半壊の自室で

 謎が謎を呼び、最初の謎は謎に埋もれていく。

 そして、いつしかその謎がいったいどんな謎だったのかも謎になっていく。

 つまり、訳わからんことが多発し過ぎて何が結局大元の原因だったのか分からなくなっていくってことだ。

 一言で言えば、意味不明ってこと。

 めちゃくちゃになった部屋を吸引力の衰えないただ一つの掃除機をこれでもかと使い、吸い取れる物を一頻り吸い取ると、召喚された物をとりあえず退かして寝れるスペースだけを確保していった。家族が外出中で本当に良かったと何度も思った。

 掃除は得意でない為、それだけで実に時間が掛かってしまった。しかし、ラティスフィアは俺とは反対に掃除が得意なのか、下手れた俺を置いて今も拭き掃除に専念してくれている。情緒不安定な子だが、一生懸命やってくれている姿はとても健気な少女の印象を俺に与えてきた。

 まぁ、まだ彼女の何がとは知らないけれど、良い子なのは確かだ。


「もう休んでいいよ。疲れたでしょ。そろそろ何か食べよう?もうすぐ親も姉貴も帰ってくる頃だし、その前に風呂だって入らなきゃ」

「……うん」


 努めて明るく話しかけるとラティスフィアは元気の無い返事をした。彼女には何度も気にするなと言っているのだが、責任を感じてしまうらしかった。そりゃ、ボタン一つでこの有り様である。俺だったら卒倒して、そのまま永眠するのもやぶさかでは無い。むしろ時効になるまで爆睡を決め込むであろう。

 と、それはさておき。

 時間が迫っているのは本当で、掃除をある程度で切り上げないといけないのも事実だった。

 時刻は夜の9時半過ぎ。

 家族全員が帰ってくる前に休息がてらご飯を食べて、さっさと埃っぽい体を洗わなければならないのである。ラティスフィアが家族に見つかったとして、今の俺には誤魔化せる材料も事実を説明できる自信もない。動けるのは今のうちだった。

 しかし、また風呂のミッションか……。

 少し気が重くなった。今度は一緒に入る必要はないと思うので多少は気が楽ではある。だけれど、途中で誰かの横槍が入らないかが心配だった。もっともらしい言い訳を今のうちに考えておいた方がいいかもしれない。

(はぁ、まったく。1日にこんなに何度も風呂に入る羽目になるとは正直思ってなかったよ。水道代が上がって親に怪しまれたりしないよな?)

 そんな俺の密かな不安を他所に少女はまた掃除の手を動かしていた。トイレに行く前のあの生意気な感じは、今では一切窺えない。掃除をしている間も何かに取り憑かれたように必死な表情を浮かべていた。

 殺さないで、とラティスフィアは言った。

 そして、灰になりたくないとも。

 それが示す真意を俺はまだ分からなかった。俺がこの子を殺す筈もないし、灰にだってすることもできない。何に怯えているのかは知らないが、先ずは元気を出して欲しいものだ。


「下に行ってご飯取ってくるよ。だから、ラティスフィアは座ってて」

「はい」


 ちゃんと返事をしてくれる。ほら、良い子だ。

 笑顔を向けるとラティスフィアはぷいっと拭き掃除に戻った。一瞬、頬を染めた様に見せたのは、まあ気のせいかな。自分に妹がいたらこんな感覚なのだろう、なんてじじ臭いことを思ってしまった。

 ラティスフィアを残して廊下に出ると俺はその場を見渡した。


「どうなってんだか」


 あの途轍もない衝撃は俺の部屋だけに収まり、それ以外の場所は以前と何ら変わりを遂げていなかった。下手すれば家が倒壊しかねないとすら思うほどの衝撃だったのに、だ。

 そして、俺は何となく視界に入った二階のトイレに寄ってから一階にある台所へと向かった。


「やっぱりトイレ流してなかったな、あいつ。まあ、便器の蓋を開けて、済ませてくれただけでも良しとするか。……お尻拭いたか心配だわ。どうしたんだろ。それぐらいの常識はある、よね?」


