第9話 鎮魂術
ある日、いつものように招魂を始めようとしていたら、眉間に皺をよせた寺男師匠が外出着でやってきてついてこいという。
外から見えにくい馬車に乗せられて連れて行かれたのは貴族区画のコンラー屋敷とは反対の隅の廃屋だ。
「今日はもう一つの術を見せることになる。あまり使いたくない術だ」
それを教えるのだという。嫌なものなら別にいいのに。
「いや、招魂師なら覚えておいたほうがいい術だ」
その屋敷は門をはいったところからひしひしと不吉な感じが伝わってきた。これは旅の途上で遠くにみた重合した幽霊ににている。
「その通りだ。度胸試しかなにかで侵入して取り憑き殺された者や、このあたりの幽霊の魔力を奪うために取り込んだりした結果、自分が誰だったかもわからなくなった飢えた悪霊がいる」
もう確認済みなのだという。
「さて、こういうのを招魂師はどうすべきだと思うかね。あらゆる言動、動機が矛盾し、ただただ魔力への飢えだけで他者の命を求める悪霊だ」
「一人づつ、全員を丁寧にやるしかないのでは」
「だが、彼らは一つに固まっている。どれか一人を成仏させようとしても、他が反発する」
「支配的な人格の人を的にして順番にやっていけば」
タマネギの皮むきのようなものだ。
「誰の人格が支配的で、何をいえば成仏するか。言動の矛盾する本人からは聞き出せないだろう、それをやるならあらかじめ知っておく必要がある。そして次に支配的になるのは誰なのか、それに対してはどうするか知っておかなければならない」
無理だ。
「そう、無理なんだ。だがほってはおけない。だから、仕方がない」
どう仕方がないのか、わからないが見せてくれる。
「なにか護身の魔法をもっているかね」
「抗壁の魔法なら」
「それでいい。悪霊はあんたを狙ってくるかもしれん。弱くでいいので全身を覆うようにはっておいてくれ」
では、行こうといったときの寺男師匠はかなり緊張していた。彼も薄く何かの防御魔法をはっているのはわかった。抗魔というらしい。魔力による干渉を拒む魔法だそうだ。
悪霊はいるのはわかるが隠れているようであった。
「不意をうとうとしているのだろう。これまでうまくいった方法の繰り返しだ」」
つまり明白な害意をもっているということか。
「話し合いは? 」
「できれば招魂でなんとかなる」
書物の一切残ってない書斎に踏み込んだとき、悪霊は襲ってきた。あたしの背中側でばちいっと派手な音がして振り向くと、手足に胴体に首がでたらめにまざったものがどうやら怒っている様子。あまりにグロテスクで思わず悲鳴をあげてしまった。
混ざっている人間は老若男女さまざまいるようであった。出たり引っ込んだりする顔がそうだったし、表面をうごめく胴体は男のものも女のものもある。
幽霊の顔はめいめいに何かぶつぶついっているようであった。ぶつぶついいながら浮かんだり消えたりしている、胴体も手も生前の動作なのか優雅であったりグロテスクであったりの動きをしている。
「話ができそうかね」
一応呼びかけてみた。一応返事らしいものをしてくれる首もあるがすぐに潜ってしまう。
「これは無理です」
そこでもう一つの術が必要になるのだそうだ。その名を鎮魂術という。
「鎮魂術は、魔力の力技で幽霊をばらばらにして消してしまうものだ」
師匠が長い楊枝を出すとこれに魔力をまとわせ、幽霊に刺した。
「むやみに刺しているのではないぞ。ききそうなところに刺している。そしてそれはちょっと魔力を押し込むとこうなる」
悪霊の塊がびりびり割けて、四つに分かれた、それくらいではまだ消えない。一つに再度長楊枝をつきさしながら寺男師匠はあたしに一本投げてよこした。
「やってみな。講義はなしだ。なんとなく利きそうなところを試してみろ」
四つに割れたが、人単位ではないことは胴と首、手足が多すぎたり、男性の顔ばかりなのに女性の胴がまじってたりしていてすぐにわかった。
適当でいいといわれても。
怖いよこれ。
「さあ」
促され、目をつぶって人間の大きさで二、三人分くらいの一つの断片に楊枝を刺して魔力を流し込んでみた。
かなり勢い良く流し込んだせいだろう。多すぎたのだろうか、その塊はしずくとなってはじけとんだ。当然あたしにもその破片はとんでくる。抗壁の魔力にさえぎられてべちゃべちゃはりついて消えて行く。かなりくるよこれ。
「大した魔力だ。次はもっと押さえて」
寺男師匠はかけらの一つを突き刺し、二つに別れたのを軽く薙いだ。悪霊の破片はぐずぐずくずれて溶けて消えていく。脈絡のない、言葉の断片を放ちながら。
ご指導ありがとうございます。あたしはもう限界です。
「さあ」
この人、もしかして招魂のときの会話術使ってないだろうか。尻込みしていたあたしが逃げ場をなくした気となり、破片の一つに一歩踏み出させる。
