第一話

 さて、自殺でもしようかな。


 こんな気持ちの日に限って天気がいいから、本当に世界というのは自分勝手だと思う。アイツもこんな日に自殺したのだろうか。彼は後追いなんて望んでいないかもしれない。


 親友の自殺を知ってから一週間が経った。遺書には受験に対する親からのプレッシャーや人間関係に対する不満が綴られていたらしい。庭に何かを燃やしたあとがあったらしく、未練を断つために自分を縛る何かを燃やしたのだろうとのことだった。それとも、隠していたエロ本の隠滅を図ったのかもしれない。


『――容疑者は殺人現場から十キロ離れた樹海で自殺したものとみられ……』


 ニュースサイトのトップにはそんな記事があって、アイツも最後に嫌いな奴くらい殺しておけば良かったのにと不謹慎なことを考えた。


 生きることにはどんな意味があるのだろう。彼の生に意味はあったのだろうか。


 僕は高校の屋上で座ったまま背伸びをし、無駄だとはわかりつつも、太陽に向かって手を伸ばしてみた。案の定、僕の短い手では太陽を掴むことが出来なかった。


 さすがに一時間も屋上にいると暑くなってくる。それに、先生に見つからないかも心配だ。本来、屋上は立ち入り禁止なのだから。


 僕は携帯を取りだし、検索アプリを開いた。入力欄にカーソルを置いてキーボードを開き、ゆっくりと、「自殺 したい」の文字を入力する。検索結果には厚生労働省の注意喚起やいのちの電話、「一人で悩まないで」の文字が表示された。


「ん? なんだ、これ」


 ありきたりな「自殺はダメ」「相談して」という文字たちの中で、一つだけ、異様な文章が僕の目に止まった。


『自殺支援プロジェクト あなたの自殺、手伝います』


 架空請求やワンクリック詐欺のサイトではないかと疑ったが、僕の親指はすでにサイトへのリンクをタップしていた。僕の好奇心は、理性との勝負に大勝利を収めたらしい。


 ホームページが正常に表示されたのを見て、まずは遷移先のサイトがその類いの詐欺でなかったことに安堵した。なぜなら、小学生の時にアダルトサイトのワンクリック詐欺に遭ったトラウマが蘇ったからだ。


「『自殺の依頼はコチラから』……」


 案内に沿って進んだ先には申し込みフォームがあり、名前や住んでいる都道府県、志願理由を入力する欄があった。


 導かれるままに、必要事項の入力を進めていく。


 順番通り丁寧に入力していた僕の手は、「志願理由」の項目で止まった。結局その欄には何も書かず、送信ボタンを押した。


 このサイトを管理している人は、どんな理由で自殺の支援なんてしているのだろうか。僕はなんとなく、その人と話をしてみたかった。



〇 〇 〇 〇 〇



「はい、じゃあみなさん、足元の悪い中――」


 腹が立つほど眩しい太陽が僕たちを照らす中、主催者を名乗る女性が訳のわからない挨拶をした。いや、ここにたどり着くまでの道は舗装されておらず、針のような葉と不定型な石たちが転がっていて、お世辞にも足元がいいとは言えなかった。もしかしたら彼女は天候ではなく、ここまでの道のりの話をしているのかもしれない。


 僕の他にも二人の参加者がいたらしく、背広を着た中年男性と大学生くらいの女性が僕と一緒に主催者の説明を受けていた。二人とも目の焦点が定まっておらず、顔は主催者へ向いているが、その意識に主催者を映しているかは疑問が残るところだ。


 だが、そんなことは重要ではない。僕が気になっていたことに比べれば、他の参加者など道端に落ちている小石のような存在だ。


 僕が重要度ランキング一位に置いたのは、主催者の女性の素性についてだ。すらっと細い腕と脚、白いマスクから覗く大きな目。


 間違いない、僕たち三年生の中でも美人だと有名な伊東理沙だ。彼女はこんなところで一体何をしているのだろう。なぜ彼女が主催者側として僕たちの前に立っているのだろうか。