 そう不安を漏らしながら俺は昼と同じように適当に冷蔵庫から物を取り、部屋へと戻っていった。

 少女の名前が分かって、少女が話せるようになって、俺と言葉が通じて、これから会話が出来る。

 時間は掛かったけど、前進している。良しとしよう。

 あの子をここへ呼んでしまったのは確実に俺だ。なら、彼女がどんな事情を持ち何を考えて何を目的にしていても、俺はその責任を取ろうと思う。

 ここから先はファンタジーだ。

 でも、非現実じゃない。

 実態のある、目を逸らせないほどの現実だ。

 なるようにするのは、俺だ。

 何が出来るかは分からない。

 これっぽっちも力になれないかも知れない。

 それでも。

 向き合おう。

 そして、力になろう。

 あの少女を幸せにするのは俺しかできないのだから。

 意気込みはよし。

 これから途方もないエンディングに向かって行かなければならないのだ。部屋が半壊状態になろうともいちいち立ち止まってちゃやっていけない。

 そうだぞ、もう一人の僕。

 棚に飾っていたいくつもの美少女フィギュアが落ちて傷付いて壊れてしまったとしても。新刊初版購入で買い続けてきた漫画やラノベが本棚ごと倒れてくしゃくしゃに折れてしまっても。たとえ据え置き家庭用ゲーム機が徹夜の末にようやく買えた同梱版限定デザインで、降ってきた木箱に押しつぶされていたとしても。

 立ち止まってはいけない。落ち込んではいけない。下を向いてはいけない。

 泣くな、オタクの僕!

 自分の嫁を育てると言う目的が出来ただけでも僥倖なのだ。二次元嫁が現実に現れるという奇跡を考えれば、それが代償だったのだと考えるまでだ。変なサイトの詐欺に遭って部屋を壊される二次被害を被ったなどとは以下略……。

 泣いてない。

 俺は決して泣いていない。

 自分を鼓舞して、自室の扉を開けた。

(なあ、信じられるか?ここ、俺の部屋なんだぜ)

 扉の先はどう取り繕ってもめちゃくちゃな部屋が広がっていた。知ってたー。

 まぁ、掃除用具取りに行ったりとかしてたから部屋の出入りはこれが初めてじゃない訳で。漫画的ラノベ的登場人物によくありそうな「扉の前でのとある決意」的なシチュエーションをただやりたくなってしまっただけである。

 高校生の俺は厨二病、絶賛患い中なのであった。

 おつおーつ。


「にしても……すごいな」


 十字に焼け焦げた跡を残す天井を目にして、他人事みたいに言葉を漏らした。

 ガチャを回したら天井から物が落ちてくるなんて思いもよらなかった。現物支給なら予め注釈を書いておいて欲しいものである。まぁ、予想していなかった訳じゃないのだけれどさ。

 扉を閉めて部屋の中に入っていくとラティスフィアはまだ拭き掃除をしていた。俺の貸した洋服がダボダボで、その余った部分を時折邪魔そうにあしらいながらもせっせと床を磨いていた。座ってて良いって言ったんだけどなぁ。

 ラティスフィアはあれだね。

 マメで、真面目で、良い子だね。

 流石は未来の俺の嫁。はっはっはっ!エプロン付けて朝ご飯を作ってくれるようになったら、これはもう最高だ。そう。もう最っ高に…………キモいな俺。

 明らかに年下の女の子相手に、自分が最高に変態な思考の持ち主であると自覚して、死にたくなった。意気込みのクソもない。下心100%しかない。

 俺はがくりと肩を落とした。


「ごめん、なさい」


 すると静かな部屋にぽそりと言葉が響く。

 その声はもちろん、俺ではない。


「え…………ぁ」


 声のした方を見れば、ラティスフィアが雑巾を持ったまま胸に手を当てて、俯きがちに俺の顔色を窺っていた。

 これは何かやってしまったか?

