情緒不安定

 神林一輝。

 平凡で、かつちょっぴりオタクな男子学生の俺は、その夏ーーーある大きな問題を抱えてしまうのであった。

 それは、突然部屋に現れた見知らぬ一人の少女を自室に匿いながら生活しなければいけないという無理難題!しかも、その少女は自分よりも幼いエルフの娘!?

 両親にバレたら家族会議で即有罪。姉貴にバレたら幼女趣味の拉致監禁変態変質者として家族会議に架けられ、即有罪。外に連れ出し、少女がエルフとバレれば人が集まり晒し上げられバッドエンドという、超無理ゲー!!

 果たして俺は、エルフの少女を自室に隠し、無事平穏な青春高校生活を送ることができるのだろうか!!!?

(ふぅ、そんな肩書きの付いたパッケージ誰も買わねえ)

 下らないことを考えながら自室の扉を開ける。

 長い1日はまだ続く。

 この状況を時間が解決してくれると言うのなら、俺は人生にスキップ機能を追加してくれ、と今から本気で土下座をしながら天に願うだろう。

 しかし、現実はそうもいかない。

 超刺激臭と何でどう汚れたのか分からない無惨な姿で俺の部屋に現れたエルフッ子は、その身を綺麗にしても未だ現れた理由も説明も無く、俺の愛用している机の下ですんすん泣いているのであった。

 そんな少女を横目に、俺は折りたたみ式のミニテーブルをベッドの下から引っ張り出し、一階からせしめてきた雑多な食料を並べ始めた。

 持ち運びが簡単なようにとタッパに詰めた白飯に手近にあった沢庵を乗せ、胡瓜の浅漬けと魚の缶詰をテーブルの上に置いていく。お茶を持ってきたが、コップを忘れたので直接飲んでもらうことにしよう。飲みにくいだろうが、勘弁してもらうほかない。


「さてと」


 俺は傷心のエルフッ子に歩み寄ってしゃがむと、軽く肩を突いた。

 赤く腫らした片目をこちらに向けてきた少女に俺は、指を指してテーブルの上の食事を見るように促した。

 すると、今度こそ顔を上げた少女は俺の顔を見て不安そうな眼差しを向けてくる。食べていいの?そう目が言っているように感じ、俺は縦に首を振った。だが、少女は俯いてしまい動かなかった。

 食欲がないのだろうか?

 まあ、無理もない。見知らぬ土地に来て自身の声が出なくなったという事実に心折れない子供はいないだろう。俺だって、好きな漫画の初回限定版を買い逃した時は二日は喉に何も通らないほどである。落ち込む時と言うのは、種族関係なく皆そうなのだろう。

 だけれども、少女をこのまま机の下に座らせている訳にもいかないのも事実だ。何はどうあれ、最悪トイレの場所と使用方法だけは確実に教えておきたいのだから!

 ま、それはさておき。


「ちょっとごめんよ」


 俺の貸した服を分かりやすく涙で濡らした少女の身体はとても細かった。それはあまり運動を得意としない俺が彼女を簡単にかつげるほどであった。

 食べなきゃ死ぬ。それが今すぐにではないにしろ、馬鹿の俺でも分かるこの世のルールだ。


「ほれ、到着」


 俺は動かないでいる少女を抱き抱えるようにしてテーブルの元へと連れていった。

 風呂場に連行した時にも感じだが、やっぱり見た目以上に軽かった。

 少女は見た目、中学生ほどである。まだ中学時代が記憶に新しい俺にとっては、その軽さがすぐに異常だと理解できた。実際に中学時代に女子を抱き抱えた経験なんてないが、こんなに軽いはずがない。まあ、そんな華奢な子を風呂場で押し倒してしまったのだけれど。

(……ぁぁ)

 とにかく、だ。

 食事は大切なのである。


「食べていいよ」


 抱えていた少女を座らせると、彼女はこちらをまたも不安そうに見上げてきた。

 こうなると本当に言葉や意思が通じているか怪しくなってくる。通じ合える何かが、この子には一切感じ取れない。そう言っても過言では無いほどである。風呂の時といい、こちらが予想している反応が返ってこないのだ。

