第七話
この日の依頼者は高校生の女の子だった。年は僕と同じ。
必要書類はきちんと送付してある。ここから電車で一時間、目的地は隣の県にある樹海だ。
僕はチェック用紙などの書類とロープ、あとはパソコンと印刷した応募フォームをリュックに詰め、家を出た。ああ、睡眠薬を忘れてた。
集合は朝十一時、僕は準備のために少し早く到着しなければならない。いったん来た道を戻った僕は、睡眠薬を取ってすぐに家をあとにした。
電車に揺られている一時間は、緊張のためか長く感じた。何故緊張しているのかと訊かれれば、一人で行う初めての仕事だからと答えるだろう。当然ながら電車の中にそんな質問をしてくる人間はいなかったので、僕が答えを開かす必要はなかった。
駅からバスを乗り継ぎ、ようやく樹海の入り口に到着した。集合場所はもっと奥に進んだところにある。
「あ」
僕が歩く数百メートル先、視界が悪いので人の姿を捉えるので限界だが、先に見えるのはおそらく依頼者の姿だろう。少しだけ足を速め、彼女の元を目指す。
あと数メートルの所で彼女も僕の存在に気づいたらしく、「あ」と声を上げた。僕は彼女に「準備するから待っててね」と声を掛けた。
とは言っても、運営側が現場でする準備など二つだけしかない。まずは自殺に適している木を探し、そしてロープを設置する。
「お待たせしました。本日はお足元の悪い中――」
彼女は僕の説明を、ニコニコと笑顔を浮かべながら聞いていた。
何がそんなに楽しいんだろう。
台本通りの挨拶、説明を淡々と口に出す。緊張のために途中で嚙むことが多々あったが、どうせ覚えているのは僕だけだ。
「――説明は以上です。何か質問はありますか?」
僕がそう問いかけると、彼女は元気よく手を挙げた。
「はい、どうぞ」
「なんで天気がいいのに、『足元が悪い』って挨拶なんですか?」
それに対して僕は、わざとらしく溜息を吐く。
「こっちが聞きたいくらいだよ。どうしてなの?」
彼女は「うーん」と大袈裟な動きで考える素振りを見せた。
「死ぬ前にひと笑いあった方がいいでしょ?」
「君の挨拶で誰かが笑ってるの、見たことないけど」
「笑ってたよ、菜月ちゃん」
「それは彼女が良い子だったからだよ。そもそもあの日は雨が降ってたし」
「いや、みんな笑ってたね!」
「そうかな、記憶にないけど」
「そうだよ!」
彼女があまりにも自信満々に言うので、思わず笑ってしまった。それにつられてなのか、彼女も笑った。
笑いが止んだあとは葉の擦れる音が波のように辺りを包み、それから割り込むようにヘリコプターの音が聞こえた。
「理那から聞いたんだ?」
彼女が地面に座ったので、それに続いてぼくも隣に腰掛ける。
「うん」
「ごめんね、騙してて」
「いや、別に」
「知ってると思うけど、佐倉は私が殺したよ」
「うん、だと思った。でも、なんで佐倉なの?」
「佐倉も加害者だからだよ」
「止めようとしたのに?」
僕の質問に、彼女は静かに笑った。
「佐倉が強姦を止めようとしたのは本当だよ。でもそれは、妹の話」
「ん? どういうこと?」
被害を受けたのは伊東本人ではなかったのか?
