最後の寝物語
田島春
少女の願い
静かな満月の夜。
ベッドで一人の女の子が待っていました。
「ばあや、今夜もお話してくれる」
ばあやと呼ばれた初老の女性は一冊の本を手に持っています。
まっさらな、新品の本です。
「まぁ! 新しいお話をしてくれるのかしら」
「えぇ、そのつもりですよ。ただ……」
ばあやは言葉を濁します。
「これはいつものお話とは違い、私が……作ったものですけれども」
「そうなの? 父も母も知らないようなお話をたまにしてくれているけれども、ばあやの作ったものでは無かったのね」
「はい、いつもしているお話は……ある女の子の作ったもの……そしてこれは、その女の子のお話ですよ」
女の子は手を組み満面の笑みを浮かべます。
「まぁ素敵! 早く読んで欲しいわ!」
ばあやは本を持ってベッドの横に腰掛けます。
置かれた本の表紙に女の子はうっとりと触れました。
「題名は……"少女の願い"……? つまらない名前だわ」
「なにぶん初めて作ったものですから」
「下にはちゃんと、ばあやの名前を書いているのね」
「えぇ、お恥ずかしながら……」
「でも大事なことよ、ちゃんと自分のものには名前を書かないと」
女の子は堪らず表紙を開きます。
ばあやがそこに書かれた文章を読み上げます。
「むかしむかし、あるところにお話好きの少女が居ました」
「待って、ちょっとだけ良い?」
「はい、なんでしょう」
「このお話はいつもみたいに幸せに終わる?」
「さぁどうでしょう、それは聞いて確かめてください」
「んもぅ」
ばあやは続けます。
「その少女はいつも、たくさんのお話を聞いたり読んだりしていました。
しかし毎日読んだり聞いたりしておりましたから、読む物が無くなり、昔話を喜んで話してくれる老人達ですら飽きるほどでした。
そしてある日、少女は決めました。
"自分で新しいお話を作ろう"と。
少女は知っているお話を元に新しいお話をたくさん考えました。
でも、少女には……それを話す相手がいませんでした。
来る日も来る日も新しいお話を作り続けたある日の事、少女は迷った精霊と出会います」
「精霊って、本当に居るの?」
「えぇ、えぇ、おりますとも。貴方の事もしっかり見てますでしょうね」
「精霊と少女はすぐにともだちとなりました。
少女は精霊に、毎日自分の作ったお話を聞かせます。
お城の一番高い所に住む怪物をやっつけるお話、大きな崖に分け隔てられた仲の悪い国同士を仲直りさせるお話。
少女のするどのお話も、いつも同じ主人公の女の子が出てきます」
「知ってる! 追い詰められた怪物がとっても暴れるんだけれども、暴れすぎて天井が崩れてぺしゃんこになっちゃうのと、大きな崖にそれよりも大きな橋を架けて仲直りさせるやつだ!」
「えぇ、そうですとも」
「でもおかしいわよね、どっちも本当にあった事でしょ? 父も母も知ってるし、この前その橋を渡ったわ」
「えぇ、行かれましたね」
「その子その話を自分が作ったって……本を読みすぎたんじゃないの?」
「いっぱい読んでおりましたね」
「続きは?」
「その主人公のそんなお話を、とてもいっぱいのお話を。
精霊にとても楽しそうに、毎日語っておりました。
ある日、精霊は言います。
「貴女のお話はとても面白い、お礼に願いを三つ叶えてあげよう」、と。
その申し出に少女は慌てて返します。
"願いを三つも叶えてもらうなんてとんでもない、一つで十分よ"、と」
「そうやって油断させて! 願いを増やす願いとかを言うんだわ! お話をいっぱい知ってるんだから、そのくらいするわよね」
「さぁどうでしょう」
「絶対するわ!」
「精霊は聞きます、「そのたった一つの願いは、どんなものだい?」と。
お話好きの少女は珍しく口を閉じました。
"願いは秘密、その時になったらお願いするから"、と」
「むむっ……賢いわね、大事な時のために取っておくなんて」
「そうね、大事な時にまで取っておくのも選択の一つでしょうねぇ」
「お姫様になりかわって決闘を受けるお話、世界の果てで一番遅い夕日を見るお話。
海賊と一緒に海を渡るお話、作物が育たない村を助けるお話。
そんなお話をしていたある日、少女は……魔女として囚えられてしまいました」
「……どうして?」
「さぁ、どうしてでしょうか」
「でも大丈夫よね、だって願いがあるもの。上手く使えば……一個で全部解決するとか出来るはずよ」
「魔女の疑いを掛けられ牢に入れられた少女の元に、おずおずと精霊が現れます。
精霊は言います、「姿が見えない自分のせいで魔女と間違えられてしまった」と。
ですが少女はそんな事は置いておいてと急かします。
わがままな王女のお願いを聞くお話を、精霊に聞かせます」
「機会をうかがっているのね!」
「砂漠の秘宝を見つけて売ってしまった後に元の持ち主に返すお話、世界で一番高い山に登るお話。少女はずっとお話をします。
ずっと、ずっと。
黙っているのは差し出された食べ物を食べている間くらい、そのくらいに少女は語り続けました。
魔女の扱いはそれはそれはとても悲惨です。
精霊は心配して少女に言いました、「願いを使えば、外に出られる」と。
ですが少女は変わらず、お話を続けます」
「ここで願いを増やす……? んー、願いを使わず助けてもらう……?」
「ふふ、ずるい事ばかり考えて。いけませんよ」
「だって、しょうがないじゃない」
「そしてついにその時が来ました。
