2020/0904
9月4日。この日本においては不吉とされる数字だけが使われた日。
今日の夕方は、ひどく強い雨が降っていた。
いつもの音を、誰かの会話を完全にかき消すその音は、今日はちょうどよかったのかもしれない。
今日のバイトには、徒歩で行くことにした。カッパを着て自転車を走らせてもいいのだが、台風も近づいていて、路面状況も雨が降って悪いとなれば、自転車はやめておいた方が無難だろう。幸い、自転車で通っているとはいえ徒歩でも少し時間をかければ行ける距離だ。夏の間は使うことがほとんどなかったであろう傘を広げて、曇天の外へと歩みだした。
道路に落ちる雨の音と、傘で跳ねる雨の音と、足音と、車が塗れたアスファルトを走る音がずっと流れている。水たまりを思いっきり通ってしぶきが上がり、歩道に降りかかった。……カッパはやっぱり着ておいた方がよかった。歩道が人二人も並んで歩けない幅だから、かわすこともできない。タオルは持ってきていたかどうか。
バイト先のコンビニに到着し、裏でさっさと服を着替える。「丹運斗」と書かれた名札をつけて、さっさと仕事を始める。
コンビニにはいろんな人が来る。多くは3品以内で買って、特に何も言わずに店を後にする人。買うものは色々だ。パンとかおにぎりとか軽いお弁当と珈琲とか、お茶、ジュースの組み合わせはよく見ると思う。これに人によっては、たばこもつく。……たばこ、これ買うのを自動化できればいいのにな。未成年の購入を防止するためなのもあるのだろうが、正直200以上ある種類を店員が覚えるのは大変だし、客からも何番になにがあるとか見えているものなのだろうか。ちょっと視力が悪くなると見えない気がする。それこそマイナンバーカードを普及させて、買い物の時にこれをピッと通すとかすれば、本人確認にもなるのではないだろうか……などと思う。人の悪意と悪知恵はあらゆる整備をすり抜けるものだから、難しいところではあるだろう。
客の話に戻ろう。特になにもない人がいるなら、なにかがある人も来る。確認に対していちいちあたりが強い人とか、ちょっと不器用でお会計がもたつく人、今日はそうでもなかったけどクレーマーとか。あとははしゃいでそうな大学生とかその辺が大量に購入してくることもある。スーパーにいけと思ってしまっても実際に行かれたら売り上げが減るのが悩ましい。でもスーパーに行った方がもっと安く済むはずなので、一般市民目線ではスーパーに行けばいいのにと思わざるをえない。
あとは多分通販とか、ライブのチケットとか、電気水道通信費とかを支払いに来る人もいる。ご時世的にライブはなくなっても、生配信という形は多いようだ。回線が弱くない――標準程度にある環境にあるところなら、かなりリアルタイムに興奮を共有できているだろう。というか以前からSNSではある意味別々の場所に住んでいる者たちが、アニメとかをリアルタイム視聴して反応を共有するみたいなことをしていた。現地ならではがあるように、こういうやり方ならではというのも、きっとあるだろう。各自の環境によって質が左右されてしまうのは否めないけども。
そんなことを隅で考えながら品物を陳列したり、レジ打ちをしたりする。すると客がいない時間に、同じ時間で働いているもう一人がこう言ってきた。
「……先輩、今日はなにかいいことでもあったんですか?」
「特にないですけど。そう見えたんですか?」
「なんか元気があるように見えますよ。いつもはもっと猫背で、死んだ魚みたいな目をしてる気が……」
そこまで覇気のない姿勢だったらしい。めんどくさがっていたのは事実だが、そこまで態度に出てしまっているとは。
「いまからでもちょっと猫背にしてもっと負のオーラみたいなのを出してみようか」
「いや、調子がいいならそれにこしたことはないっすよ……」
何かその後に言おうとしていたようだが、客が来たのでここまでになった。
バイトも終わり、暗い道を傘をさして歩く。車のライトが濡れたアスファルトに反射するせいで、目を閉じたくなるほど眩しい。いつもはここまで眩しいと思わないのに、やっぱりこうやってしっかりと目から見ると、違ってくる。もう少しあるけば裏路地に入るから、そちらならここまで眩しくないだろう。
裏路地は、歩道はないけど車の通りは少なく、道路の真ん中はあるかなくても、眩しさに目を細めることなく歩ける道だ。なにより車の音がないからとても静かなのがいい。歩く速度を落として、一歩一歩踏み占める。ゆっくり深呼吸して、彼は意識して吸うことがないから味わえなかった雨と土の匂いを飲む。雲で真っ暗でも、傘を大きく傾けて空を見る。雨粒が肌に当たる感覚があまりにも心地いい。
「は、ははッ、あはは」
もし見ている人がいたなら、きっと不審者に思われることだろう。それでもいい。それでも、今はこうやって堪能したい。
あぁ、今。今ここにいるのは、こうやって生きているのは、間違いなく。
間違いなく、『私』なのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます