第2話 母の亡霊

 そろそろ母の亡霊にあった時の事を話そう。

 魔力とものが近しいために、強い心残りがあった死者は自らの魔力を幽霊という形で残すことが知られている。そんなことを知ったのは後の話だ。このときは本当にびっくりした。

 母の幽霊はあたしの枕元にたって、悲しそうにあたしを見下ろしていた。そしてあたしのことをかわいそうとなげくのだ。

「おかあさん、あたしは大丈夫よ」

 このままいけば治療師としての腕は十分で、暮らして行くのに困る事はない。

 母にそう語りかけても首をふって悲しそうなままだ。

 どうすれば母の心をいやすことができるのだろう。それはそのときにはわからなかった。ただ、その日から以前は見えなかった幽霊が見えるようになったのだ。

 師匠には幽霊は見えてないようだ。幽霊はあたしが見えることがわかるらしい。さかんに語りかけてくる。でも、あの人たちの言う事は支離滅裂なことがおおく、なにがいいたいのかわからない。

 いらいらした。でも、幽霊は人に取り憑いて害をなすこともできる。話を聞くふりだけでもしないと怖い。

 ある日、話しかけてくる何人かの幽霊のうち一人が成仏した。まさか、治療で患者から病院、本当の患部を聞き出すための問診の技術が効果を持つとは思わなかった。彼女は最後には正気を取り戻し、自分の執心がなにか、それはもうなくなっているものだと気付いてすうっと霧散してしまった。お礼なのだろうか、彼女の魔力はあたしの中の引き継がれ、自分の力がましたように感じた。

 十三になるまでにさらに二人成仏させた。一人は同じように魔力をくれたが、もう一人は違うものをくれた。母のいたころから飼っていたネズミ取り用の猫、チャトラに一部を憑依させあたしと会話できるようにしたのだ。心配だから、その心残りをおいていったのだという。チャトラは気まぐれなところはかわらないが、あたしの話し相手であり、見張り程度だけどお手伝いをしてくれるようになった。使い魔とよぶのだというのは後で知った。

 それでも母の心残りだけはほどけていない。もう少し研鑽はいるが師匠の反応から察するにそろそろあたしは一人前ということらしい。母は何を心配しているのか。あたしの結婚なのか。それならまだ少しの間無理だし、村の小僧どもは図体ばかりの馬鹿が多くって嫌になる。小僧どもだけではない、大人の男たちもたいがいだ。女たちはあきらめの微笑みとため息をついている。

 あたしと幽霊のかかわりはチャトラの見張りもあって、ばれていないと思っていたがそれは間違いだった。そのことは師匠があたしをつれて泊まりがけで一日くらいでつく隣の領地につれていったときに知らされた。

 そこは海にむかって段々畑がひろがる絶景の地だった。高台には砲台を備えた要塞があり、眼下の小さな噴火湾にはこの領に所属する黒い軍艦が二隻係留されている。コンラー領というのだという。師匠の秘蔵の酒の銘柄と同じだ。

 この村の治療師は腕のいい招魂師でもあるという。あたしのやっていたことは招魂術、あるいは死霊術とよばれるものだったらしい。

「あれも癒しの技だということはわしも知っておる。だがあまりにも印象がよくない。それに、わしはあれについては何も教えてやれぬでな」

 幽霊と話すことは不吉であると思われているらしい。つまり、もう村にはおいておけないということだ。

 要塞の側の村で、あたしはこれからの師匠となる狐草師匠と、あたしと入れ替わりに村におもむくという彼女の弟子のキンポウゲに引き合わされた。キンポウゲはあたしより三つ年上で、ほくろが色っぽい人だった。たぶん、もう男を知っているのだろう。狐草師匠が彼女を手放す気になったのもどうもそのへんのようだ。引導は渡されているらしく、あきらめの表情をしていた。