悪者退治に行ったもののその悪者と仲良くなってしまうお話をしている最中でした。
看守が来て牢を開けます、"火あぶりの準備ができた"と」
「……まだ、逃げないの?」
「どうします? もうこの話は終わりにしましょうか? それとも続けますか?」
「もちろん続きを、読むわ」
ばあやは続きを語る、ゆっくりと。
たっぷりの思いを込めて。
魔女として処刑される少女が台に上がる。
周囲には薪が積まれ、病的に痩せこけた人々が獣のような奇声を挙げている。
松明が煌々と少女の細った顔を照らす。
ぶつぶつと呟く彼女の頭に石が一つ投げつけられる。
二つ、三つ。そこで石が投げられるのは終わった。
こんな事はもう何度もされて来た事で、投げる石はすっかりと無いのだ。
だが投げる石の有無は彼女にとって些細な問題だ。
ぶつぶつと呟くそれは、物語。
誰も知らない、誰も聞かない物語。
姿形の無い私を除いては。
「なぜ願いを使わない」
ぶつぶつと、聞き取りづらい彼女の物語に願いが混ざらないかと必死に聞く。
周囲の声が煩くとも、ずっと寝ずに語り続けようとも、彼女の声はよく通る。
まるで本当に魔女になったかのようだ。
「これより、魔女の処刑を行う」
その一言で彼女の足元に火が付く。
あっという間に燃え盛り、舌を伸ばして丸呑みにせんばかりに広がろうとする。
もう慣れたものだ、最初は仰々しく付けていたというのに、儀礼も何も無い。
「願いを言ってくれ、じゃないと何も出来ないんだ」
私は、何も出来ない。
願いだけが私を動かせ、輝かせられる。
彼女が語る英雄のようにだってなれる。
その身を縛る縄を切り、颯爽と逃げ出す事も。
彼女が語ったような怪物にだってなれる。
その身を拐い、この衆人を撫でるように頭を刎ねる事も。
願いさえすれば、彼女が願いさえすれば。
「そうね……貴方に言う願い、を伝え忘れるところだったわ」
煙に巻かれ、咳き込む彼女が我に帰ったかのように言う。
私は願いを叶えるが、限度がある。
死人はどうにもならない。
そして願いは声として聞かなければならない。
「早く! 早くしないと、間に合わなくなる!」
私は必死に叫ぶ。
牢に閉じ込められていた彼女にはキツいくらいの大声で。
だが、どれだけ叫んでも彼女以外には届かない声。
「私の、私の願いはたった一つ」
火の手が勢いを増す。
煙が彼女の喉を焼く。
「私の願いは、貴方に主人公をしてもらう事」
わけがわからない。
私は叫んだ。
「どういう意味だ!?」
「私のお話の主人公は全部一人、同じ人物なのは知ってるでしょう?」
それで十分、必要な事を言いきれたとばかりに彼女は目を閉じる。
爪先が焼ける匂いがする。
「わからない、そんなのじゃわからない!」
「私がしたお話を、叶えて」
「そうじゃない!」
私は涙を流した、焼け石に水にもならない涙のはずが、少しだけ煙を薄めた。
彼女の願いが分かってしまったから、私はその形を得てしまう。
「お願い……どうか、どうか……君を、助けさせて………」
「私の願いは一つよ」
咳き込む、咽る、そして叫ぶ。
そして、そして……彼女は物語を紡ぐ。
絶叫に乗せて、"悪者退治に行ったもののその悪者と仲良くなってしまうお話"の続きを。
ベッドの上で、少女は目を見開いている。
驚きの表情がその顔を石のように固めてしまったかのように。
「……どうして、そんなお願いをしたの?」
「さぁ……どうしてでしょうねぇ、私にも分かりません」
「ばあやが作ったのに! もぅ……あっ、続きがあるのね」
「えぇ、少しだけですが」
「早く、早く!」
「少女の紡ぐ物語は途中で終わりを迎えました。
火は、炎は、ずっとずっと燃えました、夜明け近くまで燻っておりました。
そして火あぶりの跡を、皆が探しました。
少女の亡骸が見つからないのです。
皆は安心しました、魔女だから亡骸が見つからないのだと。
魔女は消え去ってしまったのだと、そう安心しました。
おしまい」
「おしまい……じゃないでしょ! ばあや!」
「ここでおしまいですよ、このお話は」
「違うわよね! だって……見つかってないんでしょ? だったらきっと、そうね……二人で仲良く、今までしたお話みたいな冒険を、したのよ!」
「ふふっ、私よりもよっぽどお話をつくるのが上手ですねぇ」
「絶対そうよ! そうに決まってる! 作り直しよ!」
「考えておきましょう、その時は貴方の名前を入れませんとね」
「そうね……ところで、一つ聞きたい事があるの」
「おやまぁ、なんでしょうか?」
「この精霊は、あのお話たちの主人公になったとして……」
「はい」
「あのお話たちの主人公の、精霊の名前は?」
ばあやは女の子に布団を掛け、優しく手で叩きます。
「名前は本に書いてありますとも、さてさて寝る時間ですよ……答えは起きてからのお楽しみです」
「もうっ……おやすみ、ばあや」
「おやすみなさいませ……」
ばあやと呼ばれた女性はベッドで目を閉じた女の子の額にキスをします。
そして自身の名を刻んだ本の表紙を撫でて部屋を出ます。
廊下は僅かに入ってくる月光だけで、まっくらです。
「本当に……何故貴女は……あんな酷い願いを、したのでしょうね……」
女の子の疑問を反芻するようにして、ぽつりとばあやは呟きました。
その夜を境として、ばあやの姿を見た者はいません。
最後の寝物語 田島春 @TJmhal
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