いますが」
「いや、僕にはないよ。もしかしたらできていたかもしれないけど、母がそうなるように手を加えている」
母の愛ですか。
「いや、半分は実験だったと思うよ。あの人には母性もかけている。大賢人がそうであったから、僕も同じようになれないかと思ったのは悪意ではないけど普通は歯止めがきくんじゃないかな」
よく話のでてくる大賢人、百年以上前の伝説の人物だ。村の昔話にもよくでてくるが、なんでもかんでも彼のせいにしているので本当はどんな人だったかあたしはよくわからない。
若様の魔力がどれくらいか、はかる術はないが、決して小さくはない。ただ、今日であったあの魔族よりは多い。
だから、本気を出せばあいつはすぐ殺せるという自覚はあった。そのささやきに耳を貸し手はうけない、これまで習ったすべてのことが警告を発してくれていなければ、あのときの奥様の逃げろというお言葉がなければ、あたしは踏み越えてはいけない線を越えたかもも知れない。
怖い。
あたしの不安定さが伝わったのだろうか、若様はあたしを部屋まで送ってくれた。
「聞いているだろう。かなりこたえたようだ。休ませてやってくれ」
「かしこまりました」
いつもは口うるさいあたし付きの女中が小言一ついわなかった。着替えて、落ち着く薬湯をもってきてくれて、それでやっとあたしは少し寝た。
夢の中で、エリ様があたしを見落としていた。これまでみたこともない怖い顔だ。
竜司様もいた。二人でなにか話あっている。そしてエリ様の手があたしの胸にのびて。
胸にぽっかり大きな穴のあいたあたしは身動きもできず、意識を失った。
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