第29話 規格外

「じゃあ、ジョウズアントが異常な行動を起こしてたのは火を巣に投げ込まれたからじゃなくて、アステリオスが巣に入って来て自分たちを食べ始めたから?」


 そうだとするならば、すべてが繋がる。上にアステリオスがいなかった理由も。ジョウズアントが洞窟の正規ルートに雪崩込んだ理由も。


 ここはジョウズアントの巣だったのだ。ジョウズアントは迷路のような巣の中に一際大きな部屋を作る。そこは女王の寝床だ。この部屋がそれに当たるのだろうが、すでに女王はアステリオスの胃袋に収まっているのかもしれない。


 衝撃的な光景に三人とも足を止めた。


 登竜門という位置づけのモンスターであるアステリオス。だが、その逸脱した行動を前にしてエイルはとてもそんな風に思えなかった。得体の知れない恐怖がそこにはあった。


 ガシャリと、アステリオスのすぐ横で音が鳴った。金属のぶつかる音。それはラッセルの鎧から鳴ったものだ。


 こっそり逃げ出そうとしていた彼は立ててしまった音に身を竦め、怯えた表情でゆっくりとアステリオスを見上げた。


 赤い瞳が自分の姿を映している。瞬間、喉を引きつらせた。ラッセルは武器であるバトルアックスをアステリオス目掛けて投げつけ、自分は出口へと走った。


 だが、すぐにラッセルは地面に勢い良く転がった。足がもつれたのだと思ったラッセルは自らの足を見て絶句する。右足の膝から下が消えており、そこから赤い液体が噴水のように流れ出ていた。


 アステリオスはラッセルが投げたバトルアックスを手にしていた。その刃には血液がべったりと付着し、粘り気のある滴を地面へ垂らす。


 痛みと恐怖と、自身ですら分からない感情に呑み込まれ、ラッセルは発狂した。そのまま廃人と化すことができていたならどれだけ楽だっただろうか。


 アステリオスは青年の身体を掴むと、躊躇なくその腕を握り潰した。


 痛みでラッセルの意識が明瞭になる。狂うことも失神することも叶わない。目の前に広がる死をその瞳に焼きつけ、溢れる恐怖に思考のすべてを支配される。


 その身体を口元まで運んで、アステリオスは牙の揃った顎を大きく開く。鎧に構わず、アステリオスは勢いよく噛みついた。


「ああああああああああいやあああああああああああああ」


 ラッセルの悲鳴が部屋の中を反響し、すぐにそれはグロテスクな音へと変わる。金属がひしゃげる音。水が跳ねる音。砕ける音。引き千切られる音。潰す音。幾重もの音が彼の死を奏でた。


「ほんっとーにつかえねーやつ」


 パーティーの最後の一人となったグレイブは舌打ちし、ただその一言で仲間の死を片づけた。


 アステリオスはひしゃげた赤い金属塊を吐き捨て、エイルたちの方へ顔を向けた。鮮血を口から垂らし、次の獲物へと狙いを定める。


「攻撃魔法を使うわ! 時間を稼いで」


「何仕切ってんだっつーの。あんなん雑魚だろうが」


 グレイブは瓦礫を跳び渡り、速度を緩めることなくアステリオスへ突撃する。


「馬鹿なの!? あんなの普通なわけないでしょ! あんたも早く行って。時間を稼ぐだけでいいわ」


 スティラはエイルから離れ、地べたに座り込んだ。メイスは落下の際に落としてしまったようで、身体の支えになるようなものは何も無い。


 座る際に顔を歪めた彼女の姿を痛ましく思いながらも、エイルは抜剣する。本心を言えば時間稼ぎとはいえ、見るからに危険そうなアステリオスに近づきたくはない。だが、焦りの浮かぶスティラの表情を見れば、そんなことを言っていられなかった。


「我が名の下に命ず――」


 スティラが詠唱を始めると同時、エイルもグレイブの後を追う。


 グレイブは既にアステリオスとの交戦を始めていた。


 アステリオスの巨躯の前ではその手に握られたバトルアックスは子供だましにしか見えない。だが、一度それが振るわれれば地面を穿つほどの凶器となる。


 グレイブは振り下ろされた大斧を剣で受けた。剣先を下に傾け、火花を散らしながらその一撃を受け流す。大斧はその勢いのまま地面を穿ち、深く突き刺さった。


 大きく生まれた隙。だが、グレイブはそれを活かすことができない。


 並々ならぬ膂力から生み出された衝撃は、そう易々と受け流せるものではない。グレイブの足は柔らかな地面に沈み込み、衝撃を殺し切るまでに時間を要した。ようやく動けるようになった頃にはアステリオスも次撃の準備が整っている。