 もしかして俺が変に紛らわしいリアクションをしたのを見て、ラティスフィアは自分の所為で俺が気分を害しているのだと思ったのだろうか。俺が首を傾げると彼女は視線を床に落とした。いや、これは確実にそれだな。

 しかし、あからさまにシュンとされるとどうしたらいいか分からなくなる。

 無用な誤解を招いてしまったことに気付いた俺は急いで口を開いた。


「違う!違うよこれは!謝んないで!今のはその、あれだ、好き嫌いあったらどうしよっかなあって考えてたんだよ!ほら、文化の違いってやつは侮れないからさ!」


 言いながら冷蔵庫から持ってきた物をラティスフィアが見えるように突き出した。


「……」

「……」


 しかし、俺の渾身のアドリブの甲斐なく、ラティスフィアの表情は晴れなかった。

 うーーーーん、苦しい。

 俺が何を考えていたのかを話す訳にはいかない。

 かと言って嘘の上塗りをするような駄策を執るわけにはいかない。どんな話でもその選択肢を選んだ人間は自滅するのがオチである。ならば俺に出来ることはただ一つ。全力で話を逸らすだけである。

 俺はラティスフィアが綺麗に拭いてくれた床の上に持ってきた食料をずらっと並べ始めた。


「とりあえず、下から適当に持ってきたんだけど、今度は食べられるか?好きにとって良いよ。なければ、一緒に下に行こう」


 水、お茶、リンゴジュース、白米、卵、チャーハン、ハム、きゅうり、レタス、それと煮物。お菓子も少々といったところか。

 それは風呂場から拝借した洗濯籠に入れられるだけ入れたラインナップだった。自分でも微妙過ぎるチョイスだと思ったが、何が食べられるか分からない為、肉、野菜、飲料、飯、プラス俺が食べたい物という条件で選ばせてもらった。因みに沢庵は持ってきてない。一度失敗したものを持ってきても意味がないからである。

 忘れずに持ってきたコップを用意すると、ラティスフィアに座るよう手招きした。

 さて、異世界異文化異種属エルフッ子の反応は如何に?


「これ、良い匂い」


 雑巾を置いて目の前に座ったラティスフィアは、その香りの元を指差して言った。


「チャーハンを選ぶとはお目が高い」

「ちゃーはん?」


 繰り返し言うラティスフィアの前にそれを用意する。

 正直、俺が持ってきた物の中で料理っぽいのは、冷凍食品のチャーハンと作り置きの煮物くらいのもので、尚且つその二つで温かいのはチャーハンだけである。食欲をそそるこの香りは世界共通であると証明された。


「ほら、熱いから気を付けて食べろよ。水、ここに置いとくな」

「本当に食べて良いの?」

「遠慮しないで良いって。今日はまだ何も食べてないだろ。口に合うか分かんないけど、好きなだけ食べて良いよ。俺もお腹空いたし煮物でも食うかな」

「…………」


 ラティスフィアはスプーンを片手に持ちはしたもののチャーハンを睨んで動きを止めていた。その仕草は遠慮にも躊躇にも見えた。

 前回、俺がご飯を口元に持っていった時、彼女は口を開くこともせず、突然涙を流した。

 やはり何か不安を抱えているのだろうか。

 それとも、単に沢庵が嫌いだっただけなのか。

 そう思っていると、彼女は恐る恐るスプーンをチャーハンに刺して、その小さな山をパクリと口に咥えた。

 すると。


「〜〜〜〜〜〜〜!」


 ラティスフィアは目を見開いて俺を見てきた。

 お気に召したようで何よりである。

 ラティスフィアは黙々とチャーハンを食べ、あっという間に平らげてしまった。

 よほどお腹が空いていたらしい。

 俺が摘んでいた煮物を差し出すと、里芋に椎茸に鶏肉とパクパク口に運んでいった。その調子でハムスターかリス並に頬を膨らませるのだから、日本食もいける口のようだ。

 もしかしたらエルフが超偏食ベジタリアンかもしれないと思い、きゅうりとレタスを素材そのままで持ってきたのだが、その必要は全くなかったようである。しかも逞しいことに、ドリンクはリンゴジュースが気に入ったのか、そればかり好んで飲んでいった。尖った長耳がなければ、普通に現代っ子の食事風景である。

 煮物にリンゴジュースは流石に俺でもやらないんだけどなあ。


「お腹いっぱい」


 ぽふっ、と息を吐きながらラティスフィアは満足げにそう言った。

 気分も幾分か良くなったようである。

 ここらが良いタイミングかもしれない。

 俺は少し質問をすることにした。


「あのさ、聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」


 自然に言ったつもりがよそよそしくなってしまった。

 ラティスフィアもその不自然さに気付いたのか、緊張した面持ちで俺へと向き直った。


「いいよ」


 小さな声で返事をするラティスフィアは、これから怒られる子供のような顔を俺に向けてきた。

 わー、話しづらい。

(これはかなり言葉を選ばなきゃいけないな)