 俺は頭を掻くと、少女の向かい側に座り、胡瓜の浅漬けを頬張った。それからもう一つ取り、少女の口元へと持っていく。

 しかし、少女はそれを口に入れようとはしなかった。もちろん、俺も口に押し込むようなことはしていない。あくまで自主的に動いてくれるのを待った。だが、彼女は困ったような表情を向けるだけで、受け取ることも乗り出して食べることも避けて拒むことも何もしなかった。

 その代わりに。


「え……?ちょと、えなんで?ああえっと、ティッシュ、いやハンカチか!?」


 少女は静かに涙を零したのだった。

 俺は単に何か食べれば少しでも元気が出るだろうと思っていた。それなのに、思いもよらない反応を受けて、俺はただただ狼狽えてしまう。

(漬物か?!漬物がダメだったのか!!?ごめんね、家にろくな物置いてないんだよごめんね!!)

 急いでハンカチを取ってきて少女に渡すが受け取ってもらえず、俺は仕方なく流れ続ける涙を拭いていった。

 少女の顔にかかる銀の髪が乾く頃には、持ってきた白飯がすっかり冷めてしまっていた。

(本当に今日はどうかしてる)

 こんなこと、どこのファンタジー小説や漫画を読んだって書いていなかった。セオリーもお約束もあったもんじゃない。

 いやまぁ、お約束と言えば、風呂場でのことくらいだ。

 そういえば、彼女は俺が見様見真似で使い方を教えたシャワー器具を即座に理解した。それを自分から使い、更には俺にも使ってきた。

 そこに共通する知性があることは確かだ。

 なのに、どうしてこんなにも彼女は自主性や意思をなくしてしまっているのだろうか。

 心が壊れた?

 そんな風には見えない。

 まだ少女の表情には人としての温かさがあった。

 では何が彼女をこうさせているのだろうか。


「同じ16歳でも、学校のクラスの奴らなら分かるんだろうかね」


 自分が少女を分かってあげられないでいる自虐を口にして、俺はベッドを背もたれにして天井を見上げた。

『彼女を助けますか?』

 あの時、俺は投げやりにイエス・ノーの選択肢を同時に押した。そこには正義感も決意も何もなく、あったのはどうとでもなれという諦めだけだった。

 どちらになるか正直分からず、その意図することも全く分かっていない運命任せの決断だった。

 すると、どうだ。

 今は明白に一つの答えが出ている。


 ーーー彼女を助けられない。


 どうしようもない。

 どうにも出来ない。

 それが今の俺の答えだった。

 スマホの画面に写っていたリアルな絵。そこに描かれていたそっくりのエルフの少女が、朝起きれば俺の目の前に現れ、そして今こうしている。

 関連性はもう疑うべくもない。そうなれば、彼女を何とかするのが最善であると分かるし、そうでなくても、こんな幼い子を放ってはおけない。なんとかしてやりたいと思うのは自然なことだ。

 だけれど、現実は俺が思っているよりも遥かに上手く事が進まなかった。

 言葉も意思も中々噛み合わず、食事も摂ってくれない。

 コミュニケーションと言う方法が正しく機能しないこの現状でどうしろと言うのだろうか。

 疑問や憶測が募るばかりだ。そしてそれは何一つとして解決しない。

 俺は今日という時間がもどかしく、やり場のない苛立ちが心のうちに静かに募っていった。

 俺は体を起こし、次いで視線を下に落とした。

 膝の上には少女が目を閉じて眠っている。

 見ていると胸が締め付けらるほど可哀想になるくらい、彼女は困り顔で涙を流していた。

 少女に何があったのか。何が起こったのか。まるで分からない。


「助けられるなら、助けたいさ」


 少女の頭を俺は優しく撫でた。

 俺には、それくらいしか出来ない。

 ファンタジーだ、冒険だ、青春だと憧れを口にしていた俺は、結局何も出来ないクソ野郎だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る