第27話 人質

 周囲にジョウズアントがいないことを確かめてからスティラを呼ぶと、彼女はこの場所こそが最奥の部屋だと言った。


「ここにアステリオスがいるわ。無事に辿り着けたわね」


「何度も死にかけたけどね」


「重要なのは結果よ」


「まだアステリオス倒してないよ?」


「本当にグチグチうるさいわね! 倒せばいいんでしょ、倒せば!」


 先行して穴から出ていくスティラの後を慌ててエイルが追いかける。


 部屋にはあちこちにジョウズアントの死骸が転がっていて、先客がいることは明らかだった。


 スティラの足が鈍り、立ち止まる。エイルが横に並ぶと、エイルの後ろに隠れるようにして一歩下がった。


「あ? てめーらまだ生きてたのか?」


 ロングソードについた白い液体を払いながら、グレイブが歪んだ笑みを浮かべる。残りの二人もすぐ側にいた。彼らは部屋の中心にいる。


 先を越されたとスティラが悔しそうに呟いた。


「もうアステリオスを倒したんですか?」


「あ? これからだよ。出るのを待ってんの。わかったらどっか行け。邪魔だ」


 苛立たしげにグレイブは言い、周囲を見回す。アステリオスの姿はどこにもない。彼らよりも先に来た誰かがアステリオスを倒したのだろう。


「帰りましょ。アステリオスは復活までに結構時間が掛かるの。あのクズどもの後となると日が暮れるわ。灯りを持って来てないし、夜の森は危険よ」


 斜め後ろから聞こえる囁き声に、エイルは頷いた。


「おい、スティラ。俺らのパーティーに戻って来るってんなら、一緒に倒させてやってもいいぜ」


 青年は厭らしい目つきでスティラの全身を舐め回す。


 スティラは湧き上がる嫌悪に身震いしてエイルに身を寄せた。


「誰があんたたちみたいなクズと組むもんですか! 下心丸出しじゃない」


「このアマ、調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 グレイブの怒鳴り声に、スティラは身をビクリと震わせる。さらに身を寄せてスティラは小さな声で言った


「……あんた、あいつがこっち来たら殺して」


「え……僕がやるの?」


「あんたの方があいつより強いから大丈夫よ」


 その声が聞こえたのか、グレイブは高らかな笑い声を上げた。服の袖を捲し上げ、左腕を露出させる。現れたのは赤い一本の線だった。


「俺ら全員フェーズⅠなんだわ。その甲の点――てめえはノン・フェーズだろ? さっきは油断したが、今度は必ず殺すからな」


 個人差はあれど、フェーズ・シフトによって身体能力も強化される。そのため、基本的にはフェーズが異なる者同士で戦えばフェーズが上の方が有利になる。実際は個々人の技術や経験にもよるため、能力の差を埋めることができればその限りではない。


 グレイブとエイルがやり合った際には、フェーズ間を埋めるだけのものがエイルにあった。レイノガルトによって鍛えられた動体視力と反射。その差がエイルを有利に立たせている。


 ただ、そうは言ってもフェーズⅠの三人を同時に相手取るとなると一気に分が悪くなる。そもそも一対一の戦いしか経験のないエイルが一対多を戦い抜けるはずもない。


 圧倒的不利。逃げる以外の選択肢などありはしない。


 スティラも同意見だったようで、二人は視線を交わして示し合わせた。


「おっと、逃がすと思ってんのか? ちょうどいい。牛野郎が現れるまでの間、てめえらで遊んでやる」


 一斉に走り出す二人に、グレイブたち三人が追いすがる。


 ここで、エイルたちは致命的なミスを犯した。当然のことながら二人はこの部屋の入り口の方へ逃げた。そこから通路を戻り、外へ出るつもりだった。


 しかし、二人は忘れていた。通路には群れをなしたジョウズアントがいることを。


 地鳴りのような音が迫り、入り口から大量のジョウズアントが雪崩れ込んだ。その黒波は部屋の床を埋め尽くすようにして二人に向かって押し寄せる。


 エイルたちは何の迷いもなく踵を返して逆方向――グレイブたちの方へ走った。


 彼らも馬鹿ではない。これだけ大量に迫るモンスターを前に、私怨を優先させはしなかった。彼らも同様に逆方向へと走り出す。


 広い部屋だが、出口は正規の出入り口とエイルたちが出てきたジョウズアントの巣しかない。正規の出入り口が塞がれた今、ジョウズアントの巣が唯一の逃走経路だったが、モンスターの進行が予想外に早く、すぐにその道は断たれた。


 部屋の隅へと追いやられていく五人。グレイブたちは追いついたエイルたちに武器を向けた。


「てめーらこっち来んじゃねえ!」


「しょうがないじゃない! こっちしか空いてないのよ!」


「知らねーよ! おい、そこの生意気な剣士! あのゴミども皆殺しにして来い! そしたらスティラを助けてやる」


「えー、無理でしょ……。スティラ、魔法でやっつけてよ」


「ここはリソースが足りなすぎて無理よ。せいぜい治癒魔法くらいしか使えないわ」


「相変わらず使えねえな」


「うるさいわね! じゃあ、あんたがそのご立派な剣で倒してきな――」


 口論はスティラの喉元に突きつけられたロングソードによって強制的に打ち切られた。


「ほら、剣士。スティラが死んでもいいのか?」


「あんたって奴は……」


 エイルはそれを見て、ブロードソードを鞘から引き抜いた。金属の擦れる澄んだ音が、雑踏の中で凛とした存在感を放つ。スティラたちに背を向け、迫りくるジョウズアントの群れを見据えた。


「よかったなあスティラ。てめえの王子様はその身を賭して守ってくれるみたいだぜ」


「あんた馬鹿なの? そんなの死にに行くようなもんじゃない!」


「うん。けど、行かないとスティラの首が刎ねられるから」


「はっはっは! こりゃあいいぜ。カッコイイなあ糞野郎!」


 エイルは力強く地を蹴った。体中が震えて、呼吸がうまくできているか怪しい。それでも、足は止まらない。止められない。


 レイノガルトの言葉が脳裏をよぎる。確かに下策かもしれない。だが、スティラを助ける方法はこれしかないのだから仕方が無い。もっとも、死ぬつもりは毛頭無かった。


 黒の軍勢の先頭。突出している一体に間もなく接触する。


 そのとき、後方から悲鳴が響いた。


「ちょっと! 何すんのよ!」


 グレイブたちがスティラを囲い、その身体を弄っていた。嫌がるスティラを力で押さえつけ、彼らは自らの欲望に身を委ねる。


「へっ、どうせ死ぬんだ! 最後にいい思いさせろよ!」


「触んな! いや! やめて!」


 一段と大きな声が響いた。


 エイルは右足で急ブレーキをかけて止まると同時、弾かれるようにして引き返す。背後に肉薄する強靭な顎など気にも止めず、スティラの下へと急いだ。


 スティラがエイルへ向けて手を伸ばす。


 その頬には涙が零れていた。


 早く。もっと早く。逸る思いに身体がついていかない。酷くもどかしかった。


 背後に迫るジョウズアントの鋭く尖った顎が、エイルの背中を捉えようと左右に大きく開かれる。


「ダメ! 避けて!」


 スティラの叫び声に、エイルは後ろを振り返った。


 死が目の前に迫っていた。

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