2020/0903
9月3日。着実に台風は近づいているらしく、今日も風が吹きやまない。気温はおそらく今日も30度を超えているだろう。……場所によっては40度を超えたらしい。秋とはなんだったのか。
『今回の台風は強風に注意だと。自転車ごと飛ばされないように、気を付けなよ?』
「それはもう台風じゃない」
前に進めなくなる可能性はあるし、自転車は飛ばされうるだろうが。
三日も居座られてはそろそろ勘づいてくることがある。
伶は時々、俺になんらかの指示をしてくる。昨日の視線を上げろとか、もっと速度を出せ、というのもあれば、珈琲を飲んでいると『もっと砂糖を追加しよう』とか『ミルクは入れないのかい?』とか言ってくる。サニーレタスを食べていれば『飽きた』と言ってくる。たまに知らない曲をリクエストされることもある。イヤホンを付けると、やたら嫌がるのだ。
そういった事実を踏まえて、一つの仮説が出来上がっていた。
「伶、お前もしかして」
『これは君を理解してあげようという私の譲歩だよ』
「ほんとか?」
『……ほんとだよ』
妙な沈黙があった。一言目は正直すぐに出てくるだろうとは予想していたのだ。伶は以前から言っているとおり、俺が考えていることを勝手に読む。ならば、俺は前から考えていたことはとうに知っている。それで、ちょうどいい理由を付けるのもとっくの前にやっているはずだ。
『やってないし』
「どうして自分からボロをだしてるんだ」
『ボロじゃないし』
嘘をつくのが流石に下手すぎでは?
『嘘なんかつかないし!』
語気を強めてそう言い張るが、だがこいつがいわゆる「幽霊」とは若干違う、ある意味器用なことをできている代わりの何かがあるのではないかと考えざるをえないのだ。伶は、声だけ聞かせるという器用なことができているのではなく。
「お前が手に入れられる情報は俺経由のものしかなく、声しか表現することができない、そうだろ」
姿を見せないのではなく、姿がない。単体では物を見ることも、味わうことも、肌で感じることも、嗅ぐことも、聞くこともできない。おそらくは、外に発音することもできない。こいつが言う「憑りつく」ことで初めて、憑りついた相手の機能でやっと外界と接している。それではまるで、アニメに比較的よく出てくる――
『君の別人格なんて成仏しても願い下げだ』
「……こっちだって願ってない」
本当に思考を先取りされた。だが、伶が自分の別人格というのは大変困る。うるさすぎる。
『私だって君みたいな根暗の別人格扱いされるのは嫌だ』
流石に一瞬眉が上がった。自覚はしているが、こうやって、しかもこいつから言われる筋合いはない。
「お前が勝手に俺に憑りついたんだろ。自称幽霊なら、とっととどっかに行け。それか、除霊師でも呼んでみるか」
『やーだね。絶対にでていくものか。それに、除霊師で私をどうにかできるならやってみてほしいもんだ』
やたら喧嘩腰の言葉が返される。少なくとも俺から出ていく気はないらしい。逆にどうして出ていかないのか気になるが……。
『…………』
きっと読んでいるだろうに、この疑問に答える気はないらしい。そして、俺が推測した要素に関しても、明言する気はないのだろう。
その後の伶は、気味が悪くなるほど静かだった。いつもならテレビを見ている時とか、バイト中とかに何か言ってくるのだ。通退勤中にしてもそうだ。何か言ってくるはずなのに、何も言ってこない。
伶にとって「別人格」とか言われるのは嫌なのだろうか。俺にはあいつの表情も身振り手振りもわからないが、あの時は珍しく不快感が声によく乗っていた。自称幽霊ではあるが、実際に生きていたときに「別人格」ということ絡みでなにかがあったのだろうか。……俺は、ただ確かめたかっただけだったのだが。きっと声に出すことがなかっただろう所が、あいつには筒抜けだからこそこうなってしまったのか。それとも、自分のことに関して詮索されたのが嫌だったのか。
ここまで思考を巡らせても、伶は何も言わない。顔が見えないゆえに――その顔がないだけに、実際の感情を推し量ることもできないが、異様なまでの沈黙が、これから来る嵐の前兆になっていた。
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目が、覚めた。
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