早朝
身体に落下運動が加わり、ついで頭と肩と腕と骨盤と膝に衝撃が走って俺は目を覚ました。
ベッドから横這いになって落ちた俺は、呻き声を漏らしながら体を起こした。
「……寝落ちしたのか?いつ……寝たんだっけ……。今何…………時!?」
時間を確認するため、のろのろとスマホに手を差し伸べた俺はそこで昨晩のことを光の如く思い出し動きを止めた。
そう。
俺は綺麗で流麗で艶やかなエルフ娘満載の闇画像サイトでまんまと悪徳商法に引っ掛かり、何か知らない契約を完了させてしまったのである。
大袈裟にも震える手で、俺は自分のスマホを掴んだ。
あれから気絶したと言うことは、画面はあのままである。だから、スマホを起動した瞬間、あのサイトの画面が出てくることになる。あれが見間違いや夢であった可能性はあるにはあるだろう。寝落ちをしていたくらいだ。ファンタジー作品のウェブ小説を読み過ぎて、厨二的な夢を見てしまっただけでかもしれない。もう一度画面を開けば、その真偽が判断出来るだろう。
思春期青春真っ盛りな健全男子高校生にはよくあることである。
そう、よくあることだ。
(一息ついてからスマホのロックを解除しよう)
そう思い俺は、胸にスマホを当て、息を吐き、次いで胸一杯に空気を吸っていった。
「ーーーーーぅうううっ!!!?ぅぉおえええええ!くっさ!何これ、何の臭い???くっさマジくっさぁあっ!」
吸った瞬間、今まで気が付かなかった悪臭にむせ返り、そのまま急いで部屋の窓を全開にしていった。
この臭いに今まで気が付かなかった自分が恐ろしくなり、何度も鼻を拭った。
部屋のドアも開け放ち、エアコンと扇風機も同時に点けて換気をしていく。
「なんだよ、この臭い。硫黄って言うか、ちょっと糞尿っぽいな?俺……漏らしてないよな?」
咄嗟に気になってズボンを手で触って確かめる。
どうやら違うらしい。
乾いた感触に安堵し、ではどこから?と視線を巡らせると、その答えは意外とすぐに見つかった。
「ーーーーーー!!……マ、ジ?」
臭いの一番強い方へ目を向けると、自分よりも一回り小さな人影が机の下で蹲っていたのである。
俺は徐にスマホのロックを解除し、その画面を見た。
『転送完了済み』
真っ黒な背景に赤い文字でそう書いてあった。
おっとっとっと。こりゃどういうことかね明智くん?
俺は肩を竦ませると片腕で乱暴に目を擦った。
しかし、そうしてもそこにはやはりいた。
あろうことか机の下には、昨晩の絵に写っていた少女が身を縮こまらせていたのである。
「意味わかんねえ。現実なのこれ?」
日常で口にすると白い目を剥かれる台詞をつい口にしてしまう。
それほどに動揺していた。
実際に目の前にいる人影は、震えているのか小刻みに揺れ動いていて微かに呼吸の音が聞こえてきていた。おまけに俺が声を上げると、怯えた目でこちらを見上げて、さらに体を小さくしていった。
現実らしい非現実に、俺の頭は一杯一杯になっていった。
「ああ、あれだ。えと、まだ朝の4時か。風呂入れたほうが良いよな」
唯一まともに働いた思考は、臭いの素を断つ事だった。
言って俺は、なりふり構わずその少女を捕まえ、強引に風呂場へと連れていったのであった。
そういう事か。
俺の服のこの汚れはこの子が触った跡なんだな。道理で自分からも臭いがするはずだ。となると、ベッドから落ちたのは俺の寝相ではなく、この子の仕業ということ。意図的に俺は起こされたということを意味していたのだ。
ふむふむ。
この子が俺を起こすに至った理由は色々と想像できたが、だったらなら何でそんなに俺に怯えてるのかさっぱり分からなかった。
アクションを起こしておきながら逃げるって、それ、苦手な虫と対峙した時の反応だよね。ゴキブリにスプレー掛けた時の「キャーーどうしようこっちきたー」って時の反応と一緒だよね。俺、初っ端から生理的に超嫌われてるってことだよね……。
「ドウシヨウ、コノ子……」
健全童貞男子高校生16歳神林一輝こと俺は、絶賛立ち尽くしていた。
無理くり風呂場へと連れて来た少女からボロ布同然の服を鬼の形相で引き剥がし、浴槽へと放り込んだのだが、そこで思考が止まってしまったのである。
やらなければいけないタスクは分かっている。
まず。
①少女を綺麗に洗う。
②少女の服を洗う?(その必要があるかは別)
③俺の服も洗い、俺も風呂に入って臭いを落とす。
④家族が目を覚ます前に素早くここを退散し、自室へ避難する。
⑤少女に何がどうなっているのか事情を伺う。
と。
今、考えられるのはこれぐらいである。
このタスクの内、①と②に関しては臭いの原因なので絶対遂行する必要がある。
③から⑤は、①と②の完遂後に実行可能なタスクであると考えられ、さらに言えば、③は最悪諦めるしかない可能性もあると言えよう。
ならば、すべき事は明確である。
①と②に取り掛かればよい。
だが、待て。
「ふぅうううううううう。おちつけぇぇぇぇ」
俺はどこにでもあるような県立の普通科高校に通う、健全童貞男子高校生16歳神林一輝だ。
お耳のとんがった幼い美少女(ものすごい悪臭がする)を、果たして洗えるだろうか?
