第25話 大量発生

 追いかけようとしたところでスティラが戻ってきた。それも全速力で。


 不思議に思っていると、彼女はエイルの横を通り過ぎて行ってしまう。


「え? ちょっと!」


 置いていくなと言ったくせに自分は置いていくのか。戸惑いの表情を浮かべていたエイルだが、スティラが走ってきた方向から聞こえてくる地響きのような音に、その理由を知った。


「嘘でしょ……」


 やって来たのは大量の黒い塊。まるで黒い波が押し寄せてくるかのようなその光景は、数え切れないほどのジョウズアントによって作られた死の洪水だった。


 エイルは急いでスティラの後を追いかける。すぐにその背中が見え、追い越した。


 スティラは運動神経がいい方ではなく、足もそれほど速くはない。加えて、プレートとメイスを持っているため、いつもより遅い上に体力の消耗が激しい。


「ちょっと! 置いてくんじゃ、ないわよ!」


 すでにヘロヘロになっているスティラは恨めしそうに大声で叫んだ。


「置いてったのはスティラの方だろ?」


「あんたの方が足速いんだから別にいいじゃない! ねえ、もっとゆっくり走りなさいよ!」


「そしたら追いつかれるでしょ!」


「馬鹿なの!? そしたら私が死ぬじゃない!」


「ああ、もう! わかったよ!」


 エイルは足を止め、追いついて来たスティラの身体を抱き上げる。所謂、お姫様抱っこというやつだ。


「ひゃっ! 何すんのよ! 降ろしなさいよ!」


「降ろしたら死ぬよ?」


「絶対に降ろすんじゃないわよ!」


 小柄な割に意外と重いと感じたエイルだったが、それは武具のせいだということにして発言は控えた。女性に対して年齢と体重と胸の大きさは禁句だと、レイノガルトから教えを受けている。


 スティラを抱いて走ってもジョウズアントの軍勢に追いつかれることはなかった。だが、事態は絶体絶命の急展開を迎える。


 前方からもジョウズアントが殺到したのだ。


 一本道で前後からモンスターの群れ。一方に突っ込んだとしても数で圧殺されるのがオチだ。


 この状況を打開する方法はたった一つしかない。ただ、それは今を凌ぐためのものでしかなく、必ずしも助かるとは限らない。場合によってはさらなる窮地に陥ることになるかもしれない。


 エイルの視線に気づいて、スティラは首が取れそうな勢いで首を横に振った。


「嫌よ! 絶対に嫌よ!」


「けど、もうこれしかないから」


「何とかしなさいよ!」


 断固拒否する姿勢を崩さないスティラに、エイルは苦笑するしかなかった。


 それでも、時間は待ってくれない。


 幸いにもスティラの身体はエイルが抱きかかえているため、行動の最終決定権はエイルにある。


 死ぬのと後で怒られるのとでは選ぶまでもない。


「ごめん!」


 目尻に涙を浮かべたスティラの大きな瞳が見開かれ、がむしゃらに暴れ始めた。顎に小さな拳が当たり、苛立ちで投げ捨てようかと思ってしまった。何とかそれを思い止まって、逃げられないようにしっかり抱きしめる。そして、ぽっかりと暗闇を覗かせる横穴へ迷わず飛び込んだ。


「いやあああああああ」


「うわあああああああ」


 二人の絶叫が響き渡る。後方で弾けた衝突音がどんどん遠ざかっていった。


 穴は急な傾斜になっていて、エイルは背中を擦りながら速度を上げて滑り降りていく。足でブレーキをかけようとしてもまったく速度が落ちない。


 ようやく止まった頃には背中をすべて削り取られたような痛みに襲われた。


「もう無理……痛すぎ……」


「馬鹿! 早く走りなさいよ! 後ろから来るわよ! 馬鹿!」


 涙声でなじられ、エイルも泣きそうになりながら立ち上がる。後方から何かが滑り落ちてくる音が聞こえ、すぐさま走り出した。


 ジョウズアントの巣内の通路は意外に広く、三人くらいなら並べるほど幅がある。通路にはいくつもの分かれ道が存在していた。ここにも水晶があり、ラビュリントス洞窟正規通路のよりも光量が多い。そのおかげでずっと先まで様子が見えた。


「男でしょ! 泣くんじゃないわよ! 泣きたいのは私の方よ!」


「スティラもう泣いてるじゃん!」


「な、泣いてないわよ! 仕方ないでしょ! トラウマなのよ! 絶対離すんじゃないわよ!」


 首に回された腕の力がより一層強められ、呼吸が苦しくなる。度々、スティラの持っているメイスが背中にぶつかって鋭い痛みが走った。


「苦しい! 痛い!」


「我慢しなさいよ!」


「無理! ねえ、背中ある? 無くなってない?」


「ああ、もう! うるさいわね! わかったわよ! わかったからもっと速く走って! もう見えるところまで追ってきてるわよ!」


 エイルは振り返らず、目に留まった横通路へ入った。さらに近くのを折れる。その間に治癒魔法をかけてもらい、背中から痛みが消えた。


「駄目ね。ここら辺はリソースが少なくて魔法の効果も下がってる」


「とりあえず痛くなくなったから大丈夫だよ」


 そのまま走っていると、スティラはハッとしてエイルの胸を叩いた。


「馬鹿! 方向を考えなさいよ! 入り口の方の出口に行くの!」


「え? 入り口? 出口?」


 スティラはラビュリントス洞窟入り口の方向にある、ジョウズアントの巣の出口に向かえと言っていたのだが、エイルにはさっぱり分からなかった。ただ、言われればそちらに走るエイルである。初期に失ったはずの下僕魂が火を噴いた。


「結構、冷静だね」


「は?」


「いや、前にここに落とされてトラウマなら、もっと怯えて静かになると思ったから」


「……ひとり、じゃ、……ないから」


 消え入るような囁き声に、エイルは首を傾げて耳を寄せた。


「ん? 今なんて言ったの?」


「うるさいわね! 早く出口に行きなさいよ!」


「ああああ、耳があああああ」


 耳元で怒鳴り声を上げられ、エイルは思わず立ち止まってしまう。鼓膜が弾けたような痛みと違和感を覚え、高音の耳鳴りが始まった。


「何止まってんのよ! 早く走り――反対! 反対方向へ走って!」


 必死な声に異変を感じ取り前方へ視線を移すと、そこにはジョウズアントがいた。


 あれくらいなら倒せると思い、スティラを降ろそうとしたのも束の間、さらにその後方から複数のジョウズアントが接近して来ていた。


 多勢に無勢だ。大人しくスティラの指示に従う。


「ジョウズアントって集団行動しないはずじゃなかったの?」


「しないわよ。普通はね。つまり――今は普通じゃないってことよ!」


 ラビュリントス洞窟の入り口とは反対方向――最奥の方へと走るに連れ、徐々に黒煙で視界が悪くなり、焦げた臭いが漂い始めた。


「スティラこっちもやばいよ」


 考え込み始めるスティラだったが、すぐに決断を下した。


「このまま行って!」


「え? けどさ……」


 不安げに速度を緩めようとするエイルの頬を、スティラは思い切りつねった。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


「いいから走りなさい! 全速力!」


「わかった! わかったから、つねらないで!」


 ようやく開放されたエイルは潤んだ瞳で懇願する。


「スティラ頬さすって」


「は? なんで私が!?」


「痛いから!」


 平手打ちを頬にもらい、エイルは理不尽な仕打ちに涙を零した。

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