第17話 魔物を倒せ

「ってな感じで、勇者になろうと……」


 頬を朱色に染め、エイルは自らの思い出を語った。何度思い出してもアリアの姿は鮮烈で、心臓が大きく跳ねる。


「へえー」


 話を聞き終えたレイノガルトは耳をほじりながら生返事を一つ。酷くつまらなそうな態度に、エイルは怒りを通り越して呆れ果てた。


「興味ないなら最初から聞かないでくださいよ……」


「いや、だってだな。アリアが連れていた子供が女の子で、モンスターから逃げているときに恋が芽生え、その子と再会するために勇者になるだろ普通? それが男の子な上に、お前はアリアの方を好きになって……。今どき、三流の吟遊詩人でもそんな筋書きは語らんぞ」


「別にいいじゃないですか!」


「それに、それ八年前だろ? アリアはもういい歳になってるよな。そもそも、その子供ってアリアの子供ではないのか?」


「それは違います。ちゃんと確認しました」


「……抜かりないな。稽古の方もそれだけちゃんとやれば、もっと早くアリアに会いに行けるんだが」


「やってるんですけどね。折れるんですよね。心が」


 深いため息を漏らしたレイノガルトは唐突に立ち止まった。


 彼女が指差す方向に視線を向けると、そこには全長二メートルほどの猪がいた。ラインボアだ。勇者になるために喜々として村を旅立ったエイルが最初に出遭い、ボコボコにされたモンスター。宿敵とも言える存在だ。


「とりあえず、あれを倒してこい」


「え……あれすごく強くないですか?」


 何とかしてラインボアとの戦闘を避け、もっと弱そうなモンスターにしようと画策していたエイル。だが、レイノガルトの表情が冷え切っていることに気づき、思わず一歩退いた。


「……儂より強いように見えるか?」


 冷や汗が頬を伝った。答えを間違えたら酷い目に遭わされそうな鋭い瞳。


「いえ……」


「じゃあ行け」


「……はい」


 レイノガルトとラインボア。どちらを相手にしたいかなど選ぶまでもない。


 気が乗らないままにエイルはブロードソードを腰から引き抜くと、ラインボアへ向けて駆け出した。


 一〇メートルほどの距離まで近づいたところで気づかれた。


 ラインボアはエイルに頭部を向け、後ろ足で地面を払う。それは突進の合図だ。


 走り出したラインボアを迎え撃とうと、エイルはブロードソードを両手で構える。大丈夫、強くなったと自らに言い聞かせ、戦うイメージをする。だが、地響きのような足踏みの音が近づくに連れ、腕が震え、足が竦み始めた。


 一度そうなってしまうと、もう立ち向かうのは無理だった。ラインボアに背を向け、無様に逃げ惑う。


 遠くでレイノガルトが頭を押さえているのが目に入った。しかし、できないものはできない。どれだけレイノガルトのことが怖くとも、ラインボアだって怖いのだ。


 逃げるのに際してブロードソードは邪魔だったが、かと言って投げ捨ててしまうのも不安で、結局は握ったまま逃げている。


 逃げ続けること数分。痺れを切らしたレイノガルトの怒号が雷のごとく響き渡った。


「小僧! いい加減に戦え! 何のために外に出てきたと思っている!」


「そ、そんなこと言われても……」


 泣き言を恥ずかしげもなく呟きつつ、足は決して止めない。その最中、レイノガルトがブロードソードを引き抜こうとする姿が目に入った。


 命の危険を感じたエイルは喚きながら足を止め、ラインボアに相対する。が、すぐそこまで迫っていた巨体に悲鳴を上げて一歩横に跳んだ。身体の右側を圧が通り抜け、間一髪のところで避けることができた。


