第2話 少女との出会い
カイアフロトは別名、はじまりの街と呼ばれている。勇者になろうとする者がまず初めに目指すのがこの街だからだ。
カイアフロトは街の外周を壁で囲み、その周りに溝を掘っている。街に入るためには街側から降りる橋を渡らなければならない。モンスターの侵入を防ぐための設計で、街の建設以来、一度も侵入を許したことはない。
エイルが街に入った頃には、もう日が傾き始めていた。
とりあえずはどこかに宿を取って、本当に勇者になるべきか一晩考えることにした。
当初の予定ではすぐに勇者登録を済ませ、パーティーを集めて冒険の旅に出ようと考えていた。だが、今は迷いがあった。
シェリーに言われた言葉も心に響いたが、それよりも弱いモンスターに歯が立たなかったことが一番の悩みの種だった。このままでは魔王はおろか、そこら辺の雑魚敵にすら殺されかねない。
はじまりの街というだけあって、街の中は武器や鎧を装備した人々が目についた。武具を扱う店が数多く立ち並び、酒場もたくさんある。冒険を終えたのだろう、鎧に傷を作った集団が酒場の扉をくぐり抜けて行った。
初めて見る他の集落はエイルにとって何もかもが新鮮に映った。エイルはこの歳まで自分の村から出たことがなかった。村のしきたりで、一八歳になるまでは村の外へ出ることが許されなかったのだ。
村を出てから数日を経て、ようやく遭遇したのがあのラインボアだった。もしも、それより前にモンスターと出遭っていたら、この街に足を踏み入れることはなかっただろう。
視線を忙しく彷徨わせて宿屋を探す。何一つ知らない街。まるで異世界にでも迷い込んだようで不安が燻った。
途中、巨大な建物が目に入った。白塗りの建物で階は五つ。入り口と思われる扉は光沢のある木製の二枚扉。そこに入って行く人々の装備は素人であるエイルの目から見ても高級品であることは明らかだった。その場所だけは街から浮いている。
勇者であれば一度は宿泊したいと夢見る高級宿――ホテル・グロリアだ。一級品のものを揃え、サービスは最上級。宿泊できるということだけで一種のステータスとなる。この宿は、万が一の危機に備えて上位の勇者を一定数とどめておきたいという、街の思惑から生まれたものだった。
ぼんやりと眺めていると、肩に後ろから何かがぶつかった。突然のことで踏ん張りがきかず、エイルは前のめりに倒れ込んだ。
「いてて……」
「邪魔だ小僧」
「雑魚は道を空けて歩けよ」
蔑みの笑みを浮かべ、黄金の全身鎧を身に纏った二人の男がエイルの横を通り過ぎて行く。彼らはホテル・グロリアの中へと消えて行った。
立ち上がり尻についた土を払いながら、エイルは彼らを迎え入れた扉を睨めつけた。
あんな奴らが勇者を名乗るなんておかしいと思った。勇者はもっと高潔で、強く、凜々しくなければならない。笑みをたたえて救いの手を差し伸べる姿こそ勇者に相応しい。
どこにもぶつけることのできない心のモヤモヤに苛立ちを募らせながら、エイルは大股で進んで行く。
途中でいくつかの宿屋を見つけたが、怒りが収まらず入る気分ではなかった。ようやく平静を取り戻した頃に挑んだ店では扉を開く直前で突然の緊張に襲われて怖じ気づき、入りそびれてしまった。
これでは駄目だと勇気を振り絞った店ではお金が足りずに宿泊を断られた。顔が燃えるような思いですぐに店を出た。羞恥で消えてしまいたかった。
一〇〇〇リガルは村では大金と言っていい金額で、大抵のものは買うことができた。だが、宿泊には三〇〇〇リガルが必要だった。『最安』と掲げられた看板の宿だったので、他はもっと高いはずだ。
先ほどのホテル・グロリアですらこの大金があれば泊まれると思っていたエイルは、がっくりと肩を落として途方に暮れた。
