第13話 実戦
入門から二週間が経った。
その間、エイルは一度も休まず――風邪を引いたとズル休みしようとしたが、訪ねてきたレイノガルトに無理やり連れて行かれたので――順調に稽古をこなした。
スティラが作ったサラダとトーストを頬張る。朝食の話題に上がったのはこれからする稽古の話だ。
「今日は途中経過を見る日なんだって」
「へえー。何するわけ?」
「街の外に出て、モンスターと実際に戦う」
「どうせまた一体も倒せないわよ」
ティーカップに注がれた紅茶を口に運びながら、スティラは片目を閉じて小馬鹿にする。
「いやいやいや、僕だってさすがに成長してるんだよ?」
「これまで辞めたいって言わない日はなかったけどね」
「それはまた別の話じゃない?」
食事を終えて食器を片づけようとしたが、スティラに手で制される。
「何度も言うけど、そのままにしておいて。割られると困るの」
同棲生活を始めてから今まで、エイルは家のことに関して一切のことを任されていなかった。食事も掃除も洗濯も、すべてスティラがこなしていた。
住まわせてもらっているのに何もしないのは申し訳ないので何度も手伝うと言ったのだが、先ほどのように断られていた。
そのため、エイルの生活リズムは朝食を食べて稽古に行き、帰って来たら夕食を食べて寝るというシンプルなものになっていた。稽古の時間も半分は失神しているので、一日のほとんどの時間を何もせずに過ごしているようなものだった。
このままでは寄生虫のようだと危惧を抱いてはいるものの、この生活は心地いい――稽古がなければ最高だが――ので、どうしても考案が先延ばしになってしまう。
そもそも家でやれることはない。早く強くなってモンスターを倒し、お金を稼ぐのが妥当な線だろう。そのためにはやはり、稽古を乗り切るしかない。
支度を済ませ、エイルは玄関の戸を開ける。そこへスティラが追い駆けて来た。部屋着ではなく、ドレスのような法衣に着替えている。
一緒に部屋を出るのは珍しいことだった。いつもエイルの方が先に出発する。
「今日は早いね」
「ええ。モンスターを倒しに行くの」
「そうなの? じゃあ一緒だね」
「べ、別にあんたのことが心配で行くんじゃないんだからね!」
「あはは……。そんなこと一言も言ってないけど……」
「何か言ったかしら!?」
睨めつけるスティラの視線をかわして、エイルは外に出た。
「何でもないよ。行こっか」
スティラが戸を閉めるのを待って、二人は歩き出した。
*
街の入り口。街と外を繋ぐ橋を渡った先で、レイノガルトと待ち合わせていた。
定刻よりも少し早く着いたエイルとスティラだったが、既にレイノガルトはいた。
こちらに気づいたレイノガルトは少し意外そうな顔でスティラを見る。
「授業参観日じゃないんだが」
「べ、別にこいつのことが心配で来たんじゃ――」
「あー、はいはい。ツンデレ萌えー」
「なっ……わ、分かったわよ! ここからは別行動よ。せいぜい頑張りなさいっ」
スティラは「ふんっ」とそっぽを向いて、ずかずかと歩いて行ってしまった。
呼び止めようとしたエイルだが、そもそもスティラの目的はモンスターを倒すことであって自分の様子を見に来たのではないと思い直す。
「あれはあれで育てるのが大変そうだ」
「スティラもレイノガルトさんが稽古するんですか?」
自分が毎日されていることをスティラに置き換えて想像し、ぞっとした。女の子がボコボコにされている姿など見たくない。
それは杞憂だったようで、レイノガルトは笑い声を上げた。
「まさか。儂は剣士だからな。多少の魔法は使えるが、魔法使いの足元にも及ばん。そもそも、あの小娘がここらで学ぶべき魔法は無いだろう」
「やっぱり、スティラって天才なんですね」
「天才?」
驚いたように目を開いたレイノガルトだが、すぐに納得したように頷いた。
「まあ、そうなのかもしれんな」
「……あれ? なんでスティラのこと詳しいんですか?」
「儂が一方的に知っていただけだ。この街での暮らしは長いからな。ある程度の情報は入ってくる」
行くぞと言って歩き始めたレイノガルト。遅れないようにエイルはその横に駆け寄った。
「そう言えば、小僧が勇者になった理由はなんだ?」
「え、いや、別に……」
「そう恥ずかしがるな。理由というのは大切だ。何かをなそうとすれば、その動機によって達成率は大きく変わる」
詰め寄るレイノガルトと距離を取ろうとするが、肩に腕を回され、がっしりと掴まれて逃げ場を失った。そのせいで右腕に特大の柔らかい物体が当たり、エイルの顔は見る見るうちに赤みを増していく。
接触を避けようと腕を動かすと、その感触は別の主張し始めた。
レイノガルトは自分の胸がエイルに当たっていることに気づいていないのか、気にしていないのか、平気な顔で詰問を続ける。
「ほれほれ、言ってみろ。どんな理由でも笑わん」
「いや、あの……」
「そんな顔を赤くするほど恥ずかしいのか? 逆に楽しみになって来たぞ」
それはあなたの胸のせいですとは言えず、エイルはひと思いに右腕を後ろへずらした。これで安心と思ったのも束の間、今度はエイルの胸部にそれが当たる。さらにはレイノガルトがエイルを抱き寄せたせいでそれの弾力が増した。
「茹でダコみたいだな」
これ以上は無理だ。そう判断したエイルは心を決めた。
「言います! 言いますから離してください!」
「ん? そんなに触れるのが嫌だったか。すまん」
「あ、そういうわけじゃなくて……その、……ねが」
「聞こえん。はきはき喋れ」
「……む、……が」
「だから聞こえんって」
「む、胸が! 当たってるんです!」
半ばヤケクソに叫んでからハッとした。周囲を見回すと、通りがかった数名の勇者が不審げにこちらを見ている。レイノガルトに視線を戻すと、不思議なものを見るような目が向けられていた。
消えたい。この場から消えてなくなりたい。エイルは顔を両手で覆い俯いた。羞恥で耳まで真っ赤に染まる。
「小僧よ」
肩に手を置かれて顔を上げると、神妙な面持ちをしたレイノガルトの双眸と目が合った。とても重要なことを口にするような雰囲気で、厚みのある唇が開く。
「まさかとは思うが……童貞か」
「なっ」
驚愕と恥じらいを露わにするエイルの反応を見て、レイノガルトは何かを悟ったような表情で遠い目をした。
「そうか。……頑張れ、小僧」
優しさの滲み出る声色でそう言うと、エイルの肩をポンポンと叩く。慈悲深き微笑みをたたえ、哀れみの眼差しを向ける。
「うわああああああああああああ」
エイルは羞恥に耐えきれず、走り出した。
ここではないどこかへ。
優しさが人を傷つけることもあるのだと、エイルは心に刻んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます