この時、姉貴は扉に張り付いて盗み聞きをしていたのでした。

 

 なんだ。

 なにが起こった。

 いや、なにが起こってるんだ。


『そこのあなた!驚いているところ悪いけれど、あなたがオーナーで間違いないわね?』


 ラティスフィアが喋ってる?しかも、滑らかに動きをつけて。


『やっと繋がったと思ったらマジュラを叩きつけようとしてるんだもの。びっくりするじゃない。間一髪、障壁を発動できたからいいものの、壊そうとするなんてあり得ないわ!あなた、マジュラをなんだと思っているんですか!』


 ラティスフィアの姿をしたソレにスマホから説教された俺は、しかし、彼女の言葉の殆どを聞き流していた。正直、聞き取っていられるほどの心の余裕が俺にはなかった。


『この部屋の散らかり様……。さっそく色々とやっているみたいですけれど、この体の子に変なことしていたら許しませんよ!この状態でもマジュラを通して魔法を使えるんですからね!』


 唯一はっきりしている事は、スマホから聴こえる女性の声がラティスフィア本人の声と違い、かつ大人っぽいという点だった。

 マジュラのメイン画面の中で生身の人間そのままの動きと表情を作り出すその実態も気になったが、俺はまず頭に浮かんだ事を率直に聞いた。


「だ、誰だよ……おまえ」


 声が喉に突っかかるところを堪えて、なんとか言葉にした。ラティスフィアでないとすれば、思い当たるのはゲームマスター的な運営の者の介入。それがセオリーってところだろう。心なしか、そうである事を願ってしまう自分がいた。

 腰に手を当てぷんすか怒っていた画面の中のソレは、目を細めるとじっと俺を見た後にため息を一つして、それから向き直った。


『どうやら大分、間が悪かったみたいですね』


 落ち着きを取り戻した様に言うソレは頭を下げてきた。


『いきなり怒ったりしてごめんなさい。名乗るのが遅れました。私の名前は、アイリスティーナ・テルド・フォン・リビジード。どうぞ、アイリと呼んでください』


 アイリは礼儀正しくお辞儀をして名乗ると、スマホを見下ろす俺を再び真っ直ぐ見てきた。その目がなぜだか怖いと思ったのは、俺が臆病だからだろうか。何にせよ、アイリと名乗るラティスフィアの姿をした相手は俺に用があることは確からしい。

 俺は一瞬の躊躇いの後、スマホを拾い上げた。


「あんたがどっからどうやって俺のスマホを操ってんのか知らないけどさ。今出しゃばってくる意味分かってんだろうな。知らないなんて言うなよ。悪いけど余裕ないんだわ。今、俺すげえ混乱しててさ。いろんな事が詰んでて。クソ訳わかんなくて。もうこれ以上勘弁なわけ」


 俺はアイリに対して様々な憶測を思い浮かべていたが、実際口にしたのは苛立ちを孕んだ八つ当たりのような言葉だった。

 そんな俺をアイリは気を悪くすることなく、心配するような表情を向けて優しく語りかけてきた。


『苦労をかけたようですね。もう安心して大丈夫です。あなたが持つ疑問を私が解消します。ですからまず、あなたに起こったことを私に教えてくれませんか?その上で、私の知る限りのことを全てお伝えします』


 言われなくても話してやる。

 俺は今日起きた事をスマホに向かって話し始めた。

 怪しいサイトのこと。目覚めたらラティスフィアがいたこと。話が通じなかったこと。マジュラを使ったこと。全部話した。

 こういう時、教養のなってない奴ってのは苦労する。自分で話していても要領を得ない説明だということは自覚していた。だが、どうにも成りようもない。俺は大人じゃない。自分がどうしようもない程のガキだと理解できるくらいには、俺は馬鹿な子供であることを知っていた。屁理屈ばかり言う言葉遊びを覚えていたって、いざという時には何の役にだってたちはしない。

