壊れたらどうするんですか!


『ジンマー:ラティスフィア

 動作:硬直

 スキル封印:発声

 命令を解きますか?』


 スマホの画面の下には『はい / いいえ』が表示されている。


『ーーー《はい》ーーー』


 その問いに俺は迷わずタップした。


『受領完了。解除します。』


 すると、ラティスフィアは今まで息でも止まっていたかのように喉を鳴らして空気を大きく吸い込んだ。身体が動くことを確認するように何度も握り拳を作ると、その手を胸に当てて小さく縮こまっていった。

 その様子に大丈夫かと声を掛けようとした俺は、彼女の充血した目と合い、それが俺への恐怖と恨みを訴えているのだと一瞬で理解した。

 開いた口が何も発さず閉じていく。

 自分の取った行動に後悔を覚える。しかし、それはもう意味をなさなかった。動転していたとは言え、ラティスフィアに酷い扱いをしてしまった事に変わりはない。

(何が嫁にするだ、クソッ。最低じゃねえか)

 ラティスフィアはここに来てもう何度も泣いている。

 そんな少女に、俺はまだ詰問しようというのか。


「ぁぁ……ほんと、最悪だ」


 その場に立ち尽くしていた俺は自分を恨むように重いため息を吐いた。

 もう今の俺に何ができるのか、何をすべきなのか、分からなくなってきていた。

 色んなことが一度に起こりすぎだ。

 起きたらラティスフィアが部屋にいて、風呂に入れたり、会話が出来なかったり、泣いたりして、彼女のことがやっと分かると思えば情緒不安定でスマホを壊そうとしてきた。

 俺の方はと言えば、マジュラなんていう信用ならないアプリをインストールして、部屋をめちゃくちゃに壊すほどのガラクタを召喚しちゃうし、ラティスフィアを匿うためだとか勝手に思って彼女を傷つけてしまった。

 現時点での最善で最優先の行動が全く分からない。

 ラティスフィアの存在を家族に打ち明けて相談すべきだろうか?

 いや。そんな事よりも先に、ラティスフィアに本気で頭を下げて少しでも信頼回復に努めるべきか。

 だけど、俺が何かしようとして、また思いもよらない形でマジュラがなんらかの影響を俺やラティスフィア、家族に影響を与えてきたらどうする?そうなれば、一大事である。問題がこれ以上増えていくのは勘弁願いたい。

 そうなれば、やはりマジュラの事を先に知る必要がある。

(でも、どうやって)

 マジュラが何なのか。

 聴ける相手は誰もいない。教えてくれる者もいない。

 知るには、自分でマジュラを操作していって手探りで調べるほかに方法は残されていなかった。


「チッ……」


 俺は舌打ちしてスマホを見下ろした。

 そこにはソーシャルゲームによくある様なメイン画面が映っており、それに似たアイコンがいくつか並んで表示されていた。

 画面右上にはハートマークにマイナスの値を示した数値。その左隣には0と表示された意味深なカウンター。これは何かのポイントを表しているのだろうか。

 そして、画面左上を見れば緑と黄色の二本のゲージが表示され、その端には大きく『1』と書かれている。他のゲーム画面のセオリーに当てはめれば数字はレベルで、ゲージはHPかAP、それかEXPだろう。あの変なストーリーモードがあったくらいである。ゲージ満タンの緑がAPである可能性が高い。もう一方の半分以下になっている黄色のゲージはHPとEXPのどちらだろうか。


「これが体力だとすると、きっとラティスフィアのことだよな。だいぶヤバそうなんだけど。……でも、これだけ深刻だったら勝手に減少していくだろうし、何もしてない今回復していかないのも変だよな。生身の人間の値なら多少なりとも変わるはずだし」


 だとすると、EXPという線が残る。しかし、そんなのを貯めた覚えはない。チュートリアルのあの戦闘で経験値が貯まったのだろうか。何にせよ、ゲージの値は依然変わらない。今は放っておいても良さそうだ。

 俺はそこまでで思考を止め、別のアイコンに注目することにした。

 画面下には【奴隷】、【編成】、【冒険】、【依頼】、【補給】、【調整】、【設定】という7つの項目が並んでいた。


「なんでこんなのがラティスフィアに関係してるのか本当に分かんなくなるよ」


 7つの内、【編成】、【冒険】、【依頼】、【補給】、それと【設定】は見ただけでなんとなく想像できた。おそらく、【冒険】はあの時スキップしまくったチュートリアルの続きをプレイするストーリーモードだ。そして、【編成】でパーティーを組んでストーリーを進める。進行具合で【依頼】が解放されていき、ストーリー以外で経験値やクリア報酬をゲットできる。そして、【補給】は俺の部屋をこんな有り様にしたリアルガチャのことだろう。仲間募集なんてことも書いてあった気もするし、迂闊に手を出すのは危険だ。最後に【設定】だが、これはプレイヤーステータスとか、音量や画質の調整を行うものだろう。

