第7話 切り捨てられるわけがない

「今の何?」


「魔法よ」


「詠唱が必要なんじゃないの?」


「普通はね。けど、詠唱ってのは魔法を行使するためのトリガーに過ぎないの。だから、詠唱を何かに封じ込めておくことができれば、それを開放するだけで魔法が使える。封じ込めることのできる媒体はそれ自体に魔力がないと駄目だから宝石が望ましいんだけど、これがめちゃくちゃ高いのよね。だから護身用に守りの盾(スクトゥム)だけは宝石に封じ込めておいたの。おかげで何とか命を繋げたわ」


「そうなんだ……。さすがスティラ! すごいね!」


 言っていることの半分以上が理解できていないエイルだったが、とりあえず凄そうなので率直な感想を口にした。


 明らかに気分を良くしたスティラが鼻を高くし、生き生きとした表情で語り始める。


「まあね。これを既定魔法って言うんだけど、使える奴はあまりいないわ。宝石に封じ込めるのが難しいの。まあ、天才の私にかかれば大したことないけどね」


「さすが天才魔法つ――」


 エイルの言葉を遮るように目の前の地面に鎌が突き刺さった。それはエッジマンティスのものに間違いない。鎌の部分だけがそこにある。


 慌てて後ろを振り返るが、エッジマンティスの姿はなかった。


 何が起きているか分からず焦りを募らせるエイル。その横でスティラが声を上げた。


「上よ!」


 天を仰ぐと確かにエッジマンティスがそこにいた。背にある透けた羽を広げて震わせ、空を飛んでいる。左腕にしか鎌がついておらず、先ほどの鎌は右腕を切り離して投擲したようだった。


 あんなものが脳天に突き刺されば即死は免れない。


「あんなの反則じゃんか!」


「まずいわね。このままだと二人とも死ぬわよ」


「どうするの?」


「詠唱さえできればあんなの何とでもなるわよ! けど、足を止めた途端に左手の鎌を投げられて終わり」


 詠唱はかなりの集中力を必要とし、片手間でできるようなものではなかった。逃げながらの詠唱など、相当な実力者でもない限り不可能だ。


「じゃあ、あの鎌を僕が防ぐ」


「無理ね」


「即答……」


「ホーンラビットも満足に仕留められないあんたが、高速で射出される鎌に攻撃を当てられるわけないでしょうが! 負けが決まってる博打で命を無駄にしたくなんかないわよ!」


 エッジマンティスは二人の後を飛行してついて来るだけで、左の鎌を投擲しようとしない。完全に武器が無くなれば獲物を仕留める機を逃す可能性がある。そのため、残った一本は確実に仕留められるときを狙って温存しているのだ。


「このまま動き続けてれば、あいつは鎌を投げられないよね?」


「今は、ね」


「何その含んだ言い方……」


 スティラが上を向いたのに釣られてエッジマンティスを見上げたエイルは、衝撃的な光景を目の当たりにした。


 鎌が無い右腕の切断面が盛り上がり、そこから刃が現れた。あっという間に鎌が形成され、腕が元通りになる。


「嘘でしょ……」


「エッジマンティスは手足を再生できるのよ。ただ、無限に再生できるわけじゃなくて、体内の材料が尽きれば再生できなくなるわ」


「それってどれくらいで尽きるの?」


「さあ? 少なくとも一〇回は再生できるっていう話よ」


 先ほど一回消費したので、あと九回は投げることができる。運が悪ければそれ以上。これでは再生が尽きるまで待つという戦法は採れない。それまでに鎌が当たる可能性の方が高い。


