第16話 勇者になる理由
エイルは吹き荒れる風に飛ばされそうになりながら、子供の身体を地面に縫いつけるように押さえつけた。その子の瞳はそんなことを気にもとめず、アリアの姿を追い続ける。それはエイルも同じだった。
三ツ目が大きく弧を描き、遥か後方に着地する。その拳には一筋の傷がついているだけで、ほとんど無傷と言ってよかった。
一方のアリアも身体自体は無傷だった。凄まじい衝撃を耐え切ったとは思えない凛とした表情で、三ツ目に双眸を向ける。だが、左手に握るブロードソードが小さな悲鳴を上げた。剣身にわずかな亀裂が走る。
アリアは愛剣を一瞥し、ため息を漏らした。
「やっぱり保たないかー。何しても壊れないって鍛冶屋のおっちゃん言ってたのになー」
剣を構え直し、三ツ目に向かって踏み出そうとした――そのとき。アリアの前方に影が四つ、空から落下した。大きな音を立てて地面を砕き、姿を現したのは三ツ目と同種の個体。
「五体……結構きついなー」
「アリア!」
エイルたちの傍らに男が駆けつけた。
鋭い目つきで髪を逆立てた男はその背丈よりも長い槍を片手に持ち、金属のガントレットとグリーブを装着している。それ以外には防具らしいものは見当たらない。
「ゲイル! ちょうどいいところに。その子たちを守ってて」
「そいつらに斬撃系は効き目が薄いんだよ! レイラたちを待て」
「そんなの待ってたら、被害が増えるだけだよ」
アリアは剣の柄を両手で握ると、その剣先を真っ直ぐ天に向けた。それは騎士が誓いを立てる所作に似ている。
「――
剣身に赤い文字が浮かび上がる。記号のような文字の羅列を中心に炎が巻き起こり、瞬く間に剣を包み込んだ。
夜闇を照らし、アリアの周囲だけが昼間のように明るい。
大地を砕き、アリアの姿がブレる。
次の瞬間、爆炎が巻き起こり、一体の断末魔が響き渡った。
アリアの攻撃を何度も防いだ硬質な皮膚は高温によって焼き切られ、三ツ目の胴体が真っ二つになる。
その付近にいた個体が怒りの咆哮を空に放ち、アリアに向けて突進する。
アリアは振り上げられた三ツ目の右腕を容易く焼き切った。その肩に着地し、身を捩って頭を切り飛ばす。あっという間に二つの死骸ができあがった。
血は一滴も流れない。切った瞬間から傷口が焼かれて塞がれているためだ。
燃え盛る炎の音に混じり、剣から細かな破砕音が弾ける。わずかに剣身が焦げ始め、亀裂が広がっていく。
「もう少しだけ、保ってね」
アリアは地面を舐めるような低姿勢で距離を詰め、三ツ目の懐に入る瞬間にもう一段加速する。一閃。三ツ目の股を潜り抜け、足を緩めずに次の標的へ駆ける。
後を追おうとした三ツ目の身体が火を噴きながらバラバラに崩れ落ちた。
残り二体。
一気に距離を詰める。三ツ目は右腕を引き絞り、その拳をアリアへ向けてではなく、足元の地面へと振り下ろした。
爆発が起き、割れた大地が散弾のように辺り一帯へ弾ける。
アリアはブロードソードを一振りし、突風を引き起こしてそれらを吹き飛ばした。そこへ三ツ目が飛び散る瓦礫に構わず突進を仕掛ける。
楕円の顔が縦に開かれ、暗闇を内包したような真っ黒な口内が顕わになる。アリアに噛みつこうとその牙を剥いた。
それをアリアは剣で受け止める。だが、凄まじい衝撃にアリアの足は何メートルも地面を削り、後方へ押し流された。
そのとき初めて、アリアは吠えた。
「うおおおおおおお」
右足へさらに力を込め、踏み締める。大地が砕けて深く足が沈む。それでようやく三ツ目の進行は止まった。
三つの目が驚きに見開かれる。同時、その頭部を剣が貫いた。剣身は黒く染まり、その限界を知らせるように幾本もの線が縦横無尽に駆け巡る。次の瞬間、纏う炎とともに弾け飛んだ。
光は失われ、辺りは再び暗闇に包まれる。
残り一体。だが、もう武器はない。
三ツ目が笑った。両腕で地面を掴み、身体を限界まで後方へ下げる。それはまるで腕を弦に見立てた弩のようだ。
アリアは腰を落として身構えた。
「馬鹿野郎! 武器もないのに無茶だ!」
「無茶でもやんなきゃ。だって私は――勇者だから!」
敵の動き出しに合わせて自らも突進するつもりだった。だが、踏み出そうとした足を止める。弾かれるようにゲイルの方を振り返った。
それよりも早く、三ツ目は自らの身体を矢の如く発射させた。照射した先にいるのはゲイルと――エイルたち。
三ツ目は武器を失ったアリアを後回しにして標的を変えたのだ。目にも留まらぬ速度で、一秒もせずに距離を詰める。
「舐めてんじゃねえぞおおおおお」