「はい、説明は以上になります」


 僕はどうやら、どんな状況でも人の話を最後まで聞くほど道徳心のある人間だったらしい。彼女の説明を要約すると、自殺支援プロジェクトを利用する手続きを終えたあと、参加者の自殺を決行するらしい。方法は簡単、睡眠薬を飲んでから首に縄を掛け、あとは木に寄り掛かって眠るだけ。そうすれば身体の力が抜け、首が絞まって無事に死ぬことが出来る。


 彼女は一通り説明を終えると、「じゃ、十二時までのあと十分、自由時間にします」と明るい声で言った。


「ねっ、君、古谷君だよね!」


 その自由時間、伊東が僕に話しかけてきた。当然と言えば当然だ。


「違うよ」


「それにしても古谷君が死にたいと思っていたなんてなあ」


「僕の返答、聞こえてなかった? 伊東さんは難聴なの?」


 彼女が話を聞かないのは、僕の存在感が薄いからではない。彼女は誰に対してもこうだ。自分のペースを崩さずに話し続ける。


「私、今日はまだこの場で名前なんて公開してないよ」


「ちっ」


 綺麗に舌打ちして見せた僕に、彼女は得意げな顔で「舌打ちなんてするものじゃありません」と注意した。


「ねえ、なんでこんなことやってんの?」


 こんなことというのは、もちろん自殺の支援についてだ。


「んー、妹のため、かな」


「どういうこと?」


 妹が自殺でもしたのだろうか。


「ねっ、古谷君、お願いがあるんだけど」


「僕が質問してたはずだし、絶対に嫌だ」


「今回だけでいいから、プロジェクトの運営、手伝ってくれない? 人手が足りなくてさ。流石に三人同時は初めてだし、君がこっち側についてくれたら一石二鳥!」


 彼女が「今回だけでいいから」と話を始めてから「一石二鳥!」と終えるまでに僕が何回「嫌だ」と言ったかはわからないが、その数と彼女のやる気に相関がないということだけは理解することができた。


「はぁ……。で、運営は君だけなの?」


「私だけだよ」


「なんて酷い組織なんだ。上がしっかりしていれば僕が犯罪に誘われる事なんてなかったのに」


 僕の皮肉に、彼女は予想とは違う反応を見せた。


「組織?」


「そう。君の上司たち。こんな犯罪組織にそんな規律があるかはわからないけど」


「ああ、このサイト、私が一人でやってるんだよ」


「え、マジで?」


 いや、まさか。それが本当なのであれば、ホームページの維持や現場に出向いての自殺支援を一人でやっていることになる。


「うん。だから、お願いっ!」


 僕が押しに弱いことを知っての粘りだろうか。僕が「うん、じゃあ、まあ……」と曖昧に返したところ、彼女は勝ち誇ったかのように「録音中」と表示されたスマホを掲げた。普段は何も考えてなさそうな人間だと思っていたので、彼女の用意周到さに思わず「うっわあ……」と感嘆の声を漏らしてしまった。


「さて、まずはあの二人をお見送りしないとね」


「『お見送り』、ね……」


 上手い婉曲表現だなと感心しつつ、集合場所へ向かう彼女の後ろを歩いた。他の二人は既に集合場所で待機していて、先ほどと同じく死んだ魚のような目をしていた。


「はい、新しく運営スタッフに加わった古谷君です、ほら、挨拶しなさい」


「えっ、あ、はい、古谷です、今後ともよろしくお願いします……」


 僕はそう言ってから彼らとの今後がないことに気づいたが、二人は拍手で温かく迎えてくれた。無表情のまま。


「じゃあ、この最終チェック用紙の項目を確認してください」


 彼女はそう言うと、二人にA4サイズの紙をバインダーごと手渡した。彼女が僕にも見本をくれたので、律儀にその用紙を眺めてみる。


『所定の場所に遺書を置いてきましたか?』


『検索履歴を指定の手順で削除しましたか?』


『送付した仕様書は指定の方法で破棄しましたか?』


「なるほど……」


 他にも十数個ほどの項目があって、賢い僕はこれが自殺幇助罪の証拠を残さないためのものだとすぐに理解した。確かに参加者側からしたら死ぬことが目的なので、これらの項目に違反するメリットがない。利害が一致しているのだ。