でろんと、なんかとんでもない状態でからみあう胴体二つが表面にでてきた。不意の嫌悪感を感じてそこに楊枝を突き刺し、魔力を流し込む。加減したのはひとかけらの理性の仕事だろうか。
後で思えば、あれは男女媾合の状態だったのだろう。幽霊同士でなにやってんだと思うが、そういう状態のところで取り憑き殺されたかなんかした人たちだったのかも知れない。
今度のかけらは爆散こそしなかったが、全体にぐずぐず崩れて消えて行った。
「初めてにしては上出来だ。あんなふうに飛び散らすと誰にあたるかわからないし、守りがないとしみこんで死なないまでも人が変わるくらいの悪影響が出るから」
あと一つを手早く片付けながら寺男師匠は教えてくれた。
それ、先に教えて。
切に切に帰りたいと思っていたがこの師匠は猛特訓と節制で知られた伝説の古代民族なみだった。
「戻ったらこの楊枝にいれている術式について座学だ。その前にここを一巡して他にいないか探そう」
廃屋を隅々まで調べた結果、怯えて隠れている普通の幽霊を二人見つけたので地下墓地までつれて帰った。招魂術でなんとかできるのに鎮魂術は使わないのが寺男師匠のポリシーだ。
「治療師だってなおせるのに、面倒だから安楽死なんていわないだろ」
そうかなぁ、と思うが丁寧に鎮魂術で消去しても少し残った悪霊のかけらが何かの火種になる恐れは残るため、鎮魂術は最終手段にしておうほうがいいらしい。これは通常の幽霊をいきなり鎮魂術でばらしても同じだ。
楊枝にしこまれていた術式は結構な複雑さだった。呪文魔術として行使でないわけではないが、時間もかかるし生命由来のなにかを媒体に相手の中央に流し込む必要がある。自分の手でもできるのだが、危険なのでやめたほうがいいといわれた。
「棒でもいいんですか? 」
「いいよ。でも使ったやつはこうしないと誰かがさわると危険」
寺男師匠は楊枝を火に投げ込んだ。炎になにかの断末魔がかすかに見えた気がする。
術式を毎回書くのは大変そうだと思ったら、はめ込みしきの持ち手を用意していて、突き刺す部分だけを燃やすようにしているのだという。
「今日の分は、面倒だったが間違いのないように用意したやつ」
テンパって、すっぽぬけたりしないかとかいろいろ心配して手間をかけたそうだ。
ありがとう。
こんなそんなで、一番の癒しが『穴』でコンラー領に戻っての代診だった。
帝都にいるあたしがしれっと戻っているのに誰も何も言わない。領主夫妻がそういうことをしたことがあるので、みんなそういう手段があるのだろうと察しているらしい。
「疲れた顔ね」
のほほんとあたしの土産のお菓子をつまんでいる狐草師匠に、愚痴をぶちまけるのになんの遠慮がいるだろうか。
行儀作法に、金持ちの悪ガキの診療に、いつはてることない招魂に、ごくたまにある心によくない鎮魂。若様ご夫妻も屋敷の人もそんな様子にやさしくしてくれるのがまたつらい。
「鎮魂術はくるよねぇ」
のほほんと言うが、師匠も経験者らしい。
「ひとつ術を教えましょう。魔力が潤沢でないとできないけど、あなたならできる。とりこぼしなく殲滅できる」
そういって師匠は使い魔の幽霊のカル様を呼び出した。エリ様の弟君で、元の領主、いい歳したそれが嬉しそうに飛んでくるのはどうだろう。
こう、といって彼女は寺男師匠の護身用のと同じ防壁でカル様をくるんだ。
「あの、私なにか粗相しましたか? 」
不安そうなカル様。
「この状態でしめあげて」
「やめて」
窮屈そうだ。
「ここに鎮魂の術式の媒体で触れて魔力を流せばとりこぼしなくつぶせるよ」
とんでもない大技だ。
解除されてカル様はほっとしている。彼はそのへん知ってるようだ。その術を行使するのを見たことがあるように思う。
「ごめんね、ありがとう」
狐草師匠は彼にふれると何かを少しながしこんだ。魔力だろう。
「いえいえお安いごようで」
いい歳の貴族が骨もらった犬みたいにするのはほんとどうかと思う。あとこれ全然お安くない。
「いきなりは無理だから次に機会があればかけらにためしてごらんなさい」
それと、と狐草師匠は寺男師匠のしてくれなかった説明を捕捉してくれる。
彼もそれはやれるのだが、悪霊が一つとは限らないので消耗の多い大技は使わず、余力を残したのだという。
「直に触れられたら終わりだからね」
簡単にやっつけたように見えたのは、入念な準備と慎重さのもたらしたもので、やはり悪霊はこわいものだということだ。
ここではそのへん教えたくても狐草師匠が処理してしまったので教える機会がないらしい。
よいことだが、不安でもある。だからあたしは帝都に送られた。
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