第3章

第19話 サボり

 カーテンが勢い良く開かれ、差し込んできた朝日が目に染みる。


 エイルは身を捩ってその光線から逃げるように顔を背けた。


「いつまで寝てんのよ」


 エイルの眠るソファーの前で腕を組み、仁王立ちするスティラは盛大なため息を漏らした。


「あんたね。初めてモンスターを殺してショックだったのは分かるわ。けど、もうあれから三日よ? いい加減立ち直りなさいよ」


 返事もせずに布団を頭まで被ったエイルの態度に、スティラは怒り心頭に発した。


「ああ、もう! いつまでもウジウジしてんじゃないわよ。男でしょ?」


 布団を剥ぎ取ろうとするスティラと、それに抗うエイルの攻防が始まる。あっけなく、軍配はスティラに上がった。


 エイルはソファーから落とされて床に身体を打ちつける。痛みに声を上げず、エイルはそのままの状態で寝ようとする。意地でも起きる気はなかった。


 三日の間、スティラは何度もエイルを起こそうとしたが、一度も応じることはなかった。引きこもりのように部屋に居座り、食事のときだけ重い腰を上げる。朝食はスティラが出掛けてから摂り、夕食は一緒に摂った。だがその間、会話らしい会話は交わされない。


 もう一度盛大なため息を漏らして、スティラは支度に取りかかる。諦めることにすっかり慣れてしまっていた。


「行ってくるわね」


 その後に続いたのは玄関の戸が閉じる音だけだった。


 スティラが出てしばらくして、エイルはようやくソファーへ這い上がった。空腹を覚え、テーブルに用意された朝食に手をつける。


 簡素なものだったが美味しかった。スティラの作る料理に凝ったものは出てこない。時間短縮のために手早くできるものを好んでいたからだった。ただ、簡素と言ってもどれも美味しく、エイルはスティラの手料理を気に入っていた。


 そのため、どれだけやる気が起きなくとも、元気がなくとも、ご飯は食べるのだ。


 食事が終わると、エイルは再びソファーで横になった。朝食の後は再び眠りに就くのが日課になりつつある。起きていても何もすることがないからだ。逆に、無駄に起きていると腹が減る。昼食は誰も用意してくれないため自分で作るしかない。それは面倒なので、夕方まで寝てスティラの帰りを待つようにしている。


 ふと、壁に立てかけられた剣が目に入った。鞘に入っていて剣身は見えないが、それは確かに生き物の命を奪った刃だった。ブロードソードについたラインボアの血はレイノガルトが拭き取り、手入れもしてくれたと聞いている。そこまでしてもらって何だが、もう剣を握る気はなかった。


 あの瞬間を思い出す度に手が震えた。今でもそうだ。肉を裂いていく感触が蘇る。それはとてもではないが、気持ちのいいものではなかった。


 剣を視界から消し去り、エイルは布団に潜り込む。目を瞑ると、いつの間にか眠りに就いた。



*



 玄関の戸が激しく叩かれる音でエイルは目を覚ました。部屋の時計を見ると、ちょうど午後一時を過ぎたあたりだった。


 あと数時間は寝ないとな、と瞼を閉じたところでまたしても音が響く。それはしつこいくらいに叩かれ、この部屋に人がいることを知っているようだった。居留守を使うだけ無駄かもしれない。


 エイルは眠そうに目を擦り、悪態を吐きながら戸口へ向かう。


 スティラが忘れ物でもしたのだろうかと扉を開けると、そこに立っていたのは褐色肌の女性だった。今日もまた巨大な胸が際立つ服装をしているレイノガルトは澄ました顔で挨拶代わりに手をあげた。


 エイルは目を見開き、咄嗟に扉を閉じようとするが、間に足を挟まれてあえなく阻止されてしまう。力任せに閉めようとしても、力ではレイノガルトが勝る。相手にならず、あっさりと扉は開けられた。


「小僧、よくもまあ三日もサボってくれたな。この支払いは高くつくぞ?」


 その言葉にエイルは契約のことを思い出す。一〇万リガルの現金支払い。


 ダラダラと汗を流し後ずさるエイルに向けて、レイノガルトは獰猛な笑みを浮かべた。


「着替えろ。出かけるぞ」


「へ? どこへ?」


「決まっているだろう。昼飯だ」


 ぽかんと口を開けて棒立ちするエイルだったが、レイノガルトの舌打ちを聞いた瞬間に奥へと姿を消す。ものの数秒で支度を済ませて部屋を出た。


 ずいずい先へ進んでいくレイノガルトに遅れないように、エイルは少し後ろをついて行く。横に並ぶのは躊躇われた。


 特に会話はなく、二人は住宅街を抜けて繁華街へ移った。


 繁華街には武具や雑貨、飲食など様々な店が立ち並び、ここカイアフロトにおいて日中は最も人で溢れる場所だった。


 はぐれないようにレイノガルトとの距離を縮める。時折、肩がぶつかった相手に睨まれ、ペコペコ頭を下げた。


「情けない」


「……すみません」


「相手をぶん殴ってやる気持ちで睨み返せ」


 言われたそばから肩がぶつかったので実践を試みるものの、相手の方が何倍も気迫があった。ついつい萎縮してしまい、謝罪してその場をやり過ごす。


 自分でも情けない気持ちになり、エイルは小さく嘆息した。


「ふむ。小僧には無理そうだな。人格的な問題だ。その情けなさが変わることはそうそうないだろう」


 首を振り呆れ顔を浮かべるレイノガルトは、肩を落とすエイルの頭をくしゃくしゃと掻き乱した。


「情けないなら情けないなりに頑張れ。せめて、自分の女くらい自分で守れるくらいにはな」


「自分の女?」


「小娘のことだ」


「ス、スティラはそういう関係じゃ……」


 焦り気味に頬を染めるエイルを見て、レイノガルトの弄り心に火が点いた。


「そう言えば、小僧はアリアが好きだったな。では、あの小娘とはどういう関係だ?」


「スティラは、ただのパーティーメンバーです」


「おいおい冗談はよせ。ただのパーティーメンバーが同じ部屋で暮らすか? それも男女が二人きりで」


「それはお金が……」


「何回やった?」


「やっ――は? な、何を言ってるんですか!?」


「男女が同じベッドでやることと言ったら、一つしかないだろう?」


 顔を覗き込まれ、エイルは湯気が出るほどに顔を火照らせて俯いた。


「……し、してないです」


「おいおい、それこそ冗談だろう? 何で同じ部屋にいるのに襲わないんだ? いいか、女が部屋に男を連れ込むのは身体を許したってことだ。それなのに手を出さないのは女への侮辱もいいところだ」


「いやいや、そんなわけないですよ! ただ哀れみで泊めれくれてるだけですから!」


「確かめたことあるのか?」


「いや、ないですけど……」


 あるわけがない。そんなことをすれば即刻叫ばれて勇者たちに取り押さえられる。そうして人生が終わりを迎える。


「裸くらい見たことあるだろ? 何とも思わんのか?」


「な、ないですっ!」


「つまらん……。お前らガキじゃないんだから、もっと色恋に走れ」


 興味がなくなったのか、レイノガルトは再び歩き始めた。


 スティラと男女の関係になったことがないのは事実だが、嘘もあった。


 実は裸を見たことがあった。

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