エイルの村は基本的に自給自足が成り立っていて、農作物も家畜も生きて行くには十分な生産量だった。そのため、お金をほとんど必要とせず、物々交換が商いの基本だった。
だが、カイアフロトは武具の販売業や宿泊業で成り立っているような街。何をするにもお金が必要で、他の街よりも物価は安いものの、それでもある程度の金銭がなければやっていけない。
勇者はモンスターを倒し、その戦利品や報酬によって生計を立てている。通常であれば、一度モンスターを倒しに行けば一日の宿代程度は誰でも稼げるはずなのだが、エイルには荷が重すぎた。
以降も店外から値段を窺ったり、恥を忍んで受付に聞いたりといくつか見て回ったが、どこも手持ちでは足りなかった。
そうしている間にも日は暮れていく。
野宿という二文字が頭をよぎる。
カイアフロトの周辺はよくモンスターが出没し、夜になると強力なモンスターが現れる。そのため、日が落ちると桟橋を上げて街の入り口を閉じる。それに間に合わなければ朝になるまで中に入ることができない。
ただし、出現するモンスターは昼夜問わず駆け出しの勇者が対処できるレベルだ。中には節約のために野営を積極的に行う者もいる。
当然のことながら、エイルが野営を行えば確実に死ぬ。だからと言って、このまま宿を探しても一〇〇〇リガルで泊まれる店は見つからないだろう。
彷徨い続けていた足がついに止まる。もはや、歩く気力など無かった。
街のそこら辺にでも寝てしまおうか。表通りは目立ちそうなので裏通りならどうか。そんな考えが頭を支配していく。
いつの間にか、街並みが変わっていた。全体的にどこか荒んでいて、刺々しい雰囲気が漂っている。ガラの悪そうな人相がよく目についた。
エイルは身を縮めて、目立たないように心がけた。誰かの癇に障って絡まれでもしたら、それこそ命はないような気がした。
しばらく歩いて、人の少ない通りのさらに裏道を覗き込む。日没間近のせいか、その道は暗がりの中にあった。冷たく、陰鬱な印象を受けるその場所に足を踏み入れる勇気は無かった。
それでも背に腹は代えられない。喉を鳴らし、拳を力強く握りしめる。
決意の眼差しで一歩踏み出そうとした瞬間、何者かに手を引っ張られた。
「あんた、ばっかじゃないの!? そんなところに入ったら死ぬわよ!?」
柔らかく、細い手だった。この荒んだ区域には似合わない、ドレスのような法衣を纏った少女がエイルの手を引いて行く。
幼さの残る顔つきから歳はエイルより下だろう。踏み出すたびに金髪のツインテールがピョンピョンと忙しなく跳ね、わずかに振り返ったときに見えた横顔は人形のように精巧に整っていた。白色に近い銀灰の瞳はまるで宝石のようで、不思議な魅力がある。
突然の出来事に面食らった上に少女の美しさに目を奪われていたエイルは頬を朱に染めて、少女に手を引かれるままにしばらく歩いた。
「ここまで来れば大丈夫ね」
もう剣呑な雰囲気はなく、活気のある街並みに戻っていた。
「まったく、あんな物騒なところに行く馬鹿がいる? 私が通りかかったからいいものを」
「あ、う、うん……ありがと。えっと……」
「スティラよ。ほんと感謝しなさいよね。おかげでこっちはパーティーメンバー探しができなかっ……何赤くなってんのよ?」
「あ、いや、これはっ、そのっ」
「何なの気持ち悪――」
ようやくスティラは目を落とした。エイルの手をぎゅっと握った自分の手に。
「あ、ああ、あああああああああああああ」
一転して顔から火が出るほどに赤面し、スティラは思い切り手を振りほどいてエイルとの距離を取った。握っていた方の手をもう一方の手で包み込み、落ち着きなく視線を泳がせる。
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