 俺はいつの間にか、この一日の度重なる騒動で溜め込んだストレスをアイリにぶつけていた。彼女はそれを止めることなく、頷きを繰り返して黙って聞いてくれた。


『……そうでしたか。カズキさんがそこまで苦労していたとは。どうやら、こちらとしても想定していた以上の細工が施されてしまっているようです』


 俺の八つ当たりを聞いてくれたアイリは申し訳なさそうに言う。その表情に少し心が痛んだ。

 彼女の態度を見ていて分かったが、アイリは俺をあの悪徳サイトに誘導した奴ではないのかもしれない。それに俺の話を聞いている間、時折困った様な表情をしていたのは、今彼女が言った事が原因だったのだろう。アイリにとっても筋書きと違う方向に事態が進展していっていると言うことだ。


『私達の方で今、あなたのマジュラを解析していますが、残念ながら作業は難航しています。解析が完了するまで、次は私の話をしましょう』


 その申し出は今日一日で一番欲しい言葉だった。けれど、俺はそれを素直に受け取れなかった。


「私達って。そうだよな、普通に考えれば組織的な集団がなんかやってるって考えるのが普通だよな」


 その集団が俺の想像する埒外なのは言うまでもない。

 ラティスフィアが異世界人であることが確定している今、他世界の代物であるマジュラに遠隔操作を決め込んでいるコイツらは、正に得体が知れない。


「あんた……アイリ、って言ったよな。今更だけどあんたのこと本当に信用していいんだよな」


 俺は少し臆病になっていた。

 何かが好転しようとすると思いもよらぬ事態になってきた。今日だけでそれが何回あった?アイリの話を聞くことでまた何か起こってしまうのではないか?話を聞いてくれたからと言って心を開いていいのか?先へ進むためにと考えても踏ん切りが付かない。

 不安が拭えなかった。

 するとアイリは、はいと頷いた。


『もちろんです。と、言ってもあなたに疑念や不安が残るのは分かっています。ですから、無理に信じようとしなくて結構です。カズキさんは私の話を聞いて、情報の精査をしてください。その上で私のことを判断していただければと思います。私達としては、あなたの協力は必要不可欠なので裏切るようなことはしません。話を聞く限り、目的もほぼ同じようですしね』

「目的?」

『はい。奴隷となってしまったその子を助けることです。その為にこうしてあなたのマジュラに回線を繋いだのですから』

「どうにかできるのか!?ラティスフィアを助けられるのか!!」


 そのつもりです。興奮する俺にアイリははっきりとそう言った。

 俺は今日一番の安堵を覚えると、気が緩んだせいか、垂れてきた鼻を啜った。


「なら、頼むよ。話を聞かせてください」


 俺は手に持ったスマホに向かって頭を下げた。


『分かりました。あっ、とその前に。今、ラティスフィアちゃんはどうしてますか?』


 どこまでも優しく振る舞う彼女は、ラティスフィアを探す素振りをスマホの中でした。俺は指を指す代わりにスマホの画面をラティスフィアの方へと向けてあげる。

 ラティスフィアは部屋に転がる大きな木箱の隙間に身を寄せて頭と膝を抱えていた。俺の方へは見向きもしてくれない。アイリとの会話も聞こえている筈なのにラティスフィアは何の反応も示してこなかった。弱々しく映るその姿に俺は胸がぎゅっと締め付けられる感覚を覚え、視線を外した。


『話を聞いた通りですね。体力よりも大分、心がすり減っている様子ですね。それではラティスフィアちゃんには少し眠ってもらいましょう。その方がカズキさんとしても安心かと思います。いかがでしょうか?』

「確かに目を離している間に何かされでもしたらって不安もあるけど。でもそれって、もしかしてマジュラを使って命令するのか」


 声のトーンが低くなる。確かに眠っていた方が、ただひたすらに消耗するよりかはいい。だが、マジュラを使って強制的に従わせる様な真似だけは決してしたくない。これ以上、ラティスフィアを泣かせてしまったら次は俺がその罪悪感から眠りにつけなってしまう。