「死ぬかと思った……動きが遅いおかげで助かった」


 ゆっくりと減速して立ち止まったラインボアは身体の向きを変え、再びエイルへ頭を向ける。荒ぶる鼻息とともに音を立てて地面を蹴った。


 二度目もエイルは一歩動くだけでかわす。


 ラインボアは直線的な攻撃しかしない。一度走り出すと止まるまでは進路を変えることができないため、走行ラインから外れるだけで簡単に避けることができる。


「動きは見切れてるだろう。さっさと倒せ。その剣は飾りか? それに、小娘がチラチラ見てるんだ。かっこよく決めて見せろ」


「み、見てないわよ! たまたま近くにいるだけなんだから!」


 スティラは悲鳴にも似た大声でレイノガルトに怒鳴った。その実、視線はエイルの方を向いている。当人はレイノガルトとエイルにバレないように様子を盗み見ているつもりだったが、エイルの方に視線を向ける度に身体の動きが止まるので非常に分かり易かった。


 また、見通しの良い平野において偶然同じ場所にいるというのは無理がある。通常、勇者は互いの獲物を奪い合わないように一定の距離を置くのが暗黙のルールだ。


 エイルがスティラの方に目を向けると、彼女は慌てた様子で身体ごとそっぽを向いた。


「スティラ、いたんだ」


 ぼそりと呟く。レイノガルトは最初からスティラの存在に気づいていたようだが、エイルは逃げることに意識が向きすぎてまったく気づいていなかった。


 それよりも、とエイルはラインボアに向き直る。レイノガルトの言う通りだった。最初にラインボアを相手にしたときは真っ直ぐにしか攻撃が来ないと分かっていても大げさに避けてしまったし、攻撃のタイミングもよく分からずに苦戦した。ボロボロにされ、結局は通りすがりのシェリーに助けられる形となった。


 だが、今は違った。敵の攻撃が――その線が見える。どれだけ動けば避けることができるか、感覚でなんとなく分かる。


 もう焦りはほとんどなかった。攻撃を難なく避けることができていることもあるが、何よりも成長していると実感できたからだった。


 あんなデタラメな稽古でもちゃんと前に進めている。


 柄を握る手に力が入った。だったら、試してみたい。どれだけ成長できたのか。どれだけ近づくことができたのか。


 ラインボアが突進を始める。


 それに向かってエイルも駆け出した。


 互いに距離を詰め衝突する――寸前でエイルは横に足を踏み出して、すれ違い様に剣を真横へ振り抜いた。はらりとラインボアの焦げ茶色の体毛が舞う。当たった。だが、それだけだった。傷は一つとしてついていない。


 もう一度同じようにしてもラインボアの身体へダメージを与えることはできなかった。


 避けることができたとしても、こちらの攻撃が通らないのではいくら戦いを続けたところで意味がない


 それも当然のことだった。これまでの稽古はエイルが一方的に受けていただけだ。目的が動体視力などの感知系に特化していたため仕方のないことだが、剣の扱い方に関しては一度も指導を受けていない。


 現状のエイルは動き自体はマシになったものの、剣さばきに関してはただの素人。ラインボアの剛毛を前に素人の出鱈目な剣術ではさして通用しない。何せ強度が怪しかったとは言ってもエイルの家にあった剣を折るくらいなのだから。


 諦め始めていたエイルはレイノガルトに視線を送るが、彼女はまるで取り合おうとしなかった。それどころか、早く倒せと急かすような素振りさえ見せる。


 できたら苦労してませんよ、とため息を漏らしながら、ラインボアの攻撃を慣れた様子でかわす。レイノガルトの剣撃に比べれば止まっているようなものだった。


 最近の稽古ではレイノガルトの剣筋が見えるようになっていた。それでもまだほとんど反応することはできていないが、見えなかったものが見えるようになっただけでも大きな進歩だった。


 自分だけの力で打破しなければならない。


 エイルは避けながら考える。あの剛毛を断つ方法。あのモンスターを倒す方法。


 そうして思い出す。八年前のアリアが戦っていた光景を。非常に強固な皮膚を持つモンスターを相手にアリアは剣で立ち向かい、最後は己の身一つで勝利をもぎ取った。


 剣から炎を放出させるなどの芸当はできないが、最後の掌底は参考になる。斬撃が駄目なら打撃を食らわせればいい。


 だが、身体を鍛えているわけでも武術を学んでいるわけでもないエイルにまったく同じことができるわけがない。ただ、打撃を食わるという点に関しては自分の身体を使う必要はなかった。剣で叩けばいいのだ。切るイメージではなく、叩くイメージで剣を振る。

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