なんやかんやの後

 程なくして俺は今、自室にいる。

 何が程なくしてなのかは、これから簡単に説明しようと思う。

 いやまぁ、その、色々あってね。頭の整理が追い付かんのよ。ほんと。

 あの後、食らったシャワーノズルに喘いでいると母親が脱衣所に入ってきて声を掛けてくる事態に陥った。何とかして俺は、あれやこれやと言い訳を言ってどうにかその場をやり過ごすことに成功した。母親が脱衣所から出て行くと、顔を赤らめていた少女は体を洗う液体石鹸を徐に取って俺の背中に回り、唐突に俺の体を洗い始めた。そんな時間はないと分かっていたが、これ以上少女に予想のつかない行動を起こされても困るため、俺は敢えてされるがままを徹する事にした。だから、俺から少女に何かしたとかそういったことは何もなく、俺は受け身になってなるようにしただけなのである。何かあったわけではないが、何があったのかの詳細は俺だけの秘密である。

 ーーーこほん。

 しかし、どうしてこの少女は腕を引っ張ったり、服を脱がしたりなど、突然強引な行動を取ったのかいまいち分からないでいた。それに、転んだのに痛みも訴えず何事もないように立ち上がるなんて不自然極まりない。かと思えば、俺の宝剣に顔を赤らめる。更にはシャワーノズルを俺に投げてくる。一体、この子の情緒や思考はどうなっているのだ?

 そんな疑問を抱えたまま脱衣所に出ると少女がまたしても、いきなり俺の手を握ってきたのである。風呂場での出来事に警戒した俺は彼女の手を振り解こうかとも思ったのだが、感情の読めない少女の表情を見て、その行動が取れなかった。

 何をするのか分からないが取り敢えず、首肯だけすると一瞬で視界が様変わりした。

 何が言いたいのかというと、脱衣所にいたはずの俺と少女は、瞬きもしない内に俺の自室へと移動していたのである。

 所謂、空間移動ってやつだ。

 少女のそれに俺は素直に驚いた。

 なにそれマジで魔法?本物?現実?トリックとかあんの?とすぐさま彼女に聞き寄ろうとした。しかし、丁度当たってきた冷房の風のせいで肌寒さを覚え、先に服を着ることにしたのである。

 それがついさっきのこと。

 今はこうして、二人面と向かって座っているところである。


「…………………………うーーーん」


 さて、どう切り出したものか。

 俺は苦い顔をして文字通り固まっていた。

 なんだか色々ありすぎてどこから何を聞いたら良いか分からなくなってしまったのである。

 向かい合っているだけに沈黙が非常に気不味い。

 無理矢理愛想笑いを浮かべて見せるが、対する少女は膝を抱えてこちらを覗き見るように視線を寄こすのみで、尚更対応に困ってしまう。

 ここは世間話や雑談でもして場を和ませるべきではないか?とも思うのだが、俺は腐ったオタク精神を持つコミュ障童貞男子である。年下エルフッ子と何を話せば盛り上がるのか、とんと見当が付かない。そもそも、彼女の声を俺はまだ呻き声しか聞いていなかった。

 何でこの子さっきから喋らないの?

(いっそのこと、お前から何か話してくれよ……)

 ついさっき、裸の付き合いをした仲ではないか。何を今更怯えることがあるというのだろう。お前はあれか、家に初めて来たペットか何かなのか?借りてきた猫、もとい借りてきたエルフか!……なにそれ。

 沈黙を保ったまま、俺は次々と心の内で愚痴や文句を零していく。しかし、そうしている間も少女は一言も喋らなかった。

(もしかして声が出ない……とか?)