『安心して下さい。カズキさんは先程、マジュラが地面に接触しなかったのを見ましたよね。あれは私自身が行使した魔法です。私が魔法を使ってラティスフィアちゃんを眠らせます。マジュラを使うことはありません。眠らせるだけですから、もちろん身体への影響はありません』

「……分かった。でも、俺はアイリの言う魔法について何も知らない。だから、変なことしてると思ったらあらゆる手段でスマホを壊しに掛かるからな」

『分かりました。その時は私も魔法を止めます。それでは私をあの子の方へ翳して下さい』


 俺はまたスマホの画面をラティスフィアへ向けた。


『すみません、カズキさん。どうやらこの世界は大分、魔法が使いづらいようです。眠らせる魔法の効力だとラティスフィアちゃんにかなり近づいてもらわないといけないみたいです』

「近づくって言われても、俺かなり嫌われちゃってるし。これ以上、怖がらせたくないよ」


 俺は怯えた目を向けくるラティスフィアの表情を思い出していた。嫌な汗が噴き出るのを体に感じる。


『そこを何とかお願いします。私もあの子の心を傷つけることは望んでいません。ですが、あのままにしておいては精神を完全に病んでしまいます』

「それは……」

『今のあなたはジンマーのオーナー。つまり、あの子の保護者なのです。押し付けがましいですが、カズキさんにはラティスフィアちゃんを守る義務があります』


 守る義務。

 それは俺の中にずっしりと重く響いた。

 そうである。

 どんな経緯であれ、ラティスフィアをどうにか出来るのは俺しかいないのである。俺がいつまでも踏み留まっていたら一生掛かったってあの子の笑顔を取り戻すことは出来ない。


「わかったよ」


 言うと俺はなるべく静かに、そしてゆっくりと近づいていった。その甲斐あってか、ラティスフィアはこちらに顔を上げることなくそのままでいた。

 すると、アイリが魔法を使い始めたのか、それらしい光をスマホの画面手前から放ち始めた。

 回転する円形の模様は魔法陣だろうか。これぞ、ザ・ファンタジーといった光景だ。部屋を照らす蛍光灯の光とは全く違った何とも言えない光が、ラティスフィアへと向けられている。魔法というのはなんとも不思議な音を生じさせるもので、ずっと聴いていると頭がくらくらしてくる。

 アニメや漫画、ラノベといった空想の世界にしかない現象が見れる日が来るとは思いもよらなかった。俺は、ようやくそこに感動を覚え始めた。

 よく見るとラティスフィアの体の表面が、紫色をした魔法陣らしき光と同色に発光していた。その光景に、俺はまったく原理が分からず、ただ見ているだけだった。

(それにしても、まだ終わらないのか?)

 いい加減、アイリの使う魔法から出る変な音に俺は顔を顰めていた。

 眠らせる魔法がどういったモノなのか、俺にはよく分からない。知識としてあるのはやはりオタク文化から仕入れたもので、そういう魔法は決まって一瞬で終わるモノが多く、手頃で簡単なイメージが真っ先に思い浮かぶ。

 だが、空想と現実は違う。

 魔法で眠らせるというのは何らかの手順が必要なのだろう。4、5分経つのは当たり前なのかも知れない。何も知らない素人が口を出していいものではないはずだ。

(でも、あの時、魔法陣なんてなかったよな)

 俺がスマホを床に叩きつけた時、スマホは空気が弾ける音を立てただけでそれ以外の何もなかった。アイリはあれは自分が使った魔法だと言っていた。詠唱も魔法陣も何もなく、一瞬で魔法を発動させた。彼女はそう言っていたのである。

 それに気が付いた瞬間、俺は急に不安になった。

(今やっていることが、眠らせるための魔法だって誰が保証できる?)

 そもそも、俺に話を先にさせておいて今更、ラティスフィアを眠らせるなんて手順がおかしくないだろうか。あの子を助ける目的で動いているのであれば、何故、真っ先に安否を確認しなかった。何故、先に彼女を守る手段を講じなかった。俺が混乱していたとは言え、第一に優先するのは目的に必要なことだろうに。



 アイリは嘘をついているんじゃないのか?