 と言っても、取り急ぎ聞いておかなきゃいけないことは一つだけだ。

 俺は彼女の前にスマホを置いた。


「マジュラについて教えてくれないかな。知ってるんだよね」


 ラティスフィアはマジュラが何なのかを知っている。俺はそうあたりをつけていた。

 初めこそ、ラティスフィアはそれらしい反応を見せていなかった。しかし、スマホ版ラティスフィアを本人に見せた時、彼女は今までで一番の反応を示した。そして、貸し渡した直後、彼女の様子は数秒前とはまるで別人みたいに様変わりをした。

 ラティスフィアがマジュラを操作した。その結果、彼女は話せるようになり、感情が分かりやすく表に出るようになり、自発的行動をするようになった。

 確かに、再現度の高い自分の姿を写したスマホに驚いて、興奮の余りスマホを連打し、たまたま何かを押してしまって、それがラティスフィア自身に直接影響を及ぼしてしまったという可能性も考えることができる。

 だが、その線は無いに等しかった。

 なぜなら、ラティスフィアの言動には既知でなければ、まず使わないような言葉が入っていたからである。

 ーーー『要は済んだ』『よろしく』、と。

 そう言っていたことを俺ははっきりと思い出した。あの時、俺は咄嗟のことに何かを一任されたのだと勘違いしていた。俺に何かすることがあるのだと、そう思った。

 しかし、それは違った。

 あの時、ラティスフィアが言った意味は「私のやることは終わったから、後は好きにして」という意味だったのでは無いだろうか。

 マジュラを知っているからこそ出た発言だ。

 俺はこの後、マジュラで何をしなければならないのか。どう扱う代物なのかをラティスフィアから聞かなければいけない。

 俺の質問にラティスフィアは、自身の目の前に置かれたスマホと俺の顔を交互に見比べると、なにか難しい顔をしながら頷いた。

 次いでラティスフィアがゆっくりと口を開いた。


「マジュラのこと、本当に知らないの?」


 今度は俺が頷いた。

 しかし、ラティスフィアは俺のその反応が信じられないのか、幼い顔つきで眉間に皺を寄せた。

 何か納得のいっていない表情だ。


「俺はマジュラって単語すら知らなかった。名前を知ったのは昼頃だし、今でさえマジュラを何に使う物なのか分からない」


 俺の中でのマジュラの認識は、リアルガチャを回せるクソゲアプリだ。その本質は全く見当が付いていない。

 すると、ラティスフィアは震える手で徐にスマホへと手を伸ばしはじめた。


「……を……わせば」

「え?」


 唇を殆ど動かさず言われた言葉を俺は聞き取れず、反射的に聞き返した。

 ラティスフィアの長い銀の髪が肩からこぼれ落ち、鋭くスマホを見るその片目が隠れていった。

 その様子に何か鬼気迫るものを感じ取った俺は、しかし、腰を浮かした時点で出遅れていた。

 スマホを鷲掴みにしたラティスフィアは腕を高く振り上げた。


「これを壊せば私は!!」


 今度ははっきりと。

 ラティスフィアはそう叫んだ。


「待て!何してんの!壊すとかやめろ、マジで!」


 ラティスフィアの腕が振り下ろされるその途中、俺は間一髪その腕を掴み取った。それでも暴れる彼女を、俺は押し倒す形で動きを封じた。


「離して!離しなさいよ!変態っ!ヒューラスの癖に私に触らないで!!」

「触られたくないんだったらスマホ返せよ!その手を離せばいいだろ」


 掴んだラティスフィアの華奢な両腕を力尽くで頭の上へ移動させると、俺は片手で彼女の両腕を拘束した。空いたもう片手でラティスフィアの掴むスマホを奪取しようと試みる。


「やめてよ!離してよ!嫌だ、私は!!こんなの嫌だああ!!」


 ラティスフィアは涙目になりながら俺を睨み続け、体を捩って必死に抵抗してきた。しかし、彼女の力はやはり俺には勝てなかった。

 俺は力一杯握り締められたスマホを容赦なく奪い取った。

 馬乗りになっていた俺はラティスフィアの腕から手を離すと同時にその場から退いた。

