第4話 勇者協会に加盟

 二人がけのテーブルに運ばれた肉料理から食欲を刺激する破壊的な香りが湯気に混じって立ち上る。鉄板の上で絡み合う肉汁とソースの跳ねる音が、それをさらに引き立てた。


 エイルの腹が何度目かの音を鳴らす。もう限界は近い。


 腹の虫は肉音にも負けなかったようで、スティラは呆れ果て悩ましげに額を押さえた。


 エイルはスティラに連れられ、酒場にやって来ていた。


 酒場は夕刻のためか満席に近く、賑わいを見せていた。パーティーで酒を酌み交わしたり、商談や情報交換をしたりと勇者にとって非常に重宝されている場所だった。


 エイルの持ち金を知ったスティラは信じられないものを見るように目を丸くし、驚愕を顔に貼りつけた。一〇〇〇リガルなど一度の食事で無くなってしまうからだ。


 見兼ねたスティラは仕方なく奢ることにした。


 エイルは申し訳ない気持ちになりながらも、目の前に運ばれた美味しそうな料理に涎が垂れそうになる。だが、スティラより先に手を出すのは躊躇われ、じっと耐えていた。


「……まったく、早く食べなさいよ。ここまで来て遠慮したって、情けないことに変わりないんだから」


 スティラの呆れ顔に、エイルは満面の意味を返す。


「いただきます!」


 エイルはフォークとナイフを不器用に使って肉を運ぶ。口に入れた瞬間から幸せに満ちた笑みが零れた。


 フォークとナイフの使い方は村を出る前に両親から習っていた。村の生活で使うことはなかったが、街に出るなら役に立つだろうという気遣いだ。


 ただ、習ってはいても慣れていないため、下手くそで汚かった。


 スティラはそれを見て表情を引き攣らせていたが、諦めて自らも食事を摂り始める。美味しそうにモグモグと口を動かすエイルを見て途端に空腹が襲った。


「あんた、これからどうすんの?」


 肉に集中していたエイルは顔を上げると、口いっぱいに頬張りながら首を傾げる。


「ったく……脳天気な奴。あんたの持ち金じゃ、どの宿にも泊まれないわよ?」


 思い出された現実にエイルは咀嚼を止めた。リスのように頬を膨らませて俯き、がっくりと肩を落とす。エイルの周りに暗澹とした空気が流れた。


 捨てられた子犬のようなその姿を見て、スティラは口を開きかけた。だが、何か思うところがあったようですぐに噤んだ。


 咀嚼を再開したエイルはごくりと飲み込んで顔を上げる。


「村に帰ろうかと思ってる」


「正気? もう日が暮れるのよ? 夜に丸腰で外に出てモンスターに襲われでもしたら、あんた間違いなく死ぬわよ」


「けど……」


 他に方法がない。


 再び俯くエイルに、スティラは耐えかねてテーブルを叩いた。立ち上がり、不機嫌そうな声を上げて身を乗り出す。


「ああ、もう! 分かったわよ。私の部屋に泊めてあげる!」


 その言葉を聞いた途端にパッと表情が明るくなったエイル。それを見たスティラは忌ま忌ましそうに眉を寄せ、その代わりと言葉を続けた。


「私とパーティーを組みなさい」


 背に腹は代えられない。エイルは神妙な面持ちで頷き、刺していた肉を口へ運んだ。



 食事を終えた二人は勇者協会へとやって来た。協会に加盟することで晴れて勇者の仲間入りができる。


 加盟の方法は至って簡単で、受付で貰った洋紙に必要事項を記入して提出するだけだ。洋紙には名前を記載する欄と拇印を押す欄しかない。拇印は親指を少し切って自らの血を朱肉代わりにする。


 それを聞いたエイルは見るからに嫌そうな顔をして拒否した。


「つべこべ言わすに押しなさいよ!」


「だって、親指切るとか痛いじゃん」


「少しよ? それくらい我慢しなさいよ。男のくせに」


「嫌なものは嫌なの!」


 一歩も譲ろうとしない両者。だが、スティラには切り札がある。


「ふうん……いいんだ?」


 腕を組んで目を細めるスティラ。途端にエイルの表情が曇り始める。


 スティラはここぞとばかりに畳み掛けた。


「ほんの少し指を切って部屋で寝るのと、野宿するのと、どちらが快適かしらね。街の道端に寝てたら悪い奴らに何されるか分からないし、周囲の目が痛いわよね。私だったら恥ずかしくて死にたくなるわ」


 エイルの表情がさらに曇る。ここまで来たらもう一押しで落ちる。スティラはエイルの耳元に口を寄せ、囁いた。


「そう言えば私、治癒魔法が使えるのよね。親指の小さな切り傷くらい、すぐに治せるんだけど。まあ、本人が嫌なら仕方ないわね」


 流し目を送り、スティラは背を向けた。そのまま協会を出ようと歩き始める。


 焦りの色を浮かべたエイルは決心したように口を開いた。


「わかった」


 スティラの口の端がニヤリとつり上がる。その笑みを引っ込めてから振り返った。


「そう。じゃあ、早く――」


「野宿する」


「は?」


「ご飯ありがとう。美味しかったよ。今度会ったら何か奢るね」


 口を大きく開けたまま固まるスティラの横をエイルが通り過ぎる。


 スティラはわなわなと震え出し、踵を返して一気に距離を詰めた。エイルの首根っこを掴むと、放り投げるようにして椅子に座らせる。立ち上がらせまいとエイルの膝の上に腰を下ろし、彼の右腕を脇に挟んでテーブルに叩きつけた。握ったナイフを親指目掛けて振り下ろす。


「ひっ――」


 小気味よい音がテーブルに突き刺さる。刃先は惜しくもエイルの親指スレスレのところに刺さっていた。


「動くんじゃないわよ!」


「ばか! 親指が切れるどころかその威力だと切り離されちゃうから!」


 エイルが暴れると、スティラは逃すまいと脇に力を込め、身体をさらに密着させる。その途端にエイルの動きが止まり、熟れた林檎のように耳元まで赤くなった。


「初めからそうすればいいのよ」


 スティラは脇をそのままに、崩れていた体勢を立て直そうと座り直す。


「あっ……」


「ん? どうかした?」


「あ、いや、その……」


「何よ。はっきり言いなさいよ」


 言っていいものなのか。まったく気づいていない様子のスティラに、エイルは自分の方が過敏なのかと不安が渦巻いた。だが、この状態を保たれると頭がおかしくなりそうなので、思い切って口を開く。


「……お尻、と……む、胸が……当たって……」


 膝に柔らかで小さなお尻が。腕に慎ましい胸が。


 女性経験のないエイルにとって、手を繋ぐ以上に破壊力のある感触だった。


「あ……あ……ああ……あ……あ……っ……」


 スティラはエイルと同じように顔を真っ赤にして固まる。うわ言のように言葉を漏らし、身体が震え始める。


 そのせいで壮絶に幸福な感触が足と腕に伝わり、エイルは唇を噛み締めて崩壊しそうな理性を保つ。


 振動が止み、目を見開いたスティラは脇をさらにキツく締め、大きく腕を振り上げた。ナイフが魔灯の光を鋭く照り返す。


 スティラの瞳が羞恥を通り越して狂気に染まった。


「死ねええええええええ」


「ああああああああああ」


 二人の絶叫が勇者協会に響き渡る。


 その後、二人は居合わせた勇者に取り押さえられた。小一時間に及ぶ説教の後、ようやく解放された。

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