 魔法なんて得体の知れないモノを使う相手を信じるなんて、やっぱり俺はどうかしていた。この世界じゃ空想の産物だ。この軽率な判断と行動がまた裏目に出ることだって有り得た。いくら釘を刺そうが、いくら目の前で見張っていようが、魔法という法則は俺の目からすれば仕掛けの分からない手品と同じだ。インチキを働かれても指摘など出来ない。それなのに優しい言葉を掛けられただけで信じるのか、こいつを?


「や、やっぱりーーー」


 俺は自問自答の末、アイリに魔法を中断させようとした。

 しかし、遅かった。

 刹那、紫色に光っていた魔法陣が消失し、それと同じ光に包まれていたラティスフィアは力を失ったかのように木箱に体を傾けた。頭と膝を抱えていた腕は、だらりと床に落ちていった。


「ぁ」


 その様子に俺は不安を掻き立てられ、すぐさまラティスフィアに駆け寄った。ずり落ちようとする身体を支えるように受け止める。ラティスフィアの体には全く力が入っていなかった。

 眠っている。

 俺の思い過ごしかと、そう思って彼女の不安定な姿勢を直そうと腕を取り肩に手を回した。すると、俺の手は衣服から露出した腕に触れた途端、その感触を疑った。

(冷たい……)

 何でこんなに冷たいんだ?

 俺はそう思い、彼女の頬に手を当てた。

 それはまるで、極寒の吹雪の中に長時間居たような冷たさで、少女の眠る顔には全く生気を感じられなかった。

 これがどうして単なる眠りだと判断できるのだろうか。

 自分の顔が青ざめていくのが嫌でもわかった。

 やられた。

 違う。やってしまった。

 また俺はやってしまった。

 身体を揺すっても呼びかけても起きやしない。


『ちょっと!カズキさんっ!だから、マジュラを乱暴に扱わないでくださいって言ってるでしょ!』


 すると、無意識に放り出してしまったスマホからそんな声が聞こえてきた。


「どういうつもりだ!どう見たって眠ったようには見えねよ。ーーー殺せなんて誰が頼んだ!」


 またぞろ宙に浮いた状態で静止しているスマホを俺は睨みつけた。もたれかかる少女の重みが本当に軽くて俺は消えないように必死に抱きしめた。


『いきなりどうしたんですか、カズキさん。どうか落ち着いて下さい。どうやらあなたも相当疲れているみたいですね。差し支えなければ、あなたにも魔法を使ってあげますよ』

「いるか、そんなもんっ!こんなクソ展開あってたまるか!こんなのって……こんなのってあんまりだ」


 画面の中で手を翳してくるアイリの申し出を断り、俺はラティスフィアを優しく抱え直した。


『待ってください!どうするつもりですか?』

「話しかけんな!わかんねえ。わかんねよそんなこと!でもこいつを放ってはおけねえだろ」


 少女を抱えて扉へと走り出す。

 ラティスフィアの身体が、更にどんどん冷たくなっていった。俺は今度こそ取り返しの付かない選択肢を選んでしまったのだと、深い後悔とともにそれを自覚していった。


『仕方ありません。あなたまで情緒不安定になられては私が困ります。力尽くで落ち着いてもらいます!』

「言いなりなってたまーーー!?」


 瞬間、俺の体は全く動かなくなってしまった。

(自由を奪われた!?)

