第6話 森のトイレは危険
「もう無理。もう戦えない。そもそも勝てない」
「何言ってんの? それ雑魚よ? 誰でも倒せる――勇者じゃなくても倒せる程度のモンスターよ? それ倒せなかったらこれから先、絶対死ぬわよ……」
「やっぱ勇者やめる!」
ホーンラビット。兎と姿形はほとんど変わらないが、角があることだけが異なるモンスターだ。温厚な性格のホーンラビットは初心者にとって最適な相手だった。
にもかかわらず、エイルはまったく倒すことができず、遊ばれてすらいた。兎に背中を突かれながら草原を駆け回る姿は滑稽を通り越して呆れ果てる。人はここまで落ちぶれることができるのか、と。
兎は飽きたのか姿を消し、ようやくエイルは一息つけた。収穫はゼロ。これでは生活に何の寄与もしていない。
勇者の生活はモンスターの価値ある部分を綺麗な形で残せるかどうかにかかっていると言ってもいい。傷一つなく持ち帰ることができれば、それだけ換金率が高くなるのだ。
だが、何も持ち帰ることができなければ、生活費すら稼ぐことができない。
エイルはまったく使い物にならないお荷物状態だったが、スティラは違った。フェーズⅠは伊達ではなく、確実に敵を屠っていく。
スティラは純粋な魔法使いだった。近接戦闘は行わず、魔法のみで戦う。彼女は様々な属性の攻撃魔法に精通していた。ただ、魔法を発動させるための詠唱に時間がかかるため、効率はあまり良くなかった。
自ら仕留めたホーンラビットの角を死骸からへし折って、スティラは嘆息する。
その反応は少しだけエイルの癪に障った。
「嫌ならパーティー解消すればいいじゃん」
「は? そんなこと言ってないでしょ!」
高圧的なスティラの態度に気圧されつつも、エイルは負けじと口を開く。
「い、言ってるようなもんでしょ? じゃあため息なんて吐かないでよ」
「私がいつため息漏らそうが私の勝手でしょ?」
剣呑な雰囲気に耐えかねて、エイルは会話を打ち切って森へ入って行く。
「ちょっと、どこへ行くのよ」
「トイレだよ。ついて来ないでよ」
「ばっ、バカ! 誰が覗くもんですか!!」
悲鳴にも似た叫びを背に、エイルは振り返ることなく奥へ足を進めた。
トイレに行きたかったわけではなかった。ただ、自分があまりにも惨めで情けなかった。自分が何の役にも立っていないことは分かっていた。スティラへの態度は八つ当たりにすぎない。
邪魔な小枝をブロードソードで切り飛ばしながら、どこへともなくぶらぶら歩く。
「いっそ、逃げようかな……」
今ならばいくらスティラが叫んだところで捕まるようなことはないだろう。もし誰かに追われたとしても、街とは違って広い森の中であれば見つかる可能性は極めて低いはずだ。
ただ、衣食住の面倒を見てもらっている手前、何も言わずに出ていくのは忍びない。
葛藤の答えは出ず、とりあえず今日のところは考えるのをやめて明日以降にする。問題の棚上げは得意分野だった。
踵を返すと、後方の茂みが音を立てた。慌てて振り向き、剣を構える。また茂みが動いた。そこだけが揺れているため、風のせいではない。何かがいるのは確かだ。
あの憎き兎が現れたなら、次こそはぶった切ってやろうと息巻いた。
しかし、予想に反して姿を現したのはカマキリだった。
エイルは冷や汗を垂らしながら、後ずさった。引きつった表情で、間抜けにも口を半開きにする。見開いた瞳が揺れ、恐怖が足下から這い上がった。
それがただのカマキリだったなら、ブロードソードで叩き切るまでもなく放っておけばよかった。昆虫程度、何の障害にもならない。
だが、そこにいたのは人間と同程度の背丈があり、腕が鎌のように研ぎ澄まされた刃になっているカマキリ――エッジマンティスだった。
エッジマンティスの刃は鉄で出来ている。そのため、攻撃をまともに食らえば人肉など容易く切り裂かれてしまう。即死する可能性があり、さらにその鎌は両の手に備えられている。二刀流。どちらの手に対しても注意を払っていなければならず、初心者ではまず相手にできないモンスターだ。
