第二話

「次の依頼は中学生三年生の女の子、雨宮菜月ちゃん。依頼理由は『学校でいじめられていて、先生も両親も助けてくれないから』だそうです。今回は一人だけね」


「へえ……」


 別に、依頼内容に興味が無かったわけじゃない。それにもかかわらず僕が彼女の言葉を素直に聞き入れることが出来ないのには、二つの理由があった。一つは次も協力するなんて言っていないのに、何故か彼女が次の依頼の話を始めたから。そして二つ目は会議場所として伊東の部屋が選ばれたからだ。女性とほとんど交流がない僕にとって、女の子の部屋に上がるのはこれが初めてである。伊東は予想通りというか何というか、女の子らしさ抜群の部屋に住んでいた。


 僕の内心など関係なく、伊東は「見送り」の日程や仕事内容を淡々と語る。


「――依頼内容は以上! 何か質問はありますか?」


 なぜ僕が協力することになっているんですか。


 そう質問してやりたいところだったが、正直なところ、僅かながら彼女に同行したいという気持ちがあった。死を目の当たりにすれば、人がどういう理由で死んでいくのかがわかれば、自分が生きている意味を理解できる気がするからだ。それと、非日常に対する少しの好奇心も。


「じゃあ、質問。君はどんな理由でこのサイトを運営してるの?」


「依頼内容に関係ない気がするけど、特別に答えてやろう!」


 彼女は大袈裟に笑い、眼鏡を上げる動作をした。眼鏡なんて掛けていないのに。


「私は、死にたいって思った人が自由に死ねる環境を作りたいの。『苦しんでいる人を楽にする』、それが自殺支援プロジェクトのコンセプト」


「なるほど。でも、その苦しんでいる状況を打開できるのだとしたら、自殺を支援するのはどうなの? なんでもかんでも自殺させてあげればいいってものでもないし」


 後入りの身でこんなことを言うのはおこがましいかもしれないが、救えるはずの人間を自殺させるのも後味が悪い。彼女の行動理念に反するような言葉だったが、伊東は「いい質問だ」と得意げな表情を浮かべた。


「『生きてればいいことがあるよ』『死んじゃダメ』は全部、他人のエゴなんだよ。そういう人に限って『自分の好きなように生きて』って言うの。そんなの、その人が自殺志願者に依存しているだけか、ただの偽善だよ。本当にその人のことを考えているなら、死なせてあげるべきでしょ」


 まるで経験したことがあるかのような説得力を持つ演説に、僕は彼女の言うことは確かに的を射ていると思った。しかし、全てに同意というわけではない。


「つまり、自殺したい人には自殺させてあげるべきってことだよね。でも、助けられる可能性が少しでもあるなら自殺させるべきではないと思うけど」


 少し強気すぎただろうか。そんな心配をよそに、彼女は「うーん」と唸った。僕はさらに続ける。


「どうにもならないことにも、立ち向かってみたら何か変わるかもしれないし」


「……なるほどね。まあ、人間みんな同じ意見っていうのはありえないから、相棒同士で違う意見を持っているのもおもしろいと思うよ。まあ、私は余計な希望を抱かせるべきではないと思うけどね」


「余計な希望か。それも一理あるね」


「まあ、よろしく頼むぜ、相棒!」


 伊東は親指を立て、漫画の主人公のようにそう言った。


「ねえ、その、相棒ってやつ。恥ずかしいから辞めてくれない?」


「いやあ、憧れてたんだよねー。私のことも相棒って呼んでね」


 同じ理由で拒否しようとしたそのとき、「ガチャッ」と扉の開く音が聞こえた。


 彼女の親が帰ってきたのだろうか。なんて挨拶すればいいのだろう。


 伊東の方へ視線をやると、彼女も焦った表情を浮かべていた。彼女は視線を腕時計に落とし、「ヤバ」と呟く。


「親御さん?」


「いや、たぶん、妹なんだけど……」


 戸惑う彼女の姿は中々見られるものではない。妙なレア感を抱きながら彼女の話を聞く。


「妹?」


 僕がそう訊き返すと、彼女は溜息を吐いた。彼女の妹は自殺したものだと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。


