第16話 牛鬼
慧の思いついた退治の方法は、どうしても人目のある場所で行わなくてはならなかった。
それには、件との「目立っては行けない」という約束がネックだった。
そこで慧は考えた。
佐藤慧は目立ってはいけない。なら、佐藤慧じゃなければ、目立っても良いのではないか。
例えば、妖怪なら。
奴らの真似をするのは癪だが、なるべく、佐藤慧と結びつかない像を作る為にはこれが一番手っ取り早い。
現在の恰好はガスマスク姿に防刃服一式と、惑星のときと同じ姿だ。件の姿が慧の脳裏によぎる。ガスマスク。毒。体が黒い妖怪と考えて、思いついたものがひとつあった。
トラックによじ登りながら、念のため口調も変えた方が良いだろう、と慧は思う。妖怪だし恐ろしい雰囲気を出したい。魔王みたいな感じで。
慧は手のひらを広げ、天を仰いで叫ぶ。
「吾輩は牛鬼! 諸君らの恐れる大妖怪だ!」
——何を言ってるんだ俺!
回る思考に台詞が釣られてしまった。慧は冷や汗をかいた。目的通り口調も普段と違うものになったが、可笑しな方に向かっている気がする。高校生として積み上げてきた社会的な自己意識が痛くて堪らない。
高くなった視界には、藍色に変わろうとする空が映った。慧はそれに、何か強烈な違和感を覚えた。が、そこで声がした。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
見れば、下で工事をしていた人達が怒鳴っていた。慧は彼らに心底共感する。現状、工事現場にいきなり乗り込んできた変な姿の男が、激辛スプレーをばらまき、トラックの上に乗り、変なことを騒いでいるだけなのだから。
ちなみに牛鬼とは、西日本に伝わる人を襲う残酷な妖怪だ。黒々とした蜘蛛の身体に、牛の顔を持つ姿でよく描かれる。攻撃手段として毒を吐くことも知られている。
「早く降りろ、警察、を?」
そこまで言いかけたところで、ひたひた、と後ろから新たな足音がした。人々は振り返る。
見えたものに、息を呑み、恐怖に震える。
「ぇ」
「こんナトころに逃げてしまっテ。手間を掛けさセルね」
複合的な声。そこには、異形の姿があった。
背中には穴が開いているようで、そこから黒い液体が滴り、しゅわしゅわと地面を溶かしていた。
道を作るように、工事の人達が一斉に身を退く。腰が抜けたのか、尻もちをついている人もいる。
二度目の邂逅に、慧は目を細めた。人間と推理した後でも、スレンダーマンの見た目は人間とは思えない。長いのに器用に動いている足とか、どうなっているのか気になる。星野だったら仕組みが分かるのだろうか。
でも、ここには自分の仲間はいないし、呼ぶ気もないから。
「あの、妙な女はなんナンだい? 消えたのだケド気持ちガ悪い」
そのスレンダーマンの言葉で、慧は件が死んでしまったことを知った。怒りで殴りかかりたくなる拳を、握って、ぎゅっと堪える。
額の痛みに意識を集中させる。
冷静になったたところで慧は、負けじと牛鬼らしいことを言おうと考えた。
「石は流れ、木の葉は沈む。牛は嘶き、馬は吼える」
そして、間違えて牛鬼を退治する為の呪文を唱えてしまった。
牛鬼の伝承には、矛盾している言葉を唱えたら倒せるというものがある。自分で自分を退治してどうする、と慧は思う。これこそが矛盾だ。だが、言ってしまったものはしょうがない。なんとか取り繕わなければならない。
「君は何を言っテイる?」
軽く首を傾げて、スレンダーマンは言った。近づく足は止まらない。ときおり、姿が消える。テレポーテーションしているみたいだ。
困惑していてもキャラクターが崩れない彼は、真面目に凄いと慧は思った。自分はこの体たらくだ。それでも、此奴は慧を殺しに来ているので倒さなければならない。
ああ、そうだ。
牛鬼にも悪霊を倒す伝説があった。慧は口角を吊り上げる。
「そんな世の中なのだ。悪鬼も椿に戻ったっていいだろう?」
一部の地方では、牛鬼は椿の根から発生した神の化身であり、悪霊を祓うという話が言い伝えられていた。実際に牛鬼を神様として祀っている神社もある。