その不意の攻撃へ、ゲイルは正面から槍を突き出した。矛先が三ツ目の頭部と衝突し、空気が弾け飛ぶ。拮抗はしなかった。ゲイルは遥か後方へと弾き飛ばされ、三ツ目の身体はそこで止まった。
だが、そのせいでエイルたちを守る者はいなくなった。二人の最も近くにいるのが三ツ目だ。
三ツ目の右腕が背中の方へと引き絞られ、その照準がエイルたちへ定められる。
腕の中で震える子供の手がエイルの腕をきつく握りしめた。エイルはその手に自らのを重ねる。それくらいしかできなかった。恐怖で身体が言うことを聞かない。
滲む視界の中で、三ツ目の拳が動き始める。それは甚く緩慢な動作で、これなら逃げられると思うほどだった。だが、身体はまったく動かない。声も出ず、その拳を追う目と意識だけが正常だった。
死ぬのだ。
徐々に拳が近づく。
最期の瞬間は怖いから、目を閉じていよう。
眼前の現実に幕を下ろそうとした刹那――赤い髪が視界の端で揺れた。
衝突音。水気の弾ける音。硬いものが砕ける音。それらがエイルの意識を引き戻す。
アリアの拳が、三ツ目の拳を受け止めていた。腕が歪に変形し、指だけでなく腕の骨が砕け、裂けた皮膚から鮮血が飛び散る。激痛に耐える呻き声が漏れた。それでも、決してその拳を降ろさない。
拮抗していた両者の力は、雄叫びを上げたアリアによって崩された。三ツ目の拳を押し返し、素早く懐へ左足を踏み出す。左掌を三ツ目の胸元に押し当てた。
鋭く息を吸い呼吸を止めると同時、右踵を踏み降ろす。瞬間、銃声に似た音が轟いた。それは掌が生み出した打撃音。アリアの左掌底が三ツ目の胸部を打ち抜いた音だった。
三ツ目は白目を剥き、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。硬い皮膚は斬撃を防ぐことができても、衝撃を防ぐことはできない。
アリアは何度か深く息を吐いてから振り返り、笑みを浮かべる。
「エイルくんたち、大丈夫だった?」
酷い怪我をしているはずのボロボロになった右腕。力なくぶら下がる左腕。それをまったく感じさせない表情に、エイルは息を呑んだ。
圧倒的な強さ。それでいて窮地に立たされても諦めず、全身全霊をもって困難を打ち倒す。それを何事もなかったかのように笑う。それは救った者に負い目を感じさせないための心遣いか。
視界の中で微笑みをたたえる赤髪の女性に、エイルは言葉をなくした。目を離すことができず、その姿を焼きつける。その瞬間に初めてこの世に生まれ出たような気さえした。
彼女に出会うことが運命だった。そう思った。
*
早朝。日が昇り始めた薄明かりを待ってアリアたちは村を発った。それは半ば追い出されたような形だった。
奇跡的に死者は出なかった。だが、村人からすれば被害の大小に関わらず、アリアたちは村を壊滅の危機へ追いやりそうになった疫病神に他ならない。
モンスターはアリアたちを追って来ていた。その理由について、アリアたちは口を閉ざした。ただ、もうあの怪物たちが襲ってくることはないと彼女たちは明言した。
エイルは両親の言いつけを破って見送りに来ていた。村の入り口の物陰に隠れてアリアの姿を探す。赤髪は目立った。
「ねえ、どこ行くの?」
驚いたように振り返ったアリアは、すぐに目元が柔らかくなった。エイルと同じ目線まで腰を落とし、その頭を撫でる。
「駄目だろー。勝手に抜け出して来たらまた怒られちゃうよ」
「ねえ、どこ行くの? 一緒に連れてって!」
アリアは困り顔になり、顎に指を当てながら考え込む。そして、小さく声を上げた。
「これからこわ~いモンスターを倒しに行くんだ。だから、弱っちいおチビちゃんは連れてけないな」
「チビじゃない! 戦える!」
「こらこら。我が儘言わないの」
ぶすっと唇を尖らせるエイルだったが、このままだと本当にアリアが行ってしまうと思い、懸命に言葉を探す。
「じゃあ、大きくなって強くなったら、連れてってくれる?」
「んー。どうだろう。その頃って私もうおばさんだからなあ。引退してるかも」
その言葉に泣き出しそうになったエイルを見て、アリアは大慌てで機嫌を取ろうとする。だが、涙を零さないように堪えている少年を見て、口元を綻ばせた。
「わかった。じゃあ、最前線で待ってる。けど、早くしないと私が魔王を倒して世界を平和にしちゃうからね」
「うん! 絶対行く!」
早く大きくなって。早く強くなって。そうして。
胸に高ぶるこの想いを伝えに行く。
その日、エイルは勇者になると決めた。
アリアに告白するために。
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