第8話 死の淵

 既にエッジマンティスは動いていた。スティラが発動している魔法を感知したのだ。


 モンスターは強力な個体になればなるほど魔法感知能力が高くなり、魔法使いを優先して襲うようになる。それは魔法使いが最も脅威的な存在だとモンスターが認識しているからだと言われている。


 人側においても魔法使いは重要視される存在だ。攻守だけでなく回復も行うことができ、勇者の中でも重宝される。一人いるだけで戦術の幅が広がるため、喉から手が出るほど欲しい人材だ。ただ、他のサブクラスに比べて死亡率が格段に高いため、目指す者はそう多くない。


 それは狙われ易さもあるが、何よりも致命的な弱点があるからだ。魔法を行使するためのトリガーとなる詠唱。その間、魔法使いは無防備となる。その隙に攻撃されてしまうと一溜まりもない。


 それだけではない。詠唱が中断されれば魔法は発動しない。詠唱はリセットされ、消費した魔力も無駄になってしまう。また、魔法使いは大気中のリソースを魔力へ変換するために極度の集中力を要し、疲労が溜まっていく。出来る限り無駄な詠唱を省かなければ、あっという間に力尽きてしまうのだ。


 そのため、パーティーでは魔法使いを最も危険の及ばない配置にするのが定石だ。しかし、駆け出しの剣士と二人で挑むとなればセオリー通りに進むはずがない。


「命を燃やして業火となれ――」


 エッジマンティスの鎌が振るわれた。手元がブレた瞬間には既に鎌が身体に到達している。


 だから、エイルは視界から鎌が消える寸前にブロードソードを横に振った。


 金属同士が弾け合う。手から腕へと走り抜ける衝撃に剣を手放してしまいそうになるが、何とか耐えた。指が痺れているが、まだ力は入る。ただのまぐれでも防いだことに変わりはない。


 二撃目。


 同様に剣を横に薙ごうとするが、エッジマンティスの腕が横に傾くのが見えた。


 鎌の角度が違う。


 垂直の攻撃であれば平行に振ることで防ぐことは容易だが、平行の攻撃を平行に防ぐことは難しい。


 エイルは手首を捻って、身体の前で剣を縦方向に構えた。


 再び剣戟の音が鳴る。だが、それは先ほどより軽い音だった。


 ブロードソードが宙を舞い、地面に突き刺さる。


 無理な構えで受けたせいで耐え切れず、剣は弾かれ、エイル自身も吹き飛ばされていた。


「万物は灰となれ。灰は――きゃっ」


 エッジマンティスの左腕の鎌が射出され、スティラのすぐ隣に音を立てた。当たらなかったものの、詠唱が中断されてしまった。また一からやり直しだ。スティラは再び唱えようと口を開くが、エッジマンティスはそれを許さない。