 一変した彼女の行動に、俺は警戒して距離を開けざるを得なかった。例え華奢な女の子と言えどスマホを投げられれば、当たりどころによっては一発で使用不能になってしまう。ましてや、彼女は魔法が使えるのだ。それを放たれでもしたら一溜りもない。初めてスマホを手渡した時に破壊されなくて良かったと本気で思った。

 俺は後ろ向きに扉の近くまで下がっていた。

 だが、ラティスフィアは俺を追ってくることなく、仰向けになった状態のまま両腕を顔に押し当て、声をあげて泣いていた。


「やだよう。どうしてなの……。わたし、おもちゃになんか……なりたく、ないよう」


 嗚咽混じりに辛うじて聞き取れた泣き声は、そんなことを言っていた。

 俺はどう声を掛けていいのか分からず、その様子をただ見ていることしか出来なかった。


「一輝〜〜ぃ?何騒いでんの?帰ったわよ〜〜?」

「!!?」


 突然聞こえたその声は、階段を上がる音と共にこちらに近づいてきていた。


「母さん?!帰ってきた。やばっ!」

「ねえ、どうしたのお?具合は?もしかしてあんた泣いてんの?平気?」


 随分可愛い声で泣くじゃない、と部屋のすぐ近くの廊下から母の声が聞こえてきた。母がもうすぐそこまで来ていた。

 どうするどうするどうするどうする!?!?

 焦る俺は碌に思考が回らず、どうやったら泣き声をあげるラティスフィアを落ち着かせることができるか、それしか考えることができなくなっていた。いっそのこと押し入れに放り込むか。


「もう最悪だ。頼むから静かにして」


 俺はラティスフィアへと駆け寄り、少々強引に彼女の口を手で押さえた。すると当然抵抗され、少女は更に大きな声をあげた。

 ああクソ!やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!!

 目の前の事態に判断が追いつかなくなっていた俺は咄嗟に声を張った。




「黙れ、ラティスフィア!!」




 瞬間、しんと静まり返った。


 ーーーヴヴッ、ヴヴッ!


 全力で抵抗していたラティスフィアはその動きを止めていた。掠れた息を俺の手の隙間から漏らすのみで、当然、泣き声は聞こえない。


 ーーーヴヴッ、ヴヴッ!


 ただ、時間を止めたみたいに不自然な形でラティスフィアは硬直していた。


 ーーーヴヴッ、ヴヴッ!


 俺はラティスフィアの口元からゆっくりと手を離し、片手に持ったままだったスマホを見た。

 いつの間にかホーム画面が解除されていたスマホに文字が浮かんでいるのを見つける。

(なんだ……これ)


『ジンマー:ラティスフィア、動作:硬直、スキル封印:発声

 命令を解きますか?

 はい / いいえ』


 硬直?封印?どうなってんだこれ。

 これじゃまるでーーー。


「一輝……?ちょっと本当に大丈夫?何かあるんだったら言いなさい。お母さん、いつでも相談に乗るわよ?」

「ご、ごめん、いきなり大声出して!気にしないで!全然平気だから!あはははは」


 母の声で我に帰った俺は飛び出るように廊下に出て、そう捲し立てた。


「アニメ観てたんだよ!もう感情移入し過ぎて、つい叫んじゃった。あははは超恥ずかしい」

「……あんたねぇ。近所迷惑になるからやめなさいよ」

「気を付ける気を付ける」


 突然出てきた俺に驚いていた母は心配そうに俺を見ていたが、それ以上は何も言わず、階段を降りて行った。

 なんとか誤魔化せただろうか。

 例え、怪しまれてしまったとしても今はもう仕方のないことだ。そうなったら後でフォローすればいい。まだ取り返しはつく。

 それより。

 今はこれをなんとかしなければならない。


「ラティスフィア、頼む。マジュラについて教えてくれ」


 部屋に戻った俺は、ラティスフィアの拘束を解いた。

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