 不自然な体勢のままその場に硬直した俺は、その感覚に戸惑いを隠せなかった。足を踏み出して上げた状態で倒れていかない自身の状況が信じられない。まるで体だけ時間を止められているようだ。


『身動きが取れないだけです』


 後方から鋭い声が聞こえてきた。

 遂に本性を表したらしい。


「くっ、魔法ってのは何でもありだな」

『ラティスフィアちゃんを通してあなたのエーレアを操っているに過ぎません。何でもありなんて、どんな世界にもあり得ませんよ。それにこれは魔法なんて呼べる代物でもありません』


 そのまま俺は強引に歩かされるとアイリの前に跪かされ、抱えていたラティスフィアを床へと寝かさせられた。どんなに力を振り絞っても何の抵抗も出来なかった。身体の外側から無理矢理押し潰されるように関節を曲げられている感覚だった。


『私の先生もよく言いますが、物事には段取りというものがあります。ラティスフィアちゃんを眠らせると言ったでしょう。そこに嘘偽りはありません』

「馬鹿言ってんなよ。眠らせるだけであんな死人みたいに冷たくなるかよ!殺したんならそう言えよ!今更取り繕って何になんだよっ!」

『ですから、落ち着いて下さいと言っているでしょう。それは単なる副作用です』

「それで信じるとでも思ってんのか」


 偉そうに腕を組んで言うアイリに俺は腹が立って仕方がなかった。早く救急車を呼びに電話を掛けに行きたいという考えよりも、真っ先にアイリのいるスマホを叩き割りたい気分だった。


「これで俺をどうやって、落ち着かせるって言うんだ。クソ野郎が」

『どうもこうもありません。いいから少し黙っていなさい!』


 するとそれを機に口の自由が奪われた。唇と顎が少しの隙間を残して、そこから全く動かなくなってしまった。これでは碌に言葉も話せない。

(ああ、本当に嫌だ)

 言うことを聞かされるのも。力に抵抗できないのも。そもそも、間違い続ける自分自身が本当に嫌になる。

 アイリが手を振り上げ、言った。


『そんなの決まっています。ーーーこうです!』


 アイリがそう声をあげた瞬間、俺の上半身が仰向けに横たわるラティスフィアへと向かって強引に倒され、ぶつかる直前で急制動を掛けられた。


「ーーーッ!?」

『どうですか?これで少しは落ち着けそうですか?』


 またもや、俺は現実を疑うはめになった。

 死んでしまったのではないかと勝手に勘違いしていたラティスフィアから、すうすうと静かな寝息が聞こえてきた。ラティスフィアは本当に眠らされていただけだった。俺が情緒不安定になっていたことは認めざるを得ない。なるほど、これはアイリに謝罪をしなければなるまい。

 だがしかし。

(これは!!これは、流石に不味いだろ!!!)


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 俺は自由の効かない身体でもがき続けていた。

(いつまで続くんだこの状況は!?)

 眼前にあるのはラティスフィアの顔だ。近過ぎてその全てを確認することはできないが、それは間違いはない。何故なら、ある一点に於いてその感触が確かに伝わってきているからだ。あれだけ冷たかったラティスフィアがもう既に人の温かさを取り戻していることも確認済みだ。彼女が呼吸をし眠りについていることを第一に確認できたのも実は聴覚ではなく、その感覚器官のお陰だったわけだが。

(どうしたらこんなことになるんだよ!この状況で落ち着いていられる奴、この世にいんのか!?)

 必死に息を殺して固唾を飲む俺の口元に、ラティスフィアの生温かい呼吸が否応なく当たってくる。俺はなるべくそれを邪魔しないように心掛けるが、その度に口を塞いでしまう。不味い。このままじゃ、俺も苦しくて仕方がない。

 こんな時に鼻が詰まって口呼吸しか出来ないなんて、本当に運が悪い。

 我慢できず、僅かに開いた口から息を吐き吸い込もうとする。すると、タイミング悪くラティスフィアの吐いた息を吸ってしまい、もう、唇の感触と相まって壮絶な罪悪感が俺を襲うのだった。

(アイリのやつ、いつまでこの格好をさせるつもりなんだ)


『副作用の意味分かりましたか?ラティスフィアちゃんの体はその改造されたマジュラによって多くの呪いを掛けらているんです』


 アイリの奴、なんか語り始めた。解放する気ないな、これ。

 んん?何か動いた気が……。

 そうか、ラティスフィアが寝返りを打とうとしているんだ。よし、顔を横に向けるだけでいいから!頑張って!