 よくあるソシャゲの範囲で考えればこんなところだ。

 しかし、【奴隷】と【調整】の二つが分からなかった。【調整】とは何の調整をするのか。それに【奴隷】という文字が俺に嫌な想像をさせてくる。

 ラティスフィアを初めて見た、スマホの中に映る牢獄の様な空間。ボロ布を纏って現れた彼女がマジュラと深く関わりを持っていることは既に分かっている。そのマジュラに記される【奴隷】という文字は、やはりそういうことなのだろうか。


「予想してた通りかもしれないな……」


 昨晩の悪徳詐欺サイトで見たあの時から、何となくそうなのではないかと思っていた。ゲームに漫画、ラノベをいくつも見聞きしてきた俺である。それくらいは想像できた。実際にそうした予想もしていた。

 俺は【奴隷】と書かれたアイコンをタップした。すると、【ジンマー】と称された欄が表示され、その一つを見て俺の予想は確信に変わった。

 そこにはラティスフィアのバストアップで撮られた画像があったのである。他の項目は空欄だった。

 迷いなくラティスフィアの画像をタップする。


「この画面か」


 見覚えがあった。

 それはあの時、カメラでラティスフィアをスキャンした後に表示されたステータス画面だった。

(普通のゲームなら【奴隷】じゃなくて【キャラクター】って項目だろうに)

 ラティスフィアは奴隷だ。

 それがこの画面で分かる最初の答えだった。そして、同時に俺がラティスフィアにしてしまった【命令】の意味がやっと分かった。


「奴隷を従わせるためのマジュラか」


 ラティスフィアがマジュラをインストールしたスマホを壊そうとした理由も分かるというものだ。

 ーーー玩具になりたくない。

 彼女はそう言って泣き叫んでいた。

 こんなの嫌だ、とも。

 同じ立場なら俺だって破壊しようとする。誰かの言いなりになって弄ばれるのなんてごめんだ。


「…………」


 しかし、ようやく少しだけ謎が解けたというのに俺の気分は沈んでいった。

 ラティスフィアの行動や言動に不可解な点があったことや、マジュラがゲームチックなテイストをしていること。それに、命令がどういう条件で発動してしまうのか。

 それらが依然不明だからだろうか。

 いや、違う。

 俺の気分を一番害しているのはあの言葉だった。


『彼女を助けますか?』


 俺は今、その真逆のルートを辿ってしまっていることを実感していた。

 マジュラへの契約を完了させ、ラティスフィア本人に名前を書かせ、そして、マジュラにスキャンまでしてしまった。

 もう、助けるどころの話ではない。彼女を奴隷として完全に縛り付けてしまったのである。

 スマホを握る手が震えて、止まらない。

 他人をどうこうできるほど俺は偉くも立派でもない。なのに、自分よりも幼い女の子を俺はーーー。


「そうだ、だったら解放すれば!どっかにあるだろ!」


 ステータス画面にはその項目は見当たらず、メイン画面に戻り、手当たり次第に見ていった。

【編成】、【冒険】、【依頼】、【補給】、【調整】、【設定】ーーー。

 しかし、そのどこにも『奴隷を解放する』というアイコンは見当たらなかった。

 それならば、とマジュラをスマホからアンインストールしようと考え、アプリを落とそうとする。だが、いくらスワイプしてもマジュラは画面から消えなかった。

 俺は指先の震えが酷くなる中、次の手段をとる。


「こういう時は強制終了させれば」


 スマホの側面のボタンを長押しし、電源を落としにかかった。

 しかし、それもーーー。


「なんで!?なんでだよ!!」


 出来なかった。

(どうなってんだよ!)

 奴隷解放の手段も分からず、アプリも落とせず、電源すら切れない。


「そしたらもう、これしかないじゃんか!」


 俺はラティスフィアがあの時、そうしていた様にスマホを持って高く振り上げた。

 スマホを壊せば。

 そしたら流石にマジュラだって起動しなくなるだろう。そうすれば、ラティスフィアを奴隷たらしめている戒めはなくなる。

 俺はやけを起こした様に勢いよく床目掛けて腕を振り下ろした。


 バシィッ!!


 すると、スマホが床に直撃しようとする瞬間、そんな音がしたのを耳にした。そのスマホはと言うと、床から少し浮いた状態で止まっていた。


「ッ………!」


 一体どんな原理で浮いているというのだろうか。

 俺は壊すことが出来なかったスマホを見て愕然とした。

 あの子を救うのは無理だ。俺には出来なかったんだ。

 そう思った瞬間、微かなノイズがスマホから聞こえ、次いで女性の声が聞こえてきた。


『あっぶな〜〜!ったく、無茶するわね。ちょっと!壊れたらどうするんですか!!』


 ゴトリ、と床に着地したスマホの画面にはぷんすか怒っているラティスフィアが映っていた。

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