「はい、じゃあ睡眠薬は飲みましたか?」


 いつの間にか参加者の二人は用紙への記入を終えていて、睡眠薬を飲んでいるところだった。その後、二人はそれぞれ縄がぶら下がっている木の前に座り、寄りかかった。


「あ、そうだ」


 彼女は何かを思い出したかのようにそう呟くと、男性の方へ近づき、小さな声でなにやら話を始めた。僕と伊東との間には距離があったので、何を話しているのかまではわからない。


 男性との会話が終わると、今度は女性と言葉を交わした。


「何話してたの?」


「んー、神のお言葉」


「はい? 君って宗教とかやってたの?」


「まあまあ。ほら、お見送りしようよ」


 参加者たちは彼女が用意したであろうロープに首を通した。背広姿の中年男性はヘッドホンを装着し、そのまま目を閉じた。最後に好きな音楽でも聴いているのだろうか。


「彼は妻と子どもを事故で失ったの。今聴いている曲は、奥さんが好きだった曲らしいよ」


「へえ……」


 そんなことを言われたら、彼に感情移入してしまう。僕はできるだけ何も考えないように気をつけた。僕が情けをかけて彼を助けようとしたらどうするつもりなのだろう。


「そっちの女性は五年間付き合った男に裏切られて、貯金も全部持って行かれたんだって」


 男性とは対称的に女性の方は早く死にたいのか、自分の意思で縄を首に食い込ませていた。人それぞれに死にたい理由があり、または生きたくない理由があり、死を選ぶ。


 彼らが生きている理由はなんだったのだろう。


 そんなことを考えているうちに二人は既に眠ってしまったのか、身体がゆっくりと傾いた。それにつられて、縄が首を絞めていく。だんだん色を失っていく彼らの顔を見て、「死体の顔が青白いって本当だったんだな」などと呑気なことを考えていた。死体を実際に見るのは初めてなのに、恐怖感などは湧いてこなかった。その代わりに彼らから目を逸らしたい衝動に駆られ、手に持っていた最終チェック用紙に目を落とした。


 なんとなく、僕の視線が三つ目の文章に留まった。


『送付した仕様書は指定の方法で破棄しましたか』


「ねえ、僕、仕様書なんて送付されてないんだけど」


「うん、応募が来た時点で君には手伝って貰うつもりだったから」


「はあ?」


 僕が作った不満げな表情に、彼女はウインクで返してきた。


 そのウインクに応じる代わりに、自分がずっと考えていた問いを投げかてみる。


「あのさ、君は、何のために生きてるの?」


「私? なんの為に生きてるんだろうね」


 彼女は少し唸ったあと、「わかんないや」と明るく笑った。


 彼らが動かなくなってから三十分ほどが経ったとき、伊東は既に死んでいるであろう男性の元へ歩いていった。一応スタッフに任命された僕は、彼女の後に続く。


「何してんの?」


「ちゃんと死んだかどうか。死んだのを確認するところまでが仕事だから」


 彼女は二人分の呼吸や瞳孔を確認した。どうやら死んでいると判断したらしく、「行こっか」と振り返った。


「この人たち、このままでいいの?」


「自殺支援プロジェクトは自殺を助けるだけ。この人たちは自殺したんだよ」


「なる、ほど」


「じゃ、次の依頼の打ち合わせ、いつにしよっか」


「え? は?」

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