第15話 襲撃

「さすがレイラね。私にも魔法の才能があればなー」


「あはは……。ただでさえめちゃくちゃ強いのに、魔法も使えたら私の立場がないよ……」


「あ、確かに!」


「うう……酷い」


「嘘だよ! 冗談冗談。あ! 起きたみたい!」


 目を開けると、すぐ近くに赤髪の女性の瞳があった。綺麗な深紅は宝石のように煌めいていて、思わず魅入ってしまう。


「大丈夫? 痛いところない?」


 我に返ったエイルは頷きながら目を逸らした。仄暗さで赤面に気づかれていなければいいなと思う。


 身体を見下ろしても傷一つ無かった。衣服は寝ている間に別のものに着替えさせられていたようで、それをしたのがこの女性でないことをエイルは願った。


「よかったー。びっくりしたよ。血まみれの子が狼に囲まれてるんだもの」


 よしよしと頭を撫でてくる女性に、エイルは耳まで赤くして発狂しそうな照れ臭さに耐えた。


「あ、ウェインは?」


 ハッとして上半身を起こして周囲を見回す。だが、そこに子犬の姿はない。


 眉を下げ不安の滲む表情で見つめるエイルに、女性は優しく微笑んで身体を横にずらした。彼女のすぐ後ろでウェインはうつ伏せて目を閉じていた。


「寝ちゃったみたい」


「よかった……」


「お家の人がすごく心配してたよ。目が覚めたら送り届けるって約束したんだけど、歩けそう?」


 エイルは頷こうとして顔を伏せた。不安と怯えが瞳の奥で揺れる。


「どうしたの?」


「勝手に村の外に出たから……」


「大丈夫。怒ってなかったし、私が一緒に行って怒らないように言ってあげるから」


 そう言って微笑む彼女に、エイルは心臓が跳ねるのを感じた。


 未だに眠るウェインを女性が抱え、余った方でエイルの手を握る。


 心臓が飛び出しそうなほど跳ねていた。耳元で鳴っているように鼓動がうるさくて、先ほどから女性の言葉がまったく耳に入って来ない。ちらりと顔を盗み見て、すぐに照れ臭くなって俯く。風邪でも引いたように熱を帯びた顔は一向に冷める気配がない。それは女性の柔らかい手の温もりのせいだろうか。


「ねえ、聞いてる?」


「え?」


 顔を覗き込まれ、エイルは固まった。月明かりに照らされる彼女の顔はとても美しいと思った。まるで魔法にかかったように目が離せない。


「君の名前は?」


「……ル」


「ん?」


 ぐっと耳を寄せる女性のうなじが見えて、思わず声が漏れる。仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐり、心臓が弾け飛びそうになる。こんな気持ちは初めてだった。


「……エイル」


「そう、エイルくんね。私はアリアっていうの。よろしくね」


 嬉しそうに綻ばせるアリアの顔を直視できず、エイルは自分の足元を見つめて小さく頷いた。


「ねえ、エイルくんの近くに寝てた子いたでしょ?」


 そう言われてもよく思い出せなかったが、子供がいたような気はした。


「あの子ね。心に傷を負ってて声がでないの。全然心を開いてくれないし、やっぱり同世代の子と関わるのが一番だと思うのね。だからもし、明日時間があったらあの子に話しかけてあげて欲しいの。それで、よかったら友達になってあげてくれないかな?」