「どうするの……」


 泣き出しそうな声で弱音を上げるエイルに、スティラが横から体当たりをした。


「なっ、ばか!」


 押し倒される形になったエイルは打ち付けた背中を擦りながら身体を起こす。


「呑気に、弱音吐いて、んじゃないわよ……ばか」


 いきなり体当たりして来るそっちの方が馬鹿だろうとスティラを見ると、その額から大量の汗が滲み出ていた。


 眉を顰めたエイルは彼女の足を見て絶句した。


「スティラ、足……」


「早く、抜いて。めちゃくちゃ、痛い」


 エイルに覆いかぶさっているスティラの左ふくらはぎに、エッジマンティスの鎌が突き刺さっていた。貫通し、地面にまで刃が食い込んでいる。


 それはエイルの頭蓋目掛けて投擲されたものだった。


「僕を助けるために……」


「自惚れないで頂戴。ただ、仮とは言え自分のパーティーメンバーが目の前で死んだら寝覚めが悪いってだけよ」


 エイルが鎌を引き抜くと、スティラは短い悲鳴を漏らした。左足は瞬く間に真っ赤に染まっていく。苦悶の表情を浮かべ、スティラは地面に生えた草を掻きむしった。


「スティラ、肩を貸すから立てる?」


「バカね。もう私は走れないわよ。置いて行きなさい」


「何言ってんだよ……」


「こういうのはよくあることなのよ。時に仲間を切り捨てるのも、必要な……ことよ」


 その言葉を無視し、エイルはスティラの腕を取って自分の首の後ろに回す。左手でその腕を持ち、右手をスティラの右脇腹に添えた。そして無理矢理立ち上がらせる。


「ちょっと、何やってんの」


「全然何言ってるか分かんないけど、駄目だよ」


「は?」


「そんな簡単に諦めないでよ。まだご飯代も宿泊代も払ってないんだから」


「馬鹿ね。武器代が入ってないわよ」


「……いいから、行くよ」


 まだ冗談――とエイルは思いたい――を言えるほどには心に余裕があることに安堵する。


 一歩ずつ、二人は進んでいく。逃げる速度は格段に落ちた。


 その様子を見たエッジマンティスは飛行を止めて、地面に降り立った。慌てることなく、二人の後を追う。その差を徐々に、徐々に詰めていく。その姿はまるで狩人だ。


「あいつ、もう僕らを追い詰めた気でいるよ」


「実際、追い詰められてるわよ」


 確かに、とエイルは笑う。


 分かっていた。楽観視できる状況ではない。スティラの判断は正しいのだろう。全滅するくらいなら最低限の犠牲で切り抜ける。何とも合理的だ。だが、エイルはそんなの嫌だった。


 一寸先は闇。それでも足掻かなければならないと思った。


「ん? 何?」


 視線を感じでスティラの方を見ると、スティラは顔ごと視線を逸らした。


「な、何でもない……」


「変なの」


「は? あんたの方が、よっぽど、変だっての!」


 スティラはエイルを掴む手に力を込めた。頬を流れ落ちる汗を拭い、その双眸に力強い光が宿る。


「あいつは今、私たちが弱ってると思って油断してるわ。そこを逆手に取るのよ。このまま逃げたっていつか追いつかれる。だったら、勇者らしく戦うの」


「何か方法が?」


「ええ。あんたが時間を稼いで、私が詠唱する」


「それさっき却下されたじゃん。……僕が食われてる隙にスティラが倒すってこと? それって人としてどうなの?」


「だったら食べられないように頑張りなさいよ!」


 文句を言いつつも、それくらいしか生き残る可能性がないことは分かっていた。だから、エイルは言う通りにする。うまくいくかはまったく分からない。エイル自身、自分が役に立つとは思えない。


 それでも死ぬよりはマシのはずだ。


「詠唱始めるわ。私が合図したら足止めに行って」


 スティラがしゃがむのに合わせて、エイルも膝を折る。端から見れば限界を迎えたスティラを座らせたという光景に見えるはずだ。


 しかし、それは反撃の狼煙。


「我が名の下に命ず――」


 唱え始めたスティラの足元に白光する点が現れた。それは幾何学的な模様を描きながら広がり、半径一メートルほどの円となる。


「移し継がれし燈火は、燃え広がりて大火となり――」


 詠唱するに連れてその光は赤く染まり始め、加速度的に輝きが増していく。


 スティラの手がエイルの胸を押した。白銀灰の瞳が、行けと告げている。


 エイルは彼女に背を向け、踏み込んだ。半ば自棄糞な雄叫びを上げながら、大地を疾走する。

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