「佐倉のグループは二度、強姦しようとしていたの。一回目のターゲットは私。その時は佐倉も含めて、みんなが加害者」
「……そうだったんだ」
僕はどう反応したらいいかわからず、静かに相槌を打つことしかできなかった。
「二回目のターゲットは妹。でも、罪悪感からなのかはわからないけど、佐倉が今度は止めようとしたらしいんだ。佐倉は止めるのに失敗したけど、彼との乱闘を聞きつけた近隣住民の通報で、妹を襲う前に彼らは警察に捕まった」
そういうことだったのか。これでなぜ彼女が佐倉を恨んでいたのか理解できた。
「なるほどね」
「それと、君に言わなければいけないことがもう一つあって……」
彼女はまた言いづらそうに、目を伏せた。
「いいよ、ゆっくりで。時間はまだあるから」
「……私、ずっと死にたかった。人が怖くて、被害に遭ってない妹に嫉妬して、そんな自分が嫌だった」
そこで伊東は一度言葉を切った。
そして深呼吸をしてから、再び口を開く。
「でも私を襲った奴らがいなくなれば生きようと思えるんじゃないかって、この自殺支援プロジェクトを始めたの。自殺する人だったら殺人を犯しても、結局死ぬから罰則とか気にしなくてもいいって。だから、参加者に『あなたのどんな要望も聞くから、最後に人を殺してくれないか』ってお願いしていたの」
「ああ、だから佐倉は君に怯えていたのか」
「私の指示だって気づいてたんだろうね。他の人たちは殺すことができたから、あとはアイツだけだったんだ」
彼女はそこで言葉を切り、空を見上げた。
「ごめんね、ずっと言えなかったんだ。君は、私が純粋な理由でこのプロジェクトを始めたと思っていただろうから」
彼女が自分を責めないような言葉を掛けようと、僕は前頭葉に適切な言葉が落ちていないか探してみた。
「……君は、死ぬの?」
結局落とし物なんて何も見つけられなかった僕は、仕方なく頭に蔓延っていた言葉を問いかけた。
「うん」
「希望は、ないのかな」
少しでも希望があるなら救いたい。そしていつか笑えるようになって欲しい。
「ないよ。彼らが死んだとしても、気持ちが晴れることはなかった。これ以上人を怖がって生きていくのにも、もう限界」
僕の期待は冷たく打ち砕かれて、そのまま消えてしまった。
「そっか」
彼女は僕の返事を聞くと立ち上がり、「失礼するね」と僕のリュックを探った。
「何してるの?」
「あった」
彼女はそう言って、僕に睡眠薬をかざしてみせた。ペットボトルの蓋を開け、睡眠薬を躊躇なく口へ放り込む。
『ここに来るのは、その中に希望を見つけられなかった人たちだよ』
そう言った彼女の悲しそうな表情が頭に浮かんだ。
伊東は希望を見つけることが出来なかったのか。
「古谷君、君は前に、『生きる意味は何か』って訊いてきたよね」
彼女はそう言うと、僕が設置したロープに首を通し、木に寄りかかった。
「うん」
その木は僕たちが座っていた正面に立っているので、僕と彼女は向かい合う形になった。
「あのときはわからないってごまかしたけど、今ならわかるよ」
心地いい風が吹いて、木々を揺らした。植物たちと一緒に、彼女の長い髪も揺れる。
「君の生きる理由は、何?」
彼女はわざとらしく笑顔を作った。
「繋いであげること。今まで見送ってきた人が感じてきたことや悩み、死にたくなるくらいつらかった人がいたことを受け止めることだったんだなって」
菜月ちゃんも似たような事を言っていた。自分が消えたとしても、大切な人が自分の意味を大切に持っていてくれるだろうから、と。
「そういう理由も、いいね」
先ほどのヘリコプターは既にいなくなっていた。空にあるのは雲と、憂鬱なほど眩しい太陽だけだった。
「もし君に生きる理由がなかったら、私の意味を継いで欲しい。死にたくてどうしようもない人が最後に行き着く場所を、守って欲しい」
聞こえるのはやはり葉の擦れる音だけで、僕たち以外の人間はみんな自殺してしまったのではないかという錯覚に陥った。
「うん、君の意思を引き継ぐよ」
伊東は「ありがとう」と呟き、ゆっくりと目を閉じた。
その言葉を最後に、音の世界の支配権は葉の擦れる音に奪われた。
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