チュートリアル


「待て!おいラティスフィア!」


 バタンッ。

 俺がそう叫んで廊下に出ると左奥の廊下、つまりはトイレの扉が音を立てて閉じたところだった。

 トイレの場所が正しく伝わって何よりである。

 だから、そうじゃなくて。

 俺は早足でトイレと扉へと歩み寄った。

 俺の足音に気がついたのか、トイレの中からドンッと踏み鳴らす音が聞こえた。なにやら突然気性が荒くなったご様子だ。


「あのさ、そのままで聞いてくれていいから。ねえ、なんでいきなり話せるようになったの?何したの?マジュラのお陰か?」

「………………………」

「まあ、話せるようになったのは良しとしよう。聞きたいこともこれで聴けるようになったわけだし」

「………………………」

「驚いたけど、元気そうな声が聞けて良かったよ。このマジュラってのよく分かんないけどさ、なんかの契約なんだろこれ?後で色々と教えてくれよ。他にも聞きたいこといっぱいあるしさ」

「………………………」

「あ、そうだ。お腹空いてない?家であるもんで良ければ用意するし。じゃなかったらコンビニ行って買ってくーーー」

「あっちいけ」

「るからさ。いや、ほんと少しでも元気が戻ったんなら……。ああごめん。今なんか言った?」

「あっちいけ」

「え、なんて?」

「あっちいけって言ってんの!私がトイレしてるところ邪魔して楽しいわけ!?この低俗!」

「っ!ごめん、ああ、ほんとごめん!部屋で待ってるほんっとごめん!!」

「早く離れて!」


 やっちまった。

 言葉を聞けた驚きと嬉しさからついついペラペラと話してしまった。

 めっちゃ怒ってたな。迫力がなかったのは幼さ故か。

 一人自室に戻った俺は頭を抱えながらベッドに腰を下ろした。

 まさかここで急展開を迎えて話せるようになるなんて思いもよらなかった。そして、怒らせてしまった。

 やばい。好感度が一気に急落したのを肌で感じた。


「そうだ。そういえば後は任せたとかなんとか言ってたよな。なんのことだろ」


 捨てるように渡されたスマホをベッドから拾い上げる。

 ホーム画面のロックを解除すると、俺はつい顔を引きつらせてしまった。


「どゆこと?」


 そこにあったのは、よくあるソシャゲの画面だった。

 ここをタップして!と画面の中のラティスフィアが示している。

 これは一体どう言う状況なのだろうか。

 まったくプロセスがわからなかった。

 ナゼ?ナゼに?ナニユエに?

 どうしたらゲーム画面になるわけ!?


「…………」


 俺は考えを巡らせることを止めて、スマホ版ラティスフィアが示す『クエスト』と書かれたアイコンをタップした。


『ここはとある異界の地ーーーアーガスゲイルド。かつて高度な魔法技術によって栄華を極めたこの世界は、一つの闇の存在によってその全ての歴史に幕を閉じることとなった。その闇の存在をーーー』


「…………なんかストーリー始まった」


 スキップしてえ。

 頭の整理が追い付かなすぎて何にも頭に入ってこないんですけど。

 なに?マジュラってソシャゲなの?

 あ。


「スキップボタンあるじゃん」


 ストーリーテキストが勝手に流れていく中で、俺は容赦なくスキップボタンを押した。

 だって興味ないもん。知らんもん。うざいもん。


「はぁ、ですよね」


 画面が切り替わるたびに連続スキップを決め込んでいると、やはりそれが出てきた。


「バトルって。これ、どこのゲームパクってきたんだよ。なんか見たことあるような戦闘画面なんですけど。コマンドカード選択って、大丈夫?訴えられない?」


 ストーリーの途中だからだろうか、最大ステータスらしきキャラクター三体が戦闘に出てきた。どっかで見たことあるようなアイコン操作をチュートリアルの指示通り何も考えずに押していった。

 程なくして戦闘は終了し、またストーリーに戻った。

 なるほど、今の敵はこの世界のボスなのね。そいで、こいつらはボスに挑む勇者一行ってことなのかね。ありきたりだな。うん、スキップ。


「これでチュートリアルも終わりってことかな?」


 そう言った俺のスマホには『物資調達&仲間募集』と言うアイコンが表示されていた。所謂、ガチャ画面である。

 しかし、やはりこれはマジュラで間違いないようだ。

 他のソシャゲであればキラキラピカピカわっくわくな絵が表示されているであろうガチャ画面。だが、今表示されているのは暗く汚れた路地裏の闇市場みたいな場所だった。そこに映る全てに夢も希望も期待も感じさせない。あのサイトを彷彿とさせる現実とも見紛う絵は、動画ではないのかと思ってしまうほどに所々が風揺れ実態の映らぬ人の影が通り過ぎていっていた。

 物資調達って何が調達できんの?仲間募集って誰が来んの?そいつ信頼できるの?仲間って呼べるの?

 ガチャでここまで緊張したことねえ……。

 押すか。それとも押さないか。

 いや、戻るというアイコンもボタンもないから、確実に押さなきゃならないだろう。しかし、あの闇サイトみたいにまた誰かが召喚されでもしたらどうする。今でも手一杯なのに余計収集が付かなくなる。そもそも、これからラティスフィアをどうするかだって決めていないのに、これ以上問題は増やしたくない。

 いや、待て。

 召喚という考えは早計だ。

 ここに何度もラティスフィアみたいな人が召喚されるとは限らない。よく見てみろ。これはゲームだ。あのサイトにテイストがよく似ているが、これはストーリーだって戦闘だってある単なるゲーム。確かにマジュラなる得体の知れないものかも知れないが、このアイコンをタップしたところで調達したものが現実に現れるはずもない。マジュラで調達したものはマジュラの中に保存されるはずだ。これ以上、常識外れに考えを惑わされることはない。

 そうだ。

 普通の感覚で向き合えばいいのである。

 ここは日本。

 俺はよくいる平凡な学生。

 その手に持つのはよくあるスマホ。


「いざ!」


 ………………………………。


「なんて、そんな俺肝太くないよ。あはははは」

「押せば良いじゃない」

「ぇ」


 瞬間、空気が震えた。

 スマホに映る闇市の突風がまるで俺の部屋に吹いているみたいだと感じたと同時に、天井に紫電が十字に走ったのを俺は見た。

 ーーーーーーーーーーーーガラガラガラガラッ!!!

 それは紫電の音ではなく、大量の物質が落ちてきた音だ。

 飛来物から咄嗟にラティスフィアを庇って蹲った俺は、その少女に頬をペシペシ叩かれてようやく目を開けた。


「マジかよ」

「……こう……なるんだ」


 まるで爆撃でもされたかのように大小様々な木箱によってめちゃくちゃにされた部屋を見て、俺は茫然とした。対して、ラティスフィアも驚いた様子をそのままにまるで他人事かのような言葉を溢していた。


「……あ、あの、ごめんなさい。謝るから!謝るから私を殺さないで!嫌な態度取ったことも謝るから殺さないで!」

「は?なんだよ、いきなりどうした?」

「お願いします。どうか、殺さないで!灰にだけは……なりたくないの」


 悲痛な表情をして縋り付いてくるラティスフィアに俺は返す言葉に困ってしまった。

 いきなり何を言い出すかと思えば、殺さないでとか灰になりたくないだとか。正直意味わからなかった。しかし、対応に困り果てる俺を無視して少女はこの世の終わりに立たされているかのように必死に許しを請い願ってきていた。


「よく分からないけど、分かったから落ち着けよ。な?落ち着け。もういきなりどうしたよ。ほら、深呼吸して。なんだったら俺の手を握って良いぞ。ほら、泣くなよ」

「ごめんなさい」

「この状況に謝ってるのなら気にすんなよ。俺はどのみち押してただろうし」

「でも」


 いったい彼女は何をそんなに必死に俺の顔色を窺っているのだろうか。

 このめちゃくちゃになった現状とそんなに関係があるとは思えないんだけど。なんだか、手の掛かる子、ということは分かった。


「いいよ。それより、怪我はない?大丈夫?あ、それとトイレちゃんと流したか?そもそもお尻拭いた?手洗った?」

「え?ええ?」

「なあ?いきなりいろんな事言われるとパニクるだろ。さて、怪我もなさそうだし、部屋片付けるぞ。そんなに謝るんだから手伝ってくれるだろ?」


 俺の質問責めにあたふたしていたラティスフィアは、目をごしごし拭うと首を縦に振ったのだった。

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