第2話

「いや~。それは大変だったねぇ。」


垂直に頭を下げたままの田所勇樹に男はそう言って肩を叩いた。


「いえ。この度は私の仕事の穴を社長が埋めてくださったと聞きました。大変申し訳ございませんでした。」


おそらく世界一仕事嫌いの社長、大沢幸雄に仕事を回してしまった。鬼か悪魔かと言わんばかりに怒鳴られると覚悟して社長室に入ってきたわけだが意外な反応に勇樹は驚いていた。


「それで弟さんの容態はどうなんだい?」


「実は、未だ精神的に不安定な状態でして・・・。お医者様のお話ではあと数週間は様子を見るべきだと・・・。」


「そうか。町のやぶ医者に見せておくのは心配だな。それなら私が行って弟さんを治してあげよう。」


勇樹は大沢の言っている意味が分からなかった。医者でもない社長が行って弟を治す・・・?冗談のつもりか?


勇樹が首をかしげている間に大沢はさっさと背広を手にかけ、かばんを手に持って用意を始める。


「ちょ、ちょっと待ってください。えっ?どういうことですか?」


「ん?どうもこうも弟さんを治してあげようと言っているんだ。何か問題でもあるのか?」


大沢はそう言って目を丸くして勇樹を見つめる。勇樹も同じように目を丸くして見つめ返した。


「あ~。そうか、そうか。私では弟さんを治すことは出来ないと思っているのか。」


「いえ。そういう訳ではないのですが・・・。」


どうやら冗談ではないようだ。勇樹の引きつった顔を見て大沢は大きくため息をついた。


「田所くん。我々の仕事はなんだい?」


(まぁ、社長は殆ど働いてませんが・・・。)と心の中で前置きをし、


「企業コンサルタントです。」


そう答えた。


「そうだね。しかし、財務状況や利益率、売上などの数字を読んで助言する経営コンサルタントとは違い、我々は心理学に基づき人材育成や新商品、店舗やイベント会場の助言をしている。つまりは、心理学のスペシャリストなわけだ。」


確かに心理学についてはそれなりに勉強もしているし、この会社に入って学んだことも多い。しかし、精神科に入院している弟の症状を改善させるのと我々の行っている経営心理学とでは分野が違う。


「私が仕事もろくにせずに社長室に籠りっきりなのは、なぜだかわかるかい?遊んでいるわけではない。常に心理学について勉強や研究をしているのだよ。私は心理学のプロ中のプロ!弟さんの症状などすぐに治せる。」


(どっからくる自身だよ。)と心の中で叫びながら勇樹は何とか社長をあきらめさせる言葉を探した。


その時、「失礼します。」という声と共に後ろの扉が開いた。立っていたのは立花律子。年齢も正式な入社日も田所勇樹と同じだが彼女は大学の4年間、この会社でアルバイトの経験がある為、勇樹の事実上先輩という立場だ。


「失礼ながら、扉の外でお話聞かせていただいておりました。社長、回りくどい言い方せずにはっきりと田所くんの弟さんの件について興味があるとおっしゃったらよろしいのでは?」


大沢は肩をすくめ蚊の鳴くような声で「あぁ。」と返事をした。


「実はね。社長、田所くんの弟さんの通っている野崎第二中学校の噂をどこからか聞き入れたらしいの。たぶんネットだけど。心霊現象でクラスメイト3名が亡くなったんでしょ。しかも、クラスのほとんどの生徒が心身に異常をきたしているって。その一人が田所くんの弟さんだと知って随分と興味を持ったらしく昨晩も遅くまで社長室に籠って何やら調べていたわ。」


眉間に皺を寄せる勇樹に「あっ。ごめん。弟さんが大変な時に不謹慎よね。でもね・・・」そういって頭を下げる律子の言葉を勇樹はさえぎった。


「いえ。実は、私も不思議に思っていたんです。中学生という年齢から霊の存在を信じやすいといったことはあるでしょうが、あの暴れようは普通ではありませんでした。まさに目の前に霊が見えているかのような怯え方でして。」


大沢はわざとらしく咳ばらいをした。


「だから私が治してあげようというのだよ。」


「興味があるだけでしょう。」


律子はそう言って勇樹に分厚い資料を手渡した。


「なんですかコレ?」


「田所くんが休んでいた間に社長があなたの代理を務めた玩具イベントの成果をまとめたもの。気になるでしょ。」


勇樹は、思わず「えっ。」と声を出した。売り上げ目標の250%の達成率となっている。もともと目標売上もかなり厳し目に設定したつもりだったのだが・・・。


「まぁ、社長も伊達に普段さぼっているわけじゃないってことね。あなたのイベント計画から社長が変更した点や手を加えた点もまとめておいたから勉強して。」


勇樹は黙って頭を下げた。


「社長も大口を叩くだけあって、それなりに心理学の知識は私も認めるところよ。弟さんの症状を治すことは出来なくても何か原因がわかるかもしれないわ。」


常に強気の上から目線。立花律子のこの態度はもはや尊敬に値する・・・。


「じゃ、さっそく弟さんのところに3人で向かいましょう。」


そういって律子は勇樹の背中を叩いた。


「あの、3人って・・・。もしかして立花さんも行くんですか?」


にやりと律子は笑う。


「仕事の事なら大丈夫。バルタン先輩に頼んでおいたから。」


どんな無茶ぶりでも「了解、了解」とピースサインで引き受けてしまうバルタン先輩。今頃、いつもの栄養ドリンクを片手に汗を掻きながらひとり走り回っているのだろう・・・。

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