終章

第33話 君と一緒なら

 夢を見ていた。


 それは八年前、アリアたちが訪ねて来たときのこと。そこではモンスターが村を襲って来ることはなく、村人たちは彼らを歓迎して宴を開いていた。


 何故かエイルは八年前の姿ではなく、今の姿だった。アリアがいて、アリアの仲間がいて。おかしなことにスティラまでがいた。


 だから、エイルはこれが夢なのだと分かった。


 夢の中ではスティラと手を繋いでいて、それを見たアリアたちがからかってくる。


「そういうんじゃないですから!」


 エイルは言い返したが、スティラは何も言わなかった。ただ嬉しそうに口元を緩めている。


 それを見て、エイルも笑みを浮かべた。


 そんなのスティラじゃない。


 だが、ここは夢の中。すべてが許される。


 今、アリアに想いを告げようとは思わなかった。夢の中だから意味がないというのも理由の一つだが、それだけではない。


 もう少しだけ。


 右手に伝わる温もりを感じていたいと思った。



*




 重い瞼を上げると、そこは村ではなかった。目が覚めてしまったのだ。エイルは残念に思う。上半身を起こそうとした途端、右腕に鋭い痛みが走った。


「急に動いちゃ駄目だよ」


 幼さを感じさせる容姿の女性がベッドに駆け寄った。丸顔で、ライトグリーンのポニーテールをピョンピョンと跳ねさせるその姿に見覚えがあった。


「フーリルさん?」


「あ、覚えてくれてたんだね。いやあ、驚いたよ。ラインボアにすら手こずってた君が、一ヶ月でアステリオスを倒すなんて」


 それを聞いた途端、映像が雪崩れ込んできた。思い出した。この手でアステリオスを倒したのだ。そしてすぐにハッとする。


「大丈夫。右手を見てご覧」


 右腕の先にスティラがいた。ベッドに縋りつくようにして寝ている。その手にはエイルの右手がしっかりと握られており、だからあんな夢を見ていたのかとエイルは納得した。


「足も治ってるからね。それにしても凄かったよ。決着の少し前に私たちは到着したんだけど、まさか倒すとは思わなかった。あのアステリオスはたぶん、フェーズⅢ相当のモンスターだったからね」


「フェーズ、Ⅲ?」


「そうだよ。最近、ここらで異変が起きてて、私たちはその調査に来てたんだよね。新種のモンスターが出たり、今までの行動範囲を超えてるモンスターがいたり。あの森の周辺が特におかしかったの。ここ数日アステリオスが現れてないって情報を得て、ラビュリントス洞窟に向かったんだよね。そしたらパワーアップして地下にいた。私たちが見た感じ、フェーズⅢに匹敵するポテンシャルはあったと思うよ」


 フーリルは頭を掻いて申し訳なさそうに笑う。


「最初に会ったとき、向いてないなんて言ってごめんね」


 エイルは首を横に振り、苦笑した。


「あのときは自分でも向いてないと思いましたから……」


「それにしても、君のスキルって限界突破だよね? 使えるのアリアさんだけかと思ってたからびっくりだよ」


「アリアさんを知ってるんですか?」


「知ってるも何も、あの人を知らない勇者なんていないよ? 唯一フェーズⅥに辿り着いた人だからね。勇者なら誰もが憧れる人だよ。今も、最前線で戦ってる」


 アリアは生きている。心の底から喜びが湧き上がった。そして、改めてアリアの凄さを思い知った。


 それに比べて自分はまだフェーズⅠになったばかりだ。そこまでの道のりが途方もなく思えた。


「じゃあ私そろそろ行くね。シェリーたちを待たせてるし。タイミングよく君が目覚めてくれてよかったよ」


 シェリーという名前を聞いてエイルの表情が曇る。途端に頬と腹部が疼いた。苦い記憶が蘇る。シェリーは苦手だ。


「そんな怖がらなくても……。あの戦いでシェリーも少しは君のことを見直したはずだよ。君の勇気を見て、ね」


 手を振りながら部屋を出て行ったフーリルは慌てた様子で戻って来て、扉の外から顔を覗かせた。


「その腕、治ってはいるけど痛みはしばらく残るかもしれないから、それは我慢してね。治癒魔法は傷を治せても傷をなかったことにするわけじゃない。君の身体にはしっかりとその傷が刻まれてるよ。治るからって限界突破を使いすぎると痛い目に遭うからね」