なお、この情報はマイナーであり、言葉も若干おかしくなっていたので、慧の懇親のアドリブは伝わらなかった。余計にスレンダーマンの首が傾いた。
「見るがいい! 紅妙蓮寺!」
やけになった慧は、椿感を出そうと椿の品種名を叫びながら、スレンダーマンの顔に向かって激辛爆弾を投げた。赤い粉が飛び散る。赤は、椿の花弁の色だ。この粉の正体はナス科のトウガラシだが。
勿論、目も鼻もないので、スレンダーマンに影響は一切ない。
「むダだ」
それだけ言って、姿が掻き消える。次に見たときは、トラックの荷台の上だ。
慧が瞬きをすると、また、姿が消える。
一瞬の隙に、慧の目と鼻の先に現れる。
スレンダーマンは、慧と同じように運転席の上に立ち、その長い腕を伸ばした。
そして、慧はこの瞬間を待っていた。
慧はかがみこむと、スレンダーマンの足を持ち上げた。重いはずの体は、高校生一人の力でも、何故か簡単に浮いてしまう。そのまま、無重力地帯の方へ飛ばす。
ラグナロク現象は球形に展開されている。それが、惑星で慧の得た知識だった。
故に、地表との境界線にフェンスを張っても、高度の高いところでは、ラグナロク現象はフェンスの位置からはみ出ている。図にしてみると分かりやすいだろう。
トラックの運転席の上。慧は頭しか引っ掛からないが、身長が3メートルほどもあるスレンダーマンはどうだろうか。体の大半が、ラグナロク現象に突っ込む。無重力地帯に入ったその体の重さは、ゼロになる。
だから、慧でもスレンダーマンを投げ飛ばせたのだ。
重力が半分になっていた惑星で、吉が慧を軽々と持ち上げられたように。
慧がヘンテコな技名を唱えて、スレンダーマンに攻撃したのは、牛鬼だという説得力を出すためもそうだが、この違和感に気付かれないようにする為だった。
吉は前に、モノを動かすには設計が大事なのだと言っていた。物理法則、科学法則、あらゆるものを計算して、歯車のように緻密に組み込む。
スレンダーマンはこちらに手を伸ばしたまま、ラグナロク地帯に沈んでいく。化け物に見せかける為のあらゆる仕掛け。それらが、無重力というイレギュラーによって狂っていく。
「秘儀・初嵐」
慧は人知でない力を使っている感じを出しながら、袖口に手を入れた。そこには、さすまたを隠していた。
下からさすまたが見えないように調整しつつ、スレンダーマンのがら空きの懐に突っ込む。
強烈な電撃が、スレンダーマンに迸る。
「%$&?<>%$#$#!?」
音声機能が壊れてしまったらしい。あらゆる音声の混じったような不可解な悲鳴をスレンダーマンは上げた。
続けて、つんざくような甲高い音がした。トラック、鉄骨、フェンス。辺りの金属が共鳴し、震える。人々は思わず耳を塞ぐ。
音が鳴りやみ、恐る恐る目を開けば、無重力地帯には力なく浮いたスレンダーマンの姿があった。足や手の関節があらぬ方向に曲がっている為、とても怖い。
そんなスレンダーマンの様子を見て、慧は安堵にため息をもらした。
そこで、工事の人達と目が合った。
束の間の沈黙。
「ふ」
「ふ?」
慧は笑った。
「フハハハハハ! これで諸君らも一安心だ! あばよッ」
足元に再び、激辛スプレーを撒く。赤い煙の中、再び、悲鳴と呻き声がこだまする。ガスマスクのおかげで一切影響を受けない慧は、心の中で彼らに謝りながら、その中を突っ切った。
慧は思う。
演技なんて、やっぱりクソ苦手だ!
人気のないところまで走ると、慧は服を一式脱ぎ、リュックサックの中にしまった。そのままタクシーを呼び、慧は家に高速で帰る。
家に入ると、慧以外は誰もいなくてがらんとしていた。暗いので、電気をつける。
そうして、リビングの机の上に一枚の封筒があることに気付いた。
慧は慌てて、その封筒を開く。中には三つ折りに折られた手紙とお金が入っていた。
『お世話になりました。これは、運転免許証代です。ロトに当たったとでも言い訳して、ご家族に渡して下さい』
慧は手紙を握りしめた。
その日も、その翌日も、件は帰ってこなかった。
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