第3話 新しい生活
それから三ヶ月ほどたった。新しい部屋、あたらしい生活にやっとなれた。
ここの領主は女性で、エリ=エリウス=ユングファウスト=コンラーという。年齢はみただけではわからないが若すぎず、老けすぎずの女盛り。狐草師匠にたいしては母親代りだったという。これまた豪快な感じの大柄な美人だ。
そのご夫君は竜司=コンラー。エキゾチックな男性でこれも年齢は不肖だ。おふたりの間には成人して婚約もしているご令息があり、いまは帝都でくらしているらしい。コンラー領名産の酒の販売管理はこの人がやっている。書斎の中で書類の整理をしてるだけにしか見えないのに各地の事情にくわしく、売れる時期を予見して出荷させているのが失敗だったという話を聞かない。
コンラー領には要塞に隣接した本村、おもに醸造をやっているところを除けば三つの村がある。狐草師匠は二日に一回、順番にその村を回って診療をする。もちろんあたしもついていく。そのうち一人でやってもらうなどと言われて緊張ものだ。村の住人たちは全部で千五百人ほどいるが、だいぶ顔を覚えてきた。そんな人数、記憶にたよるネイ師匠では管理しきれないだろうが、狐草師匠はそれぞれの診療所に記録を残してあるので病歴など全部わかって便利だ。親兄弟のそれもたどれるようにしているらしく、なりやすい病気については事前に用心するよう警告もしている。
目から鱗だ。そしてあたしは読み書きがもっとちゃんとできるようにならなければならなかった。
診療の相手は村人だけではない。三つの村のうち漁村の診療にいくときは軍艦の兵士の面倒もみることになる。彼らは海上の警備を帝国から委託された軍人であるとともに、東西に一つづつある海港都市を結ぶ輸送業者である。船にいちいち治療師を乗せることもできないので、見込みのある船員数名に応急手当や栄養管理を教えるのも仕事のうちだ。こうしてみるとなかなかにいそがしい。そして若い船員たちは女が好きだ。キンポウゲと恋仲になったのもどうも船員の誰からしい。
「あの娘は賢い子だったけどちょっと情に流されやすいところがあってね」
そんな風に酔った狐草師匠からうちあけられたことがある。師匠的に許せなくなるだろうと思ったのは、もう若くないもののハンサムで親切でかわいいものには目のない彼女の夫に思いをつのらせているところがあったこと。キンポウゲの恋人がそれを察していて嫉妬していたこと。そのうちいろいろ手遅れになることが予見されたため、手をうちたかったそうだ。
師匠夫妻には子供が一人いる。五歳になるかわいらしい男の子で、いつも部屋で本をよんでいる。外にはあまりでない。彼の子守りもあたしの仕事だ。子守りというが、情けないことに読み書きの師匠は彼であったりする。えらく利発な子で、防御だけだがすでに簡単な魔法が使える。教えたのは竜司様らしい。彼のことをかたるとき、少年の目はきらきらかがやいていた。
師匠夫婦は次の子供がほしいのだが、忙しいのでなかなかそうはいかない。キンポウゲを手放さなければいけなくなったのは残念なことだ。
そのぶん、あたしに期待が集まってしまうのはどうもなかなかくるものがある。と、いうかもうそろそろ大丈夫だと言われて不安でいっぱいだ。
「大丈夫よ、あたしもあんたと同じくらいに師匠から一人前認定もらってるから」
いざとなったら、彼女の使い魔でもあるカル様が助けてくれるという。
びっくりするほど慣れてしまったことだが、ここには人ならぬ住人もいるのだ。カル様というのはエリ様の弟で、幽霊である。幽霊といっても超一流の魔導技師であるエリ様の手により魔核で存在を補強された使い魔で、主は狐草師匠。彼女が招魂師であることに目覚めたきっかけの人物だ。姉上ににてなかなか男前なのだが見た目の年齢があきらかにエリ様よりずいぶん上。エリ様本当は何歳だ。