 エッジマンティスは緩慢な足取りでスティラに向かって進む。詠唱阻止に成功した時点で急ぐ必要は無くなった。


「ひっ」


 スティラの表情が恐怖に染まる。大きく見開かれた目に映るのは死に神の鎌。死を見上げ、彼女にできたのはただ待つことだけだった。


 勝利を確信したエッジマンティスはその絶望に呑まれる様を楽しむように、ゆっくりと鎌を振り上げる。


 引き攣った声がスティラの喉から漏れる。恐怖によって逃げるという選択肢すら奪われていた。


 鎌がわずかに動き始め、スティラは強く目を瞑った。目尻から溜まった涙が零れ落ちる。


「スティラァァァァ」


 その叫び声とともにスティラの身体を強い衝撃が襲い、後ろに倒された。


「今度は、間に、合った」


 スティラの腹部にじんわりと温い液体が染み込んだ。瞼を開けたスティラの瞳が揺れる。


「う、そ……」


 深々と突き刺さった鎌が引き抜かれる。傷口から鮮血が飛び散った。


 どさりと、エイルはスティラに覆いかぶさるようにして倒れた。


 掠れるような呼吸。咳き込み、吐血する。不思議と痛みを感じなかった。


「ごめん……。駄目、だった」


「何言ってんの……し、しっかりしなさいよ!」


「まあ、けど、美少女を、腕に抱きながら死ねる、なら、……いい最期、かな」


 無理矢理笑ってみせようとしても、引き攣る頬は言うことを聞かなかった。スティラを逃がすために身を起こそうとするが、全身に力が入らない。


「ふざけないでよ! 私は……あんたなんかに抱かれて死ぬなんてごめんよ! 最悪よ! 一生の恥だわ!」


「……ゴホッ……冷たすぎ。最期くらい、もっと、優しくしてよ」


「最期最期うるさいのよ! さっきまで私を助けようとしてた根性はどうしたの!? こんなときくらい、男、見せなさいよ!」


「スティラ、キス、しよっか」


「そういう、意味じゃ、ないわよ!」


 エイルはぼやけ始めた視界にスティラの顔を捉えた。目尻に浮かんだ涙が次々に流れ落ちる。悲しみの表情は彼女の美しさを際立たせていた。


 その光景も薄れていき、ついには視界に何も映らなくなった。真っ白に染まり、それが徐々に暗くなっていく。


 エイルはスティラの身体を強く抱きしめた。その感覚も、ほとんどない。


 すべてが零れ落ちていく。そして最期には何も残らない。


「スティラ……どこに、いるの」


「しっかりしなさい! 今すぐ治して――」


 視界に動くものを捉えて、スティラはエイルを抱きしめたまま咄嗟に横へ転がった。一瞬前に彼らのいた場所へ刃が突き立つ。


「邪魔すんじゃないわよ!」


 泣き叫ぶ声は人語を理解できないモンスターへは届かない。


 緑色の目に浮かぶ無情な黒い点が二人を捉えた。


 天高く振り上げられた鎌は勝利宣言が如く。喜びを噛みしめるかのように少しの間静止する。それはまるで、死刑囚に最後の言葉を尋ねる執行人のようだった。


 スティラはエイルを守るようにして抱きしめ、きつく瞼を閉じた。


 エッジマンティスはそれを合図に勢い良く腕を振り降ろす。二人の身体を刺し貫き、肉を斬り裂く感触。それを感受するはずの腕はそこに無かった。


 腕の先――鎌が宙を舞い、下げた腕の切断面からはオレンジ色の液体が噴き出した。


 数歩退きながら周囲を見回すエッジマンティスが敵の姿を視界に捉える。そのときにはすでに頭部が地面を鳴らしていた。


 力を失ったエッジマンティスの身体が遅れて地面に崩れ落ちる。


「危ないところだったな、小娘」


 スティラが振り向いた先にいたのは、黒灰色の長い髪を背の中頃で束ねた褐色肌の女性だった。特筆すべきは圧倒的な質量を誇る双丘。そこからくびれた腹部、大きな臀部へと扇情的な曲線を描いている。


 片目に黒の眼帯を着けている女性は腰に携えた鞘にブロードソードを仕舞い、スティラに笑みを投げた。


「おい、小僧を治療してやらんと死ぬぞ?」


 スティラはハッとし、血相を変えて治癒魔法を行使する。


 二人を囲むように幾何学的な模様を内包した円が展開された。エイルの身体が光に包まれ、すぐに傷口が塞がっていく。同時にスティラの足の傷も治った。


 完全に傷が治ると、エイルの目がゆっくりと開いた。


「あれ、ここは……」


 スティラの姿を認め、エイルは眉を下げた。見るからに泣き出しそうな表情を浮かべる。


「そっか。ごめん、スティラ。守れなかっ――」


 エイルの言葉は喉に受けた強烈な衝撃によって遮られた。


「生きてる……生きてる!」


 鈍い音が鳴るほど勢い良くエイルに抱きついたスティラは、涙を流しながらその言葉を繰り返した。首に回した腕を強く締める度にエイルが苦しげな表情を見せる。だが、スティラはそれに気づかない。


「バカ! バカ! 弱いくせに! 一端に守ろうとしてんじゃないわよ」


「ご、ごめ、す、てぃ……くる、し」


「小娘、いい加減にせんと、せっかく助けた小僧が窒息死するぞ。まあ、そういうつもりで治したのなら別にいいがな」


 その言葉で我に返ったスティラは慌てて腕を解いて、エイルから飛び退くようにして距離を取った。見る見るうちに顔が赤く染まっていく。

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