「う~ん、これは言わないつもりだったんだけどな」


「まあ、別に、言いにくいことなら」


「んー、私が自殺支援プロジェクトを始めるきっかけになったことでもあるし」


「そっか」


 僕がそう返事をすると、伊東はその表情を真剣なものに改めた。


「んー、えっとね、私の妹ね、昔、強姦に遭って引きこもってるんだ。男性が怖いみたいで、あんまり部屋から出られないの。最近は時々散歩しに出掛けるんだけど」


「……なる、ほど」


 それまでのポップな雰囲気に当てられていたせいなのか、僕はすぐにその話を処理することができなかった。そうだ、重い理由がなければ、普通は人の自殺を支援しようなどと思わないだろう。僕は何を楽観的に考えていたんだ。


「だから一つお願いがあって、妹に会わないように気をつけて欲しいの」


 伊東は真っ直ぐ、先ほどまでの動揺は最初からなかったかのような視線で僕を見た。


「――うん、それくらいなら、気をつければいいだけだし」


 こういう時に何を言ったらいいか、人との関係が希薄な僕にはわからなかった。



 〇 〇 〇 〇 〇 〇



「遅れてすみません!」


 僕と伊東がどうでもいい会話をしていると、水色の傘を差した少女が姿を現した。


「あ、来た!」


「すみません、仕様書を燃やし忘れていて、家まで戻ってたらこんな時間に……」


「燃やす?」


「仕様書の処分のことだよ。ほら、古谷君、運営スタッフなんだからしっかりしなさい!」


 伊東は得意げな表情で、親が子を叱るような声を上げた。


 ああ、そういえば仕様書を指定の方法で処分するなんて項目があったな。


「でも、よかったです。サイトが二つあったから、どっちの地図を見るべきかわからなくて」


 彼女の言葉に、僕は伊東と顔を見合わせた。先に口を開いたのは伊東の方だった。


「二つ? 前回の地図のことかな。でも、サイト自体が二つってこと……?」


 菜月ちゃんに事情を聞いてもサイトが二つあること以外に知っていることはなさそうだったので、とりあえず仕事を始めることにした。この場で調べたいところだったが、不幸なことに現場は電波が入らない場所だった。


「はい、では、気を取り直して……。本日は足元の悪い中――」


 毎回同じ挨拶をしているのだろうか。だがこの日に限っては小雨が降っていたので、彼女の言葉は正しいと言える。


 この日の現場は、県を跨いだところにある樹海だった。ここは自殺スポットとしてかなり有名なので、ここで首を吊っておけば他殺だろうと事故だろうと自殺だと思われるだろう。


「こちらは同じく運営の古谷君です」


「あ、はい、古谷です。よろしくお願いします」


 僕の適当な挨拶に、菜月ちゃんは礼儀正しく頭を下げた。それを見てから僕も慌ててお辞儀を行ったせいで、気まずい間が生まれてしまった。


「――説明は以上です。では十二時までの十五分間、自由時間にしましょう」


 今回は一人なのでその分説明時間が短く済んだのだろう。前回よりも自由時間が少しだけ長い。


「ねえ、菜月ちゃん」


 自由時間、僕は少女に話しかけた。


「はい?」


「えっと、君はどうして死にたいって思ったの?」


 応募フォームを見ればそんな事は一目でわかるのだが、本人の口からも聞いておきたかった。実際に言葉を交わしてみれば本音が見えてくることもある。デリカシーがないと思われそうだが、この特殊な場ではなんとなく許されそうな気がした。


「……私、学校でいじめられてるんです。誰も助けてくれないし、一人で耐えるのも限界なんです。私――」


 中学三年生というのは、ここまで冷静に話せるものなのだろうか。それも、死を目前にしたこの状況で。そこまで追い詰められているのだろうか。彼女はゆっくりと、大人びた口調で自分の状況を話してくれた。「志願理由」に書かれていたとおり、彼女はいじめに遭っていたらしい。


