第20話 支え
稽古が終わり、部屋に入ってすぐにシャワーを浴びようとしたときのことだ。
馬鹿みたいな疲労のせいで思考力がほとんど働かず、何も考えずに服を脱ぎ捨てて扉を開けた。すると、何故か白い背中と金色の髪が目に入った。背中から小さなお尻、そして太ももへと流れる水が妙に色気を放っていた。立ち上る湯気で、視界が不明瞭だったせいもあるかもしれない。
振り返ったスティラと目が合って、その下にある小さな膨らみへと目が移った。
瞬間、鼻血が垂れた。
震える声を漏らすスティラは涙を浮かべて目を泳がせる。それがエイルの下半身に向いた途端、顔を真っ赤にして口元を押さえた。
次の瞬間、アパート中に二人の悲鳴が響き渡った。
幸い騒ぎにはならずに済んだものの、しばらくの間、二人は言葉を交わすことができなかった。顔を合わせる度に恥じらいを浮かべ、目を逸らす生活が続いた。
それは時間が解決し、今では普通に会話できるようになった。だが、あのときのことが話題に出ることはなかった。
「ここだ」
レイノガルトが指差したのは喫茶店だった。そこは紅茶を専門にしているが、食事の種類も豊富な店だ。大規模な店で全国に系列店があり、人気がある。
店内は落ち着いた内装で、テーブルの間隔が広くなっている。騒がしい店外とは違い、そこは別空間のようなゆったりとした時間の流れを感じさせた。
入って間もなく可愛らしい制服の女性によって二人用の席へと通された。店の隅にあるエル字型の席だ。
周囲を見て、エイルは声を潜める。
「なんかここ、カップルばかりじゃないですか?」
勇者なのか一般市民なのか分からないが、その一角は男女のカップルばかりで甘い雰囲気が漂っていた。
場違いで居心地が悪いと思っていると、レイノガルトが小さく笑う。
「カップルだと思われているのだろう。気にするな」
「え、カップルって……。レイノガルトさんおばさんなのに……」
「あ?」
テーブルが割れるかと思うほどの音が鳴り響き、辺りは静まり返る。
エイルはペコペコと頭を下げてその場を収めると、レイノガルトにも謝罪した。
「申し訳ございませんでした」
「口には気をつけろ。儂も女だからな」
「はい……。けど、レイノガルトさん前に自分でも老いぼれとか言ってたじゃないですか」
「馬鹿だな。自分で言うのはいいが、他人に言われるのは我慢できん」
「理不尽だ……」
「仕方ない。ここは小僧の奢りだ」
エイルは顔を青ざめさせて財布を開く。中には三〇〇〇リガルしか入っていない。メニューに並ぶ品々はどれも二〇〇〇リガルを優に超えていて、到底二人分は払えない。
「あの……お金が足りないです」
「本当に情けないな……。こういうときに奢れるような男にならんと、モテないぞ」
「……すみません」
「まあ、端から儂が出すつもりだったから金のことは気にするな。ちゃんと自分で金を稼いで、小娘に旨いものをご馳走してやれ」
「はい……」
料理はすぐに届いた。混んでいる割には対応が早い。それだけの体制を組んでいるのだろう。店内を行き交う店員の数は多い。
先ほどから周囲に視線を配っているレイノガルトを不思議に思い、エイルは料理を口に運びながら尋ねる。
「何見てるんですか?」
「小娘を探している」
「え? スティラも来てるんですか?」
その言葉に、レイノガルトは今までで一番と言っていいほどの深いため息を漏らした。髪をかきあげて、睨みつけるようにしてエイルを見下げる。
「まさかとは思っていたが、やはり知らんのか」
エイルが首を傾げると、またもため息。
そんなことを言われてもレイノガルトが何のことを言っているのかさっぱり分からない。エイルが理由を尋ねると、ゴミを見るような目を向けられた。
「小僧は不思議に思わなかったのか。どうしてモンスターを倒しに行かずとも生活できているのか。稽古を受けていられるのか」
「え、だってそれはスティラがモンスターを倒してお金を稼いでるからじゃ?」
「……恐ろしくクズなヒモ男の発言だが、この際そこは置いておくぞ。考えてみろ。魔法使いが単独でモンスターと戦うなど、自殺行為もいいところだ。魔法使いは後衛専門であって前衛には向いてない。盾役がいなければ詠唱してる間に殺される。自衛用に武器を持っている魔法使いも中にはいるが、小娘は持ってないだろ? あれは純粋に魔法しか使えない」
話の要領がいまいち掴めないエイルに、レイノガルトは苛立ちを隠さずに続けた。
「つまり、小娘はモンスターを倒しに行ってない。もちろん、まったく行ってないわけではないだろう。長く実戦から離れると腕が鈍るからな。だが、それは大した稼ぎにならない。だったら、小娘はどうやって金を作っている?」
エイルは食事の手を止めて、目を見開いた。震える唇がゆっくりとその答えを紡ぐ。
「まさか、レイノガルトさん……スティラに身体を売らせて……」
「馬鹿か。あれは小僧をやる気にさせるための嘘だ。儂もそこまで鬼畜ではない。あれを見ろ」
十分に鬼畜ですけどね、と日頃されていることを思い返して心中で呟く。決して口には出さない。
レイノガルトが目立たないように指差した方向。そこには見覚えのある少女がいた。距離は遠いが、はっきりと見える。店の制服に身を包んだスティラの姿がそこにあった。
「え、何でスティラが制服を……」
「普通、ここまで来ればこの店で働いていると分かるだろう……」
「あっ……」
ようやくエイルは事の真相に至った。
「ほぼ毎日、小娘はここで働いている。儂にはどうして小娘がここまでするのかまったく理解できんが」
視線をエイルに移したレイノガルトは頬杖を突き、真剣な面持ちを覗かせる。
「お前はこれを見て、何とも思わないのか?」
エイルはスティラの方を見る。
客に向けて笑顔を浮かべ、忙しなく、それでも優雅さを保って接客している。その姿はいつもの強気なスティラとはまた違った表情を見せていて、とても新鮮で輝いて見えた。
だが、彼女は勇者だ。魔王を倒すためにモンスターと戦い、前に進もうとする者だ。それなのに一般市民と同じようにアルバイトをしている。
それがどういう意味を持つか分からないほどに、エイルは鈍感ではなかった。
彼女が働く姿を見ていられず、エイルは視線を落とした。
情けなかった。
エイルの稽古と生活の費用を稼ぐため、身を粉にして働いているスティラ。それに比べて今の自分は部屋にこもってダラダラと無駄な時間を過ごしている。そのことが堪らなく情けなくて、エイルは視界が滲むのを必死に堪えた。
その姿に、レイノガルトは優しい眼差しを送る。
「どうする?」
エイルは顔を上げる。
「このまま甘えるか? それとも、小娘の献身に応えるか?」
そんなの、決まっている。
「応えたい……です」
震える喉が声を上擦らせる。それでも、はっきりと口にした。
「そうか。なら、強くなれ。身体も、心も」
頷いたエイルに向けて彼女は笑いかける。それは我が子を見守る母親のような、温かみ感じさせる表情だった。
「とりあえず食え。腹が減っては稽古ができん。遅れた分、取り返すぞ」
「はい!」
エイルは食事を再開した。慌てて食べたせいで喉に詰まらせ、レイノガルトに渡された水を一気に飲み干す。そうしてまた、次々に口へ運んだ。
もう時間を無駄にはできない。一刻も早くスティラが勇者らしくいられるように。
そのためにはまずエイル自身が強くならなければならない。
確かな思いを胸に、エイルはようやく戦う心を決めた。
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