 言い終わるとフーリルは行ってしまった。今度こそ本当に帰ったようで、戻ってくる気配はなかった。


 静まり返った室内。エイルは深く息を吐き出した。


 この一ヶ月、目まぐるしい日々を送り、確実に前に進むことができた。だが、それは小さな一歩にすぎなかった。まだまだ全然足りない。遠すぎるゴール。さらに、その終着点は常に先へ進み続けている。このまま差が縮まることはないかもしれない。


 それでも会いたいと思うのは、過ぎた願いだろうか。


「ん、ん……」


 目を擦りながらスティラが顔を上げた。エイルと目が合った途端、表情がパッと明るくなり、次の瞬間には頬を染めた。白みがかった灰銀の瞳にいっぱいの涙を浮かべる。


 コロコロと変わる表情に、エイルは何だかおかしくなって噴き出した。


「な、何よ!」


「ううん。何でもない。おはよう、スティラ」


「どんだけ寝てんのよ馬鹿」


「え、何日?」


「丸々二日よ」


 その数字に驚きながらも、別の疑問が湧いた。


「もしかして、その間、ずっと手を握っててくれたの?」


「はっ、はっ? な、何馬鹿なこと言ってんのよ! 何で私があんたの手なんか握って――」


 スティラは繋がれている手を見てアワアワと顔を真っ赤にし、振り払おうとした。


 だが、エイルはその手を決して離さない。


「ちょ、ちょっと! 離しさないよ!」


「嫌だ」


「は?」


 意地でも離そうとあがくスティラの手に左手を添え、包み込む。


「な、何すんのよ!」


「覚えてる? 僕たち、手を繋ぐところから始まったよね。あのときはスティラが僕を助けてくれて」


 スティラは一瞬呆けてから、ああ、と声を漏らした。盛大なため息を吐いて呆れ顔を浮かべる。


「もちろん覚えてるわ。あのときのあんた、情けないったらありゃしない」


「うん、本当に。あのとき、スティラに出会えてよかった」


 スティラは視線を逸し、わずかに頬を染めた。


「本当にあんたって奴は平然と恥ずかしいことを口にするわね」


「そうかな?」


「ええ、そうよ。……けど、まあ、そのときよりは少しマシになったんじゃない?」


「ありがとう」


「け、けど、あんたなんて全然まだまだよ。……し、仕方ないから……わ、私が…………エ、エイル、と一緒にいてあげるわ。いい!? 仕方なくなんだからね!?」


 その言葉に、エイルは不思議なものを見るような顔で首を傾げた。


「な、な、な、何よ! い、嫌だって言うの!?」


 スティラは羞恥に震え、顔から火が出そうになる。


 そんな彼女に向けて柔和な笑みを浮かべ、エイルは首を振った。


「僕たち、もうパーティー組んでるじゃん」


「――そ、そんなことわかってるわよ! 馬鹿!」


 いつも通りのやり取り。その雰囲気を壊すように、ぎゅるるる、という大きな音が部屋に響いた。エイルの腹の虫が仰々しく鳴き声を上げたのだ。二日間何も口にしていなかったのだから、その騒ぎようも納得だった。


 スティラは嘆息しながらも、その口元にかすかな笑みを浮かべる。


 平和な、穏やかな日常。


 これから先に待ち受けているもののことを思うと、エイルは少し憂鬱な気分になった。


 ただ、スティラと一緒なら乗り越えられる。そんな気もしていた。


 とりあえず、遠い遠い未来のことは棚に上げて。


 エイルは心地の良い夢の続きを見ることにする。


「スティラ、ご飯奢って」

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