「ここまで君が生きてきた時間とか、理由が消えるのって、怖くないの?」


 中学生には難しそうな僕の問いに、菜月ちゃんは「怖いですよ」と困ったように笑った。


「でも、不思議と、大丈夫なんです」


 彼女は下を向き、ゆっくり息を吸った、その空気を吐き出すと、彼女は再び話し始めた。


「私、好きな人がいたんです。この腕時計も彼に貰ったんです。彼、必死にいじめを止めてくれようとして。彼のおかげで一時的にいじめは止んだんです」


「じゃあ、どうして――」


「彼、転校しちゃったんです。そこから状況も元に戻っちゃって」


 大事なものを全て失ってしまえば、もう残るは自分の命だけだ。しかも、それを捨ててしまえば、全ての苦痛を消すことが出来る。


 僕がどんな言葉を返そうか迷っているところで、「そろそろ始めま~す」という伊東の明るい声が聞こえてきた。その声に菜月ちゃんは慌てて腕時計を確認した。


「ごめん、最後の時間なのに邪魔しちゃって。もうちょっと延ばすように言ってこようか」


 数分の問答で終わらせようと思っていたが、想像以上に時間を取ってしまった。


「いいえ、大丈夫です。こちらも心の整理がつきましたから」


 彼女はそう言って、太陽のように柔らかい笑顔を浮かべた。


「彼が私のことを覚えていてくれたら、それでいいんです。私が生きた理由は、私が消えてもずっと彼の中にあるんです。死んで骨になったとしても、残り続けるはずだから」


 彼女はそれだけ言い残すと、伊東の元へ走っていった。


 この子は本当にこれから死ぬのだろうか。現実性のない質問を自身に投げかけては、「死ぬ」と自分で回答を行う。彼女に希望はないのだろうか。自分を守ろうとしてくれた彼に会いたくはないのだろうか。


 ここで彼女を生かすことが出来るのは、僕だけなのではないだろうか。でも、生かしたところで、僕が彼女を救うことは出来ない。現実的ではない。


 菜月ちゃんは手続きを終え、縄を首に通した。


「理沙さん、古谷さん、ありがとうございました」


 彼女はそう言うと、静かに目を閉じた。そのお礼に対して、僕と伊東は何も言わなかった。


 木々の隙間から落ちてきた日の光が、彼女の目に溜まっていた水分に反射した。その光はそのまま落ち、死んでいった。いつの間にか、雨雲はいなくなっていた。


「ねえ、あの子、助けられないかな」


 僕は菜月ちゃんに聞こえないよう、小さい声で伊東に尋ねた。


「無理だよ」


 その言葉はすぐに消えたはずなのに、僕の耳元に留まって反響している気がした。


 今日は晴れて良かったな、僕はそう思った。


 どれくらいの時間が掛かっただろうか。


 菜月ちゃんの身体が、ゆっくりと木からずり落ちた。


「あのさ」


 静寂が支配していた音の世界の均衡を、僕の声が破った。


「どうしたの?」


「やっぱり、助けられなかったかな」


 僕の淡すぎる希望にとどめを刺すように、伊東は「無理だよ」と言い放った。


「……なんでそう言いきれるんだよ」


「もしかして、菜月ちゃんが例の男の子に会えば全てが解決するって思ってる?」


 図星を突かれた僕は、「まあ、うん」と曖昧な返事をすることしかできなかった。彼女は少しだけ強い口調で続ける。


「その子が持ってる腕時計の裏に書いてある名前、『ユウキ』でしょ?」


 僕は動かなくなった彼女に「ごめんね」と謝ってから腕時計を外した。彼女の肌は柔らかくて、触れただけでは死んでいることがわからないほどだった。


「うん、ローマ字で『YUKI』って書いてある」


「勇気君っていうのは、過去の参加者なの」


 完全に状況を理解しきる前に、心臓を直接捕まれたかのような感覚が僕を襲った。そのあと、事実がじわじわと脳を侵食していく。


「彼の家族は、いじめの主格班の家族に『いじめをでっち上げてうちの子を貶めようとした』って言われて、嫌がらせを受けてたの。彼は転校したんじゃなくて、家族と心中したんだよ」


 もしかしたら菜月ちゃんは彼の死を知っていたのかもしれない。そうだとしたら、彼女が遺した「死んで骨になったとしても、残り続けるはず」という言葉の意味も変わってくる。


「……ごめん、熱くなってた。もしかしたらみんな救えるかもなんて思って、子供の妄想みたいだよな」


「人間って、どうしても絶望の中に希望を探しちゃうんだ。ここに来るのは、その中に希望を見つけられなかった人たちだよ」


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