第26話 火

 進むに連れ、ますます煙が濃くなっていった。もうほとんど前が見えない。呼吸が苦しくなり始めた。臭いも強くなり、息を大きく吸い込むと咳き込んだ。


「これじゃ前から敵が来てもわかんないよ」


「大丈夫よ。私の予想が正しければ、前から敵は来ないわ」


「何で自信満々に言えるの? 外れたらどうするの?」


「ぐだぐだうるさいわね! そんときはそんときよ! 男ならもっとドシッと構えときなさい!」


 胸を思い切り叩かれ、エイルは今すぐ投げ出したい気持ちに駆られつつも寸でのところで踏みとどまる。命のかかっていない状況であったならば間違いなくスティラを放り捨てていただろう。


 さらに進むと横の通路に赤い光が見えた。音を立てて火を上げるそれは、ジョウズアントの死骸のように見える。


「やっぱりね」


「どういうこと?」


「ジョウズアントの体液って可燃性でよく燃えるのよ。たぶんあのクソどもが倒したジョウズアントを燃やして巣の中に放り込んだんだわ。モンスターは火を嫌う傾向にあるから、それで巣の中が大騒ぎになって外に逃げ出して、あんなことになってたってわけ」


 いつも口の悪いスティラだが、クソどもという汚い言葉を聞くのは初めてだった。どれほどあの青年たちを憎んでいるかが窺い知れる。


 ただ、エイルには彼らがこんなことをする理由が分からなかった。一歩間違えれば自分たちの命も危ういというのに。


「馬鹿なの? 決まってるじゃない」


 エイルが不思議そうな顔をしていることに気づいたのだろう。スティラは咳き込みながら先を続けた。


「私とあんたを殺すためよ」


「な、なんでそんなことを?」


 煙に目も喉もやられ始めたため、二人はとりあえずその場を離れる。


「気に入らなかったんでしょ。生き残ってた私のことも。返り討ちにしたあんたのことも」


 たったあれだけのことで。しかも向こうが悪いにも関わらず、こんなことをする人間がいるという事実にエイルは驚愕した。


 勇者を目指す人間というのは正義心の強い人ばかりだという勝手な思い込みがあったのだ。だから彼らの行動が信じられなかった。そう思うのは、初めて出会った勇者がアリアだったせいだろう。


「ときどきいるのよ。人の命を何とも思ってない奴が。特にカイアフロト周辺はね。勇者登録に審査なんてないから誰でもなれる。たとえそれが人間のクズでもね。ただ、フェーズ上位者にそういうクズは少ないそうよ。それはそうよね。上に行くには腕っ節の強さだけじゃ足りないもの」


 勇者になったばかりの者が多いこの辺りでは陰ながら新人潰しが行われることもあった。彼らの卑劣なやり口は実に単純だが、カイアフロトの実情も相まって非常に効果的だった。


 まず、何も知らない新人に親切顔で近づき、パーティーに勧誘する。新人はパーティーに誘われることが少ないため、彼らは目の前に現れた天使のような存在に感激し、尻尾を振ってついていく。わざと難易度の高い場所へ行き、窮地に陥れば新人を囮にして自分たちが生き残る。そのときに窮地に陥らなければ、また次の機会だ。


 先ほどの青年たちは街で有名な極悪パーティーだった。ロングソードの青年――グレイブがリーダーで、スピアとアックスがそれぞれニードとラッセルだ。グレイブたちはこれまで何人もの新人を犠牲にしてきた。他人の命など埃ほどの価値にも思っておらず、素行も悪い。もう何年もこの辺りで悪事を働いていた。


 スティラが彼らのパーティーに誘われたのは悪行が知られる以前だったが、今では広く知れ渡り、彼らの毒牙にかかる者は減っていた。


 それでも被害が無くなることはなかった。先ほどの火事のように別のやり方で他人を陥れるからだ。人目につかない場所であれば、どうとでも言い逃れできる。


「なんか、ムカついてきた」


「奇遇ね。私もよ。さっきあんたがぶっ飛ばしてくれて、少しだけすっきりしたわ。ありがと」


 スティラは口元を綻ばせる。それはいつもの勝ち気な笑顔ではなくて、年相応のものだった。


 初めてお礼を言われたことよりもその笑顔に意識を奪われ、エイルは思った通りのことを口にしてしまう。


「そんな可愛い顔できるんだね」


「っ、は? か、かわ……ば、馬鹿じゃないの!」


「えー、さっきの顔してよ」


「うるさい! ニヤニヤすんな!」


 通路の先に出口が見えて、スティラは無理やりに降りた。


 エイルとしては離すつもりはなかったのだが、がむしゃらに暴れられ、頬を強く打たれた拍子にうっかり離してしまった。


「もういいの? お姫様抱っこ」


「うるさい馬鹿! 置いてくわよ!」


 頬を真っ赤にしてスティラは出口へと走り出す。出口付近まで行ったところで彼女は立ち止まり、振り返った。まだ仄かに赤いまま、エイルを睨みつける。


「早く!」


「うん!」


 走り出そうとしたエイルの視界に嫌なものが映った。スティラの後方。出口から入ってくるモノがいる。


「スティラ、後ろ!」


「え?」


 弾かれるように振り返ったスティラ。その瞳に映る黒蟻を前にして後ずさろうとし、何もないところで躓いた。尻もちをついた痛みを感じる間もなく、目前に迫る恐怖に喉を引きつらせる。


 エイルは剣を抜きながら走るが、到底間に合わない。ならばと、ジョウズアント目掛けて剣を投げつけた。


 風切り音を上げ、剣はジョウズアントの背中に突き刺さる。だが、それは致命傷とはいかなかった。


 ジョウズアントは標的をエイルに変えることなく、その傷を無視してスティラへ迫る。


「いやあああ」


 スティラは恐怖に目を瞑り、叫び声を上げながら手に持っていたメイスを出鱈目に振り上げる。図らずもその一撃はジョウズアントの頭部へ炸裂した。


 ぐらりと揺らいだジョウズアントだったが、その顎は変わらずスティラに向けて下ろされた。スティラの両脇に顎が突き刺さる。それが中心へと閉じられれば、スティラは腹部から真っ二つに潰されるだろう。


 悲鳴とともにメイスを投げつけ、両腕で顔を覆う。それは反撃でも防御でもなく、ただの逃避行動だった。


 だが、ジョウズアントは一向にその顎を閉じようとしない。


 すぐに駆けつけたエイルは、スティラの身体を引っ張って助け出した。その間、モンスターは身じろぎ一つしなかった。


 二人してその奇妙な状況に戸惑っていたが、やがてスティラが声をあげた。


「気絶、してるみたい」


 ああ、とエイルは手を打った。スティラの悪あがきによる一撃がジョウズアントの脳を揺らして気絶させたのだ。


「ラッキーだったね」


「ふんっ。計算通りよ!」


 それはただ単に運が良かっただけ。実力でも何でもない。だが、勇者にとって運というのは非常に重要視されている。生死が運によって決まることも多々あり、生き残っていく上で勝負強さや幸運は必要不可欠なものだ。


「はいはい」


「ちょっと! 何呆れてんのよ!」


 エイルはジョウズアントの背中から剣を引き抜き、目覚めないうちにその頭を切り落とした。同じことが起きると困るため、スティラをその場に残してエイル一人で出口から外の様子を窺う。


 そこは拓けた空間だった。石畳の地面に柱が四つ。高い天井の中心から特別大きな水晶が下に突き出ていて、それが空間全体を照らし出していた。


 明らかに異質な部屋。

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