「移し継がれし燈火は、燃え広がりて大火となり、命を燃やして業火となれ――」


 グレイブは後ろへ飛び退き、アステリオスを牽制する。


 だが、アステリオスはその距離を一歩で詰めた。


 予想外の速度にグレイブは反応が遅れる。横薙ぎに振るわれたバトルアックスをグレイブは先ほどと同様に受け流そうと咄嗟に剣先を下に構える。上に受け流そうとしたのだが、横からの攻撃を上に流す場合、その構えでは流すのではなく弾かなければならない。当然、そのためには相当の力が必要となる。


 刃が打ち合うと同時、グレイブは自らの力負けを悟った。固めた手首が簡単に崩される。


 瞬間、金属が弾ける乾いた音が鳴り響く。アステリオスの斧が空気を巻き込みながらグレイブの頭上を駆け抜けた。


「てめえ、なんで助けた」


「ただの時間稼ぎだよ」


 間一髪のところでエイルが間に合い、アステリオスの大斧を叩き飛ばしたのだ。そのおかげでグレイブは命を拾った。


「万物は灰となれ。灰は土となれ。流転せよ、原初の炎」


 スティラの足元に構成された魔法陣が輝きを増す。それは水晶の光よりも強く、部屋の中を照らし出す。


「詠唱終わったわ! 下がって!」


 その声にエイルたちは背を向けて駆け出した。


 二人を追いかけようとしたアステリオスは立ち止まり、突如方向を変えた。魔法の詠唱を終えたスティラ目掛け、その強靭な足を爆発させるように踏み込む。それは砲弾の如く、スティラへ一直線に飛び出した。


「解放――流転する炎イグニア・フルウンス


 アステリオスが届くよりも早く、スティラは組み上げた魔法を解き放つ。


 それは爆発にも似た現象だった。アステリオスの足元にスティラのものと同じ模様の魔法陣が出現し、そこから火柱が噴き出した。幾つかの火柱が激しくぶつかり合い、火の粉を散らして一本の業火を無理矢理に作り出す。それは暴力的な魔法だった。決して規則的な一つの流れに沿うことはなく、互いに反発し合い、その破壊力を増していく。


 炎はアステリオスの身を包むだけにとどまらなかった。無数に散らばるジョウズアントの死骸。その体液は可燃性だ。飛び火によって瞬く間に燃え広がり、大爆発が空気を震わせた。


 熱せられた空気がアステリオスを中心に周囲に吹き荒れる。三人は抵抗する間もなく吹き飛ばされた。


 大きな瓦礫に背中を打ちつけ、エイルの肺から空気が押し出される。身体の芯を突き抜けるような痛みと抗いようのない窒息の苦しみに悶え、地面に這いつくばった。


 頭が破裂しそうな圧迫感を覚え、逃れるために音が鳴るほど強く呼吸を繰り返す。ようやく安定し、立ち上がれる程度には回復した頃。エイルは信じられない光景を目にした。


 視界いっぱいに広がる赤色。焦げた臭いが充満し、熱で肌が焼けるようにピリピリと痛む。もはや生きている者などいない。そう思わせるほどの地獄絵図。


 その中心で立ち尽くしていた巨躯がその腕にあるバトルアックスを薙ぎ払った。空気を切ると言うよりは叩くと言った方が近い。大きな低い音が唸りを上げ、先ほどの爆発よりも強い風が鎌鼬のように吹き荒れた。


 煌々と部屋全体を照らし出していた燃えさかる炎が消失し、再び静謐な青白い世界が戻った。


 身体中に火傷を負い、ただれた皮膚からは赤い血が流れ出す。それでもアステリオスは倒れることはない。その健在を示すように雄叫びを上げた。


 空気を揺らすその音はエイルの心を震わせた。


 恐怖。


 エイルは先ほどよりも明確に、そのモンスターに恐れを抱いた。今まで戦ってきたモンスターとは格が違うことを肌で感じる。部屋にはまだ熱気が残っているはずなのに、全身が冷え切っていく。


 これが登竜門だと言うのなら。


 きっとこの世界に、勇者など存在しない。


「嘘……でしょ」


 エイルのすぐ近くでスティラは言葉を失った。仰向けになったまま身体を起こすこともできず、顔だけを横に傾けてその脅威を瞳に映す。


 スティラが現在使用できる最大の攻撃魔法。それを受けてなお、アステリオスは立っている。それどころか大打撃にすらなっていない。


 いくら大気中のリソースが少なく、通常よりも威力が劣るとはいえ、本来のアステリオスの性能であれば一撃の下に灰となるはずだった。


 規格外の強さ。それは絶望の色を濃くするには十分すぎた。


 そんなエイルたちにさらなる恐怖を与えるように、アステリオスは迷うことなくスティラの方へ足を踏み出す。


 致命傷にならなかったとはいえ、モンスターにとって魔法使いが一番の脅威であることに変わりはない。最初はエイルたちを相手取っていたアステリオスだが、今度はモンスターのセオリー通りにスティラへと狙いを定めた。