 まっさか〜。

 それはさておいて。

 いい加減、話を聞かないとな。家族はとっくに外出しているから声を押し殺す必要はないし、学校に電話……は、後でいいか。

(うーんと……、まずは)


「あのー、さ。…………ふぅ。今更なんだけど………名前何?なんて言うの?」


 外から聞こえる蝉の鳴き声に負けないよう、俺は勤めてゆっくりはっきりと聞いた。小声でボソボソ喋んのは日本人の悪い癖だからね。

 しかし、相手を真っ直ぐ見れない俺である。少女の反応を視界の端で確認する。


「……………っ」


 ん、無視?でも、なんか聞こえた様な。


「ごめん、聞こえなかった。もう一度」


 すると、少女は俺の言葉の途中で髪から覗かせた尖った耳をピクリと震わせて顔を上げた。口を小さく動かしているが、そこからは一向に声が聞こえてこなかった。

 俺の耳が悪いのかと思って耳を近づけるように前のめりになる。しかし、少女の息が口元で擦れる音しか聞こえてこず、つい不審な物を見るような表情を彼女に向けてしまった。

 だが、それは少女も同じだったようで抱えていた膝から手を離すと、口や喉を手で触って確かめるように何度も声を出す仕草をする。


「もしかして」


 俺がそう言うと、パニックを起こして立ち上がった少女は俺を見ながら喉と口を仕切に指を刺して、声が出ないアピールをしてきたのだった。


「マジかよ、詰んだ」


 まさかの悪い予想の的中に俺は頭を抱えざるを得ない。正にフラグ回収乙、と心の中で落胆したのであった。




 目が覚めて、なんやかんやがあって、今日という1日を始めてから既に6時間が経過していた。

 時刻は既に11時をちょっと過ぎたくらいである。

 すっかり学校に電話をするのを忘れていた俺は、担任の教師から家に掛かってきた電話で病欠することを伝え、ついでにその足で一階の台所にある冷蔵庫からお茶やら漬物やらお菓子やらを適当に取って、二階にある自室へと戻ってきたところだった。

 少女はそれまで何をしていたのかというと、もう絶望も絶望と言った感じで俺の部屋で蹲って動かなくなってしまった。今はもっぱら、机の下ですんすん鼻を鳴らして肩を震わせている最中である。


「どうしたもんかなぁ」


 そう呟いたのは、自室に戻る少し前のこと。

 手に持った適当な食料を抱えながら二階へ上がる階段の途中で足が止まってしまった。

 部屋に帰ったところで、居心地の悪さがあそこにはあるのだ。戻るに戻れない。というか、戻りたくない。

 だから、俺は頭を悩ませていた。

 2時間前に少女の声が出ないと分かってから俺は何とかして彼女を慰めようとした。しかし、言葉の意味が上手く通じていないのか少女は俺から距離を取り、机の下に蹲ってしまったのである。憩いの場である自室に居るというのに、何という居た堪らなさだったことか。

 それなら、家には誰もいないことだし、自由に部屋から出れば良かったのでは?と考えるだろう。しかし、何か自分にも原因がある気がして俺は少女を一人残して部屋から出る事ができなかった。

 家の電話が鳴った時には、これぞ救いだと言わんばかりに部屋を出たものである。

 自室に戻るには気が重過ぎる。

 もし、部屋に戻って俺に出来ることと言えば、この手に持つ雑多な食料を彼女に差し出し、ご機嫌回復を試みるだけ。まったく、食い物でエルフ娘が釣れるなら誰もがやるだろう。