 師匠二人はいろいろ話をしていたが、弟子同士は特に話すこともなく、これからくらす村がどんなところかの情報だけを交換した。

 あたしの産まれた村は半農半牧で治療師は時には家畜の面倒もみなければいけないと知らせると不安そうな顔をした。逆にこちらでは海で怪我をした面倒な傷の処置が多いと聞いてぞぞっとする。

 おたがいあんまり嬉しそうでもない。特にキンポウゲは一人前になった自覚があるようで弟子の交換ということに面白みを感じてないようだ。だが、うちの師匠は即戦力がきてくれれば自分が楽になると考えているふしがある。彼女が村になじんだあたりでおいだされなければいいのだけど。

 その夜は潮騒の音を聞きながら心地よく眠った。

 今度は狐草師匠と身の回りのものを全部まとめたキンポウゲがうちの村に来る晩だった。

 酒の出荷用だという馬車に彼女の家財をつんで村についたら、今度はあたしのものをつんでコンラー領にもどるのだという。御者は狐草師匠の夫で、領の執事だという人がつとめてくれた。

 この夫婦はそろそろ若いといえない年齢になっているが美男美女でちょっとうらやましい。おまけに仲が良さそうだ。二人仲良く座ってにこにこと話をしている。

 母の幽霊はあたしたちをまっていた。狐草師匠は彼女に会釈し、少しだけ話をした。

 彼女の旦那さんはうちの師匠に案内されて村長のところへ挨拶にでかけた。その間にあたしは自分の部屋の自分の荷物をまとめた。鞄二つにもなっていない。それと、チャトラもつれていかなければいけない。

 キンポウゲの荷物がいれかわりに運び込まれる。診療室や薬品棚の位置を教え、お勝手も案内した。

「薬草は買ってるの? 」

「森に取りに行くの。自生地を教えようか? 」

「お願いするわ」

 一回りして戻ると狐草師匠はまだ母の幽霊とぼそぼそ語り合っていた。母の表情に意志を感じておどろいた。彼女はあたしを見つけるとすうっとよってきて何も持てない手であたしを包み込んだ。

「愛してるわ」

 はっきり、母はそういった。あたたかいものが流れ込んできて気がつけばぼろぼろ涙をこぼしている。幽霊の見えないキンポウゲがびっくりして見ている。

 気がつくと母の姿はそこにはなかった。心の中に彼女の残したぬくもりがある、だが、やはりとてもとてもさびしかった。もう母には会えない。

「なぜ? 」

「あのひとは、あなたを預けられる人をさがしていたのよ」

 つまり、ネイ師匠は頼りなかったということか。

「それがあなた? 」

「責任重大ね」

 狐草師匠はやはり美人だ。はにかんだ様子がこんなに様になるなんて。

 ネイ師匠と狐草師匠の旦那さんがもどってきた。旦那さんは手に小さな袋をもっていてそれをうやうやしく妻にささげる。

 小さな赤い宝石がいくつかはいっていた。魔核というらしい。魔物化した鳥や動物からとれる魔力の源。いろいろな用途があるという。村の猟師がとりためていたのを買ったようだ。

 馬車は歩くより早いのであたしたちはコンラー領に戻ることになった。心細げなキンポウゲを狐草師匠がだきしめ、小さくなにかいう。彼女は真っ赤になって師匠にキスした。

「こりゃ、猫はおいていけ」

 チャトラもつれていこうとするのを見てネイ師匠が声を上げる。本人はあくびをしてぷいと尻をむけたのがすべてを物語っていた。

「この猫はもうこの娘の使い魔になっていますよ」

 狐草師匠の言葉にネイ師匠はぎょっとしたようだ。

「では、この子をおいていきましょう」

 旦那さんがふところから子猫を出した。

「村長のところに産まれていたのでもらってきました。キンポウゲ、君が育てるといい」

「わあ、かわいい」

 子供のようにはしゃぐ彼女の心細さがうまるといいな、と思った。

 子猫をこっそり連れて帰る気だった旦那さんは狐草師匠に説教されていた。

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