答えは決まっている。
ノー、だ!
「いや、もうさ。あの子がシャワー浴びている間にこのボロを洗おうって思ってたりもしたさ。でも、さっき覗いたらあの子!空の浴槽で膝抱えて震えてるんだもん!もう、どーすんのよコレ!何であの子何も言わないの?考えてみれば悲鳴の一つや二つ上げてくるものなんじゃないの?それほどに弱ってるの?あのサイトで見た場所でなんかされてたの!?……怖い怖い怖い怖い!やだなあ、マジで。マァージで関わりたくない……。はぁぁぁぁぁ、詰んでるんですけど。エルフ娘を洗ってあげなきゃいけない選択肢しか無いんですけど……!俺、まだR18レーティングに届いてないんですけど……。徒労が目の前にあって今すぐ逃げ出したいんですけど」
浴室を覗き見ると少女と目が合い、仄暗い嫌悪を含めた視線と表情が帰って来た。
(うわぁぁぁ、傷つく。もう、今ので爆散したスライム並みに心砕け散ったわ)
姉貴呼んでこようかな。
そう考えた瞬間、俺は自分の頬を殴った。
「馬鹿野郎、もう一人俺。そんなことしたら変態扱いじゃ済まねえぞ。父さんや母さんまで起きてくる羽目になり、平日の朝っぱらから家族会議開催決定間違い無しだぞ。死にてえのか俺は」
恐らく、俺は家を追い出されるだろう事が容易に想像できた。もし俺が言い訳がてら「犬猫感覚でちょっと拾って来たんだよ。助けてあげたくってさ」などと言おうものなら、「嘘も大概にしろ!碌に友達も作らないお前が人助けするわけないだろう!何処の娘さんを誘拐して来たんだ、このバカ息子は!」と父も母も姉も言うだろう。行く宛ては警察一択か。
「人生終わるぅううううううう」
くそう。
時間が、ない。
スマホのホーム画面には4:20と映し出されていた。ここに来てから20分間云々考えていたらしい。
俺はその時間を目にして、それこそ、なるようになれと無理矢理決心を付けにかかった。
そうだ。
犬猫感覚である。
拾ってきた動物を洗う。
ただそれだけ。
俺は別に非人道的な行為をしているわけでも、するわけでもない。
ただ彼女を綺麗にし、その後、ちょっとお話を聞く。
それだけだ。
何もしないし、何もない。はたまた、『平凡人生の神林一輝の人生には何も起こらない』まである。ラノベで言うなら、今のがタイトルになってもおかしくない。
落ち着け。
大丈夫。
心配はいらない。
なるようになる。
なるようになろう。
なるようにしよう。
それだけだ!
「よし!」
そうしてミッションは開始された。
家族が起きてくるまでにエルフッ子を綺麗にし、汚れた服から臭いを落として即時撤退。その後、仮病を使って学校を休む。家族が全員家から出ていったところで少女との会談スタート。
やるしかない。
まずは、5時頃に起きてくる両親を警戒しつつ、風呂を終わらせるんだ!
「一輝〜い?あんた起きてんの〜?」
「な!!?母さんっ!?」
開始と同時に俺のミッションと人生は、終わりを迎えたのであった。
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