 それでは根本的な問題解決には至らず、彼女の存在の謎は何一つ解明されない。

 そんなことは百も承知だ。

 しかし、それ以外に俺の頭には奇策も名案も持ち合わせてはいなかった。

 何がどうしてこんなことに。

 俺は階段に座り込むと抱えていた物を置き、ズボンのポケットからスマホを取り出した。

 原因があるとすれば、コレしか考えられない。

 昨夜の悪徳闇サイト。

 勝手にそう呼んでいるが、実際あれを閲覧してからのこの事態である。疑わない理由はどこにもなかった。


「まあ、だいぶファンタジー染みてるんだけど……」


 非現実的だとその考えを捨て去ることは容易にできた。しかし、スマホに表示されたあの文面が気になるのだ。

『契約完了』『転送完了』ーーー。

 そう記されていた。

 あのサイトが引き金となった。

 俺はもう、そこに根拠のない確信を抱いていた。

 だから、もう一度あのサイトを開く必要がある。何か重要なことが書かれていないか、もしくはまた新たなメッセージが表示されていないかを確認する必要が、だ。


「自分のスマホを開くのがこんなに怖いなんて、どうかしてるよ。ほんと」


 一瞬の緊張。

 しかし実際には、俺はその言葉とは裏腹に実に自然にロックを解除した。

 ホーム画面が切り替わると、やはりあのサイトの画面が表示されたままになっていた。

 見ればそこには、新たなメッセージが表示されていたのだった。


「マジュラの刻印を宿せ?なにそれ?」


 表示されていた短い文面を口にするが、それが一体何を意味していることなのかさっぱり分からなかった。

 画面上にはその文面以外何も表示されていない。


「なんだよ、こっちも詰んでんのかよ。それとも謎解きか?俺超嫌いなんだけどそういうの」


 ぶつくさ言いながらサイトが表示された画面をタップしたり、上下にスクロールしてみる。しかし、画面は動かず、何も起こらなかった。

(だからマジュラってなに!)

 若干、苛立ちを覚えた俺は乱暴に画面を突いていった。するとその弾みで表示されていたテキストが右から左へとスクロールされていった。


「左右にスクロールとか、ありかよ。分かんないわ!」


 そのまま黒い背景を取り敢えずスクロールしていった。何が変わっているのかいまいち分からなかったが、何か表示される筈だと思い、ひたすら指を動かした。

 そして、ようやくそれが現れた。


「マジュラの譲渡完了……ね。このサイトを作った奴は本当に嫌な奴だな。何も説明されないし、マジュラとかいうやつは渡されてないし。……ん?もしかしてこれ?」


 表示を目にして悪態を吐いていた俺は、時間差で表れた端末の通知に目を止めた。

 通知されたバーナーを下へ引っ張っぱると詳細が表示されていく。


「……読めねえ。そもそもスマホ対応してないんじゃないのコレ?」


 全ての文面が文字化けを起こしており、一切の詳細が分からなかった。本当に闇サイト染みた仕様だ。

 辛うじて分かったのは、プログラムのダウンロードを許可するかどうかの認証画面のみ。イエス・ノーですら、訳分からん文字で表されていた。通常であれば右がイエスのはずである。


「ええい、ままよ!」


 やけくそもやけくそ。

 もう俺は深く考えるのをやめて、それをタップした。

 何が起こるかは、もうなるようになるしかない。

 いい加減にこの何も分からず、何も進まない状況を進めたかった。

 すると、程なくして新しいバーナーが画面上に表示された。

 そこにはしっかりと日本語で『インストール完了』と書かれていた。


「インストールって言うと、アプリかなんかをスマホに入れたってことだよな。っ!なんだよ、今度は何!?」


 バーナーを訝しむように見ていると、またもや変化があった。

 現代ではもう見ることがほぼ無い、砂嵐という現象が俺のスマホに起こっていた。叩いて治るのはブラウン管くらいだと聞いたことがある。

 それを見て驚いていた俺は慌てるだけで何も出来ず、勝手に再起動を始めたスマホを見下ろしていた。


「あー。もう、何が起こってんだよ」


 莫大な金額の架空請求とかされないよな。そもそも、スマホのデータ吹き飛んでないよな……?

(バックアップ、いつ取ったっけ)

 そんな心配がふと頭に過ぎって俺は、一種の諦めを覚悟しながら再起動中のスマホをポケットに収めた。

 1日の半分も過ぎていないというのに、俺の精神はもう既に疲労困憊だった。取り敢えず、部屋に戻ろう。そして、少女には紙とペンでも渡して筆談でもしよう。

 そう考え、ため息と共に部屋に戻っていったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る