2020/0902

 9月2日。今日は風が強い日だった。

 台風が近づいているのだろう。おかげでいまだ日差しで肌はひりつくが、強すぎるくらいの涼しい風のおかげでまだ過ごしやすい。近いうちに大雨になるだろう。

『南東の雲行きが怪しいね。今日のラッキーアイテムはカッパかな』

 昼の気温はまだ32度。まだ、夏なのだろう。

 昨日『伶』という名前を与えられた自称幽霊は、変わらず何かしゃべっているが、少しだけ初日よりは静かになっている。

 実は、昨日の名前を決めた後にある取引をしたのだ。一応名前の元を決めたのだから、少しは静かにしてくれ、と。

『まあいいでしょう。断腸の思いだけど』

「断つ腸なんてないだろ」

『だまらっしゃい』

 あくまでも当初よりマシというだけで、うるさいことには変わりない。


 今日は朝のうちに買い物に出た。バイト終わってからの天気が怪しくなるなら、今のうちに行っておく方がいいのは間違いないだろう。だから今はこうして、12時を回る前から自転車を走らせているのだ。何が珍しいのか、伶のテンションがやたら高い。

『いやぁ~、この風を受ける感じ! 自転車はこういうのがいい。快適ではないけど楽しくなる!』

 安全な範囲でもっと風を受けてくれ、と囃す。まだ朝の冷たさが僅かに残る空気を浴びるのは、たしかに気持ちがいい。

「だからって事故るのもヒヤリとするのもお断りだ」

 普通に漕いでいても危ない時はある。俺の反対に、伶は不満げな声を上げながらも、正論だからとここは引きさがった。ふと、伶が声を上げる。

『おや? これは……』

 目的のスーパーに向かって漕いでいる間に、何かが気になったらしい。俺の視線をもう少し上げるようにと指示してくる。どうして俺にまで見させようとするのか。わからないが、だがたいしたことではないので少し目線を上にした。

 目にうつったのは、まだまだ暑いのに空を舞う白いもの。まさか雪ではないだろう。どこからか来た白いものは、風に流されていく。

『流石に雪ではないよ。なにかの植物の花とか種だろうね』

 タンポポのような仕組みなのだろう。通りすぎる間でも、白点がふわふわした綿のようになっているのは見えた。これが伶は気になったのだろう。

『こういうのを見ると、風流な気持ちにならない? いつもとは違う感じに、さ』

「そういう感覚はわからん」

 いとをかしという前に重大な問題が俺にはあった。野菜の価格という、死活問題が。


 朝一まではいかないが、開店してから一時間ほどしか経過してないタイミングできたので、生鮮食品はやはり多かった。当然、半額や三割引きでもなかったが。最重要事項の野菜の価格は……やはり高い。これ以上高くなられるのは困るのだが。

『草食動物かと思うくらいに、君がおやつに野菜を食べるからね』

「黙ってろ」

 以前は果物を食べていたのだ。夏はバナナで、冬はリンゴ。一日一本か一つを食べていた。だが、バナナもリンゴも甘く、とりあえず空腹を埋めるにはあまりにも甘すぎた。必要としているのは胃を埋めることだけで、果実や菓子のような甘さはそこまで欲してなかったのだ。その代わり、野菜を食べるようになった。洗ったサニーレタス一枚をちぎりながら食べるのはよくやっていた。すごく惰性で、かつ空腹感が減る。お財布事情にも優しい、いい解決法だと思っていた、思っていたのに……。

『お野菜の価格は案外変動するもんだ。色んな理由でね。代わりにじゃがいもとかどうだい』

「断る」

 なぜ炭水化物をそこで選んだ。

『一つ一つが安くて、慣れれば芽の処理も簡単だし、手軽に食べるならてきとーに十字の切れ込みをいれて茹でればいいだけで、そこそこ胃にたまるだろ? 悪くないと思うけど』

「おやつの代わりにご飯を食べるほどのカロリーを消化できる生活はしてない。あと黙ってろ」

『えぇー。じゃあ乾燥昆布とかどうだい。これなら食べるときは一口サイズ、胃に入るとがっつり埋めてくれる優れモノだろ?』

「俺をいつかの口から乾燥昆布がでてきた人にする気か」

 いいかげん黙ってほしい。本当に黙ってくれ。流石に厳しくなってきた。

『視線が?』

「わかってるなら静かにしていてくれ……」

 ため息をつきたくなるが、ここは堪えておかなければならないと思った。傍から見れば独り言をぶつぶつ言いながらため息を吐いてるとか普通に避ける対象になる人だろう。その様子に、伶は一瞬黙り、ああ、もしかして、と気がつく。

『さては君、散々私が君の思考を読んでいるのに、声に出さなくても会話ができるって気がついてないな?』

 言葉の端々にどこか上から目線な機嫌が混じる。……考えれば勝手に読むことは知っている。だが、お前は読まなくていいことまで全部読むだろ。

『そりゃ、読めちゃうからね』

 これだから、わざわざ言って限定しておきたいのだ。……結局その後は、不本意ながら声では答えなかった。おかげで、別のスーパーに行っても、帰り道でもテンションが高かった。

 名前の代わりに少しは静かにするとは、一体何だったのか。

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