『外部からラティスフィアちゃんに魔法を使おうとすれば、体にどんな影響を及ぼすか判ったものではありません。ですから、その穴を掻い潜って慎重に魔法を掛けていったのです』


 おかしい、ラティスフィアの首が動く気配がない。なのに、何かが動いている気配がするのは何でだ?唇に伝わるこの振動はなんだ?

 ーーー!!?

 え、なに?なんか今、変な感触が唇に!?


『体表面が冷えたのは体を包むリーフの循環がマジュラの影響で不規則になったからです』


 っ!?また、ってちょちょちょ!!!!口に入って来て〜〜〜〜〜〜〜!?!!!!もしかしてこれはっ!!!


『それを説明する前に在らぬ勘違いをするんですから、あなたの自業自得です!もう突っ走らないようにすると反省して下さいね』


 反省するどころの話じゃないっての!!早く助けろこらああ!!


「んんんんんんん〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!』

『カズキさん?あの、いい加減奇声上げてないで何とか言ってくれませんか?もう分かりましたよね。私が彼女を殺すはずがありません。彼女は列記とした私達の保護対象です。少しは信用してくれましたか?』

「んんんん〜〜〜〜っ!!んんんんん゛っ!!」


 すると俺の様子を伺いに来たのか、上の方から聞こえていたアイリの声がいつの間にか俺の顔のすぐ近くまで降りてきていた。

(おっそい!!!)

 俺はその気配を察してアイリを睨み付けた。

 目が合った瞬間、アイリのーーーラティスフィアのアバターの顔が一気に真っ赤に染まっていった。


『あ……………………ご、ごめんなさい!その私、加減を間違えちゃった、みたいで……その…………』


 どうやらようやくアイリも状況が分かったのか、動揺する声で先に謝られてしまった。

(謝るのはいいから、早く解放しろっ!!!)


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

『ごめんなさい!今すぐに!』

「っぷは!!」


 不自然な体勢で固まっていた体は重力に従って床に落ちた。何とか強引に床に腕を伸ばした俺は、ラティスフィアを押し潰さないように横に転がるようにして避けた。仰向けになると思いっきり息を吸い込んだ。


「こ、殺す気か……あんた」

『あの悪気はなかったんです。本当ですよ!ちゃんと呼吸していることを確かめさせようとしただけで……。わたしだって、まさ、まさかキキキッ、キスしているとは思いも』

「バカァっ!やめて、それ以上言わないで!!本当に何やらせてんだよっ!!犯罪だぞ、こんなの!ああ本当に、こんなの罪悪感で、ああああああ、ごめんよおおおラティスフィアああああ…………ッ!!」


 起き上がり、ラティスフィアに泣きつこうとした俺はぴたりとその動きを止めた。

 そこにはなんとも無防備に眠るエルフの少女がいて、その濡れた桜色の唇が部屋の蛍光灯の白い光を反射していて、それはついさっきまで自分の唇とーーー。


「ふんっーーーブハッぁああ」

『カカカ、カズキさんっ!?自分の顔を殴るなんて、あなた本当に大丈夫ですか!?』


 俺はよろけながら立ち上がると、床上数センチのところで浮いているスマホを拾い上げた。


「なあに、だふぃしょうぶふぁ。じゃふぁ、ふぁなひぃのふぶきをしふぉんか」

『キメ顔でそんなこと言われても何も伝わってこないんですけれど!むしろ私がこの状況に取り乱しそうなんですけど!』


 ラティスフィアのアバターがアイリの感情をそのまま表しているのだろう。彼女は戸惑った表情を浮かべて、突っ込みを入れて来た。

 なるほど、ラティスフィアはこんな表情もできるのか。ふむふむこれで三杯はいけ…………ッ!!


『だから何でまた自分を殴るんですか、もうっ!!』


 このあと俺は、しばらく手の動きを封じられるのだった。

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結論から言うと、俺は嫁を召喚しました 現状思考 @eletona_noveles

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