鉱物がある森に出現するモンスターであるため、エッジマンティスとの遭遇は近くに採掘できる場所があるという目印だ。
触覚の外側についた二つの緑の目。その中心に位置していた黒い部分がエイルの方に動いた。瞬間、四本の足がエイル目掛けて疾走する。
あっという間に距離が詰まった。何の前置きもなく、容赦もなく、鎌が振り下ろされる。
咄嗟にエイルが出鱈目に振った剣が運良く鎌の軌道をずらした。何とか初撃を凌ぐことに成功する。
二撃目が来る前にエイルは駆け出した。エッジマンティスと逆方向。来た道を引き返す。
初撃の鎌がエイルには見えなかった。たまたま当たったからいいものの、少しでもずれていれば胴体を真っ二つにされていた。
絶対に敵わないと判断し、即時撤退。逃げることができればそれでよし。そうでなければ、スティラに処理してもらうことにする。また呆れられそうだが、どんなに情けない姿を晒そうと助かるならそれに縋りたい。
ちらりと後方を振り返ると、しっかりと後をついて来ていた。意外と足が速く、引き離すことができない。それどころか少しずつ距離が縮んでいるようにさえ思えた。
もうすぐ前方の木々が途絶え、その先は草原地帯。スティラの姿が目に入った。後ろ手に組み、地面を蹴って苛立ちを露わにしていた。
「あっ、ちょっと! どんだけトイレ長いのよ! 置いていこうかと……おもっ……」
明らかに様子がおかしいことに気づき、スティラの表情が怒りから怪訝に変わる。そして、エイルの後方を走るエッジマンティスの姿を認め、驚愕を浮かべた。
「あんた何連れて来て――」
もの凄い速度で真横を通り過ぎていくエイルに、スティラの言葉が途切れる。唖然とするスティラだったが、すぐにハッとしてその後を追った。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
「無理無理無理。待ったら死ぬ!」
「だからって何でこっちに連れてくるのよ!」
「だって、ついてくるから! スティラに倒してもらおうと思って!」
スティラは頭痛に苦しむように頭を押さえた。
「あんたってやつは……情けないと思わないの?」
「命の方が大事でしょ?」
「…………そうね」
深いため息が後方で聞こえたが、エイルは聞かなかったことにする。振り返るとすぐ後ろにスティラがいて、その少し後ろにエッジマンティスがいる。諦める気はまったくないらしい。
地を踏みならす足音がどんどん大きくなる。
「スティラ、早く倒して!」
「詠唱の時間がないから無理よ! 剣士なら時間稼ぎしなさいよ!」
「無理だって! 速すぎて全然攻撃が見えないんだから」
「もう! 役立たず!」
「しょうがないじゃん! 初心者なんだから!」
「開き直るんじゃないわよ! あんたみたいなダメダメな初心者初めて見たわ!」
罵声の後に可愛らしい小さな悲鳴が届いた。足を止めて振り返ると、スティラが地面に倒れ込んでいた。
「スティラ! 後ろ!」
「え?」
うつ伏せの状態から身体を捻って後方を確認したスティラの表情が凍りつく。
すでにスティラの目前に到達したエッジマンティスが、彼女へ鎌の照準を合わせていた。防具を身につけていないスティラに攻撃を凌ぐ手立てはない。
エイルは急いで引き返すが、間に合わない。
「スティラ!」
声は虚しく響く。その言葉を号令のようにして、弾かれたように鎌が動き出した。不可視の鎌がスティラの身体を引き裂き血飛沫を上げる――と思いきや、硬い音を鳴らして鎌の動きが宙で止まった。何かが鎌の攻撃を防いでいる。まるで鎌とスティラの間に透明な壁でも存在しているかのように。
エッジマンティスは両の手で攻撃を繰り返すが、透明な壁に尽くを弾かれた。透明な壁には一点だけ見える部分がある。おそらくは真ん中に当たるだろう場所に、白色に輝く石が浮いていた。
スティラは壁が攻撃を防いでいるうちに起き上がり、駆け出した。
立ち止まるエイルの手を取って併走させる。
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