カル様は気さくなおじさまで、元はここの領主であったそうだ。不幸なことにそのころの戦争で、コンラー領が海からの徹底的な砲撃で一度滅ぼされたときになくなったのだという。
「なんでさまよってるのかさえ忘れてあーとかうーとかいってうろついてたのを整えて正気に戻してくれたのが君の師匠だ。当時は君より少し若くてかわいかったぞ」
少々危ない感じがするのが玉にきずだが、総じて素敵な紳士だと思う。
ここには他にも人ならぬものがいる。幽霊は昔はもっといたらしいが、製法の絶えていた酒作りの継承が終わると成仏したそうだ。それ以外に今のこっているのは二人、いや一人と一つか。
一つはカマキリ君とよばれる大きなカマキリの使い魔。これは昔大賢人の塔の警備兼草刈りをやっていた生き残りだそうだ。竜司様の使い魔で、いまは要塞の庭の手入れや麦刈り、草刈りの手伝いをやっている。ごく自然に視界にはいってくるし、なぜか目があうので最初にあったときは思わず悲鳴をあげてしまった。もう一人は一見、人間の兵士のようだが死んだ体にエリ様の作った魔法生物をとりつかせ、故人の幽霊が組み込まれた生ける死者。今はシナズとよばれている彼はこれも狐草師匠の護衛だ。彼の意志でそうなったのだというが、知らずにいたら招魂師、死霊術というのが忌み嫌われるのようになるのもわかる気がする。
「なにいってんだい、俺だって同じだぜ」
肩にのったチャトラに言われる通りだ。かわいい猫か、不気味な生ける死人かの違いだ。
シナズさんは普段はコンラー領の街道側門につめている。話はほとんどしたことがないが、朴訥で善良そうな人物だ。腕や足がもげたり、頭を割られたくらいでは倒れず、数分で修復して戦い続けることができると聞いているがとてもそんな狂戦士には見えない。
目につかないだけで、エリ様の使い魔はまだまだたくさんいるらしい。とりあえず、師匠の代行はいるだけで心強いチャトラと、どこで知るのか博識なカル様のおかげでなんとかなりそうだ。
そういう見通しがついた途端、あたしの知る範囲の仲良し夫婦の一方が羽目をはずしだした。声のおすそわけをもらってしまう身としてはたまらない。厳重に抗議をさせてもらった。いわく、息子さんの教育によくない、睡眠不足になる、師匠に対する尊敬が薄らぐ、と場所と時間を考慮するよう申し入れたのだ。どうも汚物を見る目をしていたらしい。いつも前向きな狐草師匠がへこんでいた。
もう一組の仲良し夫婦、エリ様と竜司様が節制を保ちお互いに尊敬をもって接しているぶん、ちょっと師匠夫妻ははっちゃけすぎだ。
あっという間におなかの膨らんだ師匠にかわり、巡回と時に急患対応しながらさらに季節を三つほどすごした初夏。師匠は赤ちゃんを産んだ。双子の女の子だ。取り上げたのはあたし。既に難産で何度か呼ばれているし、前の村でも何度もたちあっているので慣れたものだ。おまけに今回は産婦がよくわかっていてあれこれ指示を出してくるからちょっと黙れと言ってしまったほどだ。
口を開く余力でちゃんといきんでほしいものである。
兄となった六歳は産着にくるまれた妹たちをきらきらした目で見ている。この子が妹たちにふりまわされる未来が見えるようだ。
元の村では、ネイ師匠は普段は薬を挽いているくらいでキンポウゲが取り仕切っているらしい、
いちど薬草の仕入れにこちらにきて、あちこち挨拶したりしていた。元の恋人ともきちんと別れの挨拶をしたらしい。彼女もあたしがわりとちゃんとやってるのを見て安心したらしい。師匠に抗議した話をきくとすごく愉快そうに笑った。同じ悩みがあったらしい。恋人を作ったのもそのせいじゃないかと憶測してしまう。あのときの子猫は育って今は元気にネズミをとってるそうだ。
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