 スティラは身体中で悲鳴を上げる痛みに歯を食いしばり、這って逃げようとする。だが、スティラが身体を引きずるよりもアステリオスの歩みの方が圧倒的に速い。


 このままではスティラが殺される。ラッセルのように食われ、無残な死を遂げる。


 そのシーンを想像してしまい、エイルは剣を握りしめた。身体に鞭を打って飛び出す。焼けて脆くなった瓦礫に構わず一直線にアステリオスへ駆け抜けた。


 それに応じるようにアステリオスは立ち止まり、斧を構えた。


 両者の距離が縮まり、互いの間合いに入ると同時――刃が交差する。


 アステリオスの強烈な一撃。エイルは真っ向から受けずに側面を弾いて軌道を逸し、再び剣を振るう。


 そうして両者の打ち合いが始まった。火花を散らし、幾重もの閃光が弧を描く。


 一撃一撃が重かった。まともに刃を交えれば持って行かれる。そのせいで防御に徹しなければならず、なかなか攻撃に転じることができない。


 最初は均衡しているかに見えた攻防は次第に傾き始めた。


 エイルは攻撃をいなしながら一歩下がる。それを歯切りに少しずつ後退を余儀なくされた。腕が痺れ始め、感覚が鈍る。危うく剣を取り落としそうになって、ついに弾くのを止めて大きく後ろに下がった。


 駄目だ、と。エイルはもう一歩下がりそうになった足を踏みとどまる。退けばその分だけスティラとの距離が縮まってしまう。


 そのとき、エイルの視界の隅で影が跳んだ。


 ロングソードを後ろいっぱいに振りかぶったグレイブがアステリオスの斜め後方から攻撃を仕掛ける。


 それが人間だったなら、死角からの攻撃となって致命傷を与えることができたかもしれない。だが、アステリオスの頭部は人間のそれではなく牛のもの。牛の視野は三三〇度と言われている。


 つまり、アステリオスはほぼ真後ろからの攻撃以外は見えている。


 アステリオスは身を翻してロングソードの剣身を掴んだ。グレイブはその手から引き抜こうともがくがびくともしない。


「なっ、嘘だ――」


 アステリオスは自らの皮膚が切れることも厭わず握りしめると、力任せに振り回して地面に投げつけた。


 間一髪のところで柄から手を離したグレイブは、宙に弧を描いて腐植土の柔らかな地面に背を打ちつけた。その近くに叩きつけられた剣が転がる。


「いってええなクソが!」


 グレイブは怒りをむき出しにして剣を拾い上げる。エイルを睨みつけ、舌を打った。


「おいてめえ。協力しろ」


「何か策があるの?」


「お前が突っ込んで囮になれ。その隙に俺が殺す」


「え、それ上手くいくの? というか、逆がいいんだけど……」


「うるせえ。つべこべ言ってんじゃねえ。てめえの方が小手先の防御は得意だろうが」


 言い方は気に障ったが、確かに自分の方が適任だとエイルは思った。大柄なグレイブは力はあるものの動きが悪い。それに比べてエイルは力が弱いが、アステリオスの攻撃を的確に打ち払うことのできる目と反射がある。


 よし、とエイルが踏み出そうとした瞬間、背中に衝撃を受けて身体が傾いた。


「えっ」


 バランスを崩して倒れ込みながら後ろを振り返る。そこには歪んだ笑みを浮かべるグレイブの顔があった。濁った瞳に嘲りの光が漂う。エイルは自分がハメられたことを知った。


「俺のために死ね、囮」


 倒れてすぐ、頭上に重圧を感じて顔を上げる。


 アステリオスの巨躯が圧倒的な存在感を放ち、その腕が振り上げられた。バトルアックスが血を求め、その刃で轟音を鳴らす。


 高らかな金属音が弾け、へし折れた長剣とともにグレイブの身体が遥か後方へと叩き飛ばされた。地面を削り、瓦礫を砕き、自らの身体を壊していく。止まる頃には血だるまになっていた。四肢の骨は粉々に砕け、動くことすらままならない大怪我。折れた肋が内蔵に突き刺さり、激痛とともに血液が食道を逆流する。


 エイルはその姿を目で追ってしまったが、すぐに気を取り直して立ち上がる。頭上に迫っていたアステリオスの攻撃を弾いた。


 アステリオスが何を思って眼下にいたエイルではなく、グレイブを狙ったのかは窺い知れない。だが、おかげで命拾いをした。


 ただ、グレイブに対する感謝の気持ちなど露ほどもなければ、憐れむ気持ちもない。自業自得だ。


 それよりも今はアステリオスを抑える事に専念しなければならない。エイルは気持ちを切り替え、ブロードソードを握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る