第11話 もう辞めたい
「ただいま……」
合い鍵で扉を開けて倒れ込むようにして中に入った。廊下を這って進み、リビングに入ったところで力尽きた。
「そんなところで寝ないでくれる? ゴミと間違えて捨てるわよ」
「そんなこと言われても……動けない」
「あっそ」
一言で切り捨てたスティラはテーブルに向かって目を閉じた。
スティラの部屋は窓際にベッドがあり、その反対側に二人掛けのソファーが置かれている。ベッドとソファーの間にテーブルがあり、彼女はその椅子に座って瞑想していた。
調度品の類はすべて部屋に予め用意されているものだ。移動が頻繁に起こる勇者の性質上、調度品を毎回持って移動するのは効率が悪く、一部の好き者以外は必要な小物だけを次の場所へ持っていく。そのため、勇者のために作られた賃貸住居では必要最低限の調度品が予め設置されている。
スティラも自分で持ち込んだのは小窓にかけられた薄いピンク色のカーテンくらいなもので、他はすべて用意されているものだった。
「ねえ、スティラ」
「話しかけないでくれる? 今集中してるの」
「目閉じてるだけでしょ?」
「は? そんなわけないでしょ? これはね、リソースを感じる訓練なの。魔法使いは大気中に漂うリソースを魔力に変換して魔法を使うのよ。リソースの量を正確に把握して、正確な量だけを体内に取り込んで、その一〇〇%を魔力に変換。それを余すことなく魔法に注ぎ込む。その精度が魔法使いの生命線よ。だから基礎訓練が一番大切なの。わかった?」
「スティラって努力家なんだね」
「なっ、ばっかじゃないの? 私は天才よ? 努力なんて一度たりともしたことはないわ。あんたなんかと一緒にしないでくれる?」
ああ、もうおしまい! と言い放って、苛立たしげに机を叩いて立ち上がる。エイルの頭の上で腕を組み、ため息を漏らした。
「あんた、なんでそんなにボロボロなわけ?」
「ねえ、スティラ」
「何よ」
「辞めていい?」
「は? 何言って――」
エイルはスティラの足首を掴んで、顔を上げた。いっぱいに涙を浮かべ、鼻を啜り懇談する。
「もう無理……痛いよお……死んじゃうよお……」
「ちょっと、離しなさいよ!」
足を思い切り振ると、掴んでいた手は簡単に解けた。ぼたりと腕が床に落ち、エイルは嗚咽を漏らす。
「痛い……」
「あっ、な、泣くんじゃないわよ! 男でしょ?」
涙を溜めて流さないように頑張っているエイル。その姿を見て、スティラは顔を押さえ、嘆息した。
しゃがみこんでエイルの頭に手を乗せる。
「よしよし、頑張ったわね。偉い偉い」
「行かなくて、いい?」
「好きにしなさい。初めから期待なんてしてなかったわ。ヘタレなあんたにはもっと地味なのがお似合いよ」
「スティラあああああ」
「きゃっ、ちょっと! 離しなさい! 汗臭い!」
這い寄りまとわりつこうとするエイル。その顔をスティラは容赦なく右足の裏で踏み離し、もう片足で絡もうとする手を蹴り弾いていく。
激しい攻防の末、エイルはスティラのお腹に泣き縋ることに成功した。
その後、赤面するスティラによってボコボコに蹴られたエイルは、これならどこにいても同じだと絶望の淵に立たされるのであった。
*
「わかってるわよ! 今行くから叩くのやめなさい!」
返事をしているにもかかわらず部屋の扉が何度も叩かれ、激昂したスティラが声を張り上げる。それでも叩く音は止まらない。スティラは「ああああああああああ」と奇声を上げて玄関へ走った。
その一連の流れは、ソファーで泥のように眠っていたエイルを半覚醒させた。ぼんやりとした意識の中で会話が耳に入ってくる。
「うるっさいのよ! 行くって言って――ちょっと、何よあんた! やめ、ちょっと!」
「邪魔するぞ小娘。ふむ。どこかのお嬢様かと思っていたが、存外普通だな」
「うるさいわね! 見ての通り貧乏よ!」
「どうせ小僧を養っているのだろう? 二人分の生活費に加えて受講料……払うの大変ではないか?」
「大きなお世話よ! それに、もう辞めるって本人が言ってたわよ」
「ふむ。それは困るな。契約では一ヶ月は辞められないはずなんだが」
「は? 何よそれ。聞いてないわよ」
「契約書に書いてあるぞ」
ドタドタと床を踏み鳴らす音が慌ただしく響く。
「……書いてある、わね」
「ちなみに、途中で辞める場合は罰金が発生する」
「一、十、百、千、……一〇万リガル!? 何よこれ! こんなの即金で払えるわけないでしょ!?」
「そうか。では仕方ない。小僧を稽古に連れて行くぞ」
浮遊感に襲われ、エイルの意識は完全に覚醒する。
「あっ、落ちる!」
「ん? 起きたか寝坊助。しゃきっとしろ。稽古の時間に遅れているぞ」
「へ? ……レイノガルトさ――い、嫌だ! 僕は行かない! もう痛いのは嫌だ!」
「はっはっは、元気がいいな」
暴れるエイルを軽々と肩に担いで、レイノガルトは廊下を進む。
「スティラ! 裏切ったな!」
「は? 違うわよ! その女が勝手に――」
「うわあああああ。嫌だああああああああああ。誰か助けてええええええ」
玄関の扉が閉まり、それでも漏れ聞こえる叫び声。段々と遠のき、うぐっという呻き声を最後にそれは途絶えた。
すっかり静寂を取り戻した室内。スティラは呆気にとられ、しばらく玄関の戸を眺めていた。
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