 エイルは迷わず頷いた。アリアが屈託のない笑みを浮かべるのを見て、エイルも自然と口元が緩んだ。そうやって笑顔になってくれるのが堪らなく嬉しかった。


 それから二人の間に言葉が行き交うことはなかった。


 もっと強く握りたいけれど、それをどう思われるかが不安で変に力が入る。握る手が少しずつ湿ってきて、手離すべきか迷う。できることならこのまま繋いでいたい。


 そんなときだ。大きな悲鳴が上がったのは。それは村の北西部からだった。


 すぐに地鳴りのような大きな音が聞こえた。


 瞬時にアリアはエイルの手を引いて来た道を戻った。扉を蹴破る勢いで家の中に入った彼女は、切羽詰まった声色で全員に命じた。


「全員、武器を取って。半分は村人の避難。もう半分は敵の殲滅」


 それだけでアリアの仲間はすぐに二手に分かれて外へ飛び出した。


「エイルくん、お願い。あの子を連れて騒ぎの反対側に逃げて」


 頷いて見せると、アリアも頷いて飛び出していった。


 エイルはアリアの期待に応えようと自身を鼓舞した。


「行こう」


 差し出した手を、その子は怯えた様子で見ていた。腰が引けていて、自身を抱くようにして腕を強く掴んでいる。握る指が白んで、か細い腕を今にも折ってしまいそうだった。


 随分と細身だが、髪の短さから男の子だろう。エイルは少し気が楽になった。女の子と話をするのは苦手だった。どうも気恥ずかしくなってしまい、うまく喋れないのだ。


 エイルはどうしていいか分からなかったが、逃げろというアリアの指示に従わなければならないと思い、その子の腕を無理やり解いて握った。できるだけ優しく、けれど離さないようにしっかりと。


 今にも溢れ出しそうなほど涙を溜めている姿に申し訳ない気持ちを抱きながらも、エイルはその手を引いて家を出た。


 いつの間にか月が雲に隠れ、暗さを増している。北西の方が赤い光を放っていた。燃えている。家が。何物かの手によって。


 その方向はエイルの家の方だった。炎の方向と手を繋ぐ子と。両方を見比べて、エイルはその子の肩を掴んだ。


「ごめん。僕、家に行かなきゃ」


 走り出そうとして、引っ張られた。振り返ると、その子が頬に一筋の雫を流して震える手でエイルの袖を握りしめていた。


 その手を振り払うことはできなかった。再び手を取って、走る。


 その子は何度も転びそうになったが、懸命に足を動かしていた。エイルは速度を幾分か落として走った。逸る気持ちはあったが任された以上、この子を守らなければならないと思った。


 家は無事だった。焼けていない。炎が上がったのはさらに北西にある家だった。


 安堵の表情を浮かべていると、中から物音がした。まさかまだ避難していないのだろうか。エイルは両親に現状を伝えようと、少し開いている扉を押した。


 家の中に人はいなかった。だが、何もいないわけではなかった。


 人型で、三ツ目を持つ怪物がそこにいた。灰色の肌は凹凸が激しく、腕は地面に届くほどに長い。逆に足は短く、頭は楕円の形をしている。口はどこにも見当たらない。それが一層恐怖を煽っていた。


 エイルたちの姿を捉えて、それは大きく目を見開いた。


 エイルが走り出すのと敵が動き出すのはほとんど同時だった。エイルは咄嗟に扉を閉めた。だが、そんなものは時間稼ぎにすらならない。


 後方から爆発のような音が轟いた。足を止めずに振り返ると、玄関の扉が木っ端微塵に吹き飛ばされ、そこから怪物が飛び出した。


 幸いにも三ツ目は足が短く、走行速度はエイルたちと同じくらいだった。


 しかしそれは、二足走行なら、という前提がつく。


 三ツ目は長い手を地面について四足で走り始めた。長い手を軸にして走るその様はまるでゴリラのようだ。


 速い。直線では追いつかれる。エイルは立ち並ぶ家の陰に隠れるように逃げた。できるだけ死角となるように道を選ぶ。だが、それでも引き離すことができない。


 気づかない間にエイルは全速力で走っていた。そのせいで、手を引いている子供の足は既に限界を迎えていた。


 繋いでいた手の感触が不意に消える。


 エイルが速度を緩めつつ振り返ると、転んで涙を流している大きな瞳と目が合った。


 助けられるか。間に合うか。そんなことは考えもしなかった。


 ただ、アリアとの約束だけが脳裏をよぎる。


 エイルは足が軋むのも構わず急ブレーキをかけると、一直線に引き返す。全速力で駆け戻り、その身体に覆い被さるようにして滑り込んだ。そして脇に腕を回して一気に立ち上がらせ、走――


「あっ、これ無理」


 ――ろうとしたところで、エイルの足は限界を迎えた。踏み込んだつま先が滑って転ぶ。


 地響きのような走音が間近に迫り、エイルは弾かれるように振り返った。


 三ツ目の長い片腕がしなり、落とされる。


 ごめん、と心の中で謝りながら、子供の身体を守ろうと強く抱きしめた。


「男だね、エイルくん!」


 声とともに金属の弾け合う音が甲高く響いた。


 振り返る。そこに立っていたのは三ツ目の怪物ではなく、赤髪を靡かせたアリアだった。三ツ目はアリアから距離を取ったところに後退していた。


「ちょっとそこで待っててね。今、倒してくるから」


 言い終わるや否やアリアは地を蹴った。まるで早送りでもしているような速度で三ツ目に肉薄する。


 アリアは左手に持つブロードソードの剣先を右脇後方へ流して、自らの身体に剣を隠す。それは敵に剣筋を予測させないための所作。


 敵もそれを黙って見ているわけではなかった。アリアの接近に対して、三ツ目は長い腕を横に薙ぎ払う。


 アリアは腰を沈ませた。上半身を前かがみに折って紙一重でかわし、左足を大きく踏み込んだ。引き絞った身体を斜め上へと解き放つ。


 身体全体を使っての大振りは見事に怪物の胸部を捉えた。だが、浅い。


「うっそー。硬すぎじゃない?」


 攻撃直後の隙を狙った三ツ目の腕をアリアは宙へ跳んで回避する。一回転して綺麗に着地すると、さらに後ろに飛び退いて距離を取った。


 アリアはブロードソードに視線を落として苦笑する。三ツ目を切った部分がわずかに刃毀れしていた。


「見たことないモンスターだね。新種かな? もしかして匂いで追ってきたのかな?」


 そこで初めて三ツ目が鳴き声を上げた。口は無いが、確かに三ツ目から聞こえる。それはくぐもった低い声で、怒りに任せた絶叫というよりも何かに訴えかけているようだった。


 舌打ちとともにアリアの姿が掻き消える。


 三ツ目はその動きを正確に捉えた。しなりを加えた腕の一撃が地面を粉砕する。


 それを一歩外側に避け、アリアはすれ違いざまに視認できない速度で剣を振るった。一拍遅れて、その軌道上に鮮血が飛び散る。だが、その一撃ですらも三ツ目の腕を切り飛ばすには至らなかった。腕の太さの三分の一程度までしか刃が届いていない。


「おっかしいなー。今のいけたと思ったんだけどな。エイルくん、ごめん! もうちょっと待っ――」


 攻撃後に距離を取ったはずが、一瞬で埋められた。だが、アリアは敵の攻撃を軽々と後ろに跳んで回避する。


「――ててっ!」


 着地と同時、一歩で三ツ目の懐へ踏み込む。一息で三度剣を振った。右手での切り上げ。その剣を振り下ろす左手が奪い、剣筋をなぞるようにして切り下げ。さらにその勢いを利用して身体を回転させ、両手で同じ箇所を正確に切り裂いた。全身の力と遠心力を乗せた一撃。


 それでも、三ツ目にとって致命傷にはならない。


「あははー。さすがに心折れそう。これでも私、最前線の勇者なんだけどな」


 発言に反して、その声と瞳には闘志が燃えたぎっている。三ツ目の攻撃を器用に避け、アリアは後方へ低く跳んだ。


 それを見越していたのか三ツ目も跳躍した。アリアの着地点目掛けて両の拳を握り、身体を反らして振り上げる。


 ただでさえ地面を砕く拳だ。生身で受ければ鎧の類を一切身につけていないアリアは木っ端微塵になりかねない。


 アリアは着地と同時に剣を振り上げた。三ツ目の一撃を真っ向から受け止める。


「――限界突破スプラミネイト


 それは爆発だった。轟音が地を揺らす。


 衝突の一点を中心に爆風が広がり、攻撃を受け止めるアリアの足が地面を砕く。


 それはまるで隕石が大地に衝突したような、そんな光景だった。

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